【 一月三舟 (いちげつさんしゅう) 】
仏教用語。一つの月でも、とまっている舟から見るととまって見え、北に行く舟から見ると北に行くように見え、南に行く舟から見ると南に行くように見える。一つのこともそれぞれに異なって受け取ることができ、いろいろな見方をすることができることのたとえとして使われている。

 

2005年分

 

「モモと三舟」

H17/01/10


 新年、あけましておめでとうございます。各地での災害で大変な年末年始でしたが、皆さんのお正月はいかがでしたでしょうか。

 誰にも新しい年がやってきます。期待や不安のいりまじった思いで、しかし、誰にもどのような思いの人にも届けられる贈り物、それが新年でしょう。何も書かれていないまっさらな日記を前にした時のような緊張感があり、いつもは忘れている人生の意味や目標を考えるのに年の初めは絶好の機会ではないでしょうか。

 新年の書きぞめを兼ねて、この随筆欄が始まったいきさつなどを、読者の皆さんにお話ししておきたいと思います。

三つの人生の舟から誕生

 この随筆欄の題名は「一月三舟」。八年も続いているお蔭で、長年の読者の方にはすっかり馴じみの言葉としていただいていると思います。「一月三舟」は仏教で使われた言葉です。一つの月でも、とまっている舟から見るととまって見え、北に行く舟から見ると北に行くように見え、南に行く舟から見ると南に行くように見える。一つのことでもそれぞれ異なって受け取ることができ、いろいろな見方をすることができるたとえとして使われています。

 日本国の通信簿は、経済一流、行政二流、政治は三流、これが国際社会の長年にわたる評価でした。私はどういう運命のいたずらか、一流から三流までの三つのすべての世界を経験することになりました。いうならば、経済、行政、政治へと「華麗なる転進」などと書かれたりしましたが、正確に表現するならば、「華麗なる転落」の人生というべきでしょう。

 従って、この「一月三舟」のコラムは、私の三つの世界、三つの舟の人生航路の中から誕生したと言えなくもありません。

国政を地方の目線で

 日本海新聞吉岡利固社主のご長女伊都子さんと田村耕太郎さんのご結婚式が行われたのは平成八年九月二十八日。出雲市長時代からのおつきあいのご縁で、私はその席にご招待を頂いていました。

 全くの偶然ですがその前日九月二十七日に衆議院が解散され、候補者は一斉に選挙戦に突入。私もその一人でした。

 ベテランの現職議員を相手にわが人生初めての、慣れない異郷の地、世田谷区での初めての選挙。考えるだけで震えが来るような情況の中で、解散の初日に世田谷区で第一声だけを終えると、私は羽田空港から鳥取市へ向かいました。

 日本海新聞を通して出雲市の革新的行政の一つひとつを全国に発信して頂いていましたが、次は国政の場で見たこと考えたことを地方の目線で発信して欲しいというお話がその席であり、一年か二年ぐらいのことと思い、お引き受けして、「一月三舟」という随筆コラムをはじめて、早くも八年の歳月がたちました。

 私の目だけでなく家族や友人の目、そして読者の皆さんの目で私は国の政治や経済の動きを見てきました。それは八年間の楽しい旅のようでした。旅は道づれという言葉があるように、多くの人の目で眺めて、多くの人の心で考えたことを私の一本の筆にのせる。私は語部(かたりべ)の役をつとめてきたことになります。

 時にはふるさと山陰の心で、時にはパリ、ロンドン、ニューヨークに住んでいた思いをこめて、時には国会の議席に座りながら、これまでと同じようにこれからも、皆さんに私の「三舟」をお届けしたいと思っています。

 国会議員としての多忙なスケジュールの中で、原稿用紙に向かう時間を見つけることは決してやさしいことではありませんが、読者の皆さんが私の背中にいつも温かい声援を送っていただいていると思うと、書く力と、大きな勢力に向かって立ちあがる勇気が湧いてきます。

八年間見守ってくれた愛猫

 執筆という作業は深夜の孤独な仕事になりがちですが、私には幸い「モモ」という可愛い女の子がいつもお相手をしてくれました。

 二女の絵里が、ハーバード大学を卒業して、奉職したのがマサチューセッツ州の古い高校でした。教師用の寮の一人暮らしが始まってしばらくして、友人の家にかわいいネコが三匹生まれたというので行ってみたら、目元のかわいいネコがいました。薄い黒とベージュの横じま模様で、メイン・クーンというアメリカを代表する「ネコの女王」といわれる種類で、ピーター・ラビットとその仲間たちが誕生した湖水地方のソーリー村のモペットそっくりでした。

 名前は「イワクニ・モペット」、愛称は「モモ」と決まりました。

 モモはアメリカで育ち、私たちといっしょに出雲市に移り、そして東京に住み、モモもまた一人前に三つの世界を経験してきたことになります。

 行儀のよいモモでしたが、私にとって一番困ることは、「一月三舟」の原稿書きが始まると、朝の三時でも四時でも起きだしてきて、私の机に上がって、窓を向いて、メイン・クーン特有の大きなぽったりとしたお尻と長いしっぽを原稿用紙にのせてしまうことでした。万年筆のインクが乾かない間に大きなしっぽが右から左へ、左から右へとその上をなでて行くと、字がにじんで「わ」が「れ」や「ね」に、「め」が「ぬ」になったりしました。

 いつまでも私が相手をしてやらないと、こんどは私の方へ向き直って原稿用紙の上のはしを両手で押さえて、じっと原稿を書いている私の顔を見つめています。「パパ、何を書いてんの? モモちゃんのこと?」とでもきいているようでした。

 モモの大きなテールから原稿用紙を左手で守り、左手にテール、右手に愛用の万年筆パイロットとモンブラン。それがいつもの執筆スタイルでした。

 私の一月三舟の旅はこうして続いていたのですが、モモは十七年の短い生を終えて、この世を去ってしまいました。「パパ、さようなら。モモちゃんがいなくても、元気で書き続けてね。」と言いながら。

 八年間、九十万字を書き続けるお相手をしてくれたモモに感謝。(衆議院議員、元出雲市長)

「村が消えてゆく」

H17/01/17


 村をうたった唱歌はいくつもあるが、その中で最も親しまれているのは「村の鍛冶屋」ではないだろうか。この歌の言葉とメロディーの中に日本の永遠のふるさとを見つける人が多い。三年前に退官された東京芸大の学長、澄川喜一さんもその一人だった。

書き変えられ消えた唱歌

 私のラジオ番組「凛として日本」に出演頂いた時の事、三十分の中で二曲を選んで皆さんにも一緒に聞いて頂く、澄川さんのその二曲はビバルディの「春」と「村の鍛冶屋」だった。

 番組の中で島根県出身の澄川さんに合わせて私も一緒に歌いましょうかということになった。

 ところが、澄川さんが大切そうに机の上に広げた歌詞と、私が局の人に探してもらった歌詞と、二人で歌い出してみると違っている個所がでてきた。二つの歌詞はそれぞれに正しいのだが、時代とともに歌詞の一部が書き変えられているのだ。例えば、「あるじは名高き いっこく老爺(おやじ)」と歌っていたのが、戦中に「名高い いっこく者よ」に、戦後には「いっこく」さえも消えて「名高い はたらき者よ」と変えられ、そのうえ、八六年には小学四年生の教科書から消えてしまった。

 消えたのは「村の鍛冶屋」だけでなく、「村の鎮守の神様の」という歌いだしで愛唱されていた小学三年生の「村祭」も見事に消えていた。

 村の唱歌ばかりではない。「村」そのものが、いま日本の国から消えていこうとしている。

 ひと口に「市町村(しちょうそん)」と言われるが、四十七都道府県のなかで、すでに村の消えた県が広島県と香川県、そして近い将来に長崎県や滋賀県など十県からも村の名前が消えて、「ノー村地帯」が広がってゆく。

「木を見て森見ぬ」地方分権

 都市化が年々進むのは世界の流れではあるが、狭いうえに山林が多く、国土居住利用率の低い日本がそれではますます狭くなっていく。小さい国の中で、ごく限られた地域にだけひしめき合って住むような国がいいはずがない。

 行政コストを下げて、「最小のコストで最大のサービス」をさらに進めるためには、交通や通信事情が三十年前と一変した現在、市町村合併に真剣に取り組み、実現させるべきだと思うが、一体感を形成できないムリな合併でムラを無くすことはない。むしろ、それぞれの県土で、特徴ある自治体としてある程度の財政的保護は残したほうがよい。

 私は日本のほかには、米、仏、英の三つの国に住んできた。アメリカは大きいから国土の利用はどのようにもやりやすい。フランスは小さいし、イギリスはさらに小さい。だからこそ国土の維持・利用には工夫と努力が必要だ。必ずしも大きくないそのフランスやイギリスの中を旅行すると、ゆったりと大きく感ずるのはなぜだろうか。

 一つひとつの農家のたたずまいに豊かさが感じられることもある。日本のようにムダに幅広い農道ではないが、細くてもよく整備された道があることにもゆったりと感じさせる点がある。

 しかし、何よりの違いは、国のすみずみに行っても集落があることだ。そこには教会があり、郵便局があり、小学校がある。その三つさえあれば集落が消えないのだといわれている。

 今、政府がすすめている地方分権は世界中の流れであり、民主主義の根を深くするために地方の体力、財力を充実して自立可能な市町村を育てることは何よりも必要なことである。

 しかし、そのために行う行政合理化や市町村合併の進め方が、「木を見て森を見ず」、なんのための地方分権かという理念を忘れて、合併や合理化そのものが目的のように錯覚し、日本にしかない独特の自然環境と住雰囲気を持ち合わせている「村」の名称と実体が、ともに失われてゆくのに耐えがたい淋しさがある。

 市町村合併の数と規模を競うために、「ムラ無く」村を無くそうとするそのすすめ方は、日本的な良さ、日本人の共通したふるさとへの思いを踏みにじるようで、怒りさえを覚える。

全国で十二が「ノー村」県に

 教育はその逆の例の一つである。 地方の個性を尊重するために地方分権を促進するのは賛成だが、教育をその対象にとりあげるのは反対だ。

 日本中どこでも同じ学力が得られるようにと整備されてきた教育システムを地方分権の大義名分のもとに地方政治家の手に委ねるのは五十年早すぎる。

 今、政府が考えている三位一体で義務教育を地方に任せる考えには賛成できない。それは必然的に経済力の差がその地方の教育差に反映されることになるからであり、もう一つは「国家百年の大計」と称される教育を任せられる知事・市長がどれだけいるのか、どれだけ育っているのか、そして、地方の有権者もまた、道路や橋に熱心な知事・市長を選ぶと同様に、どれだけ教育に信念と見識を持つ人物を選ぶ目を持つようになってきているか、現状はまだまだ「国家百年の大計」を地方に任せるわけにはいかない。

 今年もまた村が次々に消えてゆく。

 明治のはじめ、六万の村が日本にはあった。市の数は十九。それが明治二十二年に市町村制が施行され、村の数は一万三千に減り、以降も毎年のように百以上の村が失われてゆき、現在は四百八十一の村が存在する。その四百八十一の村が、年内には合併で二百六十八村が消え、わずか二百十三村が残る。県別に見ると、広島・香川がすでに「ノー村」県になっているが、栃木・石川・静岡・三重・滋賀・兵庫・山口・愛媛・長崎・大分が加わって、十二の県が、一つも村がない「ノー村」県となる。そこに育つ中・小学生は日本社会の原点である「村」を知らない子供として育つのだろうか。

 「村祭り」や「村の鍛冶屋」など、小学校唱歌の「村」の世界に私は今でも魅(ひ)かれている。

 唱歌が消えたのは淋しいが、唱歌を復活させることは不可能ではない。

 しかし、消えた「村」を取りかえすことはできないし、村落の破壊は国土を狭くし、日本の文化の根を浅くする。日本人が大切にするみずみずしい感覚は、健全な農山村を抜きにして語ることはできないからだ。(衆議院議員、元出雲市長)

「新年会模様」

H17/01/24


 去りゆく一年を振り返り、新しい年への気持ちをととのえる忘年会。一年を通じて一緒に働いた人たち、お世話になった人たちと食事をともにし、にぎやかに語らう雰囲気はとてもいいものだ。近年は忘年会の「忘」の字に代えて「望」の字を使い、新年会を兼ねて年の末に「望年会」を開く人たちも増えてきている。

「市農工商」合同に改革

 それでもなお、新年会が盛んに行われるのは商店街や中小企業の経営者、従業員は大晦日ぎりぎりまで忙しく働かなければならないから、どうしても新年会でということになる。七年間住んでいた世田谷区でもそうだったし、今住んでいる横浜市でも新年会のほうが圧倒的に多い。

 年末年始のこういう風習は地方ごとに異なるものだが、山陰地方は酒を飲む機会も多く、酒飲み仲間の忘年会となるとそれこそ大変だった。年忘れと称してそれを理由に忘年会でしっかりと飲み、新年は新年でこれまた新年会でしっかりと飲む。

 出雲市長に就任してその年末が近づいた頃、私が提唱して「新年会改革」を実行することにした。新年にいくつもある会合を少し再編統合しようではないか。例えばどの市にもあって大きな存在感のある三大組織、市役所、農協、商工会議所がそれぞれバラバラに新年会を催し、全く同じような人たちが三回出席することになる。

 私が市政の基本方針の一つとして口ぐせのように言っていた「市農工商」の三位一体路線をここでも実現しようと、新年会シーズンがやってくる、その年を第一回として、市役所・農協・商工会議所が輪番で事務局を担当し、合同賀詞交歓会を開くことになった。以来、出雲市では毎年この形式が新年会で踏襲されてきている。

無礼講で盛り上がる議論

 横浜市の新年会シーズンもこの週末でようやくピークを越えた。気持ちの上ではすべての新年会に出席し、ゆっくりと座ってお話を伺いたいし、支援して頂いている方たちへのそれが礼儀でもある。一日に七カ所、八カ所からの案内を頂き、私本人が出席できないときはやむなく秘書が代理で参加させて頂き、参加者の皆さんからの質問や伝言などを秘書が持ち帰ってくる。翌日には、その新年会で私の秘書に声をかけて下さった方々一人ひとりに私が電話でご返事をする。

 日程の都合がついて出席できた会合では、忘年会でも新年会でも、無礼講の雰囲気に助けられて話が盛り上がる。普段は議員との直接の会話がどうしても少なくなりがちだから、この際ひと言訊いておきたい、言っておきたいという人が多いからだ。それは私にとっても有り難いことで、国会の質問のタネを仕込むのにいい機会でもある。

 主張にしても質問にしても、集まってお互いにわいわいと議論し合うことはいいことだ。議論や口論のないところからは何も生まれてこないからだ。明治維新に際して天皇は「万機、公論に決すべし」と五か条の誓文の中で、議論そのものを奨励され、それが戦後の民主主義教育の中で更に加速されたように、コミニュケーションもノミニュケーションも大切なことだ。遅れていると言われ続けてきた日本の政治の世界でもようやく「ディベート(議論)」と「リベート」とは違うのだということが分かりはじめた。

 酒好きの私が言うと言いわけに聞こえるかも知れないが、新年会が盛んであればあるほど政治と有権者の距離は縮まるように思う。新年会という風習を一切禁止したらどうなるか、想像しただけでも分かることだ。

今後の日本憂う話題も

 横浜市緑区医師会の新年会では「医・食・住」三位一体の長寿健康都市を目指したいと話し、医師会の皆さんのご意見を伺うことができた。

 日本鋼管と川崎製鉄が合併したJFEのOBの皆さんの新年会に昨年に続いて招かれたが、こちらはまさに鉄鋼王国、鉄は国家なりの時代をつくりあげたつわ者ぞろいで結束も強ければ酒も強い。ここでは議員年金への批判も含めて年金改革やり直せというご意見が強かった。昨年は新年会での議論が盛り上がり過ぎて、年金法案審議中の国会をぜひ見学したいと、大勢で国会へ押しかけてきたのもこの会の人たちだった。

 松下電産グループOBの全国組織「松愛会」も、現役以上に元気な人たちが社会活動や仲間同士の交流に活発で、私も会合に招かれ、昔の松下と今の松下との比較などを中心に話がはずむ。松下もかつてはお金に苦しみ、成長発展するための設備資金を欧米に求めなければならなかった時代があったことなど、今の松下の若い人たちにはとても信じられない話だろう。松下の三十年、四十年前を知る人は少なくなったから、当時私が松下のための資金調達を米国で欧州で担当していたことを話すと、まるで同じ苦労をした仲間のように迎えて頂き、楽しいひと時を過ごすとともにこれからの日本を憂うる話題にもなる。

 新年会ばかりでなく、スマトラ沖大地震被災者救援カンパのため、街頭にも立たなければならない。昨年秋の新潟中越災害の時にも駅頭で募金活動を行ったが、スマトラ沖災害はそれをもはるかに上まわる規模で、道行く人の関心も高い。

 「五百円玉一つで子供一人を三カ月支えることができます。波間にお父さん、お母さんを見失った子供たちが皆さんの温かい支援の手を今日も持っています。ご協力をお願いします。」と訴える私とボランティアの人たちの胸の募金箱に多くの人が浄財を投じて頂いた。子供連れのお母さんの場合は必ずといっていいほどお子さんにお金を持たせ、その小さな子供がつま先だちで背伸びをして小さな手で投げ入れる。とてもほほえましい、うれしい風景だった。

 立っている私を見かけて話してくる人もいる。「小泉さん、もうそろそろ辞めてくれませんかね。税金は上がる、年金は減る、保険料は上がる、借金は増える、災害は増える、もうこの辺で辞めてくれんでしょうか」というのがその人の言い分。

 「いや、災害が多いのは小泉さんとは直接の関係はないんですけどね。その話はまたにしましょう、今日はカンパで来ていますからご協力をお願いしますよ。ポケットを探してみて下さい。五百円玉ありませんか。財布の中をのぞいてみて下さい、千円札でも結構ですから」。こんなやりとりも含めてたまプラザ駅で一時間、隣の緑区の鴨居で一時間、十万円を超えるカンパがあり二百人の子供を救って頂いたことになる。政治を批判し、政治に不満を持ちながらも募金に協力して下さる善意の人たちの多さに感激した一日だった。(衆議院議員、元出雲市長)

 「今こそ経世済民を」

200527

 アメリカの戦争は正しかったのか、まちがっていたのか、アメリカが発見した大量破壊兵器とはアメリカそのものが大量破壊兵器だったということではないのか。

 サマワは安全地帯か危険地帯か、オランダ軍に守られなければならないサマワ、日本の防衛庁長官が三日間の出張で地上では一泊もできなかったサマワは、「青信号なら行かせる」という国会で説明した政府方針とは矛盾する。ましてや「自衛隊が行く時は青信号に決まっている」という首相の答弁は、どうやら信号を見ないで渡った後での強弁でしかないということが明らかになってきた。

 信号を見ないで渡る小泉さんと、信号を見てから渡る世間の常識、世界の常識との違いをはっきりさせることも国会審議での重要事項だった。

日本経済は青信号か


 同時に、いやそれ以上に重要なのは、日本経済の現状と見通しは青信号なのか赤信号なのかという判断である。「小泉改革が功を奏して景気は着実に回復している」という政府の発表は、実態を正確に反映し、その実態に誠実に向き合っているという印象を持たれていない。

 まちがった判断に基く政策ほど民を苦しめる悪政、苛政はない。

 どこにその回復基調の確たる証拠があるのか。株価は森内閣から引き継いだ一万三千八百円という引き継ぎ点からいまだに後退したままの一万一千円そこそこ。つまり、二割も価値が減少したまま。激増したニートとかフリーターという形で求職者の数が職安統計には表面化していないだけで、まるでその数だけ失業者が減ったかのように「雇用も改善」という発表に結びつけられると、ほんとかなと思う人の数も急増する。

 福利厚生費や年金の企業者負担を避けようと正規社員を非正規社員やパートに切り下げる、いわゆる「年金リストラ」で家計所得は伸び悩み。今までの貯金の取りくずしも始まった。

 かつての世界に冠たる貯金好き日本も、利子が貰えないゼロ金利政策で貯蓄意欲が減退し、「所得不伸」で貯金に手を付ける、まさに前門の虎、後門の狼にはさまれている。

 国の負債、いわば国民の借金もうなぎのぼりで、世界に冠たる貯金大国が、今や世界に冠たる借金大国。

増える自殺者、生活保護世帯


 希望も無ければ収入も無い、そういう人たちが自ら命を絶つ自殺者がこれまた世界一。

 国の保護を必要とする生活保護世帯数も毎年増えるばかり。

 一月二十八日の予算委員会で厚生労働大臣に質問した。生活保護世帯数は平成十一年度は七十万世帯、百万人。これが「小泉改革が功を奏して景気が回復基調に入って」どれだけ減ったか。答弁は、直近の平成十六年十月現在で百万世帯の百四十三万人。景気がよくなるとなぜ困窮世帯が増えるのか。毎年の当初予算で一兆円を計上しながらその年度内にはそれでも足りないほど困窮世帯が増えて補正予算で二千億円追加。こんな予算を五年間、毎年、そして今年もまた続けていながら、「景気は着実な回復軌道に入っている」と言えるのか。

 警察庁にも自殺者統計について質問した。小泉改革が功を奏してどれだけ自殺者が減ったのか。自殺者が三万人を超えたのは平成十年。それ以後毎年三万人以上という状態で、平成六年、つまり十年前に比べると五割増。この自殺者数は世界の先進国で抜きんでている。豊かな国と言われ、教育程度が進んでいて治安状態がいいと言われている国で、景気がよくなって自殺者が増えるという異常現象を政府はどのように説明できるのか。

 本当に景気は回復し、その結果として家計所得は増え、貯蓄も増えているのか、財務大臣に質問した。

 かつての日本の貯蓄率は極めて高いと言われていましたが、近年かなりのカーブで低下してまいりました。もっとも一部の統計では若干持ち直したと承知しますが、手元に資料がありませんのでこれ以上の答弁はさしひかえたいという答弁だったが、質問は予告してあったのにこの程度の答弁と認識。財務大臣だけでなく、生活保護世帯を支えるために国民の汗である税金を使っている厚生労働大臣が、予算の数字のケタを二度も三度も答弁でまちがえるなど緊張感もなければ危機感もない。

 これではOECDが日本の財政について、「持続可能な状態とは言えない危険な状態にある」と報告書で指摘するのも無理はない。

 日本に不足しているのはカネではなくアタマ。危機感が欠け、発想の転換能力が欠けている。

10年で利子154兆円消える


 その最たるものが銀行と大企業を救うために導入されたゼロ金利政策。その犠牲となって預金者の財布に入るべき利子が、この十年間にいくら支払停止となっているか、日銀総裁に質問した。

 「いろいろな計算の仕方があろうかと思いますけれども、国民所得統計で受取利子というものが過去の金利の低下でどれくらい減ったか。平成五年、一九九三年と比べますと、十年間で毎年の受取利子の減少額を足し合わせますれば、累計で百五十四兆円ということになります」というのが福井日銀総裁の答弁。私は丹念に誠実に計算して、答弁して頂いたことには感謝したが、ゼロ金利政策に感謝したわけではない。預金者の財布に入らなかった百五十四兆円は白昼堂々と拉致された虎の子であり、毎年二十兆円近くという拉致金額は消費税に換算すると年一〇%の税率に相当する、誠に不ラチな政策ではないか。

 消費税は平成九年に三%から五%に引上げられたが、ほぼ同じ時期に実施されたゼロ金利政策によって、ウラ消費税一〇%が導入されて、国民は一五%の消費税を払ってきたことになる。

 「経済」ということばは「経世済民」、国を治め、民を救うこと。今こそ政治が大きな決断をし、その責任にこたえなければならない。そのためには「政とは正なり」、実態を正しく把握し、正しく国民に説明することが必要ではないか。

 昨年七月の参院選で使われた自民党の政策公約パンフレットを再度チェックしてみた。二万字にもわたる「自」画、「自」賛はあったが、その二万字の中に増税を実施するとはどこにも書かれていなかった。これでは「政とは正なり」という総理の所信表明の言葉を泣かせることになりはしないか。

(衆議院議員、元出雲市長)

 「郵政、民か公か」

2005221

 一月二十一日から始まった通常国会での最大の焦点は、小泉首相が「改革の本丸」と言う郵政改革の行方である。

 しかし、自民党内にさえいまだに民営化そのものに反対するグループがあり、法案として提出できるのかさえも混沌(こんとん)としている。

国民生活の視点欠落


 小泉首相や竹中大臣はドイツなどを成功例としてよく取り上げるが、そこには民営化後の郵便局数の削減、郵便料金の値上げなどによる利便性の低下や、財政負担を通じた国民の負担増という国民生活の視点が欠落しており、郵政民営化案に改めて疑問を投げかけている。

 仮に公社を民営化してしまうと、次のような新たな問題が出てくるだろう。

(1)
過疎地だけでなく、住宅地など採算の合わない立地の郵便局が閉鎖され、子供やお年寄りでも歩いていける身近な窓口が失われる。現にドイツでは、民営化したことにより、約三万局あった郵便局が一万二千局近くにまで減った。

(2)
結果として、全国一律のサービス、特に金融のサービスが確保されなくなる。

 イギリスでは、民間金融機関の地方支店閉鎖に伴う金融排除の問題が起きたため、郵便局で口座を開設し年金や社会保障給付が受給できるように、政府・郵便局・民間金融機関の合意によって、公的資金を投入して地方における金融サービスへのアクセスを確保する対策が取られた。これでは何のための民営化か、ますます分からなくなってくる。

「安全・安心の拠点」に


 郵便ネットワークを国民の生活のために最大限活用するという視点に立って、私なりの改革を提案してみよう。

(1)資産規模の適正化。

 約三百四十兆円という郵貯・簡保資金の規模が巨大すぎることが内外の金融機関の批判の対象となっているなら、規模を思い切って縮小すればよい。郵貯の預け入れ限度は現行一千万円から毎年百万円ずつ計画的・段階的に縮小し、八年後にはドイツのように二百万円とする。

 そして、限度をオーバーする資金を対象として、窓口で国債を販売する。国債という、郵便貯金より安全で、有利で、定期預金よりも換金しやすい、安全・有利・便利の三拍子揃った商品を顧客に説明し、納得させることは、高度な証券・金融知識を必要とせず、地方の郵便局が兼業として扱うのに最適の商品である。

 こうすることによって、

(1)
郵貯規模は縮小して日本の民間金融機関が公平な競争条件を取り戻し、強く健全な銀行として再生する機会を提供することになり、

(2)
郵貯自身の運用も、巨体をもてあまして不良債権の温床を広げてきた背任的行為から避難することができ、適正な規模のもとに、民間金融のノウハウを取得する道を歩むことができるようになる。

(3)
そして、郵貯による国債買付額が急減するのではないかという懸念は、いわば郵貯という中間段階を経由した国債の「迂回(うかい)販売」ではなく、正道であり本筋である国債の「直接販売」に軌道転換し、全国二万五千の窓口で一般個人への直接販売に努力することによって、補完することが出来る。

(4)
さらには、先進国に比べて二周遅れと評されるわが国の資本市場・証券市場の育成発展に、全国の郵便局二万五千のネットワークによる国債販売の積極化が大きな貢献をはたすことになる。
わが国は千載一遇のこの機会を逸することなく、民間会社ではない公社だからこそ国の重大方針に協力させることができるという天運を活用して、資本市場先進国に一日も早く追いつくことである。
国債残高が七百兆円という、世界のどこの国に比べても異常なわが国には、普通の国の民営化論があてはまらないことを民営化論者は知らなければならない。

(5)
地方分権の時代といっても、地方の財源は一挙には充実しない。地方自立のために発行しなければならない「地方債」や、人づくりのための教育投資のために必要な「教育ボンド」を、その地域の郵便局ネットワークで販売させれば、地方の時代に浮揚力をつけることができる。(2)郵便局ネットワークで公的サービスの拡充。
市町村合併の動きが急速に進んでおり、今ある市役所・町村役場の統廃合が進むことは必至である。こうした現状にかんがみれば、全国津々浦々にある郵便局を公的サービスの拠点として活用し、住民票、印鑑登録証明書の交付や転入・転出手続き、介護保険給付の受け取りや高齢化に伴い激増する年金生活者への通知などを郵便局の窓口で行う。これは行政改革の一環としての整理合理化による財政再建の方向性とも一致する。今後ますます過疎化・高齢化が進むと予想される地方において、「安心・安全の拠点」としての郵便局を公的なセーフティーネットとして残すことは、国土政策として必要不可欠である。

民営化は愚政の極み


 公社は既に独立採算制を採用しており、職員の給与も郵政事業の収入の中から支弁されていて、税金も一切使われていない。

 郵業は拡大、郵貯は縮小。公営を堅持し、地方の郵便局を行政、防災、福祉のサービス・センターとして活用する。公営だからこそ、国民という株主を代表して国会が公社の経営に関与できる。民営化すれば、国会はもはや民間会社の経営には干渉することができなくなる。

 現に、民営化先進国の結果を見れば民営化の愚かさがよく分かるだろう。イギリス、ドイツ、イタリア、スウェーデンは民営化を唱えて株式会社にしながら、株式の過半数または全部を政府が保有しているという奇妙な「国有株式会社」のままで、郵便業務も依然として独占。

 結局はごまかしの民営化でチャッカリ国営を継続。ニュージーランドでは他国に先がけて民営化を徹底実行した結果、外資に買収されてしまって国営会社を再び設立するというウッカリぶり。

 これだけのお手本に恵まれながら日本がなぜウッカリ、チャッカリ、ガッカリの轍(てつ)を踏もうとするのだろうか。国益を損ない、サービスを低下させ、さらなる国民負担を招き、分社化して役人の天下りポストだけが増える。「ポストが増えて、ポスト・オフィスが減る」。

 民営化を日本に迫る世界最大の郵便国アメリカはどうしているか。改革法案を二度も米国議会で廃案とし、ついに二〇〇三年七月三十一日の大統領への報告のなかで、郵便事業は公営で継続すべきと断定して、依然として国営堅持のままである。

 アメリカはチャッカリ、日本は名バッカリ。これを愚政と言わずして何と言おうか。

 (衆議院議員、元出雲市長)

 「郵業の改革と破壊」

2005228

 「クシコス・ポスト」という曲名を知る人は少ないだろうが、一八五〇年生まれのドイツの作曲家ネッケが残した名曲である。「クシコス」はハンガリー語で馬を意味している。この曲に耳を傾けると、郵便馬車が野を越え、山を越え、町から町へ駆けぬけていく様が目に浮かぶ。英語のCOACH(馬車)という言葉が馬車づくりで有名だったKOCS(コチ村)から来たように、一時はヨーロッパの馬車の九割はハンガリー製だったという。

 ハンガリーの郵便は当時はもちろん、今でも国営である。

 私と家族は、アメリカ、イギリス、フランスに住み、それぞれの国で郵便を受け取り、そして日本へ郵便を出してきた。その郵便に対する考え方はいろいろだが、郵便と郵便局がどこの国でも大きな役割を果たしていることは間違いない。

国民の関心は景気や雇用


 明治の開設以来、国営で行われてきた日本の郵便サービスに不満を持ち、他の問題に優先して、改革を急げ、民間企業にやらせろ、という声は少ないはずだ。

 今年に入って行われた新聞社などの世論調査を見ると、政府に優先的に取り組んでほしい順位付けで、課題の分け方にもよるが読売で十七項目中十三位、日経では十項目の十位、産経で八項目の八位、内閣府自身が行なった意識調査でさえも十項目中で八番目。

 国民の大多数は、景気、年金、雇用、治安、教育などへの取り組みを優先し、郵政改革は並べてあるから順位付けをしている程度で、関心は極めて薄い。

 景気は回復基調にあるという政府の発表にもかかわらず、雇用の場は広がらず、年収は増えず、金利は下がったまま。生活保護世帯の数や自殺者は六年間増加の一途。倒産数が頭打ちとなったのは、倒産もできなくて仕事をしている中小企業や、倒産に代わる静かな廃業が増えているだけの話。失業率が改善と報道されても、就職を諦らめた人たちが就職できた人たちと同じ扱いにされているからで、事実この数年で全体の就業者数は百万人以上も減っている。新聞の社会面を見れば、今までにないような犯罪や子供たちの非行が増加している。

 それにもかかわらず景気回復基調に変わりはないと言い張り、それを根拠に増税を計画する政府の態度には、国民が要求する問題から目をそらせ、逃げながら、なぜ郵政改革を優先するのかという不満と政治不信が一層高まるのは当然だ。

