【 一月三舟 (いちげつさんしゅう) 】
仏教用語。一つの月でも、とまっている舟から見るととまって見え、北に行く舟から見ると北に行くように見え、南に行く舟から見ると南に行くように見える。一つのこともそれぞれに異なって受け取ることができ、いろいろな見方をすることができることのたとえとして使われている。

 「魏の国、偽の国」 2006/1/9の紙面より

 

明けましておめでとうございます。

 新年で十年目に入りますが、こんなにも連載が長命を保ってこられたのは、毎週月曜日の私のコラムを熱心に愛読していただいた読者の皆さんのおかげです。

 所用で鳥取市や米子市に行き、駅前のタクシーに乗ると運転手さんが私の名前を確かめもせずに、「毎週読んどります」。これが最初のあいさつで、あァ、ここが「三舟」のふるさとなんだと、胸がじんとする思いです。

「医・職・住」の時代


 新聞の読者の方たちだけでなく、最近はインターネットの普及で日本国内はもちろん、海外在住の方々にも読んでいただいて、感想や激励をお寄せ下さることが多くなりました。

 この「一月三舟」は、国会の中でも小泉総理をはじめ各党の国会議員四百人、そして勉強熱心な議員秘書の皆さんにも輪が広がっています。廊下やエレベーターの中で、「今週のは面白かったです」とか「岩國さんのおっしゃる通りですよ」などとコメントをいただくと、「書いておいてよかった」と、喜びがふくれます。

 この九年間をふり返りますと、国会の様子も、政治課題も大きく変化しました。

 高齢化、医療、介護、教育、農業、地方振興、景気対策に加えて、年金、財政再建、雇用、民営化、自殺、少子化、自衛隊、靖国、憲法改正などが大きくクローズアップされてきました。銀行助け・大企業助け・庶民いじめのゼロ金利政策がこの九年間に進行しているために、「少子化」と並んで「少利子化」が家計や消費の深刻な問題となりました。

 くらしの大切な三要素を簡潔に見事に言い表していた「衣・食・住」も、今では「医・職・住」と読み替える時代に入っています。

 その時々の問題に焦点を当てながら書き続けて、「一月三舟」九年分の字数は既に百万字をこえました。酷使に耐えながら今も健在のパイロットとモンブランの万年筆に感謝しなければなりません。

 私の執筆に根気よく付き合ってくれたモモちゃんはなくなりましたが、何よりも健康で書き続けられたという点では妻の欽子(ぎんこ)に感謝しています。

日本の安全倒壊の恐れ


 さて、この一年間、私が特にこの欄で訴えてきたことは憲法、年金、財政、郵政民営化、靖国と中韓外交などでした。日本という国を支えてきた基本的条件の一つひとつが危なくなり、倒壊の恐れがあることに私なりの警鐘を鳴らしたかったのです。日本国民の安全だけではなく、動物や植物の安全も守れなくなってきました。地球上の各地を襲う異常気象の被害を最も受けているのは人間よりも動物であり、植物ではないでしょうか。

 私はヨーロッパやアメリカにも長く暮らしていましたし、仕事がらアフリカ、中近東、アジアの国や都市も多く見てきましたから、日本と外国のどこが違っているか、他の人よりは少しはよく見えると思います。

 いろんな動物が日本ほど活躍の場を与えられている国は世界でも例がありません。例えばライオンが歯ブラシを作り、キリンがビールを売り、カメの子がタワシを作り、ゾウがお湯をわかし、タイガーがお湯をあたためる。クロネコがお歳暮を届けて、ペリカンが荷物を運ぶ。そのうえ一年間の人間の生活を支配する暦も十二の動物が支配する。今年の年賀にはワンちゃんの写真や絵がどっさり。

 出雲市の友好都市の漢中市は中国の歴史でも有名な魏・蜀・呉の三国時代の舞台となったところですが、その漢中市のある陜西省の秦嶺山脈は魏と蜀の中間にありました。そこではトキ、パンダ、金糸猴などの貴重な動物が保護されています。魏の曹操の立派な書も漢中市に保存されています。

 「魏志倭人伝」の縁もあるそのような魏の国や蜀の国を日本がお手本とするのはよいことですが、最近の日本は、魏の国どころか「偽(ぎ)の国」への道を進んでいるように思えます。