 私は二月十八日の予算委員会でもこの問題を取り上げた。今年に入ってすでに予算委員会で三回目の質問になる。

無理矢理改革の手術台に


 この問題はちょうど病院で診察を待っている患者の列に似ている。重病患者で朝早くから待っている人、ゆっくりと出かけた人、それぞれの番号札を持っている時に、「八番さん、どうぞ」と一番先に呼ばれ、呼ばれた人がびっくり。遠慮して後ろずさりしているのを無理矢理手術台に乗せられて、どうして私が先なんですかと聞くと、医者がこう説明する。

 「ここの院長さんは一日一回、『改革』とやら言う手術をしないと気が済まない人でしてね、私も大変なんですよ。待合室をのぞいたら、体格も顔色もいいあなたが目に入った。こういう人なら手術をしても失敗がありませんからね。手術料が心配?だいじょうぶ、それがこの病院の珍しいところで、患者さんからは頂かないで待合室で待っている人たちから、しかも待っている人の待ち時間の長さに比例して負担して頂くという世界でも珍しいシステムなんです。どうです、ご安心できたでしょう。ですから手術台から逃げだしたりしないでくださいよ。

 昨日も、高速 道夫という方がお見えになりましてね、院長さんのご指名で、『民営化』という手術をやったことにしてくれという注文。とりあえず応急手当をしただけですが、手術料だけは充分に待合室の方たちから頂きました。国家、国民のためにお役に立つのが自分の願いだと言ってはいましたが、あの程度ではとてもお役に立つような健康体にはなれないで、きっとまたここへ帰ってきますよ。

 今日の手術はあなたです。あなたは手術など必要がないと思ってらっしゃるが、うちの院長さんはあなたにひと目ぼれ。あなたほど健康で手術に向いた人はいないとおっしゃってるんです。今はお元気と思ってらっしゃるようですが、十年後にはあなたの体重も血液もきっと減ります。そのための手術ですからがまんして下さいよ。え、十年後のことがどうして分かるかとおっしゃるんですか。『備えあれば憂いなし』、これがここの院長の信条で、もう覚悟してくださいよ」と言われているようなもの。

 これは確かに世界の歴史に例のない奇跡的手術になるだろう。

米国は「民営化せず」


 民営化のメリットの一つは民営化された郵便会社や郵便銀行から税金が入ってくるというお楽しみがあることらしいが、計算が甘すぎる。現在利益をあげて税金を払っている佐川、ヤマト、日本通運などの仕事を「国営民間会社」が生き残りと称して奪っていけばどうなるか。競争激化で、四社とも値下げとサービス競争で、コストは上がる、利益は下がる。三社の納めていた五十億、百億という税金がゼロになれば、「捕らぬ狸の皮算用」どころか、「骨折り損のくたびれもうけ」。みんなが赤字会社に転落し、赤字三兄弟、四兄弟。とても国の税収が増える話にはならない。郵便会社を含めてこれらの会社が経営困難になれば、その結果として、値上げか、サービス・カットか、またもや国民の税金を持ち出す公的資金での救済か

 総務大臣に、「アメリカは民営化するのか、しないのか」を質問した。麻生大臣は私への答弁として、アメリカ大統領に提出された二年前の七月三十一日付の報告書の結論を読みあげた。

 「民営化は郵便サービス及び民間市場を混乱させるおそれ、また単一の民間企業がユニバーサルサービスを提供することはまず不可能。むしろ米国郵便庁を公的な機関として維持し、業務内容の再検討、組織の見直しにより効率性と将来への適応性を向上させることが望ましいと書かれてあります。」と。

 (衆議院議員、元出雲市長)

「ツツミ隠して五十年」

200537

 米国のSECにならって設立されたのが、証券取引等監視委員会。わずか十三年の歴史だが、株価を不当に操作したり、違法な取引を行って一般の大衆投資家に損害を与えることを監視し、調査も行う、いわばおカネの世界、とりわけ株式投資の世界の警察の役割を果している。

学歴詐称、偽株に相当


 その監視委員会を真っ向から無視してきた会社が西武鉄道とその親会社コクドという会社である。いや、二つの会社というよりは堤康次郎氏と堤義明氏の父子というべきだろう。

 取引所上場を認められるためにはいくつかの資格審査があり、その一つが八〇%ルール。上位大株主に八〇%以上の株式が集中所有されて株価がゆがめられることを防ぐために、少なくとも二〇%以上の株式が一般の人によって所有されていなければ取引所上場を認めないという、ごく常識的なルールである。

 有価証券報告書は上場会社の履歴書や健康診断書に相当する。就職試験で一定の学歴以上を前提に第一次選考を行う時に、西武は偽の学歴を提出し、それをもとに上場を認められて、正規の上場株式として五十年間取引され、一般社会でも「上場会社」として信用され、資格と裏付けのない株価で資金を堂々と集めて事業展開に利用してきた。

 就職試験や選挙で言えば学歴詐称に該当するし、偽札問題に例えれば偽株を使ってカネを集めたことになる。

 正規に上場資格を充たし、まじめに毎年の報告書を作成し、そして提出してきた多くの会社から見れば、あの会社もかこの会社もかとあらぬ疑いの目で見られて、投資家の評価が下がれば、西武のために間接被害を受けているようなもの。日本経済を支え、健全な投資の場を守るためにはとても見逃せる問題ではない。

十年間に自民に一億献金


 問題が発覚した昨年十月以来、私は衆議院予算委員会、財務金融委員会でこの問題を五回にわたって取り上げ、事実の公表、真相の究明を要求した。

 西武鉄道から電話連絡があったのは、いつ、どこへ、誰からあったのか。金融庁、証券取引等監視委員会、そして取引所はそれぞれどのように対応し、どのような作業に着手したのか。虚偽報告をしていたのは西武鉄道一社だけだったと断言できるのか。他にも株主構成について虚偽報告があったのか。それはうっかりだったのか、ちゃっかりの粉飾だったのか。偽名株が存在するなら、国税庁は偽名株主に課税したのか、実質株主に課税したのか。投資家はいつから安心して取引ができるようになるのか。自民党はいくら献金をうけているのか。

 答弁によると過去十年間に、政治資金収支報告書に公表されている西武・コクドグループから自民党への献金は一億円。もちろん、これだけだったと言い切れる人は自民党総裁を含めて誰もいない。九年間連続赤字の会社コクドから、しかも逮捕までされている人が経営する企業からの献金は返金すべきだと思うが、献金のルールだけはあっても返金のルールは作っていないようだ。

 西武鉄道から金融庁に連絡が入ったのは昨年の十月一日。それから五十日たって、やっと全企業に自主点検のお願い。締切りは十二月十七日。それをあれこれ審査して、やっと潔白組と修正組に分けるまでになんと百五十日もかかっている。

 狂牛病が発生したことが分かれば、直ちに販売禁止、全頭検査、そして安全宣言という過程をとるように、一社だけの問題ではなさそうだ、しかも隠蔽五十年、となればもっと危機感をもって迅速に対応すべきではなかったか。

 検査されていない牛肉を食べた害はその人だけにとどまるが、資本主義経済の国では不正かもしれない価格で株式取引を継続させることは、潜在的被害者を毎日のように生みだすという犯罪的行為なのだという認識が欠けている。市場経済の脳の中枢が侵されているという認識など全くない。

解明すべき闇の世界


 外国の経済誌に世界一の資産家と紹介されたが、国税庁はその時に動いたのか。

 昭和四十年代の高度成長期に死去した父康次郎氏から相続を受けた時点では必ずしも資産三兆円だったとは言えないが、控え目に見て一兆円としても、その時に支払われた相続税がわずか四億円というのが事実とすれば、信じがたいことである。百万円の相続税を四百円で済ませたことになる。時まさに税金の確定申告を迎えて、「税の季節」。国税庁はこの四百円をどう説明してくれるのか。

 堤康次郎氏が衆院議長だったということを背景に、巨額の資産の分散、隠匿、保全を図るためにどういう立場の、誰が、どのように動いたのか。その対価としていくらの報酬や政治献金を受けたのか。解明すべき闇の世界は限りなく広がっている。

 資格がなくてもあるように見せる虚偽申告の手品。利益があっても表に出さない節税という手品。

 同じことが政界でも行われているから面白い。一億円のカネがポケットに入ったのは事実とまでは認めながら、そのカネが入った記録のない報告書を提出する不記載という手品。そのカネの行先などはもちろん書ける筈がない。チャッカリの虚偽記載も「ウッカリでした」とさえ言い訳すれば五十万円の罰金で済むというチャッカリの抜け穴までが用意されている「政治資金規正法」。交通規制とか建築規制には強制力があり、すべてのキセイ法は騒音規制法、宅地造成等規制法、ストーカー規制法のように制限や制裁の「制」の字が使われるのに、この政治資金だけは規「正」法で済ませる厚顔立法。

 この程度で驚いてはいけない。政界の手品はまだまだある。あるカネをないように見せる手品と全く逆に、ないカネをあるように見せかけるのが収支報告書の繰越金。これも橋本派といわれる派閥の例が報道されているが、残高はゼロ、つまりカラッポにもかかわらず、三十億円の繰越金があるという不思議。普通の会社は利益があっても少なくしようと工夫するのに、永田町の会社はカネがなくてもあるように見せるのは、どこへ使ったかを説明できないから、カラの繰越しが毎年増えてゆくという「カラ繰り」手品。

 堤氏を五十年間守り、隠してきた仕掛けを、「ツツミ隠さず」天下に明白にし、すべての責任者を追及すべきだ。

 (衆議院議員、元出雲市長)

「黒い目の外人投資」

2005321日の紙面より

 外国の資本市場と違って、日本におけるほとんどの企業再編は、TOBとか取引所内の売買を通じて行われた例は少なく、金融庁、通産省や銀行の幹部が仲介者、ときには立案者となり、夜の赤坂などでの密会、談合という、いわば時間外取引、取引所外取引で行われてきている。

 更に加えて日本市場の特徴は、企業間の株式持ち合いという真綿のふとんに包まれていて、資本の理論や株価の論理が必ずしも通用しない世界に長く安住し、「真綿色したシクラメン」の世界に安眠しながら育ってきた人たちが現在の経営トップの座についていることである。

 口では国際化を叫びながら横並び行政と持合互助会という真綿世界から出ようとしなかった銀行・証券・保険や、公共性という絹のヴェールの奥でこれまた安眠をむさぼってきたメディア界はその典型的な例である。

 日本市場の第三の特徴は、立法や行政の責任者たちの不勉強ぶりだ。為替レートが固定相場から変動制に移行したことに最もよく象徴されているように、世界経済のしくみが「静」のモードから「動」のモードにリセットされているのに対応できず、数十年前の東大法学部で使用された教科書のアタマから切りかえが出来ていない。

 銀行行政、特に銀行の不良債権減らしに税金と時間を使いすぎて、激しく変化している企業社会と証券取引への対応に手を抜いてきたことのツケが、証券行政に回ってきているようだ。

証券市場は五次方程式の世界


 三十年間おカネの世界、銀行や証券の世界から、世界中の企業の動きとカネの動きを見てきた私は、自分の足、自分の目で多くの取引所を見てきた。

 銀行行政を一次方程式の世界と見るなら、ダイナミックに動く証券市場はスピード、情報力、決断、規模、戦略が左右する五次方程式の世界。日本の現状はいわば中学生が大学生の問題に取り組んでいるような危うさともどかしさを感じる。要は、一刻も早く遅れを取り戻し、一にルールの明確化、二に透明度を高めること、三に一般株主を不利にせず株主平等権を守ること、そして四に原則として外資と内資を差別せず、世界のグローバルな視点を忘れないことの四原則を踏まえて、国会が立法化することである。

 TOBのルールについても、国際資本移動が自由化され、国境を越える資本移動が益々大きなうねりとなれば、日本の企業もその「津波の洗礼」を避けることはできない。

 しかも、国際資本というのは青い目に限ったものではない。日本が資本輸入国から資本輸出国へと転じた一九七〇年代からは、日本の投資家が国内のルールを嫌い、いったん外国へ出て再入国することによって日本的なしがらみやルールにしばられず、資本が資本らしく行動でき、ときには税制上も有利になるというおまけまでつく。こうした理由で大企業の余裕資金を含む大量の日本資金が国外へ流出し、カタカナ名前の銀行や青い目のファンドとなって日本にUターンし、日本の企業や土地を買収している。

 これは一九七〇年代から「黒い目の外人」とか「黒目のファンド」と称されて、マーケット関係者の周知の事実だった。

一番遅れていた「社会の木鐸」


 日本の市場は国際的に遅れているとか、日本の企業の国際化を進めようとカネやタイコを鳴らしてきたテレビ・新聞・放送、いわゆる「社会の木鐸」殿が、実は国際化に一番遅れていたというお粗末を分かりやすく教えてくれたのが、ライブドア劇場から学びえた教訓の一つだと言えるだろう。

 ライブドアによるニッポン放送株取得に対する感情的な反発と、理性を失った対応ぶりにもそれがよく分かる。

 「日本の常識は世界の非常識これは私が最初に言ったんですよ」というのが売りもののフジテレビの番組。それがどうだろう、「フジの常識は世界の非常識」と裁判所が判決を下している。

 私はライブドアのような動きを否定してはいけないと思う。例えテレビの一社であろうとも、日本がNHKという公営放送を残すのであれば、いくつもあるテレビの一社を外国資本が所有することになっても恐れたりする必要はない。

 とは言いながらも、堀江社長の言動にはメディアの経営者としての認識や抱負に欠けている点があるのは残念だ。

 一つの企業をイノチと見るか、モノと見るか。あるいは、会社は株主のものか、従業員のものか、経営者のものかという混乱もある。

 「株価が上がればみんなが喜ぶ、株価を上げているのになぜ批判されるのか」といった発言は資本主義社会の一面ではあるが、資本を手にする事業家がそれを社会のために正しい有益な事業に投資することに結びつけるかどうか、それが資本主義の目ざす真骨頂ではないか。

 時間外取引であったことを問題にする人もあるが、これもルールに違反していないことは裁判所が判定したとおりであり、むしろニッポン放送の新株予約権をフジテレビだけに与えるという取引こそ時間外取引であり、そのうえ取引所外取引であったことを問題にすべきである。

 政治の世界に例えるなら、野党の攻撃から政権を守るために自民党の強い県にだけ議席数を多く配分して選挙に備えるようなものだ。

株式犯罪知り尽くす米SEC


 不正取引や犯罪から一般の投資家を守る「不正取引防止法」が必要だが、同時にそのような新法が効果を挙げるように、金融庁と証券取引等監視委員会の数と質を充実させることもまた必要だ。

 一九二九年の世界大恐慌の前、米国の株式市場は投機家たちの無法地帯だった。デマを流しては株価操作、内部情報を悪用しての取引、架空取引が横行するなど、やりたい放題で手がつけられない。その株式市場であらん限りの手を行使したボス的存在が後に米国の大統領となるJ・F・ケネディーの父親、ジョーゼフ・ケネディーだった。

 大恐慌の後、フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任し、SECを設置して証券取引の正常化に乗りだした。そして、その初代委員長になんとジョーゼフ・ケネディーを任命したのだ。

 まったく意表をついた人事。しかし、これは最高の人事だった。「盗人(ぬすびと)の番には盗人」「毒をもって毒を制す」「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)」ともよく言われる。株式犯罪の表も裏も知り尽くしているのだから、取り締まり策には事欠かないのは当然である。自分がやってきたことを全部自らの手で禁止するだけの事だ。

 金融・証券犯罪者から最も恐れられる存在、米国SECの栄光の歴史はここから始まった。

 (衆議院議員、元出雲市長)

「国会手品上演中」

2005328

 国会というところは面白いところだ。次つぎと変わった手品を見せてくれるので、あきることがない。

 一億円のおカネが背広のポケットに入ったはずなのに、誰が探しても、どこを探しても、出てこない。これも国民をあっと驚かせた見ごとな手品だった。

 そのうえ、国会手品の芸のすごさは、そばで手伝っていた助手にも、本人にさえも種あかしができないところにある。

「改革」「民営化」の幻想


 昨年の道路公団手品も傑作の一つだった。振りかざした決算表を赤にしてみたり、黒にしてみたり、自由自在。「通行料金を三十年間払って下されば三十年後には日本の高速道路を無料開放します」ということで、それを信じて日本中の人が争って高い通行料金を払ってきた。期限の来た二〇〇二年に高速道路が無料にならなかったのはご承知のとおり。これは手品がうまくいかなくて失敗した例。

 人をだましておカネを集めた人は「詐欺師」と呼ばれて刑務所に入る。しかし、人をだまして票を集めた人は先生と呼ばれて国会に入る。どちらも立派な詐欺師に変わりはないはずなのに。

 この例で分かるように、詐欺師と手品師の違いは紙一重、仕掛けがバレるかバレないかの違いだ。

 しかし、国会の手品師のエラいところは、バレても恥じずに繰り返すところにある。財政改革のためと称して道路公団を民営化し、「民営化」と「改革」という二つの幻想を振り撒いて無料化に再度挑戦。失敗にこりて今度は用心に用心を重ねて、三十年では危ないから、約束を聞いた人たちがこの世から居なくなるか忘れる頃と思われる四十五年後に期限をセット。例え約束を守らなくても、詐欺師と呼ばれて刑務所に入れられることがないように、時効もしっかりと計算に入っている。

 そのうえ、前回の失敗の学習効果として、政府や自民党が約束を破ったなどとよもや後世の批判を受けることもないように、国ではなく、民間の会社が約束を破ったことにさせる用意周到さ。「民営化」という言葉の持つ本当の政治的意味のすごさはここにある。

年金手品作り直しへ


 「改革手品」のもう一つの例を挙げれば年金改革。世界で最も充実していると自称してきた年金手品には実は、二つの仕掛けがあった。

 一つはアメリカとヨーロッパの二つをお手本にして、その「よいとこどり」をしたこと。

 少なく払って少なく受け取る米国型と多く払って多く受け取る欧州型。それぞれの国へ視察に出かけたセンセイと官僚が、持ち帰った二つのレポートにはさみを入れて、欧と米をのりづけしてできあがったのが、少なく払って多く受け取る欧米混合のOB型。一見世界のどこにもないこの有利なOB型年金に、もちろん国民は喜ぶわ、選挙で票は集まるわ

 もう一つの仕掛けは年金支払年齢を当時の平均寿命の六五歳にセットしたこと。平均にならして考えれば、長年払ってきて受け取る頃には皆さんがお亡くなりになっているということ。従って年金官庁は支払いの心配をする必要もない。しかし人間は単純だから、自分だけは六五歳以上長生きできると思ってせっせと支払い続け、この仕掛けにも気づく人は一人もいない。

 この二つの仕掛けが、そのうちどうやらおかしいぞという声が出てきて、舞台に向かって野次が飛びだしたので、やむなく改革手品を考案し、発表し、初演に踏み切ったのが昨年のこと。

 ところがどうだろう、「百年安心」「百年はもつ」という触れこみの年金手品が初演の日からドジ続き。百年どころか一年もたたないのに、こともあろうに観客席前列に座っている野党と仕掛けの作り直しの相談を始めるというお粗末。今度は百年ではなく二百年もつ手品でも見せてくれるのだろうか。

 三月に国会で成立した「山村振興法」も、日本のどこにいま「山村」が残っているというのか。たしかに農水大臣の名前は「島村大臣」だが、昔は農林大臣だったはずが今では「林」の字が消えて農水大臣。

 「ノー政」とまでいわれた農政の結果として「山村」が消え、「島」から人が消えてゆき、「村」から人も消え、市町村合併で町や村を消し、いまや残るのは島村とか町村という大臣の名前だけだ。

七変化型の郵政手品


 ただ今国会で上演中の改革手品は「郵政改革」。これも役者や台本がいいわけではなく、日がわりのように次々と仕掛けが変わる七変化型手品が呼び物である。

 何よりも広告宣伝とすっかり違う、愚かさを売りものの即興劇が次から次へと演じられるので、観客もあきれるやら、腹を抱えるやらで大評判。

 まず第一に、黒字公社をわざわざ民営化して赤字会社にする愚かさ。

 第二に、民間会社と言いながら、「日本郵政会社」と政府の「政」の字をつけ、補助金もつける愚かさ。

 第三に、民間活力尊重を唱えながら、既存の民間企業を競争で圧迫する愚かさ。

 第四に、自由な民間発想と言いながら、民営化会社にあれこれと義務づけたり、制限したりする愚かさ。上場資格に問題があるような会社の株式に誰が投資すると考えているのか。

 第五に、わざわざ兼業のメリットを捨ててまで分社化して、コストを上げる愚かさ。

 第六に、分社化でポスト(役職)を増やして、ポスト・オフィス(局)を減らす愚かさ。

 第七に、最大の郵便国アメリカが公営を堅持すべきと発表しているのに、民営不成功の国をさがして真似る愚かさ。

 第八に、財政再建を目指しながら、郵便局窓口で国債の個人消化を進めない愚かさ。

 第九に、防災、防犯、介護の必要が高まっている時に、二万五千の安心拠点を活用しない愚かさ。

 第十に、地方の時代を唱えながら、地方の安心を奪う愚かさ

 手を叩いて愚か手品に興じているうちはいいが、入口で払った木戸銭の他に、出口でツケを払わされるのがこの劇場の仕組みと分れば大騒ぎとなるだろう。

 国民の目線を忘れた酷政、名声を博せない迷政、改革の知性を忘れた痴政、惰性に流れる堕政

 平成の弊政手品はどこで終幕がやってくるのだろうか。

 (衆議院議員、元出雲市長)

 「国会手品上演中」

2005328

 国会というところは面白いところだ。次つぎと変わった手品を見せてくれるので、あきることがない。

 一億円のおカネが背広のポケットに入ったはずなのに、誰が探しても、どこを探しても、出てこない。これも国民をあっと驚かせた見ごとな手品だった。

 そのうえ、国会手品の芸のすごさは、そばで手伝っていた助手にも、本人にさえも種あかしができないところにある。

「改革」「民営化」の幻想


 昨年の道路公団手品も傑作の一つだった。振りかざした決算表を赤にしてみたり、黒にしてみたり、自由自在。「通行料金を三十年間払って下されば三十年後には日本の高速道路を無料開放します」ということで、それを信じて日本中の人が争って高い通行料金を払ってきた。期限の来た二〇〇二年に高速道路が無料にならなかったのはご承知のとおり。これは手品がうまくいかなくて失敗した例。

 人をだましておカネを集めた人は「詐欺師」と呼ばれて刑務所に入る。しかし、人をだまして票を集めた人は先生と呼ばれて国会に入る。どちらも立派な詐欺師に変わりはないはずなのに。

 この例で分かるように、詐欺師と手品師の違いは紙一重、仕掛けがバレるかバレないかの違いだ。

 しかし、国会の手品師のエラいところは、バレても恥じずに繰り返すところにある。財政改革のためと称して道路公団を民営化し、「民営化」と「改革」という二つの幻想を振り撒いて無料化に再度挑戦。失敗にこりて今度は用心に用心を重ねて、三十年では危ないから、約束を聞いた人たちがこの世から居なくなるか忘れる頃と思われる四十五年後に期限をセット。例え約束を守らなくても、詐欺師と呼ばれて刑務所に入れられることがないように、時効もしっかりと計算に入っている。

 そのうえ、前回の失敗の学習効果として、政府や自民党が約束を破ったなどとよもや後世の批判を受けることもないように、国ではなく、民間の会社が約束を破ったことにさせる用意周到さ。「民営化」という言葉の持つ本当の政治的意味のすごさはここにある。

年金手品作り直しへ


 「改革手品」のもう一つの例を挙げれば年金改革。世界で最も充実していると自称してきた年金手品には実は、二つの仕掛けがあった。

 一つはアメリカとヨーロッパの二つをお手本にして、その「よいとこどり」をしたこと。

 少なく払って少なく受け取る米国型と多く払って多く受け取る欧州型。それぞれの国へ視察に出かけたセンセイと官僚が、持ち帰った二つのレポートにはさみを入れて、欧と米をのりづけしてできあがったのが、少なく払って多く受け取る欧米混合のOB型。一見世界のどこにもないこの有利なOB型年金に、もちろん国民は喜ぶわ、選挙で票は集まるわ

 もう一つの仕掛けは年金支払年齢を当時の平均寿命の六五歳にセットしたこと。平均にならして考えれば、長年払ってきて受け取る頃には皆さんがお亡くなりになっているということ。従って年金官庁は支払いの心配をする必要もない。しかし人間は単純だから、自分だけは六五歳以上長生きできると思ってせっせと支払い続け、この仕掛けにも気づく人は一人もいない。

 この二つの仕掛けが、そのうちどうやらおかしいぞという声が出てきて、舞台に向かって野次が飛びだしたので、やむなく改革手品を考案し、発表し、初演に踏み切ったのが昨年のこと。

 ところがどうだろう、「百年安心」「百年はもつ」という触れこみの年金手品が初演の日からドジ続き。百年どころか一年もたたないのに、こともあろうに観客席前列に座っている野党と仕掛けの作り直しの相談を始めるというお粗末。今度は百年ではなく二百年もつ手品でも見せてくれるのだろうか。

 三月に国会で成立した「山村振興法」も、日本のどこにいま「山村」が残っているというのか。たしかに農水大臣の名前は「島村大臣」だが、昔は農林大臣だったはずが今では「林」の字が消えて農水大臣。

 「ノー政」とまでいわれた農政の結果として「山村」が消え、「島」から人が消えてゆき、「村」から人も消え、市町村合併で町や村を消し、いまや残るのは島村とか町村という大臣の名前だけだ。

七変化型の郵政手品


 ただ今国会で上演中の改革手品は「郵政改革」。これも役者や台本がいいわけではなく、日がわりのように次々と仕掛けが変わる七変化型手品が呼び物である。

 何よりも広告宣伝とすっかり違う、愚かさを売りものの即興劇が次から次へと演じられるので、観客もあきれるやら、腹を抱えるやらで大評判。

 まず第一に、黒字公社をわざわざ民営化して赤字会社にする愚かさ。

 第二に、民間会社と言いながら、「日本郵政会社」と政府の「政」の字をつけ、補助金もつける愚かさ。

 第三に、民間活力尊重を唱えながら、既存の民間企業を競争で圧迫する愚かさ。

 第四に、自由な民間発想と言いながら、民営化会社にあれこれと義務づけたり、制限したりする愚かさ。上場資格に問題があるような会社の株式に誰が投資すると考えているのか。

 第五に、わざわざ兼業のメリットを捨ててまで分社化して、コストを上げる愚かさ。

 第六に、分社化でポスト(役職)を増やして、ポスト・オフィス(局)を減らす愚かさ。

 第七に、最大の郵便国アメリカが公営を堅持すべきと発表しているのに、民営不成功の国をさがして真似る愚かさ。

 第八に、財政再建を目指しながら、郵便局窓口で国債の個人消化を進めない愚かさ。

 第九に、防災、防犯、介護の必要が高まっている時に、二万五千の安心拠点を活用しない愚かさ。

 第十に、地方の時代を唱えながら、地方の安心を奪う愚かさ

 手を叩いて愚か手品に興じているうちはいいが、入口で払った木戸銭の他に、出口でツケを払わされるのがこの劇場の仕組みと分れば大騒ぎとなるだろう。

 国民の目線を忘れた酷政、名声を博せない迷政、改革の知性を忘れた痴政、惰性に流れる堕政

 平成の弊政手品はどこで終幕がやってくるのだろうか。

 (衆議院議員、元出雲市長)

「三本指のピアニスト」

200544日の紙面より

 ピアノをことの外に愛した有名な文化人としては、まず筆頭にゲーテがあげられます。ゲーテの詩や戯曲が、ベートーベンやシューベルトらの作曲家に多くの素材を提供したことは広く知られていますが、彼自身も音楽を愛していました。ドイツの哲学者でもあり詩人でもあるニーチェも、幼いころから音楽を愛し、ピアノを良く弾きこなし、数十曲に及ぶピアノ曲まで残しています。

十本の指の華麗な動き


 フランスでは文学者のロマン・ロランがピアノ愛好者として知られています。彼の専攻は歴史学ですが、国際平和運動の先頭に立った高邁な人道主義者だったロランは同時に音楽学者としても広く知られ、特にベートーベンの研究は高く評価されています。

 「アフリカの聖者」「砂漠の聖者」といわれるフランスの哲学者・医者のシュヴァイツァーは、五歳でピアノをはじめ、のちにはオルガン奏者としても有名になりました。
 そのほか最近の例としては、西ドイツのシュミット元首相、イギリスのヒース元首相もピアノ愛好者でした。

 いずれにしても十本の指の華麗な動きと、その奏でる名曲の調べに時を忘れ、魂を洗い、心を磨く人の数はこれからも増えてゆくことは間違いないでしょう。
 私の二人の娘も五歳と三歳の時からピアノをはじめました。ヤマハのピアノが運ばれてきたその日の娘たちの喜びようを今でも覚えています。

 それから間もなく私はロンドンへ転勤となり、娘もピアノも私と一緒にロンドンへ、そしてパリへ、またロンドンへ、そしてニューヨークへと、私の転勤とともにピアノも世界の四大都市を旅する運命をたどりました。
 出雲市長に就任するためにニューヨークを離れる日がきて、妻や娘と相談をし、私と妻は出雲へ、娘たちはそれぞれスタンフォードとハーバードへ、ピアノはニューヨークの音楽大学に寄贈することにしました。一家五人(?)、二十二年の旅の終わりでした。ピアノは今でも大勢の学生に愛されて練習のお相手をしていることでしょう。

初のピアノパラリンピック


 十本の指の華麗な演技を……と言いましたが、今年のはじめ、一月九日、十日の成人式の日に横浜市のみなとみらいホールで開かれていた第一回ピアノパラリンピック in JAPANの光景は全く違ったものでした。迫田時雄さんを中心に、十年の構想、五年の準備ののちにようやくこの日を迎えることになったこの大会で、十六カ国の旗を背景に舞台で演奏したのはホロビッツでもなければルービンシュタインでもなかったのです。世界十六カ国から集まった六歳から七十八歳の障害のある人ばかり百人がピアノの技を競う世界大会でした。国際交流基金と三菱ふそうの協賛があるとはいえ、日野原重明聖路加国際病院名誉院長や、羽田孜元総理や映画監督の向井寛さん、スキーのオリンピック元代表の猪谷千春さん、その他大勢のボランティアの人たちの協力があったとしても、世界ではじめてこのような大会を日本で開催できる日が来るとは誰も思っていなかったでしょう。

 肢体障害、視覚障害、聴覚障害など数多くの障害を乗り越えて、「不可能を可能にする人たち」が、一堂に会して一人ひとりがピアノの技を競うその真剣さと、演奏の終わったときの喜びの表情には深く感動しました。

 日本の社会には差別が多すぎます。国籍で差別、顔色で差別、学歴で差別、信仰で差別、男性・女性で差別、家柄で差別、職業で差別、生まれた地域で差別、ありとあらゆることを材料にして差別しようとする国です。
 日本は経済的には大きな国になりながら、「財布は大きく、心は小さく」、お金は豊かですが、こころが貧しい国になっているのです。

 その点でも今回のピアノパラリンピックはとても意義深いと思います。

 両手合わせて三本の指を懸命に使って名曲に挑戦している人などの中から、この日入賞した金メダルの中国代表孫岩(ソン ヤン)君はショパンのポロネーズを、銀メダルのロシア代表スベトラーナさんはプロコイエフのピアノソナタを、銅メダルのスペイン代表イグナシさんはショパンの幻想即興曲をそれぞれみごとに演奏し、会場から大きな拍手を浴びていました。
 音の世界には国境も、障害の差別も、人権差別もありません。平等に一人の人間として音を表現できるからでしょう。
 広島市から参加した羽田香織さんは生まれた時から小さすぎたため、障害児というレッテルを貼られて悩んだ時もあったとか。練習に励んでついに日本代表に選ばれ、ベートーベンのトルコ行進曲をみごとに弾き終えました。「小さな体で一生懸命弾いている香織の姿は、世界一のピアニストでした」というお母さんの挨拶の言葉が印象的でした。

障害を持った音楽家たち


 偉大な音楽家と言われる人のなかにも立派に障害を持っていた人たちがいます。ベートーベンは聴覚障害の中で、素晴らしい音楽の遺産を私達のために残しました。視覚障害だった日本の琴の名手、宮城道雄は日本伝統音楽の代名詞ともいえるでしょう。
 迫田さんがフランツ・リストの伝記の中から感動的なエピソードを紹介されています。

 リストの弟子の一人、ハンガリー貴族の若者が祖国を守るための戦いに出かけ、戦いが終わり、リストのもとに帰ってきました。若者は右腕を失っていました。絶望している若者にリストはこう言いました。「君、ピアノは左手だけでも弾けるんだよ」と即座に若者の前でいろいろな曲を弾いてみせたのです。
 目を見張るような感動を覚えたその若者は勇気百倍で帰っていき、やがて「左手のピアニスト」として大成しました。祖国のために失った右腕の思いを、残された一本の左腕に込めた彼の気持ちが私の胸を打ちます。