「偽もの」が横行


 この一年間をふり返るだけでも「偽」の字が使われた報道が数多くありました。

 昨年の初詣でには、こともあろうに各地の神社で「偽札」が使われました。

 西武鉄道の株主名簿が偽装され、もともと上場資格の欠けている、いわば「偽株」を五十年間にわたり堂々と日本一の取引所で売買を許してきたというお粗末もありました。

 おカオのお化粧ではなくおカネのお化粧に励んだカネボウの「偽決算」は投資家を驚かせました。

 兜町だけでなく、政治の中心地の永田町でも、一億円を隠した「偽収支報告書」が問題となりましたが、こちらの方は「ちゃっかり」ではなく「うっかり」でしたという恩情ある解釈で誰にもおとがめはありませんでした。

 「綸言(りんげん)汗の如し」という表現があるように、天皇の勅令を書面にした綸旨にある言葉は、一度出した汗をひっこめることができないように、絶対的なものでしたが、それを悪用して「偽(にせ)綸旨」が京の都ではやったことがありました。十四世紀、治安が悪化した都で、「このごろみやこではやるもの。夜討ち、強盗、にせ綸旨」と。

 ブッシュ大統領から「ミーも行くからユーも行け」「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」、イラクには大量破壊兵器が存在するというたしかな情報とやらも密室で説明された小泉首相。そのブッシュ大統領が情報のまちがいを「お詫びとともに訂正」して、いわば綸旨をひっこめてしまいましたが、小泉首相からは「偽綸旨」については国会にも国民にも、なんの説明もないままです。

 これだけ偽ものが日本ではやるのはどこに原因があるのかと考えてみました。

 日本がジャパンとよばれるのは「ジパング」(黄金の国)と古くはマルコポーロの時代から命名されていたことにあります。

 アメリカの中央銀行を見学したときに本物の金塊が一般見学者用にどーんと置かれてあったことに、感激した思い出があり、それではと私は昨年、予算委員会で日本銀行総裁に質問しました。

 「日本銀行本店でうやうやしく展示されている金塊は本物ですか、偽物ですか」と。それは偽物でした。本物を展示しているアメリカにお金を貸す国になっても、まだ「偽金塊」を展示しているところに「ギパング」の「偽(ぎ)」の伝統が象徴されているように思えます。

 偽物の横行が日本の安全と信頼を破壊し続けています。道路公団や郵政の「偽装民営化」もありました。そしてその極めつけと言ってもいいのがマンションやホテルの「偽装設計」事件でした。

 「偽(ぎ)の国」日本の新年にはどのような偽ものが登場するのでしょうか。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「春、ロンドンのように」

2006/1/16の紙面より

 二十年の長い外国生活を終えて日本に帰ったとき、失ったものは多かった。

 しかし、日本へ帰ってきて、得たものも多い。その一つは、豊かな緑をはじめとする、すぐれた自然環境である。

 もちろん、外国にもすばらしい自然はある。私たちの住んでいたニューヨーク、ロンドン、パリは、いずれも大都市だったが、その大都市の中で次々と失われていく花と緑を、市と市民が懸命に守ろうとしていた。

 ニューヨークでは広大な「セントラル・パーク」に樹木と花が多く、市民の憩いの場となっているし、南北に貫いてマンハッタンの背骨の役を果たしている「パーク・アベニュー」は、その名の通り、大きな街路の中心を幅四メートルの花園が延々と続き、季節ごとの花で飾られる。

 パリも負けてはいない。

 パリ市内のいたるところに、きれいなマロニエやプラタナスの並木の道が目に入るし、シャンゼリゼにも近い住宅街の中心にあった「モンソー公園」にはとりわけ多くの花木が植えられていた。私の二人の娘は、その公園の入り口にある小学校へ通っていたが、休み時間には子供たちが公園の中を走りまわっていた。

 日興證券の支店長社宅としていたアパートは、パリの第十六区、パリ最大の公園である「ブローニュの森」のすぐ東の通りにあった。週末には家族中で愛犬のルーピーを連れて森の中を走ったり、その森の中にある、世界中のバラを集めた「バガテル庭園」の中をゆっくりと散歩するのが楽しみだった。

花と緑愛するロンドン市民


 このようなニューヨークやパリにもまったく引けをとらないのが、ロンドンである。

 公園の広さだけで千代田区や中央区の大きさに匹敵する「リッチモンド・パーク」や、世界最大の植物園「キュー・ガーデン」を擁し、市民もまた負けじと各戸必ず前庭と裏庭を持っている。

 「シティ」と呼ばれるロンドンの金融・証券・保険街で働く人たちには、五時を過ぎるとさっさと帰宅し、夕食前に花の手入れなど、庭仕事を楽しむ人が多かった。ロンドンでは、道ばたや公園で花を手折る人など、まず見かけることはない。