 日本を代表する音楽家、団伊玖磨さんも歌劇「スサノオ」作曲のために、何度も出雲を訪ねてこられました。
 団さんは自分が色覚異常、いわゆる色盲だということを隠さないで語っていました。小学三年生の時に絵を描かされ、先生に叱られてはじめて分かったそうです。「でもね、色の感覚に恵まれなかった分だけ、神様は私にいい耳を授けて下さったと、私はそのように感謝しているんですよ」と、あくまで明るい人でした。
(衆議院議員、元出雲市長)

 「食は母にあり」

2005411

 「栄養の偏り」「不規則な食事」「肥満の増加と過度の痩身志向」「生活習慣病の増大」「食品の安全性・信頼性問題」「食糧自給率の低下、食品の浪費」「伝統的食文化の喪失」と、これだけ日本の食生活をとり巻く問題を列挙されると、なるほど大変だと思わせられるが、だからと言って食事の仕方を教育する法律を作れば問題が解決するとも思えない。

疑問大の「食育基本法」


 日本の「食」の現状を食生活の荒廃とか食知識の欠如などと表現し、それを国家が家庭生活や個人の食生活に干渉する大義名分にされているようだ。

 「食」は本来、人の楽しみ方や自由な人間性など、人間形成に深く関わり、それが民族やその国民の文化を特徴づける程に幅広く、奥深い分野である。

 ところが今、わが国の国会で自民党と公明党により提案され、成立しようとしている「食育基本法」は、日本人の「食」のあり方を、国家権力が関与して政治・経済に都合よく方向づけるために、国民全体を対象とする教育問題に名を借りて、国民の「胃袋」どころか、「心」の領域にまで支配を及ぼそうとするものだ。

 地方分権の時代を唱えながら、中央政府が県や市町村にあれこれと口ばしを入れて努力を義務づける条文なども、「小さな親切、大きなお世話」ではないか。

 食生活を教育するために基本法を策定してまで官の権力を介入させようとする試みは、歴史上どんな権力者も、例えば食文化の歴史の二大本流であるイタリアのシーザーもネロもローマ法王も、もう一つの本流、中国の始皇帝にも毛沢東にも見られない、世界の法制史で画期的なものではないだろうか。

 アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、どこを見ても「食」生活を対象とするガイドラインはあっても法律まで作っている国はない。あるのは「食育」基本法ではなく、「職育」基本法。胃袋を広げるのではなく、職場を広げ、職業を青少年に与えることが青少年に希望を与え、平和な社会につながり、安心して生活をし、いい家庭をつくり、いいお母さんが増え、いいお母さんが子供の心身を育てるということを世界の政治家は知っているからだ。それは日本の伝統でもあったし、世界の常識でもある。

「愛と歌と食」縛るな


 私は海外にも長く住んで、多くの国にも旅をして、いろいろな国の食べ方、飲み方、そしてその味にも接してきた。世界中の食べ物が私の体の中を流れていった。二人の娘を日本、イギリス、フランス、アメリカの四つの国で育てて、学校給食の実態にも接してきた経緯がある。

 パリの私立小学校は幼時から二カ国で教え、毎週水曜日は森の中の教室。アラン・ドロンなど芸能界、外交官、銀行員の子弟が学んでいた。給食は行列に何回でも並べるし、先生はワインを飲んでいる。先生は大人だからワインを飲む、それがフランス流「食育」だった。

 また、日本農業の原点といわれる地域の市長を務めて、地方の農業の抱える問題にも対応しなければならなかった。典型的な大消費地、東京、横浜、ニューヨーク、ロンドン、パリでは、テーブルの上の食生活や大都市の胃袋ともいわれるマーケットにも接してきた。

 そのような経験を踏まえて、私は四月六日の内閣委員会で質問に立ち、私の持論を披歴し、提案者の考えを質した。

 近代西洋文化の発祥の地と言えば、まずイタリアだが、「アモーレ、カンターレ、マンジャーレ」、愛して、歌って、食べて、この三つがイタリア人の情熱のはけ口、庶民の自由な楽しみを代表している。「愛と歌と食」だけは権力や政治や法律で縛らないでほしい、それが大衆の願いであり、世界の常識。法律の好きなドイツでも、国民を動員することが好きなヒトラーも、食には介入しなかった。

 食べるという行為は、常に権力に一番遠い位置に存在するからこそ、人は味が楽しめる。権力の近くに食が置かれるほど味が悪くなることは誰にでもわかる。

 「食は広州にあり」。広州は歴代の中国の国家権力から遠い所にあったし、「浪速の食いだおれ」といわれる大阪人は奈良、京都、鎌倉、江戸の権力から距離を保ちながら食を楽しみ、食文化を育んできた。

お母さんの笑顔


 食べものを選ぶなどという自由がなかった戦争直後の時代に小学生だった私たちは、「食」についてはとりわけ複雑な感情を今でも持ち続けている。

 アメリカの言葉だからと言われて英語を勉強させられ、アメリカの文化だからと言われてアメリカの映画を見て、アメリカのスポーツだからと言われて一生懸命野球に励み、アメリカ人はパンを食べている、パンを食べたら頭が良くなると言われてパンを食べ、しかし、食べた割には頭が良くならなかったが

 パンか米か、選ぶ自由などある筈がない。米のとれない私の村ではサツマイモが主食。イモだけではなく、母は葉や茎までも料理した。塩の配給が不足していたから、子供たちが日本海の水を汲み上げ、砂浜の塩田製法で塩を手作りした。

 どこの家も食べものは乏しかったが、そこにはいつもお母さんたちの温かい笑顔があった。お母さんの笑顔こそ最高の食材。家庭のぬくもりこそ最高の調味料。お母さんの笑顔を味わいながら子供は元気に育ち、病気になる子はいなかった。

 お母さんの笑顔こそ平和の象徴、家庭の幸せの象徴、そういうお母さんの笑顔をもっともっと多くすること、それこそが政治の最高の目標であり、よい子供の心と体を育てる正しい政策だと思う。

 健康や食品の安全や、農業の振興のためにと、あれこれと似たような多くの法律を作っては予算を枠取りし、それがうまくいかないという調査報告を作ってはまた新しい法律づくりに励む。新しい法を一本作るなら、役に立たなかったか古くなった法律を二本廃止する、それぐらいの反省とけじめがあるべきだ。

 日本農業が衰退した最大の原因は、俵田を「票田」とする政治の過剰介入であり、有効な政策を欠いてきた「ノー政」にある。日本農業衰退の危機を消費者の食生活にあるかのような言い方はまさに責任の転嫁であり、説教強盗の論理だという指摘もあながち言い過ぎではない。

 私は父を小学一年生の時に亡くし、母の郷里、島根県西浜村で母を助けて高校三年まで農業をした。キュウリ、ナスビ、トマト、カボチャ、大根を作り、芋を植え、麦を作った。今でも選挙区の中では商店街、花屋さん、酒屋さん、本屋さん、魚屋さん、八百屋さん、そういう屋のつく店の前を通るのが大好きだ。とりわけ八百屋の前では、私が水をやり育てていた昔の仲間が、店先からがんばれと声をかけているような気がするからだ。

 八百屋の屋、野菜の野が大好き。だから私は商店街を大切にする「屋党」と呼ばれたり、野菜づくりを大切にする「野党」と呼ばれることを、いつも誇りに思っている。

(衆議院議員、元出雲市長)

 「公平明快な年金を」

2005418

 税金は本当に上がるのか、安心できる年金はいつできるのか、政治家と献金の黒い関係は解明できるのか。国会では郵便の問題や補欠選にばかり関心が集まっているように思われているが、近隣外交の「拉致・中国・韓国」の三問題と並ぶ内政の三問題は、「税金・年金・献金」の「三金」である。

「やさしい日本」が欲しい


 大きいものをより大きくする、強いものをより強くする、弱者を置き去りにするそのような小泉改革にはついて行けないと思いはじめている人が増えて、大きくて強いアメリカのような国を理想とする人は減っている。

 私の選挙区である横浜市の青葉区と緑区。共通しているのは、強い日本ではなく、「やさしい日本」が欲しい、安心できる老後を、リストラの心配をしなくて済むような景気回復を、そして資産価値の目減りを早く止めてほしいと。

 今、年金に対する不安と不満と不信が渦まいている。未納率は高まるばかり。

 政治と政府はなぜかくも無力なのか。

 世界で一番の個人金融資産を持ち、世界一の金貸し国でもある日本が、なぜ自分の国のお年寄りの年金をカットしなければならないのか、答えてほしい。年金というものは、確定した金額を毎年必ず受け取れるというシステムを「年金」という。辞書にはそう書いてあり、世界の常識でもある。確定した金額を給付することを約束してお金を集めた国家がそれを実行しないなら、それは詐欺とどこが違うのか、それも説明してほしい。

 そのような詐欺国家とならないために、そして七十八%に高まっている年金不信を一掃するために、私は年金の新しい仕組みを三年前から提案している。

国民共通制度に一本化


 大原則は「皆負担、皆年金」。職業や会社の規模や男女の差別を一切取り払って、年金は国民共通の制度に一本化し、その上で、消費税を財源とする国民基礎年金と、資産と所得と意欲に応じた自己選択積立金を財源とする積立年金との二階建てにする。

 一階部分の基礎年金はだれもが同額六万六千円をもらえる。そのために消費税を、現在の五%から二年に一%ずつ上げて十年後に十%として、年金保険料は徴収しない減税付きの増税。消費税が年金という名札をつけて財布に帰ってくる。

 その無料の一階部分の上の二階部分はそれぞれの財布と相談して毎月一万円、二万円、三万円の三つのコースのどれかを選択し、「年金国債」を二十五歳から六十五歳の四十年間に分割購入し、満期の六十五歳からその金額の十倍、たとえば一万円コースの人は毎月十万円、三万円コースの人は三十万円を一生涯受け取ることができ、途中参加、途中変額、途中解約も可能な条項を設ける。

 この新しい制度では年間十兆円と試算されている企業負担が一挙にゼロとなる。その分だけ企業は雇用の増加、賃金アップ、設備投資、利益の増加などで、国の税収の増加、個人消費の伸び、そして治安の維持などにつながり、財政構造の改善にも大きく寄与するはずだ。

 所得比例にこだわれば自営業者がとり残される。企業負担にこだわれば正規雇用が減る。所得比例と企業負担の二つの呪縛を断ち切ってこそ、はじめて新時代の年金が誕生する。

 国債だけを購入する仕組みだから、他の目的に使用されることは一切なく、年金運用の横道、わき道、まわり道は完全になくなる。自分で選択できる自由と自分で計算できる分かりやすさがあるから、「負担」というイメージが薄まり「参加」という意識に代わり、若い人たちも二十五歳を待ちかねたように参加してくるのではないだろうか。

 自分がいくら払い込み、いくら受け取れるか、五十・二%とかの比率やパーセントでなく、明確に金額で分かる仕組みだから信頼度と透明性は格段に向上する。

 今までの複雑な制度は一元化され、社会保険庁と国税庁の窓口は統合一本化する。米国のように税と保険料を一緒に集める「徴収の一元化」で保険料の割高な徴収コストをゼロにする。社会保険庁には大型コンピューターが一台と「長官兼掃除係」が一人。国民一人ひとりに年金ICカードが一枚ずつ。運用リスクなし、天下りなし、管理コスト・ゼロ、世界一透明正大な年金システムが完成する。

 自分がいくら払ったのか、いくら受け取れるのか、確かめたい人は、「年金カード」を銀行や郵便局の預け支払い機に差しこみ、すぐにのぞけるようにすれば、年金に対する信頼と、払い込み続けるはげみにもつながるだろう。未納は自分だけが損をすることになることも、スクリーンを眺めながらよく分かるはずだ。

世界一優しい日本男性


 年金や医療は、政権が代わるたびに制度が変わっては国民が安心していられない。この新方式は「年金国債」だから、どの政党が政権党になろうと、保険料が引き上げられるとか、年金支給額を削られるということがない。一階部分の柱がぐらぐらすることもなければ、二階部分の天井がずり下がってくることもない。

 この新型年金は最初から個人個人のものだから、年金分割のために慌てて「年金離婚」をする必要もない。

 自分の努力とそれを守ってくれる国への感謝を象徴する一枚のカード。暇のある人は病みつきとなって毎日カードをポケットに散歩に出かけ、自分の年金を確かめる。それで政治への信頼が回復するなら、それもいいではないか。

 一方、既存の年金制度と新制度が並存する期間については、たとえば二十年間という移行期間を設け、新方式への移行者については、支払い済み期間と受け取り開始時期などの期間按分、金額あん分を慎重に行わなければならない。

 一階部分の基礎年金はだれにも無料、そのうえ女性には一階部分も二階部分も七年分のおまけ付き。現在の平均寿命を前提にすると、六十五歳から年金を受け取る期間は男性十四年、女性は二十一年。つまり女性は七年長く、金額では男性に比べて五割多く受け取ることになり、世界一長寿の日本の女性を支える日本の男性の負担は並大抵ではないが、女性の老後の暮らしが安心できれば、七年早く人生を終わる男性も安心できる。

 アメリカとイギリスでは三年分、ドイツとフランスでは四年分、それに比べて女性に七年分の年金を残す日本の男性こそ、世界で最も女性に優しいことをまず年金の姿で明らかにしておこう。女性には安心を、男性には誇りを

 年金改革をめぐって与野党の衆参合同会議が始まったが、罰点だらけの自民党案や欠点を残したままの民主党案の「罰点」対「欠点」の押し合い、へし合いだけを見せるようでは、国民の年金不信は更に深まるばかりだろう。

 (衆議院議員、元出雲市長)

「会社は誰のものか」

2005425

 セック、セックという言葉が国会で盛んに飛びかっている。「証券取引委員会」のことで、本場のアメリカや証券業界の人たちがエス・イー・シーと呼ぶSECが日本では「セック」と発音されていて、ちょうどある総理大臣が原稿にあるIT(アイ・ティー)のことを国会の演説の中でイット産業とかイット革命と読んで、失笑を買ったことを思い出させる。

一般株主、個人投資家不在


 米国にならってSECが日本にも必要だという世論が政界、経済界を中心に高まったのは平成の初めのことだった。

 リクルート株事件は平成の時代の幕開けを飾る不正事件としていまだに記憶に残っている。総会屋には利益供与が行われ、証券会社が政治家などの特定顧客にVIP口座を開設し、その口座には損失補てんが行われていた。

 もうかることはあっても損をすることがないという夢のような話。もちろん、その証券会社と取引をしている他のお客さんの得べかりし利益をVIP口座にひそかに移転する「所得移転」または「泥棒行為」だから、外部に知られてはならないはずのものが、どういうわけか発覚して大騒ぎ。その他にも相場操縦、インサイダー取引など、わが国証券市場は不公正取引がまかりとおっていた。

 最近でも、日本放送をめぐるライブドアとフジテレビのMA合戦や産業再生機構が支援中のカネボウの粉飾決算、西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載などの問題が立て続けに起きている。これらの問題の根底にあるのが、一般株主、個人投資家不在の証券市場という現実である。

 一般株主、個人投資家が寄りつかない証券市場は、株式持ち合い企業と機関投資家ばかりのいびつな市場となり、いびつな証券市場は企業の倫理観を歪め、結果として法令遵守の意識が欠けることになる。こうして、証券市場の公正・透明性はますます失われていく。

公正・透明な証券市場


 今国会では、証券取引法改正案のほか、六十年ぶりの商法の抜本改正となる会社法案も提出されている。しかし、会社法案の議論の中では、例えば「敵対的企業買収」に対して株式持ち合いを復活させるなど、時計の針を戻すような議論も散見される。銀行等保有株式取得機構なるものをつくり、二兆円もの公的資金、つまり、国民のカネを使って銀行・企業から持ち合い株を買い取ったばかりか、銀行の三兆円分の持ち合い株を日銀にも買い入れさせたこの数年間の政策は、一体何だったのか。まさにその場しのぎのびほう策と言わざるを得ない。

 本質的な解決方法は、公正・透明な証券市場を実現することである。泣く子も黙るといわれる米国SECに見ならおうと、わが国も一九九二年、「証券取引等監視委員会」を設置した。私は、ニューヨークのウォール街で、実際に米国SECと何度も折衝してきた。その経験をもって言えば、わが国の証券取引等監視委員会は、その規模、権限、独立性のすべてにおいて米国SECに見劣りしている。例えば米国SECは三千八百人を超える人員を擁しているのに比較して、証券取引等監視委員会の人員は、地方の財務局も含めて四百人あまりに過ぎない。また、権限も独立性も弱いことから、事件が起きても、金融庁、法務省、検察庁などに一々お伺いを立てなければならない。

 証券取引の公正を確保し、企業や銀行・証券会社などの不正行為を監視、操作、摘発することによって投資家を保護するという重要な任務を帯びながら、組織として独立せず、金融庁に所属しているために、捜査一つをとっても、報道付き、予告付き、隠ぺい期間付き、逃亡期間付きの甘いやり方では、真相解明や犯罪防止効果に著しく欠け、投資家保護の目的を達成することはできない。なんのことはない、「日本版SEC」が必要だと言っているときに日本の政府が作ったのは「日本的SEC」だったというお粗末。

民主党のSEC法案


 こういう反省のもとに、民主党から国会に提出されたのが証券取引委員会設置法案である。独立性の弱い現行の八条委員会を独立性の強い三条委員会にして、不正を働くものにはこわい存在をつくろうという狙いである。

 まちの治安が悪化し、治安の強化防犯対策の強化が叫ばれていて、国会が予算や制度に工夫しながら取り組んでいることは当然のことだが、日本の経済にとってはその心臓部ともいうべき証券市場の浄化・治安・防犯対策に早急に取り組むことは緊急の課題であり、日本のSEC設立はその第一歩となるはずだ。

 しかし、残念なことに、今までの仕組みの手直しで十分だと考える国会議員の方が多く、民主党のSEC法案は再び闇に葬られる可能性もある。

 政界のみならず経済界も含めて、日本の指導者の間には、投資家や一般株主を保護することよりも、自分の企業に対する突然の捜査や摘発に対する恐怖心が強く、やはりお伺い付き、予告付き、隠ぺい期間付き、手心付き、の方が安心できると考える人の方が多いのだろう。

 ニッポン放送争奪戦を機に、企業買収に備える対抗策など視野に入れて、証取法の改正とともに六十年ぶりの会社法の改正の審議が始まった。

 会社とは何か、会社は誰のものか、株主の権利は十分に守られているかなどを中心に議論が活発化するだろうが、外資進出恐怖の過大視と、株主権利の過小視の二つが私には最も気にかかる。新株引受権を特定株主にのみ割り当てるという方法で経営を守るのは、引受権を与えられない株主を無視していることになる。

 お互いの合意で相互に安定的株主になる持合という日本の仕組みは、株主総会で相手経営者側の提案に無条件で同意し合うことを意味し、株主として持っている議決権を貸し合っているようなもの。

 フジテレビが五年間という期限付きで第三者に貸株をしたことが奇策として話題になったが、日本の企業社会では五年どころか、期限なしの貸株が長年に亘って行われてきているという認識をしっかりと踏まえて、会社法や証券取引法の改正では、各会社ごとにその事実を一般投資家に情報公開すべきだろう。

 会社は誰のものか、経営権とは何か、国家経営には民主平等の原則が欠かせないように、日本の株式市場には株主平等の原則があるのかないのか、私は明日、法務委員会で質問に立つ。

 (衆議院議員、元出雲市長)

 「会社は誰のものか」

2005425

 セック、セックという言葉が国会で盛んに飛びかっている。「証券取引委員会」のことで、本場のアメリカや証券業界の人たちがエス・イー・シーと呼ぶSECが日本では「セック」と発音されていて、ちょうどある総理大臣が原稿にあるIT(アイ・ティー)のことを国会の演説の中でイット産業とかイット革命と読んで、失笑を買ったことを思い出させる。

一般株主、個人投資家不在


 米国にならってSECが日本にも必要だという世論が政界、経済界を中心に高まったのは平成の初めのことだった。

 リクルート株事件は平成の時代の幕開けを飾る不正事件としていまだに記憶に残っている。総会屋には利益供与が行われ、証券会社が政治家などの特定顧客にVIP口座を開設し、その口座には損失補てんが行われていた。

 もうかることはあっても損をすることがないという夢のような話。もちろん、その証券会社と取引をしている他のお客さんの得べかりし利益をVIP口座にひそかに移転する「所得移転」または「泥棒行為」だから、外部に知られてはならないはずのものが、どういうわけか発覚して大騒ぎ。その他にも相場操縦、インサイダー取引など、わが国証券市場は不公正取引がまかりとおっていた。

 最近でも、日本放送をめぐるライブドアとフジテレビのMA合戦や産業再生機構が支援中のカネボウの粉飾決算、西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載などの問題が立て続けに起きている。これらの問題の根底にあるのが、一般株主、個人投資家不在の証券市場という現実である。

 一般株主、個人投資家が寄りつかない証券市場は、株式持ち合い企業と機関投資家ばかりのいびつな市場となり、いびつな証券市場は企業の倫理観を歪め、結果として法令遵守の意識が欠けることになる。こうして、証券市場の公正・透明性はますます失われていく。

公正・透明な証券市場


 今国会では、証券取引法改正案のほか、六十年ぶりの商法の抜本改正となる会社法案も提出されている。しかし、会社法案の議論の中では、例えば「敵対的企業買収」に対して株式持ち合いを復活させるなど、時計の針を戻すような議論も散見される。銀行等保有株式取得機構なるものをつくり、二兆円もの公的資金、つまり、国民のカネを使って銀行・企業から持ち合い株を買い取ったばかりか、銀行の三兆円分の持ち合い株を日銀にも買い入れさせたこの数年間の政策は、一体何だったのか。まさにその場しのぎのびほう策と言わざるを得ない。

 本質的な解決方法は、公正・透明な証券市場を実現することである。泣く子も黙るといわれる米国SECに見ならおうと、わが国も一九九二年、「証券取引等監視委員会」を設置した。私は、ニューヨークのウォール街で、実際に米国SECと何度も折衝してきた。その経験をもって言えば、わが国の証券取引等監視委員会は、その規模、権限、独立性のすべてにおいて米国SECに見劣りしている。例えば米国SECは三千八百人を超える人員を擁しているのに比較して、証券取引等監視委員会の人員は、地方の財務局も含めて四百人あまりに過ぎない。また、権限も独立性も弱いことから、事件が起きても、金融庁、法務省、検察庁などに一々お伺いを立てなければならない。

 証券取引の公正を確保し、企業や銀行・証券会社などの不正行為を監視、操作、摘発することによって投資家を保護するという重要な任務を帯びながら、組織として独立せず、金融庁に所属しているために、捜査一つをとっても、報道付き、予告付き、隠ぺい期間付き、逃亡期間付きの甘いやり方では、真相解明や犯罪防止効果に著しく欠け、投資家保護の目的を達成することはできない。なんのことはない、「日本版SEC」が必要だと言っているときに日本の政府が作ったのは「日本的SEC」だったというお粗末。

民主党のSEC法案


 こういう反省のもとに、民主党から国会に提出されたのが証券取引委員会設置法案である。独立性の弱い現行の八条委員会を独立性の強い三条委員会にして、不正を働くものにはこわい存在をつくろうという狙いである。

 まちの治安が悪化し、治安の強化防犯対策の強化が叫ばれていて、国会が予算や制度に工夫しながら取り組んでいることは当然のことだが、日本の経済にとってはその心臓部ともいうべき証券市場の浄化・治安・防犯対策に早急に取り組むことは緊急の課題であり、日本のSEC設立はその第一歩となるはずだ。

 しかし、残念なことに、今までの仕組みの手直しで十分だと考える国会議員の方が多く、民主党のSEC法案は再び闇に葬られる可能性もある。

 政界のみならず経済界も含めて、日本の指導者の間には、投資家や一般株主を保護することよりも、自分の企業に対する突然の捜査や摘発に対する恐怖心が強く、やはりお伺い付き、予告付き、隠ぺい期間付き、手心付き、の方が安心できると考える人の方が多いのだろう。

 ニッポン放送争奪戦を機に、企業買収に備える対抗策など視野に入れて、証取法の改正とともに六十年ぶりの会社法の改正の審議が始まった。

 会社とは何か、会社は誰のものか、株主の権利は十分に守られているかなどを中心に議論が活発化するだろうが、外資進出恐怖の過大視と、株主権利の過小視の二つが私には最も気にかかる。新株引受権を特定株主にのみ割り当てるという方法で経営を守るのは、引受権を与えられない株主を無視していることになる。

 お互いの合意で相互に安定的株主になる持合という日本の仕組みは、株主総会で相手経営者側の提案に無条件で同意し合うことを意味し、株主として持っている議決権を貸し合っているようなもの。

 フジテレビが五年間という期限付きで第三者に貸株をしたことが奇策として話題になったが、日本の企業社会では五年どころか、期限なしの貸株が長年に亘って行われてきているという認識をしっかりと踏まえて、会社法や証券取引法の改正では、各会社ごとにその事実を一般投資家に情報公開すべきだろう。

 会社は誰のものか、経営権とは何か、国家経営には民主平等の原則が欠かせないように、日本の株式市場には株主平等の原則があるのかないのか、私は明日、法務委員会で質問に立つ。

 (衆議院議員、元出雲市長)

「会社は誰のものか」

2005425

 セック、セックという言葉が国会で盛んに飛びかっている。「証券取引委員会」のことで、本場のアメリカや証券業界の人たちがエス・イー・シーと呼ぶSECが日本では「セック」と発音されていて、ちょうどある総理大臣が原稿にあるIT(アイ・ティー)のことを国会の演説の中でイット産業とかイット革命と読んで、失笑を買ったことを思い出させる。

一般株主、個人投資家不在


 米国にならってSECが日本にも必要だという世論が政界、経済界を中心に高まったのは平成の初めのことだった。

 リクルート株事件は平成の時代の幕開けを飾る不正事件としていまだに記憶に残っている。総会屋には利益供与が行われ、証券会社が政治家などの特定顧客にVIP口座を開設し、その口座には損失補てんが行われていた。

 もうかることはあっても損をすることがないという夢のような話。もちろん、その証券会社と取引をしている他のお客さんの得べかりし利益をVIP口座にひそかに移転する「所得移転」または「泥棒行為」だから、外部に知られてはならないはずのものが、どういうわけか発覚して大騒ぎ。その他にも相場操縦、インサイダー取引など、わが国証券市場は不公正取引がまかりとおっていた。

 最近でも、日本放送をめぐるライブドアとフジテレビのMA合戦や産業再生機構が支援中のカネボウの粉飾決算、西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載などの問題が立て続けに起きている。これらの問題の根底にあるのが、一般株主、個人投資家不在の証券市場という現実である。

 一般株主、個人投資家が寄りつかない証券市場は、株式持ち合い企業と機関投資家ばかりのいびつな市場となり、いびつな証券市場は企業の倫理観を歪め、結果として法令遵守の意識が欠けることになる。こうして、証券市場の公正・透明性はますます失われていく。

公正・透明な証券市場


 今国会では、証券取引法改正案のほか、六十年ぶりの商法の抜本改正となる会社法案も提出されている。しかし、会社法案の議論の中では、例えば「敵対的企業買収」に対して株式持ち合いを復活させるなど、時計の針を戻すような議論も散見される。銀行等保有株式取得機構なるものをつくり、二兆円もの公的資金、つまり、国民のカネを使って銀行・企業から持ち合い株を買い取ったばかりか、銀行の三兆円分の持ち合い株を日銀にも買い入れさせたこの数年間の政策は、一体何だったのか。まさにその場しのぎのびほう策と言わざるを得ない。

 本質的な解決方法は、公正・透明な証券市場を実現することである。泣く子も黙るといわれる米国SECに見ならおうと、わが国も一九九二年、「証券取引等監視委員会」を設置した。私は、ニューヨークのウォール街で、実際に米国SECと何度も折衝してきた。その経験をもって言えば、わが国の証券取引等監視委員会は、その規模、権限、独立性のすべてにおいて米国SECに見劣りしている。例えば米国SECは三千八百人を超える人員を擁しているのに比較して、証券取引等監視委員会の人員は、地方の財務局も含めて四百人あまりに過ぎない。また、権限も独立性も弱いことから、事件が起きても、金融庁、法務省、検察庁などに一々お伺いを立てなければならない。

 証券取引の公正を確保し、企業や銀行・証券会社などの不正行為を監視、操作、摘発することによって投資家を保護するという重要な任務を帯びながら、組織として独立せず、金融庁に所属しているために、捜査一つをとっても、報道付き、予告付き、隠ぺい期間付き、逃亡期間付きの甘いやり方では、真相解明や犯罪防止効果に著しく欠け、投資家保護の目的を達成することはできない。なんのことはない、「日本版SEC」が必要だと言っているときに日本の政府が作ったのは「日本的SEC」だったというお粗末。

民主党のSEC法案


 こういう反省のもとに、民主党から国会に提出されたのが証券取引委員会設置法案である。独立性の弱い現行の八条委員会を独立性の強い三条委員会にして、不正を働くものにはこわい存在をつくろうという狙いである。

 まちの治安が悪化し、治安の強化防犯対策の強化が叫ばれていて、国会が予算や制度に工夫しながら取り組んでいることは当然のことだが、日本の経済にとってはその心臓部ともいうべき証券市場の浄化・治安・防犯対策に早急に取り組むことは緊急の課題であり、日本のSEC設立はその第一歩となるはずだ。

 しかし、残念なことに、今までの仕組みの手直しで十分だと考える国会議員の方が多く、民主党のSEC法案は再び闇に葬られる可能性もある。

 政界のみならず経済界も含めて、日本の指導者の間には、投資家や一般株主を保護することよりも、自分の企業に対する突然の捜査や摘発に対する恐怖心が強く、やはりお伺い付き、予告付き、隠ぺい期間付き、手心付き、の方が安心できると考える人の方が多いのだろう。

 ニッポン放送争奪戦を機に、企業買収に備える対抗策など視野に入れて、証取法の改正とともに六十年ぶりの会社法の改正の審議が始まった。

 会社とは何か、会社は誰のものか、株主の権利は十分に守られているかなどを中心に議論が活発化するだろうが、外資進出恐怖の過大視と、株主権利の過小視の二つが私には最も気にかかる。新株引受権を特定株主にのみ割り当てるという方法で経営を守るのは、引受権を与えられない株主を無視していることになる。

 お互いの合意で相互に安定的株主になる持合という日本の仕組みは、株主総会で相手経営者側の提案に無条件で同意し合うことを意味し、株主として持っている議決権を貸し合っているようなもの。

 フジテレビが五年間という期限付きで第三者に貸株をしたことが奇策として話題になったが、日本の企業社会では五年どころか、期限なしの貸株が長年に亘って行われてきているという認識をしっかりと踏まえて、会社法や証券取引法の改正では、各会社ごとにその事実を一般投資家に情報公開すべきだろう。

 会社は誰のものか、経営権とは何か、国家経営には民主平等の原則が欠かせないように、日本の株式市場には株主平等の原則があるのかないのか、私は明日、法務委員会で質問に立つ。

 (衆議院議員、元出雲市長)

「早起きは三兆の得」

200552

 日本ほど季節の変化に恵まれた国はない。一年をほぼ均等に四つに分けて、春、夏、秋、冬と三カ月ずつの季節を、どこへも出かけることなく、一つの国に居ながらにして味わうことができる。言わば一年に四回、自然の変化というご馳走をいただけるのは日本しかない。これだけでも、日本に生まれ、日本に暮らす幸せに感謝しなければならないと思う。感謝するだけではなく、地球に最も恩返しをしなければならないのが日本ではないか。

エネルギーの過剰消費


 「五風十雨」という、中国で古くから使われている言葉がある。五日に一回風が吹き、十日に一回雨が降る……、そういう自然のリズムさえ保たれていれば、食糧を奪いに出かけることもなく、他国が侵略してくることもない、それが庶民の素朴な平和への願いだった。

 毎年のように訪れる異常高温、多発台風、欧州各地や中国の大洪水による被害など、地球がいよいよ怒りだしたとさえ思われるような、「地球不安」が世界中を覆っている。その中で、エネルギーの過剰消費が地球のリズムの不順を起こしている最大の原因と言われている。

 今こそ、この地球に生まれ、自然の恵みを最大限に享受してきた人類が立ち上がり、地球保全のために行動しなければならない。その一例が地球温暖化を防ぐための京都会議であり、「京都議定書」が今年の二月十六日に発効した。

 その議定書に基づいて、いま日本は何をすべきか。産業界は二酸化炭素CO2を削減するためにどうすればよいのか。森林によるCO2吸収を増やすためには地方自治体と国の協力が欠かせない。

 日本の現状を見ると、家庭とオフィスなどでCO2排出量が増加し続けている。政府や企業の責任だけを追及するのではなく、家庭でも省エネを心がける地道な取り組みが必要だろう。

サマータイムで「早寝早起」


 その一つの方法として、世界七十カ国で実施されている夏時間制、「サマータイム」がある。昔から言い伝えられた健康づくりの言葉、商売繁昌の言葉として、日本には「早寝早起」という四文字言葉があり、「早起きは三文の得」ということわざもあった。別の表現では「早寝早起き病(やまい)知らず」。その「早寝早起」を国民全員で実行すれば省エネ効果を日本でも実現できるに違いない。

 四月から十月までの七カ月間は時計の針を一時間だけ進めて「早寝早起」、明るい時間の有効活用を促進し、エネルギーの消費を減らし、地球の保全を助け、合わせて地域の治安向上にも結びつく制度であり、一日も早く始めた方がよい。

 私は家族とともにアメリカ、フランス、イギリスとサマータイムの国に二十年間生活してきたが、そのために娘が体をこわしたとか、発育不全になったこともないし、私の仕事の能率が落ちたということもない。サマータイムを導入した国の子供の学力が低下したとか、オリンピックの成績がどんどん下がっていったという話も聞かないし、そういう国の輸出競争力が弱まったという事実もない。

 世界の七十カ国が既に実施し、その効果に納得し、サマータイムをもう一度もとの「年間固定タイム」に帰そうとする国が一つもないという現状を見ていながら、エネルギー資源の乏しい日本がなぜいつまでも指をくわえてぼう然と立ちつくしているのか、不思議でならない。

 今、国会の中で遅まきながら議員連盟が結成され、通常国会の会期中に法案を提出する動きとなっている。

 この問題に以前から熱心に取り組んでいる社会経済生産性本部が行った調査でも八〇%の首長が賛成し、内閣府の二回の世論調査でも国民の半数以上が賛成しており、日本でもようやく実現の可能性が高まり、順調に行けば二年後の四月には「早寝早起」の日本が誕生する。

自然順応で「三文の得」


 「早起きは三文の得」、サマータイムを実行すると何文の得になるか。社会経済生産性本部の試算では省エネ効果で石油換算、九十三万キロリットル。これは電力に換算すると日本中の人が六十六日間テレビを消しっぱなしにするか、全国の鉄道を六十八日間止めっぱなしにすれば節約できる電力に相当する。

 OECD加盟の三十カ国の中でサマータイムを導入していない国は日本と韓国とアイスランドの三国だけ。アイスランドは白夜になるためサマータイムを導入する必要はなく、韓国は日本より西にあるにもかかわらず日本と同じ時刻を適用しているので、言わば一年中サマータイムを行っているようなものだから、結果として日本だけがサマータイムの「三文の得」に目をつむっているようなもの。

 韓国を代表する電子産業三星(サムスン)は、長年に亘ってサマータイムではなく「サムスン・タイム」を実行していて、三星の社員は、朝は他社より一時間早く出社し、夕方は一時間早く退社して、三星グループの躍進に貢献し、三星グループは今や世界のトップ。三文どころか三兆の得をわが手にしている。

 自分の体のリズムがこわれるといっても、ほんの最初の二、三日のことだけで、週が変わればすっかりサマータイム気分になってしまう、それが私の二十年間の経験だった。

 私の母もそうだが、日本の農家の人たちは、夏になりおてんとうさまが顔を出す前にひと仕事と、夏には自然と早起きになる。それが普通人のリズムであり、自然順応型のリズムなのだろう。

 自分一人の体内リズムにこだわって、かけがえのない、次世代に残す地球のリズムを狂わせて台風や洪水や異常高温という次世代へのつけ、「負の財産」を残していっていいものだろうか。

 国会ではアンケートに回答した議員の八割が賛成している。内閣府の世論調査の賛成六三%に対して、反対が二八%あるように、反対する議員も二割ある。

 しかし、原油高やエネルギー危機、そして地球温暖化を目の前にしながら、エネルギーの大量消費国日本がいつまでも「世界の中のわがままもの」でいいのだろうか。しっかりと考えて決断すべき時が来ている。

 地球のリズムを壊したい人……サマータイムに反対しましょう。

 日本の災害対策費と国の借金を増やしたい人……反対しましょう。

 三文の得より三文の税を払いたい人……反対しましょう。

 温暖化で海水面が上昇し、海岸を失いたい人……反対しましょう。

 台風がもう一つほしい人……反対しましょう。

 いいことは何でも気に入らない人……反対しましょう。

 (衆議院議員、元出雲市長)

 「改正護憲論」

200559

 戦後六十年の歳月が流れ、戦争の時代を知る日本人は四人に一人となった。六十年間にわたって戦争に関わらない国であったことに感謝しながらも、戦争を知る世代は声を四倍にして平和の大切さを語らねばならない。

昭和の政治家が招いた悲劇


 一九三六年二月、アメリカの代表的経済誌フォーブスは、「日本の脅威」と題した特集記事で日本脅威論が西欧諸国で高まっているとして、低賃金・高生産性の日本産業の力が、アメリカはじめ西欧諸国の産業を破壊する恐怖について報道した。「大量破壊兵器としての日本脅威論」であり、それはやがて日本に対する石油供給の締め付けなどを含む日本包囲網の結成につながっていく。

 明治の先人たちは、日清戦争に勝った直後に、ロシア、ドイツ、フランスの列強包囲による「三国干渉」を受けたとき、忍び難きを忍んで「臥薪嘗胆」した。

 昭和の政治家は臥薪嘗胆することなく、米国の挑発に応じ、米国は日本という大量破壊兵器の消滅に成功した。

 米軍のイラク進攻はその理由としたテロとの関係を裏付けることにも失敗し、大量破壊兵器の発見にも失敗。繰り広げられているのは死傷者続出と国土破壊。皮肉なことに、大量破壊兵器発見を目指したアメリカ自らが大量破壊兵器そのものになっているではないか。

 日本はその大量破壊兵器史上の第一号である原爆の実験対象となり、犠牲国となった唯一の国である。

 日本は早く普通の国になるべきだという主張があるが、日本は、二十世紀前半のアジアにおける諸戦争の、加害者であり被害者でもあったこと、そして、人類史上の最も非人道的殺りく行為である原爆を体験した唯一の対象国であったという事実は、消すことのできない歴史である。その運命を背負っている日本が、他の国と同じような憲法と軍隊を持つことはできない。日本は「普通の国」ではありえないし、あってはならない。

平和への強い願い前文に


 そのような歴史を持つ日本が、その歴史にふさわしい理念を持ち、かつ、行動することは、世界の非常識でもなければ異常な国家でもなく、人類のこれからの歴史に対する日本の義務でさえある。このことを憲法の前文にしっかりと書きこむべきではないか。日本がこのような悲劇を経験しながらも、隣国に謝罪と反省の言葉を表し、その反省の証しとして、諸国の歴史に例のない平和への強い願いを憲法に明記していること、それが日本の外交戦略のすべての出発点となる。

 それに関連する問題として、靖国神社の問題も無視できない。国民統合の象徴である天皇が参拝しない神社への参拝に固執して、他国に誤解と不安を与えていることの責任を、総理はどう考えるのか。天皇から認証された行政の長として、国民統合の象徴である天皇に対する不敬行為ではないか。

 次に、国連の安保理事会の常任理事国になろうとする政府の方針は再検討が必要だ。他国の陸軍、海軍、空軍、海兵隊の全四点セットを千人、万人単位の規模で受け入れている国は、世界で日本だけである。これが東洋の君子の国だろうか。

 「国家存立の基盤」を特定の一国の軍事力に依存している国を独立国と呼べるのか、疑問である。

 国民の生命・財産と国土を守ることにもまして重要なのは国家の名誉と尊厳を守ることだ。特定の一国に国連議決権と世界外交発言権を五十年間預けっぱなしにしている国が国連に参加する資格、ましてや安保常任理事国に立候補する資格などあるのか、疑問である。

 結果としてアメリカに二票を持たせることが唯一の原爆被害国日本の唯一の原爆使用国アメリカに対する「報恩」の道なのか、疑問である。

 二十一世紀、二十二世紀にも通用する平和理念を憲法の中に掲げ、それを世界に明らかにしてのちに常任理事国に入ることこそが、そのまま国連改革の第一歩となるのではないか。

自衛隊、国連平和軍を明記


 まず、国民と国土を守るために「自衛隊」を設置することを憲法第九条第二項に明記し、自衛隊に憲法という鎖をつけて日本領域外での武力行使を禁じる。

 さらに、第三項に、「ただし、前二項の規定は、国連の指揮下で活動するための国際連合平和予備軍を国連加盟国の一員として保有すること、さらに国連の指揮下においてこの国際連合平和予備軍が活動することを妨げるものではない」という条文を追加する。この第三項を追加することによって、自衛隊の性格と役割がわが国の「専守防衛」のためのものであることがより明確になるし、世界平和創出のための義務遂行が憲法の裏付けを持つことになり、有事法制などの関連法規の整備に関する国会内の思想的混乱も整理されることになるだろう。

 海外紛争には自衛隊の一部を使う待機部隊構想ではなく、自衛隊組織とは全く別組織、別指揮系統の世界最強の(国連)平和予備軍を作り、「外−外は国連平和軍」、「外−内は自衛隊」、「内−内は警察」という三者の役割を明確にし、憲法の授業の中で先生が三分間で分かりやすく、未来を支える次の世代に指針を与え、日本人としての誇りと希望を持たせること、これが教育の根本であり、世界平和への貢献ではないか。

 このような構想が受け容れられるなら、凛として未来へ、日本ははじめて「平和創出」国家の時代に入り、国際紛争の防止、テロ対策、治安の維持・回復のために、卑怯でもなく怠惰でもなく「普通以上の国家」として活動できることになる。

 「戦争のない世界」を後世に残そうという憲法九条の精神をより強固に守り、中学生を含む国民の誰にも分かるように明確にし、その時その時代の政権によって妙な解釈がされる危険を除去するために、私はあえて憲法を守るための行動、「護憲的改正」を提唱したい。

 憲法議論と並行して日本が積極的に進めなければならないのは、世界で日本にしかできない、日本に最もふさわしい、「地球のドクター」というポストを確保することだ。一九九五年、日本が主唱し、出雲宣言で始まった宇宙衛星による「地球地図」が間もなく完成し、地球環境保護に貢献する。出雲市が創設した樹医制度が全国で一千人の樹木医に発展し、日本の森や樹木を守っている。次は世界の森林を守ってくれるだろう。京都議定書も今年の二月に発効し、日本は地球温暖化防止の先頭に立つことになった。

 このような実績を踏まえれば、日本が農業国、森林国でありながら高い工業技術を持つ国として、地球の森林と水と大気を守る、いわば地球のドクターとしての地位をかち取ることは決して難しいことではない。自然を大切にしてきた日本人の民族的感性に最もふさわしい役目ではないか。戦争の時には自衛隊の影は薄くても、平和な時にはいつも地球破壊との戦いの先頭にいる国として、誇りを持ち、各国の評価を得ること、そのような日本民族の高い志を憲法の前文にも墨痕淋漓(りんり)、書きこみたいものだ。

 (衆議院議員、元出雲市長)

「会社日本どこへいく」

2005516

 レールは曲がっていた。危機管理のルールは守られていない。ロール(責任)はあいまい。レールとルールとロールの三つがおかしくなった時に起きた尼崎脱線事故。日本経済が誇った強い会社の中にも、企業理念というレールがおかしくなったり、責任逃れをしたり、ルール違反の会社が次々と出てきている。

日本経済は「逆走」体制に


 戦争に敗れた日本には三つの進路があった。共産主義、社会主義、そして資本主義。日本が選んだのは資本主義だった。

 勉強すれば、働けば報われる、その報いは自由に使ってよい。人間だけでなく、おカネも働いて利子という給料がもらえる。人間もおカネも収入を得られるから早く豊かになれる。病気や定年になっても、おカネが代わりに働いて収入をもたらすから安心だ。それが日本人の国民性に最も合っていたからこそ、資源のない国が灰燼(じん)の中からわずか五十年たらずで経済大国入りをするという、世界の中の奇跡が実現した。まさに最良の選択だったと言わざるを得ない。

 その時から十年、日本の資本主義という仕組みはどうなったか。集めた税金の分捕りと配分に専念する社会主義のような政治になっているし、おカネに至っては、この不況時代に人間様に代わって収入を得るどころか五年間所得ゼロの状態。ゼロ金利政策で金が失業し、金が泣いている。「少子化」も問題だが、「少利子化」も問題だ。金についていえば、日本は世界一の大量失業国である。

 そのうえに一流銀行が国有化されたり、公的資金で救済されたりで、経済の方は社会主義どころか共産主義を目ざして走っている、「逆走」体制に入っているのではないかとさえ思えるほどだ。

 銀行や大企業が利子や税金も払わず、国民の多くが汗の結晶として払った税金を何兆、何千億円とわしづかみにして持って行く。それでも駄目なら、日長銀、日債銀のように国が株式を全部所有して国有銀行として面倒を見てくれる。

根を張る金融社会主義


 日本では、社会主義と資本主義のせめぎ合いに決着がついたとは到底言えない。本当の闘いはまだ始まったばかりだ。千四百兆円にのぼる個人金融資産がありながら、おカネはうまく流れない。そのひとつの原因は日本経済に金融社会主義が根を張り、市場の機能が作動しにくかったからだろう。

 過去十年は、金融社会主義が資本主義を常に圧倒してきた。預金者に利子を払わず、政府に税金も払えない民間銀行が存在しているということだけでもそれは明らかだ。その経済的な影響はあらゆる社会主義国の場合と全く同じである。ゼロ金利政策などの政府の大規模な介入により、企業の資金調達コストは市場の実勢コストを大きく下回る水準に抑えられてきた。このため、効率の悪い企業にも生き残りが可能という幻想を抱かせたが、実はその競争力を着実に低下させただけのことだった。金融社会主義は政府や怠惰な企業経営者にとっては時間かせぎの手段となるが、同時に、土地、労働、資本という三大生産要素の非効率な配分を長引かせてきただけである。

 今こそ日本の未来を見すえた経済社会のビジョンを政治が示さなければならない。しかし、現在国会で審議されている「会社法案」は、多くの欠点や、不完全な点を内蔵しながら審議が進められ、民主党などの意見も採用して修正が加えられようとしているが、それでも十分ではない。

 審議中の法務・財務等の合同委員会で私は二度質問に立った。日本の企業社会をどのような方向へ持ってゆき、世界の競争の中に伍していくのか、それによって国と社会はどういう恩恵を期待できて、そして投資家の権利はどのように民主的に平等に保護されるのか、百年に一回の大改革と称し、先進国の中で二十一世紀最初の大改正を断行するなら、それにふさわしい先見性に裏付けられたビジョンがなければならない。

不可欠な三つのR


 明治の資本主義とは違う二十一世紀型資本主義は、「企業資本主義」なのか、「株主平等資本主義」なのか、「会社資本主義」なのか、それとも社会のために役立つことを主眼とする「社会資本主義」なのか、あるいは「経営優先資本主義」なのか、「労働優先資本主義」なのか。どういう資本主義を目ざすのか、そのレールがはっきり見えない。

 次に見えないのはルールである。最近のライブドアによる企業買収や、逆にフジテレビによる企業防衛策には違法すれすれや、違法そのものと判断される行為が上場会社同士で行われ、一般株主が平等な利益に参加できなかったり、逆に株価下落で損失だけを被ったりしている。取引のルールを新しい時代に合わせて明確にして、信頼を回復しなければ、悪賢い者だけが得をする鉄火場のような印象がいつまでも残ってしまう。海外の取引所を使っての買収という近未来的なケースも視野に入れ、国際的な時間と取引場所に対応できるルールが欠落していたのでは経済の脱線騒ぎが必ず起きる。

 第三に、こういう企業社会を支える経営者、株主、行政、そして取引監視機関などのそれぞれの権利や役割、つまりロールが明確ではない。経営者は株主の代理人なのか、従業員代表なのか、行政はどこまで指導し、監督し、責任を負うのか、「日本的」SECと揶揄(やゆ)されている証券取引等監視委員会の権限は行政から独立できているのか、予告つき、隠ぺい期間つき、逃亡期間つき、手心つきの捜査はこれからも続くのか、裁判所は行政の判断を否定する判決を出せるのか、一般の個人投資家はどこまで平等に扱われるべきなのか。

 以上、レール(目標)、ロール(責任分担)、ルール(取引規則)の三つが欠けているのは致命的欠陥だと思われる。

 関連法令を含めるとその会社法案は条文で一千条。「千条」の滝のように分厚い八千ページ、会社法だけでも九百ページ、それを委員達が審議した時間はわずか三十時間。一時間当たり三十ページというスピードは国会史上の新記録だろう。これでは、日本の会社は「どこへ行く」どころか、歩きだす前に目がまわりそうだ。

 あの明るく元気な日本をもう一度取り返そうではないか。活力法案ともいうべきこの会社法審議に時間を惜しむようでは、まじめな経営者、投資家、社員たちにも失礼な話ではないか。

 (衆議院議員、元出雲市長)

「官命詐称」

2005523日の紙面より

 市役所の職員と詐わったり、警官と偽わって婦女に危害を加えたり、公社の職員と名乗って玄関を開けさせたり、このように官の肩書きを利用して人を騙すことを官名詐称という。わが国のように、お役所をお上と呼んだり、官尊民卑の伝統の強い国ほど官名詐称は効果がある。だからこそ、これを組織ぐるみでやろうとする悪賢い人たちも出てきて、公的機関でもないのに役所や政府の一部であるかのように思わせる社名を使って、同じ民間の競争相手より有利に商売を広げようとする。

 そういった犯罪を防ぎ、一般大衆に被害が及ばないように、日本では会社名が商業登記法で規制されている。例えば「天皇株式会社」とか「日本政府株式会社」はもちろんのこと、「道路公社株式会社」とか「厚生省介護株式会社」などを設立しても社名登記ができないから、結局その会社は設立も営業もできないことになる。その点を確認するために私は五月十三日の法務委員会で質問した。

商号違反の日本郵政株式会社


 議事録を紹介すると、

 法務省寺田民事局長

 「次に、商号についてお尋ねがございました。全く制約がないわけではございませんので、商業登記法の二十四条に『登記すべき事項につき無効又は取消しの原因があるとき。』という条文がございますので、これにひっかけまして、公序良俗に反するあるいは違法を連想させるというような商号についてはこれを規制しております。

 例えば、最近の例でございますと、公安調査機関というような商号が許されないというような例がございます。また、道路公社株式会社でありますとか、その他公的団体を連想させるということも許されないわけで、その中には、明示的に個別の法律によってそのような文字を法律で用いることができないということを定めた一連の法律がございます。住宅供給会社、首都高速道路公団などがそういう例でございます。実際にそういう申請がされたということはございませんが、これは法律上もこれが禁止されているということでございます。」

 岩國哲人委員

 「では、日本郵政株式会社というのはどうですか。政府の『政』という字が入っています。政府は日本郵政株式会社の設立を計画している。これは商業登記法によって禁じられていることを、政府みずからが違法行為をやろうとしていること。政府機関でもないのに、政府の保証もないのに、そこがやっている事業は、その子会社の貯金にしても保険にしても全部政府が保証している。そういう受け取り方をさせて不正な取引につながる、そのような名義詐称に類するような社名は禁じられているということを確認していただき、私は質問の目的を達することができました。」

 このように、日本郵政株式会社法案は、法案の名称そのものが認められないという、前代未聞のお粗末法案。同じ内閣の中で、法務省が認めない、設立の窓口で却下するという社名を前提にした法案がなんと同じ内閣の総務省から提出されるという閣内意見の不一致は、内閣が総辞職して責任をとるべき問題である。法を守らせる先頭に立つべき政府が自ら法律違反の法案を提出するという、あいた口がふさがらない、法治国家として有り得ないことがいよいよ現実化するドラマが明日から国会で始まる。

「愛国無罪」なみの暴論


 国営でしっかりと郵便事業を充実・安定させ、萬国郵便連合の優等生としてやってきたからこそ、日本という極東の島国が国際化に遅れることなく、産業の近代化に成功し、教育水準の一体化を実現できたのである。日本の国際化、近代化、一体化に貢献している郵便公営制を崩してはならない。

 私は四月のはじめに、郵政民営化の問題について意見を求められ、とりあえず十五の愚かさというか、問題点を指摘したが、その後、毎日のように政府の原案のどこかが変更されたり、与党内の反対に妥協・修正が次々となされるのを見ていて、問題点は減るどころか増えるばかりである。

 例えば、提案手続きも、国営から公営に切りかえた時に、民営化はしないという考えを表現した「公営化の見直しは行わない」という現行の法律をまず削除してから新法を提出して新しい会社をつくるべきなのに、その手続きを忘れたのだろうか。指摘されても「お国の大事、殿のおん為……」。手続きとしては間違いはないと強弁する。まるで中国の反日暴動の時に、国を愛する気持ちでやったのだから罪は許されるのだという「愛国無罪」なみの暴論ではないか。まず法手続きに不備がある。

 次に、この法案が実際に適用されるためには、まだまだ細かな規制を必要として二三四の政省令を準備しなければ評価のしようがない。ハンドルや座席やエアコンも取り付けないままでモーター・ショーに出品させてくれといってダダをこねているようなもので法に不備がある。

郵便事業、郵貯銀行は無理


 そして、事業に無理がある。鉄道の民営化は、今いろいろと問題を起こしているが曲がりなりにも収益が上昇したのは、お客さんを遠くまで運べばそれだけ多くの運賃がもらえるという距離比例の事業。郵便は全く違う。東京から九州まで運んでも隣の神奈川県まで運んでも均一料金。距離比例の鉄道には遠くへ運んでもそれに見合う収益、おアシが入るから民営事業でもやれる。均一料金の郵便は、遠くへ運んでもそれに見合う料金が入らず、アシが出る。おアシが入る事業とアシが出る事業の区別すらつかないで作られた将来の試算など、あてにできない。十年後には郵政「国有化」法案を作るか、公的資金という名の税金で埋め合わせ、国民負担が増加することになるだろう。

 郵貯銀行にしても、巨大な資金の運用にも不馴れで、背中をどんと押されて民間銀行でさえ貸付に苦労している分野に飛びこんでも、返り血を浴びて赤字か、無理な貸付で不良債権を民間銀行から肩代わりさせられるか、赤字かリスクか、どちらにころんでも日長銀や日債銀のように日郵銀を「国有化」する日がやってくる。事業そのものに無理があるのだ。

 そしてもう一つ。地方切り捨て批判をかわすために、収益を国に税金として払うことなく、地方の局を維持するための基金積立てに回すというが、国民からみればこれは国民の財布にまわるべきカネの横取りではないか。

 法手続きに、誤まりあり。

 提出法案に、不備あり。

 事業に、無理あり。

 利益に、横取りあり。

 官名詐称の、違反あり。

 問題多き法案には、出直しあり。

「増税は早く、景気は遅く」

2005530日の紙面より

 私たちは反対した。しかし、与党の多数で増税予算が国会で成立し、今年から税金が上がる。景気がよくなったから税金が増えるというなら分かるが、国民の暮らしが楽になったという声もないのに、なぜ税金だけが早ばやと先に上がるのか。

 最近の話題の尼崎事故、銀行の収益急回復、そして郵政民営化の三つには一つの共通点がある。いずれも顧客の安全、安心を犠牲にしているということである。

 まず、尼崎事故。民営化されたJR西日本が、関西の私鉄五社との競争の中で、「五カ条の方針」で、安全よりも「稼ぐ」をトップに掲げて、人べらしと安全装置べらしでコストを下げ、一方ではスピードを上げて競争私鉄会社の顧客の二〇%を奪い、顧客を奪うだけでなく顧客の生命まで奪ってしまった象徴的な「経営脱線」事故が尼崎事故の本質である。

帰らぬ一五四兆円の預金利子


 銀行収益の急回復が、小泉・竹中構造改革の成果であり、景気回復もついに実現と政府は胸を張るが、本当にそうだろうか。銀行の収益が増えたのは貸出金利を上げたからではなく、銀行にとって原材料である預金の仕入れコストを下げてゼロにした、つまりゼロ金利政策で預金者という顧客の利益を犠牲にして、ある意味では顧客の収入を奪いとって自分の収益に計上しているからではないか。

 世の中のどの商売にも仕入れコストというものがあるが、日本には現在、仕入れコストがタダという結構な商売は二つしかない。泥棒と銀行である。泥棒がおカネを置いていったという話は寡聞にして聞いたことがない。

 福井日本銀行総裁が予算委員会での私の質問に答えて公開して頂いたように、十年間に百五十四兆円という預金利子が拉致されたまま、未だに帰ってこない。百五十四兆円もの大金をお国のために捧げた国民が世界のどこにあるのか。

 銀行員が意地悪をした訳ではないし、銀行自身が過去の不始末として抱えた不良債権の縮小に努力したのは当然のことだが、銀行の努力を賞賛する金融庁長官の口からも、銀行の頭取からも、百五十四兆円をお国のためにと言われて暴動も起こさず差し出した預金者に対して、ひと言のお詫びもひと言のお礼もない。

 百七名の脱線事故死を出したJR西日本の社長はこの一カ月間に何度頭を下げているか。百五十四兆円の「政策脱線」事故を起した小泉首相や竹中大臣が一度でも頭を下げただろうか。靖国神社の一つか二つを建てる計画でもあるのか。

顧客の安全や安心軽視


 ピーク時の不良債権二十七兆円を七兆円程度に減らしたことが金融政策の成果と喧伝されているが、全く笑止千万。十年前には日本でも米国でも家計所得の一〇%を利子所得が占めていたが、米国では今でも一〇%。日本ではゼロ金利という少子化ならぬ「少利子化」政策によって一〇%から一%に急減。要するに家計所得の一割を銀行に「強制所得移転」させただけの話で、何も自慢できるような話ではなく、先進資本主義国家の政策としてはただただ恥ずかしい限りである。

 更に郵政民営化。これも米国では政府が国営堅持と結論を出したことを知っていながら、国の責任を放棄して民間企業に肩代わりさせようという心根が情ない。郵便規模世界最大のアメリカが、アメリカ全土を対象にする料金一率の事業は民営化に適さず、従って国営を継続すると決意を新たにしているときに、国土の形状複雑な日本の一体化に貢献し、これからも貢献しなければならない郵便事業を、改革という名のもとに民間に押し付けようというのは、「改革脱線」、政治的無責任の極まりではないか。

 「経営脱線」の尼崎事故も、「政策脱線」の銀行収益も、「改革脱線」の郵政民営化も根は全く一つ。顧客の安全や安心の軽視から来ている。たった一つの違いは、不幸な尼崎事故は過去のこと、銀行の利子簒奪(さんだつ)は進行中、郵政民営化はこれからが心配。

 そればかりではない。国民の暮らしの安心を更に追いつめようというのが増税である。景気判断について疑問ありと、五月十八日の衆院決算委員会で私は質問した。国民の暮らしの重要指標として私がとり上げたのは、生活保護予算である。

増え続ける生活保護予算


 生活保護とは、戦後の昭和二五年に、「すべての国民は、最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法第二五条に基づいて設けられた制度で、思いがけない病気やけが、高齢などで働けなくなったり、職を失ったり、働いていても収入が少なかったりして生活に困っているときに、一日でも早く元の生活に戻れるように手助けをするのが目的である。

 予算と決算の数字が毎年のように違い、最近ではそれが当然のようになっている。平成六年度からは毎年、年度末近くになると補正予算で増額を国会に要求してくるのは、それだけ景気や雇用の悪化が年度中に加速しているからだ。必要な増税はもちろん国会は認めるが、しかし問題が二つあることを指摘した。

 一つは、なぜ毎年、毎年、見通しが狂っているのかということだ。それも少々の金額ではない。一兆円強の当初予算に対し二千億円の見込み違い。「不況隠し」を政府が意図的にやっているとしか思えない悪質な見込み違いである。

 もう一つは、対象となる被保護世帯数も被保護人員数もこの十年間、一度たりとも減少せず、増加の一途をたどっており、被保護人数は平成十一年にはついに百万人を超え、世帯数も私の推計では今年中に百万世帯を超えるという深刻さ。

 昨年よりも多い、生活保護予算一兆九千億円を国会に提出しながら、「景気好転近し」という政府の判断はおかしいのではないか。

 税金を増やせるような環境になっているなら、生活保護世帯は減っていなければならない。現に今から二十年前、一九八四年から九三年(平成五年)まで十年間連続して対象人員は毎年減少し、その十年間には消費税導入も含めて増税も行われた。今はその逆現象の時にあえて増税するというのは、生活保護予算を提出する厚生労働大臣と、増税を提案する財務大臣の意見が一致していないということになる。

 総理大臣として、小泉さんはこの閣内意見の不一致を国民にどう説明できるのか。
(衆議院議員、元出雲市長)

「氷河の時代」

2005/06/06の紙面より

 人生の中で三つの氷河期を経験したことがある。経済の世界、役所の世界、政治の世界、その一つひとつの場所も、時期も違ったが、私には思い出の多い氷河時代だった。とても崩せそうにない強固な制約や環境がセットされている中で、次の時代を生みだすために挑戦する、それはヒマラヤを視野にとらえながら、氷河渓谷を登ってゆくような冒険にも似ていた。

 今、世界的におカネの流れが変わろうとしている。自由な競争で水路が変わることもあれば、政治家の愚かな発想が禍根を残した例もある。アメリカの金融を世界から孤立させたケネディの金利平衡税もその一つである。郵政民営化もまたその一つ。無理な思いつきを一カ月間の国会審議で強行することは後世に大きな氷河を残すことになるだろう。

「銀・証戦争」の始まり


 日興證券に入社した一九五九年、高度成長に沸く日本企業は大量の設備資金を必要とし、証券会社はそのための債券引受・販売に苦労していた。当時は、銀行対証券のいわゆる「銀・証戦争」がはじまったばかりの頃で、企業の世界で、世界的な資金調達の潮の流れは、銀行融資に頼るいわゆる間接金融の時代から、直接金融、つまり、企業が株式や債券を自ら発行して資金を調達する時代へと大きく変化しつつあり、その津波は日本列島にも押し寄せていた。

 意気込む証券界と防衛を急ぐ銀行。その主戦場は証取法第六十五条だった。米国にならって証券引受業務は証券業界に帰属し、銀行は参入できなかったからである。間接金融だけの銀行にとっては、これから大きく発展することが約束されている直接金融へのライセンスは、のどから手が出るほどに欲しい権利だった。

 当時の証券界が、手数料収入の多い株式営業にばかり注力し、債券をコツコツと地道に個人の投資家に販売する実績を必ずしも積んでいない点を、当然のことだが銀行は集中的に批判していた。

 独占的な権利にあぐらをかいて、労多くして益少ない債券個人消化に汗かかず、引受責任額の九割以上を銀行・保険会社の大口だけに販売して、引受手数料はそっくり頂く、これでは「眠り口銭」ではないかというピンポイント攻撃を受け、証券界の落城は時間の問題とさえ見られていた。

「深く静かに潜航」


 私は債券部に配属され、債券の引き受け、売買を通して、高度経済成長を支える産業界に必要な資金がどのようにして集まり、どこへ、どのようなコストで配分されるのかを見ていた。
 そういう環境の中で、入社一年生の私は、共済会から借りたお金で、各社の販売活動を調査した。日興證券を含む四大証券の銀座や新宿の支店で客を装って一万円ずつの債券を買い、説明の仕方、熱心さ、三カ月後に売却するときの買取値段が各社でどのように違うか、顧客へのサービス態度などを調べた。
 全部不合格。これでは伸びる筈がない。抜本的な改革が必要だ。

 同じ債券を買っても、銀行では窓口で簡単に「窓口組合」に加入できて、その組合員という資格で買った債券の利子が免税になるという便法が、銀行だけには「貯蓄組合法」の中で認められている。

 ところが同じ東京電力債を証券会社の窓口で買うと免税にならない。銀行と証券会社はそういう点でも不当な差別を受けていたのだろう。
 社内に設置されていた特別調査室という戦略本部の先輩たちによって、「実現不可能、利用価値なし」と結論づけられていた資料をパラパラとめくっていたら、「地域組合」というのが目に入った。渋谷なら渋谷で組合を作ったことにして日興證券渋谷支店の窓口でハンコを押せば、これは窓口組合になる。銀行に比べてお客さんがなんら不利に扱われることはない。もともと同じ債券を、買う場所で差別するような法律をそのままにしている政府が悪い。

 当時上映中だった洋画のタイトルを使い、「深く静かに潜航せよ」というカバーをつけたメモを、上司の許可も得ずに部長や常務にまで自分で配って歩いた。
 横尾課長からは注意されたが、叱(しか)られることはなかった。常務や部長の求めていた解決策だったからだ。
 全国各地に百の組合を作り、毎月一億円しか売れていなかったのが毎月三億円と一挙に三倍に増えた。
 その制度はマル優制度となって正式に認知され、証券会社を通じる個人の債券買い付けを便利で有利なものにして、証券界全体の個人向け債券販売額を三倍に増加させた。

 その仕事のための残業が続き、体調を悪くして、故郷の母のもとで三カ月療養しなければならなかった。わが人生、最初の挫折である。

ボンド・オープン大ヒット


 翌年、会社に復帰して、療養中に構想を練っていた、債券を投資信託に衣替えさせる、ボンド・オープンを提案した。今のマネー・ファンドの第一号である。担当の金子常務は、「債券は債券そのままで売るべきだ」という古風な考えで、債券が新しい形で多く売れればいい、証券投資に多くの人がなじむアクセスが必要だと考える新人類の私の提案には反対だった。私はタイプ室の女性係長に協力してもらい、社内規則では課長の許可を必要としていたきれいにタイプされたメモを直接に専務と社長に届けた。

 部下の監督不行き届きで、課長が常務から叱られた。私の構想を支持していた課長は私に何も言わなかったが、常務の不気嫌な顔の前に、私の「救国の大構想」は凍結の運命を迎えようとしていた。
 翌週、常務の新潟出張に随行を命ぜられた。初めて乗る一等車。汽車が水上トンネルを越えると、突然に常務の持病のぜん息の発作が起きた。隣にいた私は、薬のための水を取りに走り、常務の背中を一生懸命さすり続けた。発作は間もなく治まった。

 次の週、部会で常務はこう発言した。「私は気に入らないが、社長や専務は、面白い、やるべきだという意見だ」。債券だけを組み入れた投資信託「ボンド・オープン」は、利子の再投資が一口一円から可能という、世界の投資信託で最初の画期的な構想を組み入れて、完全複利の有利さが加わり、爆発的な人気を呼んで、販売額は十倍となった。つまり毎月の個人対象の販売額は二年間で三十倍となって、氷河の大きな氷塊が崩れ、銀行預金という水路に加えて、もう一つの債券投資への大きな水路が開通した。

 証券界の発展への鍵、そして銀行の攻撃から企業を守る武器、証取法第六十五条はその後も長く証券界のみの権利として残され、「銀・証戦争」はその後、銀・証の垣根なき欧州市場へと、舞台を移していった。

(衆議院議員、元出雲市長)

「数に驕り、酒に溺れ」

2005/06/20の紙面より

 夜の衆議院本会議。郵政民営化法案など、審議時間が不足のために、国会の会期を延長しようという大切な本会議だった。秋に臨時国会を開催して、自民党内にさえ修正要求が出ている多くの問題点を「もっとじっくり審議して」という世論調査の声もかえりみず、自民党は何がなんでも強引に今の国会を延長して成立させたいという方針を変えず、対決のままの採決の夜となった。

正すべき衿消え飲酒投票


 そこで珍事が起きた。酒を飲み、顔を赤くした数人の議員が本会議場に入り、議席に座ったのである。
 飲酒のまま議場に入ることは、国会の品位を傷つけるとして六十年前から禁止されている。当然のことだ。
 社民党の阿部知子議員に演壇上からそれを指摘されてもひるむことなく座り続ける五人の議員。河野衆院議長もそれをとがめようとしないし、自民党側も対応しない。そのまま記名採決投票のための議員の点呼を議長が指示した。

 騒然となる野党席をわき目に、「粛々と」なにごともないかの如く投票箱に向かう公明党と自民党の議員たち。野党議員は抗議の意思表示として自席に座ったまま。道路交通法で飲酒運転が禁止されているように、飲酒投票という恥ずかしい行為も国会で禁止されている。しかし、五人の飲酒議員はとがめられることもなく、会期延長に賛成の票を投じた。
 一人の飲酒議員は投票後、いつのまにか閉鎖されている筈の本会議場の議長席のうしろから脱出していた。これも議長の許可がなければできないことである。脱出させるならその議員の投じた賛成の白札も持たせて退場させるべきだった。飲酒票も同じ一票としてカウントに入れる議長の判断には大いに疑問が残る。
 その議員は、四月の「森の都」の補選で当選してからわずか二カ月。「酒(しゅ)に交われば赤くなる」お手本のようなケースだ。

 そのような状態が続いて二十分後、河野議長から再度「十分以内に投票を終えて下さい」と促されて民主党の多くの議員はようやく投票箱に向かったが、私は投票しなかった。六本木で飲酒し、議席を失った議員さえいる。飲酒票と同じ一票にカウントされることは私の自尊心が許さないだけでなく、選挙区の有権者が私に投じていただいた一票一票に失礼だと思ったからだ。

 ネクタイもしないで、とか、土足のままで、とかホリエモンを非難した人たちがそれから一カ月、自分たちもネクタイをはずしてほとんどの議員がホリエモン・スタイルに変身した。省エネは大切だが、立法府の頂点にはそれにふさわしい雰囲気と服装が必要ではないか。「衿を正す」という言葉があっても、正すべき衿が消えたのでは話にならない。ネクタイのゆるみが気のゆるみにつながり、多数与党にあぐらをかき、赤い顔をして本会議場に入っても多数党なら大目に見てもらえるという甘えにつながる。

 クールビズが、国会の中では「フールビズ」になってはいけない。国権の最高機関は六本木と違うのだという認識が今ひとつ欠けていることを知らされた一夜だった。

定数格差は人権差別


 日本の国会の中には「飲酒付きの一票」だけではなく、「差別付きの一票」もあれば、不正献金で汚れている「献金付きの一票」もある。

 まずは「差別付きの一票」。中学校や高等学校では、日本は民主主義の国だと教えている。私も先生からそのように教わってきた。しかし、それは全くの欺瞞(ぎまん)にすぎないことが分かったのは、長い外国生活を終えて日本に帰ってきた時だった。日本には、職業、信仰、学歴、年齢、国籍、家柄、資産、男女の性別など差別が多すぎる。まさに日本は自由の国、「差別の自由」までがふんだんにある。宗教や性別で人を差別するなどは、外国では犯罪とさえみなされる。

 犯罪どころか憲法違反として問題にしなければならないのが、政治的人権の差別である。同じ日本人でありながら、その人に与えられる一票の価値が、日本のどの地域に住所を持つかによって格差があるという事実。

 衆議院選挙の投票権で格差が二倍を超える選挙区が二十六もある。四捨五入して二倍となる一・五倍以上の選挙区は三百小選挙区のうちなんと百八十五に達している。例えば東京のサラリーマンは税金を「十割」納めて、政治的権利は「五割」しかもらえない。そして、半人前の扱いが一生涯続く。

 定数格差はまさに人権差別そのものだ。世界の先進国で白昼堂々とこのような人権差別を国家ぐるみで行っている国がどこにあるのか。

献金で議員を人身売買


 「飲酒付きの一票」、「差別付きの一票」に加えて、不正な献金で買収された「献金付きの一票」も問題である。

 分かりやすい例は日歯連が自民党に献金した一億円。一億円で政策を変えさせることができたとしたなら、それは政権を持つ自民党の、自分たちの利害のからむある特定の政策に、一億円という値段をつけて買い取ったということ。証券売買の取引所が兜町にあるように、永田町には政策売買の取引所がある。兜町ではだれがいくらで取り引きしたかが公開される。永田町では時間外取引も自由だし、特に夜間取引が活発で、迂回献金という手法を使ってだれがいくらで政策を取り引きしたかを秘密にする。兜町では銘柄ごとに一つずつ取り引きされるが、永田町では議員を派閥にまとめて、いわゆる「バスケット方式」と一般に呼ばれている仕法で行われることが多い。

 国民の一票一票をもとに選ばれ、誕生したはずの国会議員をまとめてカネで買い付けるやり方はまるで人身売買そっくりだ。永田町の人身売買禁止法案も早急に成立させ、政治の浄化を断行しなければ国民の信頼を回復することは難しい。

 政治不信や政党不信を解消するには、政治家に任せないこと。選挙制度や政党助成金のあり方など、国会議員自らの利害に関係する問題は、党利党略、個利個略がからむ。国民の目から見れば出来の悪い法案や制度ばかりで、国民の迷惑。これではまるで、暴力団に暴力団取り締まり法を作らせるようなものだという批判がいつも出てくる。

 第三者民間機関に委嘱し、国会はそれを「粛々と」議決する。環境保護には「ナショナル・トラスト」が、政治浄化には「政治トラスト」が必要だ。

(衆議院議員、元出雲市長)

「むすんで、ひらいて」

2005/06/27の紙面より

 フランスの貴族思想家トクヴィルの生誕二百年に当たり、日本でもこれを記念して国際シンポジウムが六月に開かれた。
 フランス国立社会科学高等研究院(EHESS)のアントワーヌ教授をはじめ、内外のトクヴィル研究者が一堂に会し、政治と宗教、権力と人権などについて高度な議論が交わされていた。

創造的誕生の米国民主主義


 一八三一年に渡米し、フランス革命とは異なるアメリカの若いデモクラシーに触れ、それを高く評価しながらも、トクヴィルはアメリカ政治の実態や政治家の資質を鋭く批判もしている。

 宗教が王権とゆ着していたがゆえに政治的権力と宗教の二つを相手に闘い、勝ち取らなければならなかったフランス型デモクラシーの誕生に比べて、アメリカの民主主義は破壊ではなくむしろ創造の中から生まれ、従って宗教に対する敵対的感情がなかったことが大きな特徴であり、ある意味では大らかな宗教との一体感さえあったことが、トクヴィルの目にはうらやましくさえ映ったことだろう。

 私が一九八八年から客員教授を引き受けているバージニア大学の創立者、第三代目の大統領トーマス・ジェファソンの墓碑には、自分は第三代目の大統領であったなどという、誰もが書きたいはずの言葉はどこにもなく、代わりに三つの言葉しか書かれていない。私は独立宣言の原稿を書いた、私は信仰の自由を保障する最初の法律を作った、そして私はふるさとのバージニアに大学を作った、と。

 「独立」と「信仰の自由」と「教育」、この三つを彼は政治家の誇りとして書き込み、そこに眠っている。アメリカのデモクラシーの起源においては、政治と宗教のゆ着もなければ排斥もなかったことが、この一例を見てもよく分かる。

ルソーの英議会制批判


 アメリカン・デモクラシーの紹介役をつとめたトクヴィルにさかのぼること約百年、同じフランスに「自由と平等」という言葉に象徴されるフランス啓蒙(けいもう)主義を代表する思想家、ルソーが生まれている。彼の功績として挙げられるのは、民主主義の本質である「自由と平等」に立脚する「統治者と被統治者の同一性」という表現が一七八九年のフランス人権宣言に実現したことである。また思想家としての半面、音楽家としても有名である。ジュネーブに生まれ、あじさいの花に囲まれた美しい湖で有名なフランス中部のアネシーのヴァランス夫人の庇(ひ)護を受けて音楽の才能に磨きをかけたルソーは、のちにパリ郊外のフォンテーヌブローの離宮で国王ルイ十五世とポンパドール夫人の前で、自作のオペラ「村の占い師」を上演し、以後彼の音楽家としての名声が確立され、翌年からはパリのオペラ座で長く上演されることになった。

 その中の一曲は遠く日本にも渡り、「むすんで、ひらいて」となって明治の小学唱歌集にもおさめられた。

 むすんで ひらいて
 手を打って むすんで
 またひらいて 手を打って
 その手を上に


 やさしい面の一方では、イギリスの新しい政治の仕組みとして注目されていた議会制に痛烈な批判もしていた。
 「イギリス人は自由だと思っているが、それは大きな間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけで、議員が選ばれるや否や、イギリス人は奴隷となり、その存在は無に帰してしまう」

郵政民営化で続く政治空白


 ルソーのこの言葉は、今の日本の議会にも十分に当てはまることかも知れない。「急ぐな、ゆっくり審議してからでもよい、この国会で強行採決する必要もない」と七二%もの多数の国民が思っている郵政民営化にこだわり過ぎて、年金も雇用も景気も少子化も拉致も外交も治安もほったらかし。政治に救いを求めながら絶望のうちに郵政国会の三カ月間に三千人の人が自らの命を絶つという政治の空白が続いている。

 郵政民営化特別委員会で毎日の審議を見ていても、政府のお粗末答弁が多すぎて、毎日の答弁のどこかが前日とずれていて、三日間に政府が四つのお詫び。これで最後のお詫びかと思うとまた竹中大臣が、そして細田官房長官のお詫び発言で一日の審議が始まる。答弁内容はもちろん大切だが、このごろは、どこに間違い答弁や虚偽答弁が含まれているかと毎日飽きることがない。

 党内に反対する議員が多いのに国会へ持ち出したそのゴタゴタが今も絶えず、一体「的」経営、連続「的」保有、ユニバーサル「的」サービス、などと、党内の「敵」べらしのために説明用語に「的」が次々と増えてくる。

 表現をあいまいに、どちら側にも読みとれるようにと、的を増やして敵を減らす作戦だろうが、修正や妥協で昨年の閣議決定の内容が次々と骨抜きとなり、綿貫前議長を代表とする議員団提出の案とどちらが支持者が多いのか、ワタヌキかホネヌキかの票読みに忙しくて、結局は審議ヌキという懸念さえある。

近代化に貢献の赤いポスト


 私は夏の野菜が好きで、小さいころから自分で作っていたナス、キュウリ、トウモロコシ、ピーマン、なかでもトマトは酢や卵とともに欠かしたことがない。激務の連続の日程をこなせるのも、トマトと母と妻のお蔭だと思っている。

 赤いトマトは私の元気の素(もと)、赤いポストは日本の安心の素。形状複雑で山あり谷ありの日本で、鉄道の走らない町や駅のない村にさえもある赤いポストが、どれだけ日本社会の近代化に貢献してきたか、日本の一体感に役立ってきたか、地方の暮らしの便利さと安心に役立っているか、もう一度考え直すべきではないか。郵便は赤字を出したり、税金を使っているわけではない。ポストの赤は赤字の赤と思い続けている人がいるのではないだろうか。

 それにしても連続「的」保有といういい加減な答弁は無責任の象徴だ。郵便、貯金、保険と三業一体で結ばれているからこそ採算がとれる。それを切り離して、それに反対する人たちがいると、手打ちをして、また結んで、その後の売却や処分は経営者のその時の判断で自由にといういい加減さ。いったんは完全売却したということで小泉首相の言い分を通したように見せて、すぐに買い戻すから保有し続けたようにも見せる、「的」の一字のすごさ、無責任さ。

 むすんで(今は三事業結合)ひらいて
 (会社にして株式を民間に)
 手を打って(党内で手打ちをして)
 むすんで(もう一度株式を買い直して)
 またひらいて(それをまた市場に売る)
 手を打って(失敗にあっと気付いて)
 その手を上に(遅すぎてお手上げ)

(衆議院議員、元出雲市長)

 「民営リフォーム詐欺」

2005/07/04の紙面より

 日本の郵便制度と郵便貯金を根幹から揺るがす大事件を前に、郵政民営化特別委員会は地方の関係者と利用者の声を聴くために、地方公聴会を開催した。選ばれた三市は北の札幌市、南の唐津市、そして昨年の大震災の中心地に近い上越市であった。上越市は典型的な地方都市であり、災害時の郵便局の役割を知るという意味もあって選ばれたのだが、この市が日本の郵便・郵貯の歴史に特別な関係があることを知る人は少ないだろう。

前島密の怒りと嘆き


 わが国の郵便制度の生みの親と称される前島密(ひそか)は一八三五年に今の上越市に生まれた。一八七〇年に近代郵便の制度を立案し、イギリスに出張し、翌年、わが国の飛脚に代わり、国営郵便網を全国に広げた。

 イギリスでは郵便貯金が国民の生活や国家の発展に大きな役割を果たしているのを見て、わが国にも創設したのが一八七五年、今からちょうど百三十年前のことである。郵便貯金を実施した国としてはイギリス、オランダに次いで日本は世界で三番目の国となった。一八七八年には万国郵便連合にも加盟し、以後、日本の郵便制度は世界の郵便国の中の最優等国として発展をとげてきている。ポストの赤い色も、ロイヤル・メールと呼ばれているイギリスのポストの赤にならって決められたというが、バッキンガム宮殿の衛兵のコートの赤と同じように英国王室が支えとなっているという国民のイメージが郵便制度発展の基盤となってきたことを、明治維新直後の新政府の幹部として前島侯も参考にされたのだろう。

 私たち委員が上越市に到着するころ、豪雨・洪水警報が発され、四人の地元陳述人のうち、一人の方は鉄道が運転中止、道路も通行止めとなって会場に到着できない。前島侯が心血を注ぎ、完成させた国民がすべてのサービスの中で最も信頼し、安心している世界に冠たる国営郵便と貯金の制度を壊して民間企業に任せようという政府の考えに、前島侯は姿なき陳述人としてどういう思いだったろうか。

 会場の外は篠つくような豪雨。前島侯の怒りの大きさ、嘆きの大きさを十分に知らされた。

審議空洞化、法案ホネヌキ


 前島侯の涙雨に送られて国会へ帰ってきたが、法案審議の強引な進め方には怒りと嘆きに加えてあきれさえ感ずる。

 衆議院第一委員室で与野党委員が熱心に質問をしている時に、別の部屋では「修正」という名の自民党内の調整、いわゆるホネヌキ作業が進んでいた。委員をないがしろにしているだけでなく、各地の地方公聴会を準備した人、意見を述べた人たちに対する侮辱でもある。意見の対象になっている法案の重要なポイントが変更されてくるのなら、修正後の案をもとにして、審議をはじめからやり直すべきではないか。

 提案してきた政府与党の中からでさえも正式な綿貫対案までが議長のもとに提出されるという騒ぎもあった。国会の正式な場での審議ヌキで、三時間か五時間でこの重要法案の審議を済ませて明日にも採決し、あとは参議院の百時間審議にお任せというのでは参議院不要論どころか衆議院不要論が出てくるのではないか。

 そもそも官より民が信用できるという考えそのものがおかしい。たしかにお役所仕事にも問題は多い。しかし、官か民かを選ぶときに効率だけで選ぶのはまちがっている。効率を先行しすぎて大きな脱線事故を起こした民営化もある。

 公の仕事を民間会社に任せれば談合摘発はできなくなる。公の仕事の範ちゅうに入っているからこそ競争入札が義務づけられているが、民間会社になればその義務はなくなり、自由な価格で相手の請負会社を選べる、いわゆる随意契約を随意にやれることになり、談合調査の対象からはずれてゆくからである。民営化にはこういう危険な国費のムダにつながる恐れや、政や官の口利きが増える恐れもあることを知っておくべきだろう。

 自民党は結局ワタヌキ案でなくホネヌキ案で手を打ち、明日にも採決しようという考えだが、本当にこれで百年もつのだろうか。百年もつはずだった年金が一年ももたずに野党との協議が進行中。この郵政百年も三年後の見直しで「再国営化法案」提出となる可能性さえある。

ムリヤリ見積もり工事強要


 ホネヌキの象徴が分社化と株式保有。持ち株会社が子会社の株式を完全に売却したと見せかけて、裏口で買い戻してもよいというタテの連続「的」保有。リスクを遮断するために分社が必要といっていたはずが、子会社間の持ち合いも認めるというこれまた裏口でつなぐ横断的保有。連続的と横断的で各社をタテ、ヨコ十文字に結ぶ十文字固め。今の公社の一体経営に限りなく近くなってきてほとんど差がない。表の玄関と看板だけを三つに分けて、裏口の廊下でしっかりとつなぐ、奇妙なリフォーム屋の仕事そっくりではないか。

 そのうち白アリにやられますから、一つ屋根の下にいては危ない、まず別棟に改造しましょう、ついでに屋根裏も床下もきれいにしてなどとあれこれと甘口のセールスがやってくる。今は何の問題もありません、隣近所に迷惑もかけていないし、苦情もありませんというのをムリヤリ見積もりを作り、工事を始めようという、最近話題のリフォーム業者とやることがまったく似ている。

 別棟にすれば安心と言っておきながら、裏を廊下でつなげば白アリも移動自由ということではないか。ほんのちょっと考えればすぐに分かるようなおかしさを堂々と押し通す雄弁ならぬ「郵弁」が国会でまかり通っている。

 「頭隠して尻隠さず」という言葉があるが、これではまるで「頭隠さず尻隠す」ようなものだ。

 三年前の公社化の法案説明で「民営化しない」という大臣答弁を引き出しながら結局政府にだまされた自民党。またもう一度リフォーム詐欺の痛い目にあうのだろうか。

 リフォームを承諾しなければ痛い目にあわせるといって逮捕されたリフォーム詐欺。民営化に賛成しなければ解散だ、総選挙だ、次の選挙で公認しない、離党せよと、暴言を弄し、一人ひとりの議員に圧力をかける手口までがリフォーム詐欺にそっくりだ。

 ホネヌキ、ワタヌキ、そして結局はみんながカチ組となる、平成カチカチ山のタヌキだったというお話だろうか。

「友誼長存」

2005718

 島根県出雲市が念願だった近隣の市町と合併して、古代の「出雲の國」を再現し、新しい出雲市が発足した。その記念式典は、アメリカ、中国、フランス、フィンランドなどの友好都市からも参加があり、華やかな雰囲気で行われた。

 アジアの国との交流の窓口だった出雲にとって、漢中市代表団の来訪はとりわけ嬉しく、漢中市との交流は、私が市長に就任してまもなくのことだっただけに、私には特別の思い入れがあった。

 訪問団の人たちは、出雲市での三日間の滞在を終え、日本各地の視察に出かけ、最終日には日本の国会の委員会審議も傍聴し、衆議院の議員食堂で私との昼食会がそのままお別れの会となり、漢中へと帰国の途についた。

史跡の宝庫・漢中市と縁組


 平成二年(一九九〇年)に中国の各地を訪問した時、当然のことながら西安市も訪れ、陝西省の国際部長の雷廷氏と会い、ごく一般的にだったが、古い歴史を持つ出雲市にとってふさわしい姉妹都市はどこだろうかと相談をした。その場で雷廷さんは答えなかったが、その日の午後、私の宿泊先のホテルに「もう一度お会いしたい」というメッセージが置かれていた。出かけてみると雷廷さんと補佐役の職員が私を待っていて、漢中市という市があるが、どうだろうかという提案だった。歴史都市として有名な漢中は、外国人の立ち入りが禁止されていたが、その禁止も最近解除されたばかりだった。いわば箱入り娘ということだろうか。

 私はその提案を出雲市に持ち帰り、議長と歴代の市長さん四人のご意見も伺い、友好都市協定を結ぶことを前提に、まず山代和久議長が職員を同行させて漢中市へ出かけることになった。そういう過程を経て極めて順調に縁組が整い、調印式は翌年の九一年の七月一日に、私が出かけて漢中市で行われることになった。

 漢中市はかつての唐の都、長安(いまの西安)の西南約二百キロ、漢中地区一帯は西から東に流れる漢水(いまの漢江)の流域に展開している。漢、三国時代の史跡の宝庫であり、歴史は約二千三百年ほどさかのぼり、秦の恵文王十三年(BC三一二年)のとき、漢中郡が置かれたのが、その始まりである。以来、守るに易く、攻めるに難い漢中は、歴代、覇王の拠るところとなり、「漢中を制するものは天下を制す」とまで言われた要衝の地であった。

 BC二〇六年劉邦がこの漢中を本拠地として、岩壁を切り開いて道を作り項羽と戦い、天下を取ったことはよく知られている。劉邦の諜臣張良の廟、紙の発明者蔡倫や、シルクロードの開拓者張騫の墓、あるいは三国の蜀の国の軍師諸葛孔明の墓があり、詩人李白や杜甫も足跡を残した、中国古代の歴史に興味を持つ人には限りないロマンを与えてくれるところである。

小学生の「熱烈歓迎」


 期待に胸ふくらませて漢中空港に降りると、そこには私たちを驚かせるような光景があった。小学生約百人の鼓笛隊と何枚もの赤い横断幕が張りめぐらされている。まさに「熱烈歓迎」一色の空港だった。小学生の奏でる音楽が漢中平野の広い空にひびき渡ってゆく。とりわけ私たちを喜ばせたのは、「有朋、自遠方来、不亦楽乎(友あり、遠方より来る、また楽しからずや)」の横断幕だった。

 遠方から調印のために訪れた私たちをいきなり「遠来の友」あつかいで迎えてくれた市長さんの心づかいと、市民の歓迎ぶりに感激し、長旅の疲れも吹っ飛んでしまった。

 地区全体の人口は三百六十万、漢中市だけでは四十二万人。気候は亜熱帯で、四季がはっきりし、冬は寒くなく、夏も特に暑くない。

 六〜九月は水稲、十月には麦をまき、翌年の五月には麦が収穫できる。水も豊かで土地も肥えているため、野菜、トウモロコシが大量に生産され、天麻、朝鮮人参、杜仲など漢方薬材、ワラビ、椎茸、キノコ、コンニャク、茶などの特産物のほかに、胃病や肝臓病、そして白髪にも効果があるという黒米の産地である。

 秦嶺山脈の奥には貴重なトキ、パンダが生息し、金糸猴も保護されている。
 漢中料理は初めてだったが、日本人にも向く味つけでおいしかった。外国では知る人は少ないが、長い歴史のある都市だけに漢中料理の水準は高く、主要な在外中国大使館の料理人として毎年一名は漢中市から派遣することになっている。

 漢中地区百二十万人の女性のトップに立つ李秀華夫人の好意で女性同士のお茶会が開かれたり、幼稚園で熱烈歓迎されたりと、交流の輪がさらに広がった。

 要所要所に待機していて私たちを案内する女生徒がいずれも可愛いし、昼食をとった「漢中賓館」で、整列して迎えてくれた二十人の店員全員が美人だった。そのことを話題にすると、昔から「漢中美人」といわれ、漢水の水を飲んで色白で、北京で外国の要人を接遇する人民大会堂には多数の漢中出身者がいるという。

毎年キンモクセイ植樹


 予定通り七月一日に調印式を終えて晩餐会、翌日のお昼にはお別れの昼食会に招かれた。その席でお互いの挨拶も少し長かったが、会全体が盛り上がり、終了予定時間を一時間近くオーバーして私たちは空港へ向かった。空港に近づいて驚いた。百人近い小学生たちが楽器を鳴らして私たちを待っていてくれた。主催する市長さんか誰かが、子供たちがそういう見送りの準備をしてくれているということを耳打ちでもしてくれていたら、子供たちを待たせたりすることはなかったのにと、申し訳なく思った。詫びたい気持ちがいっぱいで、私は可愛い小学生の列の中に入り、「謝々」(シェシェ)、「再見」(ツァイチェン)と、私の話せるたった二つの中国語を使って、一人ひとりの頭を撫でながら、お別れをした。

 「出雲市長が泣きながら別れの言葉を子供たちに述べた」と、その夜の漢中地区のローカルテレビが報道したことを西安市へ帰ってから聞かされたが、私は泣いてはいなかった。しかし、涙は流していた。飛行機の窓に向かって、まだ手を振っている子供たちの姿を、私は自分の涙のためにはっきりと見ることができなかったのだから。

 それからも毎年、市民の交流は今でも続き、出雲市高浜小学校の子供たちが卒業式には漢中市の木、キンモクセイを一本植える。そのキンモクセイの木は百年たてば百本の木、千年たてば千本の木となり、秋にはすばらしい中国の古都漢中の香りを出雲市内に漂わせてくれることだろう。そのキンモクセイの香りの中に、日本と中国の長い歴史が一つになって流れる、出雲の子供たちと私の夢である。

(元出雲市長、衆議院議員)

「民営化の笑点」

2005/07/25の紙面より

 注目された郵政民営化法案は、衆議院では賛成票が五票多く、僅かな差で否決を免れたが、その採決の前には、自民党内でカネが動き、ポストが動き、昼は永田町、夜は赤坂で、毎日毎晩の談合が繰り返されていたことは新聞が報道する通りである。

ポスト使い郵政法案「談合」


 赤いポストを民間企業の経営や採算に任せるのか、それともアメリカのように国営でしっかりと守っていく方がいいのかと、ポストをめぐって国会の委員会で審議をしている最中に別の部屋では、賛成票をおカネで買うかポストで買うか、ポストを使ってポストの法案を通そうとする談合が行われているというお笑い。

 審議と談合が同時並行で進み、新聞記者は民営化をめぐるまじめな審議の部屋にはほとんどこないが、夜の談合の記事により多くのスペースをとっているから、国民の大多数は依然としてどちらがいいかよく分からない。

 時間をかけたから賛成が多くなっていると小泉総理は言うが、七月五日の採決の時点で新聞社の世論調査では民営化に賛成の人が減り、反対する人が増えて同率の四二%ずつとなっている。

 私は車を時々運転して中央高速道を走るが、途中に談合坂という場所がある。奇妙な名前が気にかかり、文献を調べてみた。享禄年間、戦国時代の頃に小山田氏と相模北条氏との合戦があり、両軍が談合したことにより、「談合坂」と名付けられたという。

 「談合」とは「広辞苑」では、話し合うこと、談じ合うこと、相談、とあり、もともとは悪い意味の言葉ではなく、戦国時代に戦闘行為によるお互いの犠牲をいかに少なくするかを話し合ったのだとすれば、むしろ誉めるべきことだったと言わざるを得ない。今の時代の言葉で表現すれば「ピース・トーク」ということになろうか。

 ところが近年に使われる「談合」は、「ピース・トーク」ではなく「プロフィット・トーク」。競売や請負入札に際し、数人が申し合わせ、一人に落札させてその利益を分配することに使われ、公共工事の談合はそのまま国民の税金を特定企業や特定個人の利益にする、いわば国民のカネを盗み取る犯罪行為である。

池に飛び込むクジラ・郵貯銀


 郵政民営化法案の最大の目的は官に流れているおカネを民間企業に流れるようにすることだというが、本当にそうだろうか。

 郵便局に行くとそのカネが官の組織に流れてしまうというが、それは郵便局で働いている人たちの責任ではなく、入口よりも出口の責任ではないか。

 今の制度でも郵便貯金は民間の方に流れる道がすでにできているのに、なぜ民間に流れないで国債の方にばかり流れているのか。そちらの出口の改革をしないで郵便局のせいにするのは、全くの思い違いではないか。出口を入口ととりちがえるお笑い。

 全国地方銀行協会の瀬谷俊雄会長は、民営化は郵貯銀行の肥大化、そして民業圧迫につながる恐れがあり、民業圧迫を避けるために最低限必要な条件は「貸出業務への参入禁止だ」「貸出市場はすでに飽和状態で貸出は伸びない。池の中にクジラが飛び込めば、周りの魚は干上がってしまう」と明言している。

 官から民へと言いながら民間銀行の経営を圧迫したり、それらの銀行からの税収が減るというのに、郵貯銀行からの税収見込みだけを説明するのもお笑いではないか。

 そしてまた、中央から地方へ、地方を大切にと言いながら、地方を大切にしてきた地方の銀行をつぶすのも、これまたお笑いではないか。

 カネには二とおりのカネがある。少しはリスクがあっても高い利子がほしい強気のカネと、利子が少し低くても安全がほしいという慎重なカネ。郵便局に向かうのは圧倒的に後者の小口庶民のカネだ。それは駐車場を見るだけで分かる。ベンツが郵便局の駐車場に止まっているのを見たことがない。第一、郵便局に行く人は自動車ではなく自転車か自分の足を使っている人がほとんどである。

 そういう人たちから国の保証があるから安心だという貯金を取り上げて、明日からどの銀行が安心か自分で判断させようというのは、親切に見えるが実は意地悪というものではないか。親切と意地悪では大違い。

議員連盟に多大なメリット


 日本に民営化を迫っているアメリカの「助言」も、親切かどうか。自分の国が郵便を民営化して成功した、利用者の不便も苦情もない、だから日本も民営化したらどうですかというのは親切というもの。しかし、自分の国は民営化法案を二度廃案にし、最終的に二年前の七月に、「民間企業に全国一律の郵便サービスは不可能で混乱が起きる。アメリカは民営化せず国営を堅持する」とはっきり結論を出し、公表しているのだ。

 自分の国はやらない、やれないと決めたことを日本に勧めるのは、これもまた親切ではなく、意地悪というものだ。

 アメリカがいつも間違っているわけではないが、判断を間違えていることもしばしばある。アメリカから御指導いただいた内需拡大、バブル政策が日本人の暮らしにどういう結果を残したか。「御指導」と「誤指導」、「親切」と「意地悪」の区別さえつかないお笑い。

 小泉さんと竹中さんでは心配のタネが増えるばかりという声が多くなってきたのは世論調査の示す通りである。問題は先送り、工事は前倒しの道路公団改革、百年どころか一年ももたずに再協議の年金改革、誰のためか分からない郵政改革。「改革」という言葉が小泉さんの手ですっかり輝きを失ってしまっている。

 しかし民営化には実に多くのメリットがある。国民の方にではなく議員の方にである。民営化を監視する議員連盟などという構想もすばらしい。どこかの手口に似ているが、郵便局や地方を不安がらせておいて、一方では頼まれもしないのに郵便局や地方のボディーガードを買って出て、地方のため、郵便局のためと、二兆円の基金の配分に組織ぐるみで口利きをし、郵政民営化後の四つの企業が関係する事業のあれやこれやの利権に近づくパスポートを手に入れ、選挙となれば票もしっかりと頂く。議員連盟という組織ぐるみでやれば検察の捜索も入らず、口利きの合法化にもなる、まさに一石三鳥。

 利権と票の花園を一度にパッと開かせる民営の夢。利権の種類も数が多ければ多いほど、多々益々弁ず、郵便を守る「郵便会」どころか「郵弁会」の発足が近づいている。

 国会で生活重要法案を置きざりにしてまで大騒ぎした本当の目的はこれだったのかと、ようやくにして、最終幕で分かるという、とんだ大笑い。

(衆議院議員、元出雲市長)

「政府紙幣発行を」

2005/08/01の紙面より

 必要なお金を調達するために、世界の政府や大企業が債券や株式を発行する。そういう世界で三十年、米国で、欧州で、日本で、私は証券の発行と引受の仕事に携わってきた。

 政府が足りない財源を手当てしようとする時には四つの方法がある。

 まず第一に税金を増やす。第二に国債を発行する。第三に政府通貨を発行する。第四の方法としては国有財産の処分である。この第四の方法は、政府の土地、建物、道路とか郵便などの政府所有の事業を民間に売却することだが、金額も限られているし、何度も繰り返すわけにはいかないから、結局方法としては増税、国債、政府通貨の三つしかない。

 好景気であれば国民に痛みを与えない増税も可能だが、バブル崩壊後のわが国の十五年間は、とても増税を許すような環境ではなかった。にもかかわらず、九七年に目先の財政再建にとらわれすぎて強行した橋本内閣の増税が、家計を傷め、個人消費を停滞させ、不良債権を増大させた。そして倒産の増加と銀行破たんヘの対応に追われ、さらなる税支出を要することになり、悪循環を引き起こしたことは記憶にも新しいことである。

国債大量発行で借金地獄


 増税が失敗だったと気付いた自民党政府は、もう一つの方法、国債発行へと急傾斜する。その結果、国債発行は橋本、小渕、森、小泉内閣のもとでわずか八年の間に三百兆円も増加し、国内総生産の規模五百兆円を大きく飛び抜けて七百兆円。言うまでもなくわが国の歴史始まって以来の巨額な借金となり、GDP比率で他の先進国と比較しても堂々たる世界一の借金大国となってしまった。

 昨年の数字で見れば、一年間の税収四十五兆円に対して利払費が十八兆円。政府の将来見通しでも十年後は税収五十兆、利払二十兆と、税収の四割を、借金返済に回すどころか、利払いだけに回さなければならないという自転車操業。福祉の充実など夢のまた夢。

 サラリーマン家庭に例えてみるなら、月給五十万円を手にするや、脱兎のごとくサラ金へ走り、二十万円の利子を支払い、その場で家計の不足分二十万円を新たに借りて借金の残高がまた二十万円増えて来年の利子もそれに応じて増え、借金の山が雪だるま式に増えて、いずれは利払費が五十万円になる。借金をまじめに返そうと思えば、飲まず食わず電気も使わず、家賃を払うどころではない。毎月の給料の全額を利払いだけにひたすら充当し、借金残高は一銭たりと減らず、親から子へ、子から孫へと、「借金(かりがね)一家」の悲惨なホームレス、青テント暮らしが永久に続く。

 それでもまだ甘すぎるかも知れない。今は超低金利のゼロ金利政策が実施されているからこそ国債の年間利払額が十八兆円とか二十兆円で済んでいるが、これが通常の金利に復帰すると、利払費は増え、借金残高が増え、借金地獄への転落スピードが加速する。

 働いても働いてもラクになれない。(税金を)払っても払っても安心できない。平和国家も福祉国家も文明国家も遠くへ遠くへと消えてゆくばかりではないか。政治の英智と勇断が今こそ必要だ。

デフレ経済下で唯一の方法


 この恐ろしいシナリオから一日も早く脱出して、明るく元気な日本を取り返す第一歩を踏み出す方法は一つしかない。政府紙幣の発行である。

 増税は新たな増税を産み、国債発行は新たな国債発行をもたらす。増税も不要、国債増加も不要の政府紙幣発行こそがデフレ経済のもとでは可能な唯一の方法であり、救国の発想である。

 国境を越える通貨「ユーロ」が誕生して「多国一通貨」が実現し、一方では小地域内でのみ通用する地域通貨「一国多通貨」も実現した。いわゆる「一国一通貨制」を絶対普遍の法則と思い込む必要はないし、中央銀行だけが紙幣発行を独占できるというのは錯覚でしかない。

 加えて二十一世紀のグローバル現象である。人間に国籍はあってもカネには国籍のない時代がやってきた。日本の資産家の運用対象も、政府が勧めようと勧めまいと、円証券だけでなく、ドル、ポンド、ユーロの証券にも向かい、「資産の多通貨時代」が始まっている。

 わが国の通貨の歴史を紐(ひも)といても、むしろ複数の通貨が発行され、流通していた時代がほとんどであった。

 江戸時代、鎖国体制のもとに国内産業の振興と物資の流通が進展した時代に、貨幣の役割も当然のことながら飛躍的に高まり、その中心となったのが「銀貨」と、徳川政権で発行された「金貨」であった。金貨は東日本で、銀貨は西日本で流通し、しかもその交換レートは変動しながらも十分に信用され、日本の通貨としての機能を果たしてきた。

政府通貨発行で財源確保


 政府の立場に戻して考えるなら、国債という「借金」ではなく政府自身の通貨を発行すること。攻める財政をさらに一歩進めるなら、現存する国債を政府紙幣で買入消却して年間二十兆円の利払負担を削減すること。仮に十兆円減らせばその十兆円を年金財源に充当するか、少子化対策に使うか、道路公団の借金を返済して、四十五年後ではなく、四年後に高速道路無料化を実現して経済の活性化と税収増加に結びつけることもできる。

 このように、政府通貨発行で十分な財源を確保すれば景気の回復は間違いない。景気回復が税収増をもたらせば、増税内閣どころか、国民待望の減税内閣が実現する。

 政府だからこそできる、政府だからこそやらねばならないことをやらない、そういう無為無策、無能無気力の政府には三文の価値もない。

 おカネを合法的に印刷できるのは日本銀行と政府である。政府通貨は今でも五百円、百円などの硬貨発行の形で行われている。政府通貨は、見方を変えれば、「無利子の、返済期限のない、買い物にも使える、国債」とも言えるだろう。

 新しい通貨の発行は景気の過熱やインフレを招くのではないかと懸念する人があるかも知れないが、政府通貨も国債もその発行限度は国会などで厳しく審議されなければならない点で共通しており、国債発行なら安心、政府紙幣発行ならインフレという議論には全く根拠がない。

 金利ゼロで銀行などに大量の資金を供給する超金融緩和策を何年も続けている異常な金融政策の最大の理由は国債の受け皿を作ることである。日銀が全額買い受けることは禁止されているために、民間の金融機関にコスト・ゼロでカネを提供して国債で収益を挙げさせる、これは偽装された日銀引き受けであり、日銀財務諸表の粉飾決算であり、カネボウの粉飾問題と何ら異なることがない。

 国家ぐるみの偽装や粉飾から一日も早く脱却し、誇り高き経済国家への道を進むべきではないか。
(衆議院議員、元出雲市長)

「明日の日本のために」

2005/09/19の紙面より

 真夏の総選挙が終わった。
 議席数が大きく移動し、この二十一日に招集される国会の風景はがらりと一変していることだろう。
 しかし、この議席大変化の中から、未来へ向けた、わくわくどきどきするような感動がこみあげてくるだろうか。

刺客ドラマに酔う


 「郵政民営化こそ改革の本丸、すべての改革の入口」(それならなぜもっと早くやらなかったのか)、「この改革ができなければすべての改革はできるはずがない」(それならなぜアメリカは民営化しないのか)。
 繰り返し使われたこのキャンペーンの中には、嘘と誇張とすり換えがあることを、野党はしっかりと衝くべきだった。
 この、ずるさに負けた民主党の戦略ミスは最後まで影響し、有効なキャッチフレーズや政策の、分かりやすい打ち出しがなかったのは残念だ。
 情けないことに、社会の木鐸であるべき新聞やテレビなどのメディアまでが、大事な争点を隠すかのように、郵政民営化に一点集中し、刺客を送る集団いじめドラマの共作共犯者となって、普段は政治や選挙に無関心なテレビ愛好・棄権常習族に的を合わせ、投票率アップに貢献したのも今回の総選挙の特徴だ。
 いわゆる「無党派」と呼ばれる人たちは、普段からよく勉強して自分の意見を持っているからこそ特定政党に固執せず、自分の意志と知識で選択する人たちであり、今回の投票率アップをもたらした気まぐれ・無責任族とは異質な存在である。この辺が民主主義というシステムの悲しいところである。
 私の選挙は一一七人のボランティアの人たちに支えられたが、この人たちが総選挙の結果を見た時の一斉の嘆き声のように、よく考えた一票も一票だし、衝動的な一票も一票とカウントせざるを得ないことだ。民主主義を改良するなら、投票は国民の権利であると同時に義務であると認識して、投票義務をほぼ履行している人には二票、そうでない人には一票といったような制度の導入も試みた方がいいのかも知れない。

民営化ええじゃないか


 この度の総選挙ではじめて、あるいは久しぶりに投票所へ向かった人たちは、無党派とか浮動票というパターンとは違った層の人たちだった。何が日本の問題なのかを普段から深くは考えず、テレビで面白くおかしくとりあげられる民営化と刺客騒ぎに、面白そうだから自分も参加してみよう、民営化に賛成さえすれば日本の未来が明るくなる、民営化ええじゃないか、ええじゃないか民営化
 こういう常習棄権族、あるいは野次馬族だけではなく、候補者の中にも七月までは「反対、反対、大反対」と言っていた人が、八月八日解散の夜から、コロリと宗旨替えをして、「賛成、賛成、大賛成」と民営化信者に転向し、それがこの野次馬族の票を集めて当選してしまったという例もある。
 しかし、野党の敗北と与党の勝利を、衝動族と無節操候補者と小泉劇場のせいにばかりはできない。野党、とりわけ第一党の民主党がもっと鮮烈、明解に争点を国民に提示しなかった拙劣な戦略も責められなければならない。
 与党の勝利の原因は、四年間の貧しい改革実績から逃げて、隠して、すりかえた「ずるさ」と、役人や労組を国民の仮想の敵に仕立てあげた「巧みさ」にある。
 「政策中心で争われた画期的な選挙」などとほめる財界人や一部の評論家がいるが本当にそうだろうか。郵政民営化しか語らなかった小泉総理。選挙が終わってから「残された課題」とか「今後の政策課題」などという特集番組で外交、財政、税制、社会保障、政治とカネなどを取り上げているテレビ。こういう番組は選挙の前に作成して放送すべきものだ。

提供したかった政策的商品


 しかし、民主党が品揃えしていた政策公約集や党内議論からいくつかのものを、政府に対抗して、新聞、テレビでしっかりと、例えば次のように打ち出していれば大きく違っていたはずだ。

 「拉致問題解決」。民主党は政権に就けばまず拉致問題の解決に全力を挙げて取り組み、国民の生命を守り、日本国の誇りを守ります。

 「議員年金廃止」。民主党だけの公約です。すべての改革の入口です。

 「議員献金番号制を導入」。アメリカ、イギリスのように、献金の受け取りは献金番号のある口座をすべて経由し、インターネットで公開する法案を民主党は提出します。自民党のように袖の下や背広の内ポケット経由は認めません。この程度の改革ができないようではどの改革もできるはずがありません。

 「定数格差廃止」。世界最大の人権差別、衆院二倍、参院五倍にまで広がった格差を解消し、政治的人権の平等を実現します。すべての政治改革の本丸です。

 「議員定数削減」。民主党は法案を提出します。

 「天下り禁止」。法案を提出します。

 「財政改革」。国債に代わり、金利のつかない政府紙幣を発行し、年間二十兆円の利払費を削減して社会保障の財源とします。江戸幕府は民間の銀貨に加えて、金貨を発行して財政を再建しました。

 「年金改革」。保険料廃止という減税付きで消費税は一〇%に増税し、基礎年金七万円に充当。未納者ゼロの皆年金を実現します。男性より七年長生き、世界一長寿の日本の女性には世界で最も有利な年金です。

 「郵政改革」。小泉内閣は「改革」から逃げて「民営化」。税金投入の特殊な民間会社を作って郵政事業の責任を丸投げ、下投げ、放り投げ。本当の改革とは郵便と貯金の二つの安全を守りながら職員と貯金規模の縮小を実現すること。民主党は安易で後世代に税金負担をもたらす民営化に逃げたりせず、真の「改革」に取り組みます。アメリカも民営化せず、改革に取り組むことを発表しました。

 「子育て・教育」。日本の教育予算は先進国の半分。残り半分は家族の負担。予算を倍増し、家族負担を解消します。

 「お母さんの笑顔」。お母さんの笑顔こそ日本の平和の象徴、そして家族の幸せの象徴。そういうお母さんの笑顔が一つでも二つでも多くなるような、小さな幸せを民主党は守ります。

 小泉さんは民主党などの野党にもしっかりとエールを送ってくれている。外交問題八方ふさがり、財政改革さっぱり、年金改革は百年どころか一年ともたず、道路も郵政も改革逃れの民営化。ゼロ金利政策で庶民の財布を使った不良債権処理。政治と金もうけの二足のわらじを履かせた候補擁立、世界に稀(まれ)な政治の堕落。この一つひとつが野党の反撃の火種となることは間違いない。
(衆議院議員、元出雲市長)

「安全保障から地域貢献へ」

2005/09/26の紙面より

 自動車に例えれば、ブレーキをはずしてアクセルを付け加えた、アクセル二つでブレーキがないという新型車。なるほどこの新型車なら、さぞかし高速道路を突っ走ってくれることだろう。

絶対多数与党に不安


 しかし、早く走ってくれるからといって、ブレーキもきかないこのような車に乗りたい人がいるだろうか。総選挙後の新聞の調査では、すでに六割の人が「議席を与党に与えすぎ」だと答えている。
 衆議院の三分の二をこえる、いわゆる絶対多数を獲得した与党自民党に、投票したはずの有権者の過半数が早くも安心よりも逆に不安を覚えているという珍現象はどこから生じるのか。
 それはこれまでの小泉政権の実績を見れば分かる。強いものと大きいものは国の税金で守る、「官から民へ」の恩恵渡し。弱いもの小さいものの税金や負担金は上げて、「民から官へ」。預貯金の利子支払いをストップして銀行と大企業の不良債権解消に強制徴用し、銀行の収益は急回復。
 外交政策も同じこと。大きくて強い米国に日本は防衛を依存し、イラク派遣に付き合えと言われると派遣する。日本はカギを預けているだけでなく、サイフも渡す。金融政策、経済政策だけでなく、民営化しないと決めたアメリカに郵政民営化を迫られて、世界最大の三百四十兆円の財布から公社のクサリを切断してアメリカを喜ばせる。
 このように、強いもの大きいものにはカギもサイフも預ける、「卑くつ」で対応し、中国や韓国には「ごう慢」で臨む。これでは日本の未来が危ない。
 自衛隊が「自衛軍」と名札を変えて海外に出られるように、憲法も三分の二の多数があれば変えられるときくと、尚更不安になる。
 議席を自民党に渡しすぎた郵政民営化選挙の軽率さを今更のごとくくやんでみてももう遅い。日本国民はこの「三分の二体制」と、いやでもこれから四年間付き合っていかなければならないからだ。
 たった一つの望みは、ひときわ小さくなったとはいえ最大野党の民主党が、自・公・メディアの三者連立政権に、「恐れず、ひるまず、とらわれず」、国会論戦を通じて、安心できるもう一つの選択肢として、日本の独立自衛と世界への貢献の理念を分かりやすく訴え、国民世論を先導する役割をつとめることだ。
 民主党内にはポストやカネで議員を引きつけるような派閥は殆んどない。そういうものがあれば選挙はもう少し強いはずだ。連合の意見に左右される議員が多いという報道がしばしばあるが、それは公党に対し、議員に対しての侮辱だろう。

自衛隊と国連平和軍憲法に


 自由な立場の人間が多いから、党内の勉強会も数多くある。一時の虚脱感から立ち直った議員の勉強会が動き出し、そのテーマは安全保障、憲法、財政再建、年金など色々だ。
 ここでは憲法をめぐる安全保障と国際貢献のあり方について述べてみたい。
 国連安保理の常任理事国になろうとした小泉内閣の試みは無惨な結果に終わった。カギとサイフを預けてまでつくしても報われない日本。アジアの国ばかりか頼りのアメリカにさえも裏切られ、日本外交の八方ふさがりの象徴となった。
 他国の陸軍、海軍、空軍、海兵隊の全四点セットを千人、万人単位の規模で受け入れている国は、世界で日本だけであり、このように「国家存立の基盤」を特定の一国の軍事力に依存している国を独立国と呼べるのだろうか。
 そのような国が国連に参加する資格、ましてや安保常任理事国に立候補する資格などあるのか、疑問である。
 日本にとってまずなすべきことは、二十一世紀、二十二世紀にも通用する自らの平和理念を憲法の中に掲げ、それを世界に明らかにしてのちに常任理事国に入ることこそが、そのまま国連改革の第一歩にもなるのではないか。
 まず、国民と国土を守るために「自衛隊」を設置することを憲法第九条第二項に明記し、自衛隊に憲法という鎖をつけて日本領域外での武力行使を禁じる。
 さらに、第三項に、「ただし、前二項の規定は、国連の指揮下で活動するための国際連合平和予備軍を国連加盟国の一員として保有すること、さらに国連の指揮下においてこの国際連合平和予備軍が活動することを妨げるものではない」という条文を追加する。この第三項を追加することによって、自衛隊の性格と役割がわが国の「専守防衛」のためのものであることがより明確になるし、世界平和創出のための義務遂行が憲法の裏付けを持つことになり、有事法制などの関連法規の整備に関する国会内の思想的混乱も整理されることになるだろう。
 海外紛争には自衛隊の一部を使う待機部隊構想ではなく、自衛隊組織とは全く別の組織、別指揮系統の世界最強の(国連)平和予備軍を作り、「外−外は国連平和軍」、「外−内は自衛隊」、「内−内は警察」という三者の役割を明確にし、憲法の授業の中で先生が三分間で分かりやすく、未来を支える次の世代に指針を与え、日本人としての誇りと希望を持たせること、これが教育の根本であり、世界平和への貢献ではないか。
 「戦争のない世界」を後世に残そうという憲法九条の精神をより強固に守り、中学生を含む国民の誰にも分かるように明確にし、その時その時代の政権によって妙な解釈がされる危険を除去するために、私はあえて憲法を守るための行動、「護憲的改正」を提唱したい。

環境守る「地球のドクター」


 憲法議論と並行して日本が積極的に進めなければならないのは、世界で日本にしかできない、日本に最もふさわしい、「地球のドクター」というポストを確保することだ。一九九五年、日本が主唱し、出雲宣言で始まった宇宙衛星による「地球地図」が間もなく完成し、地球環境保護に貢献する。出雲市が創設した樹医制度が全国で一千人の樹木医に発展し、日本の森や樹木を守っているが、次は世界の森林と水を守ってくれるだろう。京都議定書も今年の二月に発効し、日本は地球温暖化防止の先頭に立つことになった。
 このような実績を踏まえれば、日本が農業国、森林国でありながら高い工業技術を持つ国として、地球の森林と水と大気を守る、いわば地球のドクターとしての地位をかち取ることは決して難しいことではない。自然を大切にしてきた日本人の民族的感性に最もふさわしい役目ではないか。
 人類と自然との共生をテーマにした「愛・地球博」が閉幕した。戦争の時には影は薄くても、平和な時にはいつも地球破壊との戦いの先頭にいる「普通以上の国」として、誇りを持ち、各国の評価を得ること、そのような日本民族の高い志を憲法の前文にも書きこみたいものだ。
(衆議院議員、元出雲市長)

「天皇の叡慮(えいりょ)」

2005/10/03の紙面より

 二〇〇五年九月、小泉総理には苦く重い二つの判決が下された。

 一つは「民意による判決」。郵政民営化選挙、これこそ国民投票だとまで意気込んで敢行した九月の選挙は、小泉総理の期待に反して、民営化賛成を掲げた候補者の得票数は全体の四九%にとどまり、過半数を得られなかった。明らかに敗北である。

高裁初の靖国参拝違憲判決


 もう一つは「司法による判決」。大阪高裁から九月三十日に下された靖国参拝違憲の判決は、地裁による違憲判決は今までにもあったが、今回は日本の高裁がはじめて下した憲法違反の判決であるだけに格段に重い判決である。

 この二つの判決を受けながら、国会の内なる議席の多数をおごり、民営化法案を再び国会に上程するなら、それは国会の外の民意と、日本のほとんどすべての県市町村議会の要望を踏みにじることになり、それではわが国は民主主義国家とは言えなくなる。

 福岡地裁に次いで大阪高裁が靖国参拝を違憲と判断したことを知ったうえで靖国神社へ再度出かけることは、司法の意見にあえて逆らうことになり、その姿勢そのものが行政の長による司法無視、つまり三権分立という法治国家の前提を崩すことになる。

 司法による判断の適否とは別に私自身がもう一つの判断材料として重視したのは、天皇陛下がA級戦犯合祀後に一度でも御参拝されたかどうかだった。

 六月二日の衆院予算委員会で私は小泉総理に次のように質問した。

 「まず最初にお伺いします。天皇陛下は靖国神社に戦後、何回参拝しておられますか。」

 小泉総理「調べておりませんので、何回参拝されたかは存じておりません。」

 「調べていないというのは、間違いではありませんか。天皇によって任命された総理大臣の肩書を使う人が、任命されたその天皇陛下がその神社に行っておられるか行っておられないか、当然、気になるはずでしょう。

 国民統合の象徴としての天皇陛下が靖国神社に行っておられるとすれば、なぜ外国はそのときに問題にしなかったのか。行っておられないとすれば、どういう理由でおいでにならないのか。総理が、亡くなられた方への追悼の意を、そして今後の平和を願ってというのであれば、総理大臣以上に、日本人にとって大切な天皇陛下という国民統合の象徴、その方こそ先頭に参拝されるべきでしょう。そういうことをお考えになったことはないんですか。お答えください。」

 小泉総理「私は、天皇陛下が何回参拝されたかというのは存じておりませんし、また、そのようなことをあえて、何回参拝されたか調べる必要があるとも今でも思っておりません。」

A級戦犯合祀後御参拝されず


 宮内庁に要求して入手した八月八日付の回答によれば、昭和天皇の戦後の靖国御参拝は次の八回である。

 昭和二十年十一月二十日

 昭和二十七年十月十六日

 昭和二十九年十月十九日

 昭和三十二年四月二十三日

 昭和三十四年四月八日

 昭和四十年十月十九日

 昭和四十四年十月二十日

 昭和五十年十一月二十一日

 以後、一度も参拝は行われていない。

 昭和五十三年(一九七八年)に靖国神社がA級戦犯の合祀手続きをとって以来、天皇が一度も参拝されていないという事実を、小泉総理が国会で質問されてもあえて触れようとしないのは、いかにも不自然ではないか。その事実を国民の前にも明らかにしたうえで、その天皇から総理として認証を受けた臣 小泉純一郎としての信念を堂々と国民に披瀝(ひれき)してこそ政治家ではないか。

 天皇陛下が、急に神社への参拝そのものを一切中止されたわけではない。

 例えば、同じように宮内庁の資料によれば、出雲大社への陛下の御参拝は次のように行われている。

 昭和天皇

  昭和二十二年十一月三十日

  昭和四十年五月十一日

  昭和五十七年十月三日

 今上天皇

  平成十五年十月三日

 皇太子殿下

 (今上陛下)

  昭和四十二年十月七日

  昭和五十七年九月十四日

 (現在の皇太子殿下)

  平成三年十月四日

首相の固執は不敬行為


 なぜA級戦犯合祀後の靖国参拝が中止されているのか、陛下のご判断の中に何があったのか、国民統合の象徴としての陛下のご判断と、わが国の司法の判断との間に共通するものはないのか、あるのか、そういったことを忖度(そんたく)することさえも必要がないというのが小泉内閣の姿勢とすれば、問題である。

 日本は早く普通の国になるべきだという主張があるが、日本は、二十世紀前半のアジアにおける諸戦争の、加害者であり被害者でもあったこと、そして、人類史上の最も非人道的殺りく行為である原爆を体験した唯一の対象国であったという事実は、消すことのできない歴史である。その運命を背負っている日本が、他の国と同じような憲法と軍隊を持つことはできない。日本は「普通の国」ではありえないし、あってはならない。

 そのような歴史を持つ日本が、その歴史にふさわしい理念を持ち、かつ、行動することは、世界の非常識でもなければ異常な国家でもなく、人類のこれからの歴史に対する日本の義務でさえある。このことを憲法の前文にしっかりと書きこむべきではないか。日本がこのような悲劇を経験しながらも、隣国に謝罪と反省の言葉を表し、その反省の証しとして、諸国の歴史に例のない平和への強い願いを憲法に明記していること、それが日本の外交戦略のすべての出発点となる。

 それに関連する問題として、靖国神社の問題も無視できない。国民統合の象徴である天皇が参拝しない神社への参拝に固執して、他国に誤解と不安を与えていることの責任を、総理はどう考えるのか。天皇から認証された行政の長として、国民統合の象徴である天皇に対する不敬行為ではないか。
(衆議院議員、元出雲市長)

「天皇の叡慮(えいりょ)」

2005/10/03の紙面より

 二〇〇五年九月、小泉総理には苦く重い二つの判決が下された。

 一つは「民意による判決」。郵政民営化選挙、これこそ国民投票だとまで意気込んで敢行した九月の選挙は、小泉総理の期待に反して、民営化賛成を掲げた候補者の得票数は全体の四九%にとどまり、過半数を得られなかった。明らかに敗北である。

高裁初の靖国参拝違憲判決


 もう一つは「司法による判決」。大阪高裁から九月三十日に下された靖国参拝違憲の判決は、地裁による違憲判決は今までにもあったが、今回は日本の高裁がはじめて下した憲法違反の判決であるだけに格段に重い判決である。

 この二つの判決を受けながら、国会の内なる議席の多数をおごり、民営化法案を再び国会に上程するなら、それは国会の外の民意と、日本のほとんどすべての県市町村議会の要望を踏みにじることになり、それではわが国は民主主義国家とは言えなくなる。

 福岡地裁に次いで大阪高裁が靖国参拝を違憲と判断したことを知ったうえで靖国神社へ再度出かけることは、司法の意見にあえて逆らうことになり、その姿勢そのものが行政の長による司法無視、つまり三権分立という法治国家の前提を崩すことになる。

 司法による判断の適否とは別に私自身がもう一つの判断材料として重視したのは、天皇陛下がA級戦犯合祀後に一度でも御参拝されたかどうかだった。

 六月二日の衆院予算委員会で私は小泉総理に次のように質問した。

 「まず最初にお伺いします。天皇陛下は靖国神社に戦後、何回参拝しておられますか。」

 小泉総理「調べておりませんので、何回参拝されたかは存じておりません。」

 「調べていないというのは、間違いではありませんか。天皇によって任命された総理大臣の肩書を使う人が、任命されたその天皇陛下がその神社に行っておられるか行っておられないか、当然、気になるはずでしょう。

 国民統合の象徴としての天皇陛下が靖国神社に行っておられるとすれば、なぜ外国はそのときに問題にしなかったのか。行っておられないとすれば、どういう理由でおいでにならないのか。総理が、亡くなられた方への追悼の意を、そして今後の平和を願ってというのであれば、総理大臣以上に、日本人にとって大切な天皇陛下という国民統合の象徴、その方こそ先頭に参拝されるべきでしょう。そういうことをお考えになったことはないんですか。お答えください。」

 小泉総理「私は、天皇陛下が何回参拝されたかというのは存じておりませんし、また、そのようなことをあえて、何回参拝されたか調べる必要があるとも今でも思っておりません。」

A級戦犯合祀後御参拝されず


 宮内庁に要求して入手した八月八日付の回答によれば、昭和天皇の戦後の靖国御参拝は次の八回である。

 昭和二十年十一月二十日

 昭和二十七年十月十六日

 昭和二十九年十月十九日

 昭和三十二年四月二十三日

 昭和三十四年四月八日

 昭和四十年十月十九日

 昭和四十四年十月二十日

 昭和五十年十一月二十一日

 以後、一度も参拝は行われていない。

 昭和五十三年(一九七八年)に靖国神社がA級戦犯の合祀手続きをとって以来、天皇が一度も参拝されていないという事実を、小泉総理が国会で質問されてもあえて触れようとしないのは、いかにも不自然ではないか。その事実を国民の前にも明らかにしたうえで、その天皇から総理として認証を受けた臣 小泉純一郎としての信念を堂々と国民に披瀝(ひれき)してこそ政治家ではないか。

 天皇陛下が、急に神社への参拝そのものを一切中止されたわけではない。

 例えば、同じように宮内庁の資料によれば、出雲大社への陛下の御参拝は次のように行われている。

 昭和天皇

  昭和二十二年十一月三十日

  昭和四十年五月十一日

  昭和五十七年十月三日

 今上天皇

  平成十五年十月三日

 皇太子殿下

 (今上陛下)

  昭和四十二年十月七日

  昭和五十七年九月十四日

 (現在の皇太子殿下)

  平成三年十月四日

首相の固執は不敬行為


 なぜA級戦犯合祀後の靖国参拝が中止されているのか、陛下のご判断の中に何があったのか、国民統合の象徴としての陛下のご判断と、わが国の司法の判断との間に共通するものはないのか、あるのか、そういったことを忖度(そんたく)することさえも必要がないというのが小泉内閣の姿勢とすれば、問題である。

 日本は早く普通の国になるべきだという主張があるが、日本は、二十世紀前半のアジアにおける諸戦争の、加害者であり被害者でもあったこと、そして、人類史上の最も非人道的殺りく行為である原爆を体験した唯一の対象国であったという事実は、消すことのできない歴史である。その運命を背負っている日本が、他の国と同じような憲法と軍隊を持つことはできない。日本は「普通の国」ではありえないし、あってはならない。

 そのような歴史を持つ日本が、その歴史にふさわしい理念を持ち、かつ、行動することは、世界の非常識でもなければ異常な国家でもなく、人類のこれからの歴史に対する日本の義務でさえある。このことを憲法の前文にしっかりと書きこむべきではないか。日本がこのような悲劇を経験しながらも、隣国に謝罪と反省の言葉を表し、その反省の証しとして、諸国の歴史に例のない平和への強い願いを憲法に明記していること、それが日本の外交戦略のすべての出発点となる。

 それに関連する問題として、靖国神社の問題も無視できない。国民統合の象徴である天皇が参拝しない神社への参拝に固執して、他国に誤解と不安を与えていることの責任を、総理はどう考えるのか。天皇から認証された行政の長として、国民統合の象徴である天皇に対する不敬行為ではないか。
(衆議院議員、元出雲市長)

「抵抗の精神、関の五本松」

2005/10/10の紙面より

 人が生まれてこの世ではじめてきく歌は、子守唄ではないだろうか。はじめて耳にする歌は、ジャズでもなければ演歌でもない。君が代でもなければロックでもない。子守唄こそ、この世ではじめて耳にする歌だろう。

聖徳太子の子守唄


 「ねんねん ころりよ おころりよ 坊やはよいこだ ねんねしな………………………………

 子守唄といえば誰もが一度は耳にしたことがあるこの唄は、江戸の子守唄ということになっている。江戸をさらにさかのぼって子守唄の歴史をさぐってみると、西館妙子さんの研究によれば、七百年前の鎌倉末期の「聖徳太子伝」にゆきつくのだそうだ。

 誕生当時、聖徳太子は「小法師」と呼ばれて可愛がられていた。

 「寝入れ寝入れ小法師 縁の縁の下に……………………………… ねんねんねんねんろろろろ」

 選ばれた三人の乳母の一人が高貴な人を眠らせるための子守唄だから、さぞかし夢物語のようなメロディーを持っていたことだろう。

 聖徳太子立像は「夜泣き太子」としても知られ、夜泣きがひどい子どもがお参りすると夜泣きがやみ、安眠できるという言い伝えがあったほどだ。これも聖徳太子のための子守唄の功徳だろうか。

 この「ねんねんねん ねんろろろろ」が全国の各地へモデル版として伝わり、少しずつ言いまわし節(ふし)まわしが変化して、例えば静岡地方では、

 「ねんねんころりん しゃんころりん」

 長崎地方では、

 「ころろん ころろん ころろんよ」

 となり、江戸地方では先に紹介したように、

 「ねんねんころりよ おころりよ」 となっていった。

 「ねんねんころりん」の唄に限らず、江戸時代には子どもの数が増えていき、子守人によってそれぞれに詞や曲が工夫されて、明治、大正、昭和の子守唄全盛の時代を迎えた。

 昭和から平成へと時代が変わり、少子化の時代に入ったせいか、子守唄が最近はきかれなくなったのは淋しい。

 子守唄に代わり、長寿高齢時代を反映してか、日本の各地で民謡人気が高まっている。私の住んでいる横浜市青葉区は今年、男性の平均寿命日本一となり、隣の緑区では女性の寿命がこれまたトップクラスということで、高齢者の学習活動やサークル活動が年々盛んになってきている。歌えば元気、元気になれば寿命がまた長くなり、年金の受け取り期間も長くなる。「歌い上手は年金上手」を目標としているわけではないが、ここでも民謡愛好者が増えている。

「夫婦松伐るな」民衆デモ


 自分のふるさとの民謡にこだわる人もあれば、ふるさとに関係なくポピュラーな民謡もある。「関の五本松」もその一つである。

 「関の五本松」は、アラ エッサッサの「安来節」とともに、出雲地方の二大民謡といわれ、大正八、九年ごろに東京に伝わり、そこから全国的に流行した。

 「関の五本松 一本伐(き)りゃ四本あとは伐られぬ めおと松 ショコ ショコホイノ ホンマツホイ」

 関というのは、宍道湖と中海を抱える島根半島の東端、天孫降臨の神話で有名な「美保関」のことで、エビス様こと事代主命(ことしろぬしのみこと)と美保津姫とのロマンスの地であり、タイ(鯛)を肩にするエビス様は日本の鯛の三大産卵地の一つ、美保湾を象徴している。

 民謡は生い立ちを調べると、その土地、土地の歴史、風習、県民性の宝庫であり、それが現代史のどこかでひょっと顔を出してきたりするから面白い。

 今から百数十年前、領主松平侯が美保関から松江へ通ずる松江街道を通行の折りに、この美保関で街道ぎわの五本の松のうちの一本に槍がつかえたところから、家来に命じてまずその一本を伐らせてしまった。

 それまで美保港へ入ろうとする多くの船の目じるしであった松の一本を伐られてしまったことは、当時の大事件となった。

 もうこれ以上刺客を送られて伐られてはたまらないと、事代主命のロマンスにかぶせて、「あとは伐られぬ夫婦松」とうたいながら、松江城下をねりまわり、デモを行った。民衆の声をきいて、領主はあとの四本を伐るのを中止したというのが伝説になっている。

干拓からまほろばの海守る


 時代は下って百年後、昭和三十年代に中海干拓事業が決定された。神話の海、まほろばの海と呼ばれる中海の美保関側を干拓して農地を作ろうという、当時の米増産時代の思いつきだった。

 ラムサール条約環境保護地にも指定されようかとさえ評価されている、海水と淡水がまじり合う、世界にも珍しい汽水湖がこのままでは破壊される、そういう危機感から松江市民、米子市民が干拓反対運動に立ち上がった。

 封建的な山陰の地では珍しく、初めて多くの女性が参加し、美保神社の宮司さん、禰宜(ねぎ)さんも加わった。普通は神職にある人が一般の市民運動に参加することはないが、神話の時代から引き継がれている「自然との共生」の思想、それにもまして、「関の五本松」に歌われる抵抗の伝統があった。権力者の愚行に対して敢然と立ち上がった祖先の血は、今にも流れていたのだ。

 三十年にもわたる市民運動の結果、中海干拓事業は工事未完成のまま、遂に中止となり、まほろばの海は救われることになった。
(衆議院議員、元出雲市長)

「六十年の怠惰(たいだ)」

2005/10/17の紙面より

 「護憲か改憲か」という一九五五年体制の対立構図は過去のものとなり、最近の世論調査でも憲法改正が必要と考える人が六割を超えている。

無責任な憲法放置


 今こそ国会が自らの無気力、無責任を反省し、封印を解いて、憲法の改正手続きを早急に整備すべきである。

 そもそも自国の憲法が誰によって作られたかについての疑惑や議論が、いまだに繰り返されているような先進国がどこにあるだろうか。

 国民主権は新憲法によって初めて法的な裏づけがなされた。しかし、その新憲法は国民主権が存在しないときに策定され、それが前文の中で「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と書かれ、いわば我われ主権を持つ国民は、誰かによって用意された憲法を追認させられているに過ぎない。

 この追認憲法を六十年もの長きに亘って「放置」してきた日本はとても「法治」国家とは言えず、怠惰、無気力、無責任な憲法放置国家ではないか。今からでも遅くはない。せめて戦前、戦中、戦後と言われる激動の時期、まさに国家と国民が戦争の時期をはさんで、ともに生死の間を生き抜いてきた、そういう貴重な体験者が存在している今のうちに、国民を代表する国会が早急に動くべきだ。

 米国主導の傘に守られ、米国に基地を提供し続け、一国平和主義の幻想の中に眠り続けることは、国際社会において名誉ある地位を確立することにならないし、国家と国民の生命、財産を守るにも不十分である。そのことは十五年前の湾岸戦争でも痛感させられ、同時多発テロ事件でも再び認識させられたことである。だからといって、なしくずし的な日米安保の解釈や自衛隊の海外における活動は、最も危険なことである。

 日本が国際社会における平和構築義務をどう果たすのか、私たちは今こそ、二十一世紀の視野に立って結論を出さなければならない。

 憲法そのものが書かれている日本語が、前文の部分を中心として日本語でない表現が目立つことは多くの識者が指摘している通りであり、むしろ英文で読む方が分かりやすいような憲法は、とても「日本国民の手による日本語の憲法」とは言えず、書き直すべきだ。

国連平和予備軍の創設を


 一九四七年五月三日に施行された日本国憲法は、第九条(戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認)の第一項(「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」)および第二項(「前項の目的を達するため、陸海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」)で、「専守防衛」に徹していく考えを表明している。

 日本が、武力による他国への攻撃を否定する理念に基づいた憲法を半世紀以上に亘って守ってきたのは、そのような人類愛を目指す日本国民の気持ちの表れであったということを、より明確に世界に向けてアピールすべき時が今である。そのためには、平和憲法を持つ日本に最もふさわしい世界の安全保障構想、すなわち、常時国連の指揮下で行動する「国連平和予備軍」(国連軍)の創設を、日本が自信をもって提唱すべきである。

 憲法九条の崇高な目標をより明確にするためにも、第一項、第二項に加えて、第三項に、「ただし、前二項の規定は、国連の指揮下で活動するための国際連合予備軍を国連加盟国の一員として保有すること、さらに国連の指揮下においてこの国際連合予備軍が活動することを妨げるものではない」という条文を追加する。この第三項を追加することによって、自衛隊の性格と役割がわが国の「専守防衛」のためのものであることがより明確になるし、世界平和創出のための義務遂行が憲法の裏付けを持つことになり、有事法制などの関連法規の整備に関する国会内の思想的混乱も整理されることになるだろう。

日本の安全保障新構想


 このような考えに基づくなら、日本の安全保障新構想は次のようになる。

(1)国際平和協力は国連軍を中心に行う
 「恒久の平和を念願し」「国際社会において名誉ある地位を占めることを希求」するという憲法前文を、第九条第三項において具体化する。そうすることによって自衛隊とは別に、日本は世界の平和と安全を確保するための国連予備軍を設置することが可能になり、国連の決議によって要請された行動にその部隊を直ちに派遣し、国権の発動とならないよう、指揮権を国連に委ねる。

(2)国連改革に各国と積極的に協調する
 安保理事会の目的と構成を含め、国連を改革し、安全保障、核軍縮・軍備管理及び地球環境保全を図るために体制を強化する。

(3)地域安全保障体制の確立
 日本及びアジア太平洋地域の平和と安全のため、日米安全保障体制は引き続き堅持するが、日本が日本国内に設置する国連軍の創設・拡充に並行して米軍のための基地は縮小し、解消する。

 さらに、日本を巡る北東及び東南アジアの平和的国際環境を醸成し発展させるため、米国を含む当該地域諸国からなる協議・協調の機構を設立する。

(4)自衛隊は専守防衛に徹する
 日本が武力による急迫不正の侵害を受けた場合及びそのまま放置すれば侵害を受ける蓋然性が極めて高い場合に限り、国民の生命及び財産を守るため、武力による阻止または反撃を行うものとし、それ以外の場合には、個別的であれ集団的であれ、自衛隊による威嚇または武力の行使は一切行わない。

 このような構想が受け容れられるなら、日本ははじめて受動的な「専守防衛」国家の時代から、凛として未来へ、「平和創出」国家の時代に入り、国際紛争の防止、テロ対策、治安の維持・回復のために、「普通以上の国家」として活動できることになる。

 「戦争のない世界」を後世に残そうという憲法九条の精神をより強固に護り、中学生を含む国民の誰にも分かるように明確にし、その時その時代の政権によって勝手な解釈がされる危険を除去するために、私はあえて憲法を護るために、今国会において衆議院に設置された「日本国憲法に関する調査特別委員会」の場で「護憲的修正」を提唱したい。

 この日本の安全保障新構想は、日本の自衛隊に対する無用な懸念を払拭し、平和国家を目ざす日本への正しい理解が、中国、韓国などの近隣諸国からも必ず得られるものと確信している。
(衆議院議員、元出雲市長)

「紙上の理論」

2005/10/24の紙面より

 国会周辺の銀杏並木も日に日に秋景色となり、その下で国会見学のグループの人たちが記念写真をとる、そういう風景が毎日のように見られる。

 国会の中では相も変わらず、憲法改正、外交、財政、社会保障などなど、ほとんど手つかずで先送りされてきた問題が議論されている。

疑わしい「踊り場脱却宣言」


 この二、三年、しきりに思われるのは、経済や暮らしの現場の実感から離れた議論や政府答弁が多くなってきたということだ。「市場の論理」「市場原理優先」を掲げながら、政策の理由や説明には、市場の実態よりも、統計資料を都合よく加工処理して利用する「紙上の論理」が優先している。

 なぜか衆院解散の翌日に符節を合わせて打ち出されたゴングのように聞こえた「踊り場脱却宣言」もその一つ。選挙のための文字通りの「景気づけ」だったのか、次の増税のための環境づくりだったのか。

 企業利益好調がその最大理由だが、利益好調は当然すぎる話ではないか。企業所得は四年間で一三%増加し、家計の可処分所得は逆に四%ダウンで、増えるどころか逆に減っている。会社の決算は好調でも家庭の財布は不調。サラリーマンの報酬は小泉内閣誕生以来、前年比でみると、一年として増えた年はない。

 二〇〇一年 マイナス 一・二%

 二〇〇二年 マイナス 二・三%

 二〇〇三年 マイナス 一・〇%

 二〇〇四年 マイナス 〇・一%

 税金を徴収する側の国税庁の民間給与実態統計調査が九月末に発表されたが、公務員を除いた民間企業に勤めるサラリーマンやOLが受け取る給与は七年連続でダウンしている。

 新聞では時々サラリーマンの賃金やボーナスが上がり始めたなどと書かれているが、それはあくまで大企業だけの話だったり、その理由が、正社員だった人をリストラしたり、非正規社員に降格したりして稔り出した利益の一部を正規社員に、弱者から強者に賃上げとして回しているだけの話。

五年で利子百兆円減


 その一方では退職後の年金暮らしをしている人にとっては正規も不正規もない、金利収入のゼロ行進が続いている。大企業を助けるためのゼロ金利政策の結果、預金利子、つまり銀行に働きに出かけているお金が賃金も貰えず、お金の給料(利子)が遅配、欠配、無配だから、財布の中味が少なくなるのは当然である。

 今から約十年前の、金利水準が自然な形で推移していたころの利子収入がどれだけ減らされたか。一九九三年に比較して、日銀が計算した家計の利子収入の減額ぶりは、次のようになる。

 一九九九年 マイナス一七・一兆円

 二〇〇〇年 マイナス一七・八兆円

 二〇〇一年 マイナス二一・二兆円

 二〇〇二年 マイナス二三・五兆円

 二〇〇三年 マイナス二三・七兆円

 この五年間だけで百兆円を超える収入減である。

 リストラされたり、非正規社員に降格されたりした人たちの実数を発表しないのも問題だが、生活困難になった人たちの実態は、政府予算の「生活保護費」の項目の被保護人員数を拾えばある程度は知ることができる。

 二〇〇〇年 一、〇七二、二四一人

 二〇〇一年 一、一四八、〇八八人

 二〇〇二年 一、二四二、七二三人

 二〇〇三年 一、三四四、三二七人

 二〇〇四年 一、四二三、三八五人

 二〇〇五年 一、四五四、七五一人

 この六年間に生活困窮者が一度も減っていないことに驚く。二〇〇五年は厚生労働省の予測値だが、景気が踊り場を脱却したと言えるなら、生活に困る人の数が減少しているという発表が伴わなければ意味がない。

小泉首相の「私情の論理」


 一部の統計を紙上で加工、利用する「紙上の論理」が景気の実態から目をそらせるために行われている。その一方では、政治、外交の本質から目をそらせるために使われているのが小泉首相の「私情の論理」である。

 まず「市場の原理に従って郵貯のカネが流れるようにし、民間経済の活性化に役立たせる」とする小泉首相の説明は、一見もっともらしく聞こえはするものの、実は本人だけの思い込みに過ぎず、幻想としか言いようがない。

 郵貯資金が民間に流れるとすれば、国債を売却するか、買い控えるか。その時は民間銀行が肩代わりして民間への流れが止まるからトータルとしては何の効果もなく、従って「市場の原理」では起き得ないことを想定していることになる。

 靖国神社参拝問題については今までにもこの欄で二度取り上げてきているが、この十月十七日に行われた参拝は、司法の判決に対する挑戦、憲法の政教分離との問題に加えて、近隣諸国との外交を自ら極めて困難にしてしまったという意味で、もはや「私情の論理」では片付けられない段階に入ってしまったと言える。

 「私人としての参拝」「私的行為」という説明はもはや通りにくい。

 まず、一国の首相としての参拝は、たとえ公人の肩書を使おうと使うまいと、それ自体がすでに政治的行為であることを知らねばならない。ましてや小泉首相自身が自民党総裁選で政治公約の一つとして掲げていたことは、公人としての行為を明確に意識し、政治行為として位置づけていたことは明白である。

 私的参拝に限りなく近づけた参拝のやり方も卑劣で姑息である。

 第二に、参拝が勤務時間中に秘書を連れて官邸から出発して行われていることからも公務として行われたことは否定できない。市役所の課長が関係福祉団体の秋の記念式典に招かれて勤務時間中に勤務を離れて市役所から出かけたとすれば、誰が考えてもどの裁判所でも百%公務と判断されるだろう。

 それを私人として、私的行為として認めさせるようでは、これから取り組む公務員制度改革などできるはずがない。

 自分の心情だけで国民にも近隣国にも充分に説明できると思ったのが甘すぎる。「強い憤慨を覚える」中国や、「怒りと失望」の韓国の反応を予測できなかったのだろうか。「心の問題」に踏みこむべきではないと首相は中国や韓国の反撥に抗議するが、心の問題というなら、中国や韓国の人にも心はある。その人たちの心の痛みは無視してよいのか。

 国会答弁で引用した「罪を憎んで人を憎まず」という中国の言葉は、被害者が加害者を恕(ゆる)そうとする心を表現したものであって、加害者の立場に置かれている人間が被害者に向かって要求する言葉ではない。こういうところにも「心の問題」のかけ違いがあるようだ。
(衆議院議員、元出雲市長)

「ゼニ・カネ・ソロバンの政治」

2005/10/31の紙面より

 「行政は最大のサービス」、「行政はサービス、政治はロマン」と、私は出雲市長時代から言い続けてきた。

消えた思いやり、ぬくもり


 行政は徹底的に住民へのサービスに専念すること。しかし、政治にはロマンがほしい。未来の社会がどうなるのか、どうするのか、時代の流れを的確にとらえたリーダーが、国民に夢を描いてくれなければいけない。今日のゼニ・カネの話を、あさってのソロバン勘定にすりかえてみせるだけが政治だろうか。

 日本の政治には国民に対する思いやりとか、ぬくもりがない。最近は特にそういう思いが強い。

 政治家に対する有権者の目は一層厳しくなっているというのに、最近の総選挙の候補者の選び方もいい加減だ。まるで国会議員の資格を自動投票機としか見ていないかのように、民営化賛成の運動員を国会議員の肩書きと選挙資金で引き寄せて、国会議員の数を増やす。

 これだけが日本の政治なのだろうか。有権者を驚かせ、あるいは一部の有権者を面白がらせたのはホリエモンの立候補騒ぎ。金もうけと政治の二足のわらじで、国会へ入ってからも自分が経営する会社の社長を続け、「金もうけのかたわら」政治をさせるなどという条件を、自民党がのんだというから嘆かわしい。

 ゼニ・カネ・ソロバンの発想に政治が支配されている現状を見ていれば、カネさえあればどんな会社でもどんな買い方をしてもいいんだと思うファンド・マネーや投機家が次々とあらわれてくるのも当然だ。

「あゝ金の世」に満ちる怒り


 庶民の金に対する敵意と呪誼(じゅそ)を背景に、江戸時代の権力者への批判と風刺を込めたざれ歌に似て一世を風靡(び)したのが、唖蝉坊の「あゝ金の世」だった。

 「あゝ金の世」は明治三十九(一九〇六)年末からうたわれだしたというが、唖蝉坊は金がすべてを支配する世の中に対して、満身の力を込めて怨嗟(えんさ)の声を発している。

 あゝ金の世や金の世や

      地獄の沙汰も金次第

 笑ふも金よ泣くも金

      一も二も金三も金

 親子の中を割くも金

      夫婦の縁を切るも金

 強慾非道と譏(そし)らうが

      我利々々亡者と罵ろが

 痛くも痒くもあるものか

      金になりさへすればよい

 人の難儀や迷惑に

      遠慮してゐちゃ身がたゝぬ

 あゝ金の世や金の世や

      憐れな民を救うべき

 尊き教への田にさへも

      我儘勝手の水を引く

 これも何ゆえお金ゆえ

      あゝあさましの金の世や

 長兵衛宗五郎何処に居る

      大塩マルクス何処に居る

 やり切れなさの中から、唖蝉坊の怒りが沸き上げてくるようだ。

 最近はやりの羊頭改革。「改革詐欺」と言っていいぐらいの民営化にも、ソロバン重視の政治が端的に表れている。

 例えば道路公団民営化。十月一日に民営化されたが、民営化の成果が具体的に出てくる前に、ETC料金を下げたりして大丈夫か。

 収入で借金を返済して四十五年後には無料にするというが、収入が減って借金返済が遅れるようでは三十二年前に約束して結局実現化しなかった詐欺商法をまた繰り返すことにならないか。

 何よりも、税金で作った道路ならすぐに国民に無料で使わせ、仕事にも便利、ふるさとへの親孝行もしやすくさせる、そういう思いやりなど全くない。

 もう一つの例は郵政民営化。ソロバン勘定に走りすぎて地方の局が減る、地方住民の安心と便利さが消える、商売を広げすぎて民間企業に迷惑をかけるそういう心配があったからこそ全国いたるところの議会から反対陳情が出ている。そういう小さな市町村や中小企業の弱いものに対する思いやりとぬくもりがない。 その象徴が刺客騒ぎ。地方へ出かけていった女性刺客がすべて東京住まいの人たちだったということに、今の政治の一面がよく表われているような気がする。

役所で学んだ幸せ生むお金


 八八年の秋、出雲からニューヨークの私のところへ一本の電話がかかってきて、それが二本になり、三本になり、五本になり、。後輩、先輩、同級生、市会議員、県会議員からの電話を受けて、二人の娘をアメリカに残し、私と妻は二人のふるさと出雲へ帰る決心をした。

 言葉は古いかもしれないが、ふるさとから一回だけは来るという召集令状が私にも来たような気がした。

 しかし、私は市長という仕事をよく知らないで、ああいう退屈な仕事をいったい誰がやるんだろう、そういう思いがあった。

 役所の中に入って、私は自分の考えがまちがっていたことにすぐに気がついた。国際的な経済の世界にいた三十年間、私は大きなお金の流れの中にいた。お金がお金を追いかけ、お金が利益を追いかける。それに比べると出雲市役所の中を流れている金は小さかった。

 当時の出雲市予算の二百五十億円は、メリル・リンチ本社の上席副社長室で私が三分三十秒だけ目をつぶっている間にメリル本社ビルの中を流れている金額だった。その三分三十秒のお金を一年三百六十五日に引き伸ばして使わなければならない。限りなく小さなお金だ。

 しかし、お金の顔が違うということにすぐに気がついた。経済の世界では、お金がお金を追いかける、お金を利益に変える。もちろん、そればかりが目的ではないが、それが大きなものさしとなっている。それに比べると、役所の中を流れる金は小さいが、金の顔が違う。金を追いかけ、利益に変えるのではなく、強い人、金持ちの人に奉仕する金でもない。恵まれない人、体の弱い人、お年寄りの人、人生の途中でふっと幸せを見失った人、そういう人のために、幸せと生きがいを作りだすところだ。そのために役所は「役に立つ所」と書いてある。

 限られた予算で、どれだけ早く多くの幸せを、どれだけ早く多くの生きがいを作りだせるか、カネを幸せと生きがいに変えてみせる。そのために三千三百の市町村が、そして四十七の都道府県が競争していた。それが役所の仕事だと分かったとき、私は役所が好きになった。

 私はそんな「役所」が今でも好きだ。そういう役所の中で働いている役に立つ人「役人」ばかりでなく、そこではおカネまでが幸せなカオをしているに違いないからだ。
(衆議院議員、元出雲市長)

「ベニスの商人」

2005/11/8の紙面より

 お金を貸す人、借りる人。昔、貸す人は金貸しと呼ばれ、今は貸し金業とかノンバンクという呼び方もある。

 「金貸し」から「貸し金」業へ、その長い歴史を貫くのが金利という物差しである。金利というのはお金を借りる人が貸し手に支払う謝礼金、言いかえればおカネの利用料金、あるいは「リース料」とも考えられる。

金貸しの強欲なイメージ


 金貸しという言葉で皆さんが思い出すのは誰か。世界的に有名な代表人物は、シェイクスピアの作品「ベニスの商人」に登場してくるシャイロックだろう。この作品でシェイクスピアは美しい水の都ベニスを舞台に、代表的商人としてあたかも善人と悪人の典型のように二人の人物、シャイロックとアントニオを取り上げている。

 ユダヤ人シャイロックはベニスに住んでいる高利貸で、キリスト者の商人たちに高利で金を貸して、巨万の富を積んでいた。冷酷で、貸金の支払いを厳しく迫るので、善良な人たちに非常に憎まれていたが、特にベニスの若い商人アントニオには憎まれる存在だった。同じように、シャイロックもまたアントニオを激しく憎んでいた。その理由は、アントニオが、困っている人によく金を貸してやって、その貸金に対して決して利子を取らなかったからである。「高利子」対「無利子」の対決。そういう訳で、この強欲なユダヤ人と、寛大なアントニオの間には非常な敵意があった。特にシャイロックは、取引所などの公的な場所でも自分を批判するアントニオに対し、ひそかに報復をさえもくろんでいた。

 その機会がついにやってきた。

 アントニオは世にもまれな親切者で、気立てがよく、他人に好意をつくすことに飽くことを知らない精神の持ち主で、昔のローマ人の高潔の徳を一身にあらわしているような人物だった。その彼に最も親しかった友人がベニスの貴族・バッサニオ。資産に恵まれないバッサニオがある時必要とした資金を、その時に持ち合わせていなかったアントニオは、仕方なく、シャイロックを訪れ、まもなく帰ってくる数隻の船が積んでいる商品で支払うことを条件に金を借りようとした。

 意外なことにシャイロックは、復しゅう心を秘しながら、無利子で貸すことを申し出た。ただ、面白半分ですがと言って、万一に返済できないときは、アントニオの体のどこでもシャイロックの欲するところから肉を一ポンドだけ切りとって支払うという条件を添えた。

 船の帰着を信じているアントニオはそれを受け入れた。

 それから間もなく、恐ろしい知らせがもたらされた。アントニオの船が暴風雨のためにすべて失われたという知らせである。返済できないアントニオはシャイロックに肉一ポンドの約束を迫られる。

 バッサニオの恋人ポーシャが、バッサニオを助けてくれたアントニオのために、男装して裁判所に弁護人として現れ、雄弁をふるう有名な場面がやってくる。

 「肉一ポンドは正確に、そして血の一滴も取ることはお前の契約書に書かれていないから許されない。違反すればお前が刑務所に入るのだ。その条件で、さあ、はじめなさい」。

 ポーシャのこの機智と雄弁の前に、シャイロックは敗退し、回収断念のままに裁判は終了した。

金利の歴史


 「ベニスの商人」と時代も環境も違うが、日本では自殺者がこの十年間毎年三万人をこえ、そのうち五千人とも推測される人が、債務返済不能が原因で命を絶っている。肉一ポンドどころの話ではない。

 ヨーロッパの中世期、貧者の救済にあたったのが教会や修道院であったのに対し、貸付はもっぱらユダヤ人金貸しが支配していたのはキリスト教徒が利子を取って人にカネを貸すことを中世の後期、一二一五年までは禁じていたためである。ラテラノ公会議では一二%−三三%の間にあった利子率について「重くて過当な」高利を禁じながら、キリスト者にも金を貸すという仕事をはじめて許すことになった。

 金貸しの仕事は紀元前三千年のメソポタミア文明のころ、麦の貸付けの記録があり、年利は三三%。日本は麦ではなく米の貸付けがすでに八世紀にははじまっており、年利は三割から十割までの幅があり、「五割をこえてはならない」という規制らしいものも記録されている。

 農村経済、物々交換経済の時代から貨幣経済の時代になると、米や麦とはけた違いに貸し借りのスケールが膨張し、江戸時代には一六七三年、三井高利が日本橋に開いた越後屋の「三井両替店」の登場で、新しい時代に入る。このころの利息は年一二%から二〇%だったという。

 明治になってからは早くも明治四年に利息制限を廃止、その度に契約書に書き残すこと、としたのだが、「抜本的改革」「激痛を伴う改革」は失敗した。

 明治六年に手直し、明治十年には利息制限法が制定された。金額の大小により一二%から小口の二〇%までを上限とし、契約書に記載がない場合はゼロではなく六%をみなし金利としたのである。この利息制限法は昭和二十九年まで七十七年間の長命を誇っている。

お金が大量失業の日本


 お金を使うか、働かせるか。お金を支払って物を買う。これは資本主義の国はもちろんのこと、社会主義、共産主義の国でもできる。

 しかし、資本主義の国ではお金にもう一つの役割がある。お金が金を貸すという仕事にみられたように、お金も働いて報酬がもらえる。人間が働いて報酬がもらえるようにお金も働いて報酬がもらえるというのが資本主義の特徴。人も金も両方が働けるから早く豊かになれる。そして人が高齢になり、あるいは病気になった時には、お金が代わりに働いてくれるから安心だ。

 早く豊かになれて、万一の時は安心、これが世界のほとんどの国が資本主義を選んでいる最大の理由である。

 それが日本ではどうだろうか。百万円のお金が銀行で一年間働いても、年末にもらってくる給料が百円玉一個。タクシー代はもちろん、電車代にも足りず、自分の足で帰るしかない。

 貸す立場の人は安いコストで高い収益。預ける立場の人の持つおカネには報酬もなく、おカネが大量に失業させられている。

 こういう政府に「国民の目線」で、「ぬくもりのある政治」を語る資格があるだろうか。
(衆議院議員、元出雲市長)

「変わるか 大阪」

2005/11/14の紙面より

 日本最大の都市と言えば東京がまず頭に浮かび、次に名前の出るのが大阪だろう。首都東京に対する政治、経済、歴史的存在感としては「東の東京、西の大阪」という表現は今なお健在どころか、商人のまちとしての伝統はいささかもゆるいでいないはずだ。

出直し市長選への期待


 明るく元気な大阪の再生なくして日本経済の再生はない。大阪には元気がないとよく言われるが、それはバブル崩壊以後というよりも、一九七〇年代のバブル時代突入の時点から、すでに大阪の相対的な地盤沈下が始まっていた。本社機能を東上させて、東京本社から全国へ、そして世界へと業務を拡大する企業が増えたことがその最大要因だった。

 しかしそればかりではなく、大阪の府政、市政の担当者がこのような時代の流れに対応した手をなんら打つことなく、手をこまねいて傍観し、府を忘れ、市を忘れ、大阪市民を忘れ、ただ単に自分の地位と手当・役得の確保に営々としてきたことにも大きな原因がある。それは全国都市対象の毎年の通信簿で六七八市の三五五番目と低迷を続けていることにも表れている。

 大阪市長選が注目されている。市役所職員に対する信頼の回復と、深刻な財政難の立て直しが、「出直し選挙」の争点だというが、確かに大阪市の近年は「職員の不祥事と厚待遇のデパート」、あるいは「第三セクター破綻の墓場」とかの陰口をたたかれるほど。どん底に落ちた大阪市のかじ取りを誰に任せるか、大阪市民の二十七日の選択が注目される。

 市長選は大阪市民のためだけではない。関西経済圏の復権の期待がかかっている。そのうえ、地方のリーダーとして地方分権の時代の旗手大阪に対する厚い期待がかかっている。

 是非とも歴史、伝統、経済の厚味を備えた関西圏にこそ、大阪にこそ、先頭に立つという意識が欲しい。

 私は東京一極集中の弊害について、出雲市長時代から警告を発してきた。細川熊本県知事との共著「鄙(ひな)の論理」もその一つであった。一極集中の弊害は、いまや単に日本の地方と中央という図式の問題だけでなく、国際社会の中での日本の立場という緊急で重大な問題とも密接に関わってきている。

 そのような旧体制を打破する役割を担っているのは野党だけでなく、大阪である。とりわけ野党の民主党がひとまわり小さくなっているからこそ、大阪への期待がふくらんでくる。

 大阪に生まれ、多くの関西企業の資金調達を欧米市場でお手伝いしてきた私には、いまの関西の沈滞ぶりがなんともはがゆく思えて仕方がない。

三つの「追い風」


 世界の大都市の中で、大阪ほど古くから、そして大阪ほど長い期間にわたって政治と経済の中心都市として生き永らえている都市はない。ニューヨークはわずか百年あまりだし、東京とて四百年。それに比べて大阪は政治の首都であった時代も含め、幾多の浮沈を重ねながら、商都としての歴史は千三百年を超えている。その意味では、経済の中心都市としてはまさにフェニックス(不死鳥)都市と称してもよいだろう。

 江戸時代に江戸で活躍した大商人もほとんどが関西の出身者である。近代の工都としての発展、米相場、株式取引、為替取引、繊維産業、家電産業など、時代の先端を走る起業家精神の伝統の血は脈々と流れていた。

 長い戦後五十年の経済統制時代がようやく終わり、いま大阪には三つの「追い風」が吹いている。

 まず、「規制緩和風」。官から民への変化は、苦節五十年、長い期間にわたる桎梏(しっこく)からの解放だ。

 二つ目の風は「地方分権風」である。中央から地方へ、それは東京一極集中の時代が終わり、東京を除いては日本最大の地方自治体大阪と、それをとりまく関西圏への追い風を意味する。

 関西の文化と歴史の厚味を背景にした大阪ルネッサンスの到来である。

 三つ目の追い風は「国際化風」である。この風も当分やむことはない。国際化時代とはモノ、カネ、ヒト、情報が空からやってくること。その国際化時代に一番必要なものは国際ハブ空港である。

 国際空港のない都市に世界の都市としての未来はない。東京には、二十四時間中世界とつながる国際空港がなく、大阪だけが「アジアの星」を目指す条件を備えている。

官か民か、市民の選択


 この五年間に、東京を中心とする関東地方では、官僚出身の知事が一人、ひとり、また一人と姿を消していった。

 一方、関西では、同じ五年間に次々と官僚出身の知事が誕生した。大阪、兵庫、京都、和歌山、奈良と、一つの例外もなく官僚一色の世界に衣がえである。「中央から地方へ」と言いながら中央官僚を知事に選ぶ「官採」。「官から民へ」と言いながら官僚出身の知事一色。

 「役所」を「役」に立つ「所」に変える、「行政は最大のサービス産業」に変える、それが市民の願いである。役所育ちの人間に役所を明日から変えろといっても無理な話だ。ならばどうするか。

 民営化も一つの選択肢だが、「郵政民営化」と「市役所民営化」は、やれない、やらない、やるべきでない、というのがアメリカはじめ世界の圧倒的多数の国の常識である。

 もう一つの考えは市役所の分割。公的サービスとその負担に対する関心や能力が急速に高まってきて、市役所の代行ぐらいは市民のNPOにも充分につとまる時代になっている。市役所を二つに分割して、第一市役所は市固有の業務、たとえば道路、水道、住民登録、税金などの業務を職員だけのチームが担当する。

 第二市役所は市民ボランティアも一定の権限や予算、それに机を持って正規職員との混合チームが環境、介護、福祉の業務を行い、運営はNew Public OfficeというNPOが行う。

 そこまでの勇気がない市には第三の選択肢がある。市長という肩書を与えて民間人を一人だけ、一人だけでいい、市役所に送りこむことだ。それは難しいことではない。市民の一票を使えば明日にでも実現できる。

 役人だらけの役所にもう一人役人を追加してみても何が変わるというのか。大きな発想の転換は期待できない。官僚出身の知事や市長を選び続ける関西の「官採」と、官僚を民間にと切りかえてきた関東の「官投」、どちらが時代の流れと市民の要求に合っているのか。

 三つの追い風に乗る才覚も気力もないままに、大阪ルネッサンスは「大阪ヒルネッサンス」に終わるのか。

 大阪市民の選択を注目しよう。

「歌と乾杯の季節」

2005/11/21の紙面より

 それは日本の歴史の中でも特異な時代だったと言えるだろう。暗い戦争の時期が終わり、日本人は開放を心から味わうような思いで、一斉に歌いだした。光が外にもれないように過ごさなければならなかった夜は終わり、楽しく歌っても誰からも責められることがない。

戦後の開放感発信


 流れてくる一つひとつの歌謡曲がそのまま新しい時代との出会いだった。

 「赤いリンゴに くちびる寄せて」、「赤いリンゴ」の歌に戦後のぱっと開放された大きな青い空を思い出してしまうのは、私一人ではないだろうし、「東京の花売り娘」は、占領直後の日本の首都東京が、占領という言葉の暗いイメージとは全く違う明るい町であるというメッセージを、全国に発信する大切な役割を知らず知らずのうちに果たしていた歌だったと思う。

 ラジオ番組の「鐘の鳴る丘」のテーマソングも楽しい歌だった。「緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘が鳴りますキンコンカン」「メェメェ子やぎもないてます」、こういう歌詞が毎日耳から入ってくると、きれいな小さな町というものは緑の丘、赤い屋根、白い小窓、時計台、そして牧場の五点セットのそろった町なのだという認識に染め上げられて、いまだにその影響から逃れることができないほどだ。

 大学受験のために、出雲高校の三年生の仲間たちと夜行列車に乗って東京へと向かった。そして、二十人ぐらいの同期生が、広い東京の空の下で、それぞれの大学、それぞれの下宿や寮に分かれて、青春の時代の第一ページを迎えることになった。

 小さな地方都市の出身者のことだから、時々は淋しくもなれば、ホームシックにかかることもある。そういう時には誰となく声をかけ合って、新宿西口の小料理屋の二階に集まり、会費三百円で食事をしたり、一合五十円の「二級酒」などを飲み交わしながら、時を過ごした。

 その時だけが出雲弁で話せるし、大都会のストレスから解放されて笑うことができたし、乾杯もしながら歌も一緒に歌った。

うたごえ運動


 そのころはどこの大学でも「うたごえ運動」が盛んだった。全学生が東京大学教養課程の二年間を過ごす駒場キャンパスでも、最も人気のあるサークル活動は「うたごえ運動」だった。

 戦前の「歌わない国民」といわれた日本人を「歌う国民」に変えたのが、うたごえ運動の最大の功績だといわれている。

 学生がいつも集まって歌っている場所は、広い大学の敷地内の寮と校舎の、ちょうど中間にあった。その北寮玄関前には水飲み場と石のベンチのある広場があって、授業の合い間に時間つぶしをしている寮外生や、駒場にいる同郷の友人を訪ねてくる他校の学生などが群れていて、その中から誰が歌うともなく歌声が湧き出していた。それは「原爆を許すまじ」であったり、ロシア民謡の「黒い瞳の」か、「山のロザリア」だった。

 当時、東大駒場の学生に最も愛されていた歌を他にもいくつかあげてみると、「山の人気者」「泉のほとり」、ポーランド民謡の「森へ行きましょう(シュワジヴェチカ)」、「国際学生連盟の歌」、アメリカ民謡の「懐かしのヴァージニア」、ボヘミア民謡の「おお牧場はみどり」、スイス民謡の「オ・ブレネリ」、中国民謡の「花あそび」、イタリア民謡の「フニクリ・フニクラ」、ロシア民謡の「仕事の歌」、「トロイカ」、「カチューシャの歌」、「灯」、そして「バルカンの星の下に」など、今でもすぐに口笛やハミングで歌いだせる懐かしい歌がいっぱいある。

「カチン」の音の意味


 さて、いよいよ年末ともなると飲む機会も歌う機会もぐんと増え、そのたびに乾杯の機会が増える。しかし、カチンと乾杯の音をさせ、席が盛り上がるのを皆で楽しみながらも、その乾杯の音の意味を知る人は誰もいないようだ。

 杯やグラスをふれ合わせたり、一気に飲み干すのは、お互いの心を通い合わせるとともに、主人と客が同じ酒を注ぎ、同時に飲み干すことで、その酒に毒が入っていないことを証明するためだと言われている。

 では、人は何のために、乾杯の時に周りの人と杯をふれ合わせて「カチン」と小さな音をたてるのだろうか。

 三十年前、私は日興證券の国際金融部長としてパリに拠点を置いて、ソ連など共産圏の国まで含めた欧州、中近東、アフリカという広大な地域を担当していた。

 パリから見れば庭先のようなローマに出張した時、イタリア政府機関のイタリア商工銀行のカリーニ総裁が私を食事に招待してくれた。

 スペイン広場からカフェ・グレコの前を通りすぎて、コンドッティ通りを西へ行き、ボルゲーゼ宮を右に見ながら左へ曲がると「エル・トゥーラ」がある。ワインの品揃えが豊富なことでも有名な店だ。入ってくる客が顔の広いカリーニ総裁を見付けては、「ボンジョルノ」「ボンジョルノ」とあいさつを交わしてゆく。

 そこに食事がきて乾杯。

 最初の杯を飲み干したあと、カリーニ総裁が私にきいた。「乾杯の時にカチンと音をたてるのは何のためだと思う」。

 私がそんなことを知るはずがない。

 「ワインを飲む時、まず、グラスに触れて指がその重みと冷たさを楽しむ。目がワインの色をめで、鼻がその香りを喜び、舌とのどがワインを味わう。人間のあらゆる感覚が楽しんでいる時に、ひとりだけ淋しい思いをしているのが耳だ。

 『耳よ、お前にも楽しみを!』。

 そういう思いで五感のすべてにおいしい酒との出会いの幸せを分かち与える、そのために、ではもう一度、乾杯」。

 どのような席にいても、杯を高く上げる時、私はカリーニ総裁のこの話を思い出す。

 市長になり、議員になると会合の数も急激に増えた。誰を招待するかは主催者が決めることだが、その席に招かれていない人、招かれてはいるが何かの理由で出席していない人がある。

 お前を忘れていないよと耳に言い聞かせるだけでなく、私はそういう人たちを忘れていないよという意味も込めて乾杯する。

 まもなく新年がやってくる。

 皆さんの健康な「五感」と、幸せの「予感」のために、「乾杯」。
(衆議院議員、元出雲市長)

「戦場を駆ける歌」

2005/11/28の紙面より

 戦場に銃声が絶えることはないが、戦場に流れる歌声は滅多にない。

 ここでは、二十世紀のヨーロッパで平和を求め、あるいは独立を目指して戦った若者たちが、その戦いの合い間に自らを慰め、あるいは自らを勇気づけるために愛唱したことで知られる、一つはドイツ生まれの、一つはイギリス生まれの、二つの曲を紹介したい。

「リリー・マルレーン」


 六七年八月にロンドンに赴任し、短い秋を経て十一月にはロンドンの冬の季節が始まった。毎日のようにどんよりとした厚い雲に覆われた一日を迎える、そんな土曜日の朝のことだった。

 なんとなく聞いていたラジオから流れる、声の美しさだけでなく、何かを訴えるような、胸にしみとおるようなメロディーに心を魅かれた。その歌についてもっと知りたくて、すぐに英国BBC局に問い合わせた。それが「リリー・マルレーン」との出会いだった。

 「リリー・マルレーン」と言えば、マレーネ・ディートリッヒと名前が出てくるように、マレーネ・ディートリッヒが歌いだしてからこの曲は一層、有名になっていった。この曲はもとはといえば戦前のドイツ生まれの曲だったが、同じくドイツ生まれの美人女優ディートリッヒとの結びつきには第二次大戦がからんでいた。

 戦争準備に余念のないヒトラー政府が、ドイツ中の文化人や芸能人を「国家文化会議」の名の下に招集、あるいは「映画法」を制定するなど全体主義的傾向を強めると、敏感な人々は不安と危険を感じ、次々とドイツを脱出、フランスやアメリカへと移住した。

 ドイツの国威宣揚と、そして映画産業を国策に利用するために、ヒトラーが次に目をつけたのが、当時ハリウッドで名声を博しつつあったドイツ生まれのディートリッヒだった。

 ヒトラーは「ドイツ映画界最高の地位」を保証する旨のメッセージを託して特使を差し向けたが、ディートリッヒはそれをにべもなく拒絶した。

 拒絶したものの、ディートリッヒの心は揺れる。懐かしの母国ドイツ、中でもベルリンへの郷愁断ちがたく、帰国を考えた。今一度ベルリンへと、船で大西洋をヨーロッパに向けて横断していた時、船内ラジオがヒトラーの演説をキャッチした。その激烈な調子と差別的内容に戦慄をおぼえたディートリッヒは、母や姉の待つ祖国ドイツへの帰国を断念した。フランスのシェルブールの港で下船した彼女は、そのまま再びアメリカ行きの船の客となる。

 当然のことながら面目を失ったヒトラーは、祖国を裏切る極悪人としてディートリッヒを非難した。

 アメリカも既に戦時体制に入りつつあり、スターたちも進んで徴兵に応じていた。ジェームス・スチュアートやクラーク・ゲーブルは空軍に、ヘンリー・フォンダは海軍に、タイロン・パワーは海兵隊にと次々に応召し、前線へと赴く中に、ディートリッヒもまた祖国ドイツをナチの支配から解放するために、ハリウッドの全部の仕事を断って前線将兵の慰問に打ち込んだ。人気女優の慰問がどこでも歓迎されたのは言うまでもない。

敵味方の別なく


 北アフリカ前線では既に敵味方の分け隔てなく、「リリー・マルレーン」が歌われていた。初めて耳にしてすっかり気に入り、曲名が自分のファーストネームと同じという奇縁もあって、以後、どの前線でも彼女はこの曲を歌い、「リリー・マルレーン」は戦場の兵士の口から口へと歌い継がれていった。

 連合国側の兵士の前で歌い続けたディートリッヒが、ついに祖国ドイツの兵士のために歌う日がやってきた。ある戦場の野戦病院の別棟に彼女を案内した軍医が、俘虜になったナチの傷病兵たちがいることを告げ、彼らを同じように見舞い、ドイツ語で声をかけてやってほしいと彼女に懇願したのだ。

 本当にディートリッヒなのかと半信半疑で尋ねるドイツ将兵たちに、彼女は心をこめて切々と歌った。アメリカに帰化しているディートリッヒが、祖国の若者を前に、その時だけは身も心も祖国の土を踏んでいる思いだっただろう。

 「夜霧深くたちこめて

      あかりともる街角に

 やさしくたたずむ 恋人の姿

 いとしい リリー・マルレーン

 いとしい リリー・マルレーン

 …………………

 地獄のような戦いに

      身を捧げて傷ついて

 倒されたあなたは最後に叫んだ

 いとしい リリー・マルレーン

 いとしい リリー・マルレーン

 平和の日は来たけれど

      あなたはまだ帰らない

 瞳をとじれば聞えるあの声

 いとしい リリー・マルレーン

 いとしい リリー・マルレーン」

 まだあどけない、幼な顔を残した若いドイツ兵の頬を、涙がとめどなく流れ落ちていった。

 私がラジオから聞いたディートリッヒの甘く、切なく、悲しみを帯びた歌声は、翌日行われた英ポンド切り下げを国民に伝えるウィルソン首相の悲痛な名演説とともに、今も私の耳に焼き付いている。

「ヘイ・ジュード」


 六八年八月二十日、チェコの民主化運動を制圧するためにソ連軍の戦車が首都プラハに突入した。四月に実現したばかりの政治的独立「プラハの春」がわずか四カ月で崩壊した瞬間だった。

 その同じ八月にロンドンから発売されたビートルズの「ヘイ・ジュード」は、たちまち世界中で大ヒットした。

 ポール・マッカートニーが、ジョン・レノンとその妻が離婚し、落ちこんでいる息子ジュリアンのために作った「ヘイ・ジュード」は、次の言葉で始まる。

 「ジュード、そんなにくよくよするなよ、悲しい歌でも 気分ひとつで明るくなるものさ」。

 「強く生きて」というメッセージを込めたこの曲は、「プラハの春」崩壊直後のチェコの人々には特別の意味を持つ歌として伝わった。若い女性歌手マルタはチェコ語バージョンで歌い、それはプロテスト・ソングとして国中に広まり、ソ連に対する民衆の抵抗運動を支えた。

 マルタは当局の弾圧を受けて苦渋の人生を歩む。しかし「ヘイ・ジュード」は生き続け、八九年、ベルリンの壁崩壊後にマルタも復権、「ヘイ・ジュード」に支えられた「本当のプラハの春」は、二十年後にチェコ国民の手に帰ってきた。
(衆議院議員、元出雲市長)

「ポピュリズムの果てに」

2005/12/05の紙面より

 今からちょうど十年前、東京と大阪で知事選挙が行われた。

 選ばれたのは行政の改革と都市再生を訴えた候補ではなく、青島、ノックというテレビ知名度の高い二人だった。

 その四年間が東京と大阪に何をもたらしたか。街頭で一度も政策を訴えることもなく、選挙期間中に外国へ出かけていた青島氏の目的は、その三カ月後に自分の任期を迎える参議院選挙を狙った公費使用の事前運動ではなかったのか。

ウッカリ、ビックリ、ガッカリ


 本人も都政を担う真剣さはなく、当選してビックリ。都民の中にも、まさか当選するとは思っていなかったから面白そうな方に一票を入れてみたと話していた人が多かった。ウッカリの一票でビックリの知事、そしてガッカリの四年間。

 ウッカリ、ビックリ、ガッカリのギックリ腰の痛みを十分に味わったはずの日本の有権者が、今度は国政選挙で同じことを繰り返してしまったのが、九月に行われた衆議院総選挙ではなかったのか。

 「民に任せればすべてよくなる」、「郵政民営化で外交もよくなる」、「郵政民営化こそ国民投票で」と繰り返し叫び、刺客を使った集団いじめに参加する快感をあおったテレビの影響もあって、投票した有権者自身もビックリの巨大政党が誕生した。

 総選挙のないこれからの四年間に、日本が危険な方向に、そして自分たちの暮らしが悪くなる方向に行くのではないかと、選挙結果を見て逆に心配している人が増えて、選挙から一週間後に行われた新聞の世論調査でも、「自民党に議席を与え過ぎた」と答えた有権者が七割にも達している。

 ポピュリズムという概念そのものは決して悪いものではなく、民主主義を有権者による政府支配と考えるなら、大衆が求める声に忠実に反応しようとする政治は、民主主義の一つのお手本と評価することもできるだろう。

 問題は、二十世紀以来の各国で行われてきたポピュリズムが、すべて大衆迎合と大衆煽動という手法で行われたこと、そしてその結果がすべて失敗に終わっていることである。

 ロイド・ジョージが率いたイギリスの自由党、ドイツのヒトラーが率いたナチ政権、イタリーのムッソリーニのファシズム政権などがその典型的な例で、いずれもその後、国民の幸福ではなく不幸を、政治の安定ではなく混乱をもたらし、政権は惨めな崩壊への道をたどった。

テレビがさらに加速


 青島・ノック現象以来、日本政治を指して「ポピュリズム」と評する声が高まっている。欧州諸国の失敗から約七十年。まるで七十年遅れのポピュリズムという「政治インフルエンザ」が、政治ワクチンの準備のないわが国に渡来したようなものだ。

 九九年の東京都知事選挙で石原慎太郎が、二〇〇〇年長野知事選挙で田中康夫が選出され、そして小泉純一郎が自民党総裁となった二〇〇一年、山内昌之東大教授は二人の知事選出と小泉総裁選出を受けて、その三年間の政治の流れについて次のように述べている。

 「政治家や知事のなかには、テレビを中心とするマス・メディアを通して市民から熱狂的な『支持』を受ければ、発言内容や政策選択の当不当を問わずに、いかなる批判からも免疫だと考える者もいるらしい。しかし、こうした主張を見ていると、政治指導者として世論をバランスのとれた方向へ冷静に導こうとする大局観や歴史観の軽視と、その基礎にある体系的な知や教養の欠如を感じる」。

 それから四年、日本ではテレビが選挙の主な舞台になったが、そのテレビがポピュリズムをさらに加速させる。以前からよく言われてはいたが、テレビは番組の内容を上げれば視聴率が下がる、内容を下げれば視聴率は上がる、略して「上げれば下がる、下げれば上がる」という特徴がある。

 難しい政策の話を避け、全てを個人対個人のドラマ仕立てにし、スローガンも「改革を止めるな」「賛成か反対か」「刺客か抵抗勢力か」と、もっぱら理性よりも情緒に訴えたテレビと小泉首相に国民は一気に飛びつき、チャンネルを合わせ、一票を投じた。

情緒的投票のつけ


 選挙前の世論調査では、「郵政民営化」は国民の関心度の第八位、選挙直前でさえも、普段から国民の関心があまり高いとは言えない外交問題よりも低く第四位、それが小泉劇場の刺客騒動、集団いじめゲームが始まると、「劇」的な変化で一位に躍り出て、煽動されるままに多くの大衆がそのまま情緒的な投票行動に走った。

 有権者ばかりではない。政党やその政策にしばられない無所属候補の中には、七月までは民営化「反対」を主張していながら八月になるとくるりと宗旨替えして、「賛成、賛成、大賛成」とのぼりやポスターに大書し、当選すれば自民党に入りますからと自民党の軒先に立って、票を横どりして見ごとに当選を果たしたポピュリストもいる。

 そのポピュリズム総選挙が終わってどうなったか。

 選挙では全く争点にならなかった医療改革や定率減税廃止(つまり増税)、財政再建などの大課題が選挙後一カ月もたたないうちに論議の中心となっている。

 男を女に替える以外はなんでもできる巨大与党の下で、医療費負担は上げる、年金は下げる、税金は上げる、利子は下げる。不良債権を解消させたとか株価が上昇してきたと手柄顔だが、誰のカネを使ったのか。ゼロ金利政策という「国民利子総動員法」は依然として解除されないままだ。

 「面白うて やがて悲しき 秋の暮」

 小泉劇場のお代金は入り口無料で出口で払う仕組みかと、今気付いても遅すぎる。

 小泉首相が言うように今回の選挙が郵政民営化を問うための国民投票であったのなら、郵政法案が成立した時点で、多くの国政的課題を問う真の意味の総選挙を行うべきではないか。

 また仮に、九月総選挙が小泉首相に対する四年間の白紙委任状を与えたと解釈するなら、それから一年後の来年九月に首相を辞めることは国民への裏切りということになる。

 総選挙を実施するか、国民を裏切るか。ポピュリズムのつけは重い。
(衆議院議員、元出雲市長)

「株式・美しい買い方」

2005/12/19の紙面より

 十二月八日、午前九時二十七分、東京証券取引所が、四年前のニューヨークの九・一一テロ襲撃にも似た激震に見舞われた。みずほ証券のジェイコム株の誤発注は市場全体に拡大し、誤発注を誰が出したのか分からず、相場全体が混乱のうちに急落した。

 一般投資家がネット・トレーディングに参加し、市場が拡大しつつあった時の事故だけに、機械化に頼りすぎることの恐ろしさを知らされた思いだ。

 私は三十年間、証券や金融の世界にいたが、主たる役目は企業や政府のために債券や新株を発行するとか、企業の買収・合併のあっ旋・実行だった。従って、株式そのものの売り買いには縁が遠く、一度も株式を買ったことがない。

 それでも、私の人生にカブを手にしたことが二度ある。

 最初のカブは、役員報酬の一部としてメリルの株式を支給され、私は退職時に売却した。

 もう一つのカブは、その同じ平成元年四月、竹下首相がリクルート株疑惑の責任をとって辞職、その直前、私は竹下首相の地元出雲市で市長選挙に入った。毎日毎日、春まだ薄ら寒い出雲平野を街宣車で走りまわる。ある日の夕暮れ時、大きな包みをわきにかかえた青年とそのお母さんらしい女性が車を止めて私に近づいた。「これ、今とったばかりのカブですけん、カブでも食べて元気だすてごしなはい」と新聞に包んだカブとネギをどさっと頂いた。リクルートというカブで元気になった国会議員がいたことは間違いないが、私にはこの母と子の手づくりのカブがことのほか嬉しかった。

「うまみ」の誘惑


 証券会社や銀行に私のように株式を買わない人間ばかりがいるのもどうかと思うが、私が株式を買わなかったのは二つの理由からだ。

 第一の理由は株式に投資するほどの余裕が私にはなかったから。

 第二の理由は、お客様に売り買いをすすめる立場の会社にいればいろんな情報が先に入ってくる。自分が売ったり買ったりしていれば、人間の欲望として当然そういう情報は「自分というお客様」に提供して、本当のお客様をそのために犠牲にすることがあるだろう。そういう誘惑や疑惑から自分を守る最善の方法はたった一つ、自分で自分のための株式投資をあれこれと考えないこと、つまり、自分というお客様を犠牲にすることだ。

 市長という仕事にもいろいろな余得があることに気付いた。市内には文化団体、スポーツ団体が数多くあり、いわゆる有力者と呼ばれる人が代表となり、市長の所へ毎年度の補助金とか助成金の陳情においでになる。その陳情に好意的に対応すれば次の選挙ではまちがいなくその団体の推せんを受けることができる。いわば税金を使って自分の選挙運動ができるという「うまみ」に気付いた私は、その誘惑に負けないために、自分で自分の手をしばることにした。市の規則を変更して、助役、担当部長、議会代表、市民代表だけで決定して、市長の決裁印は不要にした。その結果、私の所へ陳情に来る人も礼を言いに来る人もいなくなった。

 市長が資金パーティーをすれば、企業や個人までが何かを意識し、何かを期待してパーティー券を買うだろう。いわば強制的賦課金のようなものだ。だから市長として資金パーティーなどをやるべきでないと考え、一度も開かなかった。

史上最高値での歓迎


 証券や銀行の仕事をしながらも、私と違って誘惑に強いと自信のある人は株式を買うだろうし、それは株式の活性化のため、日本経済のためにもいいだろう。

 一部の人だけが参加していた株式市場に誰でも参加できるように、それが経済社会の民主化を進めるために必要だと考えてマッカーサー占領軍が行った証券民主化は、結果として日本の高度経済成長を支える基盤となった。

 日本再生のために資本市場の裾野を広げ、安定させ、日本経済の米国からの独立、経済の自主防衛力と危機管理能力を高めるために、民主党は結党以来、日本版SECの設置と投資家保護法制定に努力してきた。

 七年前の四月二十七日、結党直後に民主党は代表団をどこへ送ったか。菅直人議員を代表とし、私も副代表として、五月二日にはすでにニューヨークに入っていた。日本の政治家はまずワシントンへ直行するものという常識を破ってアメリカ経済の中心ニューヨーク、その心臓部のニューヨーク取引所で取引所幹部の特別の好意で取引フロアーの真ん中を歩いた。

 トレーダーたちが一斉に拍手をした。民主党を歓迎してくれたと思ったのは菅さんの勘違い。その瞬間にニューヨークダウ指数が史上最高値を更新したからだった。いずれにせよ、日本の野党の代表団を史上最高値で歓迎してくれたアメリカの好意に私たちは感激した。

 政党の代表が世界最大の取引所に自ら入るのも、ウォール街の最もアメリカ的な大企業のトップを第一回の訪米でワシントンへ行く前に訪問するのも異例ずくめで、自民党との違いをアメリカ社会に印象づけるのに十分だった。

英国名門業者の誤発注


 そのニューヨーク取引所では考えられない誤発注、それにも増して誤発注に乗じて「火事場泥棒」とも批判されたような異常な取引。一つの買い注文で公開株数をこえる注文を出すというのは明らかに無理買いをこえた「無茶買い」で、犯罪行為と言わざるを得ない。他人の過ちにつけこむ注文をどこの証券・銀行・投資家が出していたのか、詳細を金融庁と監視委員会は公開すべきである。利益を吐き出しただけで、「ごめんなさい」では済まない。取引所の公的役割を忘れたトレーダーと取次会員業者の責任は明らかにすべきだ。

 このことで私は、三十年前のロンドンでの誤発注事件を思い出す。シティの名門証券パミュア・ゴードン社が、日本の外人投資枠規制のために、当時プレミアム付きで海外で取引されていた富士フイルム株の十本の売り注文を出した。他のロンドンのマーチャントバンクがそれを買い取ったあとで、ゴードン社の役員から電話がかかってきた。すべて売り注文ではなく、買い注文のつもりで出していたのだという。先方は真っ青、こちらに責任はないが、事の重大さに気付いた日興側担当者も真っ青。カバーは同じ外国人枠の中でしなければならない。直ちに連絡をとって、ニューヨークのマーケットが開く前にある米国の投資信託から必要株数を買い取り、ロンドンのその夜のうちに見事にゴードン社の誤発注処理は完了した。名門ゴードン社の名誉が傷つくことはなかった。

 私の記憶の中でも最も美しい買い方だった。
(衆議院議員、元出雲市長)

「脅威論か 共生論か」

2005/12/26の紙面より

 国会が終わり、延び延びになっていた中国天津市にある南開大学での講義やアジア太平洋経済発展研究センターと行政大学院での会議、そして中国の外交関係者との意見交換のために、暮れの二十日から二十四日まで、天津と北京を訪れた。北京はもちろんのこと、日中復交の新しい歴史の一ページを開いた故周恩来首相の母校南開大学のある天津でも、靖国問題、前原中国脅威論、小泉新内閣の挑発的顔ぶれなどなどに対する質問に取り囲まれた。

前原代表の中国脅威論


 結党以来毎年のように私は中国を訪問しているが、喜ぶべきか、悲しむべきか、今回ほど日中外交における民主党の存在感を大きく感じたことはなかった。

 前原代表発言に遅れること十日、政府を代表する形で麻生外務大臣も、中国の防衛費予算の規模と不透明さを根拠に、全く同様の中国脅威論を述べ、中国でも報道されたが、話題性としては前原代表に軍配が上がる。

 麻生外務大臣の後では、またもやあと出しジャンケンかと言われるから、民主党の代表は外務大臣の先手をとって発言。そのうえ、まず世界の政治の中心ワシントンで、次に相手の国へ直接乗り込んでのアピール。北京と天津の行く先ざきで、この得点ならぬ「失点外交」と「失礼外交」が話題となり、中国首脳部が、すでに予定もできていた会談を「日程の都合で」とキャンセルしてきた。

かつては日本脅威論


 ある大国が他国に対して脅威論を展開したことは今回が初めてではなく、我が日本もその標的とされたことがある。

 昭和十一年(一九三六年)二月、アメリカの代表的経済誌フォーブスは、「米国産業は日本の挑戦に勝てるか」と題した記事で日本脅威論(THE JAPANESE MENACE)が西欧諸国で高まっているとして、日本産業の力がアメリカはじめ西欧諸国を破壊する恐怖について報道した。

 現在に焼き直すならば、米国にとっての大量破壊兵器としての日本脅威論であり、それはやがて日本に対する石油供給の締め付けなどを含む日本包囲網の結成につながっていった。

不透明国家日本


 そもそも、中国の防衛予算の不透明さを批判する資格が日本にあるだろうか。

 一億円の政治献金が背広の内ポケットに入るとどこへ消えたか分からないという手品。これはただの一例で、検察などの国家権力をもってしても解明できない「政権防衛費」の透明度の低さではよく知られているのが日本。

 「企業防衛費」の透明度も低い。銀行と大企業のために庶民の利子を奪い取り、十年間に百五十四兆円。年間十五兆円としても公表された日本の防衛予算の三倍になる。他国の予算の不透明さを問題にする前にまず、政権防衛や、政権をカネと票で支える銀行と大企業を防衛する巨額のカネの透明度を高めることだ。

 日本の防衛予算は五兆円、中国は三・八兆円。人口や国土の大きさだけに比例するわけではないが、人口で十倍、国土が三十倍の中国の適切な防衛予算額はいくらと考えているのか、脅威を唱える前原、麻生の両氏は説明できるのか。

 自分の国の不透明さをそのままにして根拠もなく脅威論を述べる国の存在こそ脅威ではないか。

「富国共生」を掲げて


 戦後六十年の節目となる新年を前に、私は今こそ、「富国強兵」に代えて「富国共生」の国づくりを提案したい。

 「共生」には、大きく分けて二つの意味がある。

 まず、外国人や国際社会との「外なる共生」。日本だけが特殊なルールのもとでの競争を許されていた時代は終わっている。これからは、自由、公正、公平なマーケットを開かなければならない。

 また、日本は自分たちのできることで国際社会に貢献していかなくてはならない。日本の技術力は、世界の環境や文化遺産を守るためにも十分に役立つことができる。外国人への技術指導のために、明治以来のわが国の伝統と実績を踏まえた教育システムを整備、輸出することもできる。

 共生のもう一つの意味は「内なる共生」。女性、お年寄り、子供、障害者といった、いわゆる生活弱者と言われてきた人たちとの共生である。経済成長至上主義のなかで「おんな、としより、こども」として社会や政治の中心部から疎外されてきた人たちの能力、力を生かさなければ、本当に豊かでゆとりのある社会は実現できない。

 女性のこまやかな感性、子供の澄んだ目、お年寄りの経験に裏打ちされた知恵、障害者のやさしい心、これらのすべてがうまくマッチしたとき、「共生」が生まれる。

 このような「共生」社会をつくるには、経済的な発展と安定が必要であることは言うまでもない。強くなくてはやさしい政策を実行することができない。

 資源小国の日本では、人間だけが資源であり、宝である。知識の教育だけでなく、心とからだと知恵の教育にも力を入れていかなければならない。家庭から学校へ、学校から塾へ、塾から家庭への「三角教育」から、「知格」「人格」「体格」の「三格教育」への脱皮が必要で、これこそが「富国」のための基本である。

 「富国」が教育と経済の役割とすれば、その「富国」を「共生」につなぐ責任は政治と、そしてまたもや教育の役割である。年齢、性別、学歴、家柄、信仰、資産、国籍、そして政治の世界では一票の格差で人を差別しない教育を学校や家庭や社会で徹底すると同時に、政治の仕組みもまた変わらなければならない。

 大学を卒業してから、経済、金融という大きな世界に三十年、出雲市という小さな世界に六年、そして日本の国会の中で九年。日本という国を見続けてきて、世界一よく勉強し、よく働き、世界最高の技術水準を持ち、世界で最も大きな金融資産を持ち、四季の変化に恵まれ、新製品に敏感に反応する最良の顧客が小さな国土に密集し……、これだけ多くの「富国共生」のための条件を与えられながら、なぜ豊かで安心な国を国民に提供できないのか、そういう思いにいつもこだわり続けてきた。

 働いても働いてもラクになれない、税金を払っても払っても安心できない、なぜこんな国になってしまったのか、そういう思いで通勤電車に乗っている人が、最近増えてきているのではないか。

 お粗末な経済政策や外交がいつまでも続いている国こそ日本国民にとって「脅威」ではないか。

 明治維新の「富国強兵」から、今は「富国共生」の時代。日本の強い経済をとり返し、その強さと豊かさを基盤として、外なる共生、内なる平等社会・差別のない社会を実現する、二十一世紀の国家ビジョンとして推進すべきである。
                          (衆議院議員、元出雲市長)