 バラのある庭で腰かけて、ティーを飲みながら推理小説を読むというのが、イギリス人の典型的な老後の生活だと語ってくれた友人がいた。その友人たちも今ではきっとバラづくりに精を出しているに違いない。

 ロンドンの春は花の種類が多い。町の中を歩いているだけで、公園の中の道を歩いているぐらいに花に出合う。

 二月の末ごろから六月にかけて、クロッカス、れんぎょう、水仙、桜、チューリップ、メイ・フラワー(さんざし)、バラ、石楠花(しゃくなげ)と、次々に花を咲かせ、カラフルなロンドンの春を演出する。イギリス全体が公園になってしまうのが、この春の四カ月間だ。

 「花のパリ」とか「霧のロンドン」といった表現があるが、花と緑に関しては、間違いなく、ロンドンが「花のロンドン」である。

 亡くなられた立石電機の立石一真社長(当時)が、英国のある銀行との要談のために、ロンドンへおいでになったのもそういう季節だった。

 御室(おむろ)の仁和寺の桜をこよなく愛し、オムロンという社名にまでされた立石社長が、赤いメイ・フラワーの花の前に立って、「イギリスで日本の桜に相当するのはメイ・フラワーでしょう」という私の説明をうなずきながら喜んで聞いておられた姿が、つい先頃のことのように思い出される。

激務で持病が悪化


 数多いロンドンの花の中に、私には格別に忘れられない花がある。二月から三月にかけて咲きだす、小柄な十センチばかりのたけに黄色い花をつけるクロッカスの花である。

 当時のロンドン駐在員事務所は、日本の大蔵省の駐在員枠のためにわずか三人、それに現地人秘書が一人という小所帯だった。

 しかし、世界的な株高が進みはじめて、日本株に対する英国と欧州大陸からの買い意欲は、月を追い、日を追って燃え広がり、事務所のテレックス機は鳴りっぱなし。株式の営業は私の直接の担当ではなかったが、この異常な状況では全員が手分けして当たるしかない。夕食をとる時間もなく、東京証券取引所が開くまでの限られた時間に、英国と欧州各地の銀行や保険会社からの売り買いの注文を整理し、それをテレックスのテープに打ち込み、送信しなければならない。

 オランダ、フランス、イギリスの銀行は、複数の顧客からの注文でも同じ銘柄の注文なら、ロスチャイルド銀行ならロスチャイルド銀行一本にまとめてこちらへパスしてくるが、ドイツの銀行は銀行内分権化が徹底していて、支店ごと、顧客ごとのバラバラの注文がそのまま届いてくる。

 例えばドイツ銀行ならフランクフルト、ハンブルグ、デュッセルドルフ、ミュンヘンと四カ所から、そして銘柄が日立でもそれぞれの顧客の注文ごとに日立千株成り行き、日立一万株成り行き、日立三千株二百十円、日立五千株二百十二円などと、目がまわるほどの件数の多さになり、ミス・マッチ寸前の危機状態が毎晩のように続いていた。

 ある日の夜中、激痛が走った。

 どの薬を飲んでも治まらない。

 救急車に乗せられ、近くの病院で応急手当を受けることになった。大学時代からの持病の十二指腸かいようの再発、悪化である。

 やむなく東京本社に応援社員派遣を頼み、私は戦線から離脱して、モルヒネで痛みを抑えながら東京行きの飛行機に乗った。

 幸い東大病院での手術は順調で、林信雄所長に約束したとおり、一カ月後の三月はじめにロンドンに帰任した。

再起祝ってくれた花たち


 三月のロンドンはまだ寒い。春というよりは日本の早春の季節で、花もほとんど咲いていない。

 日曜日の朝、近所の公園に散歩に出かけた。病みあがりのゆっくりした歩調で「マーブルヒル・パーク」のゲートを入ると、右手の大木のまわりに黄色いクロッカスが密生していた。

 私が東京へ手術に出かける時には、緑の葉が土の表面にやっとというぐらいだったのに、元気で帰ってきた私を小さな腕で迎えてくれているような花たちだった。

 よく見ると、近くの日あたりのよい草むらにはこれも黄色の水仙が花を咲かせていた。その直線的で凛々しい清楚(そ)な姿にも改めて感動を覚えた。

 三十五歳の春、私の人生の再出発を祝ってくれたクロッカスと、私を励ましてくれた水仙だった。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「わが息子 ホリエモン」

2006/1/23の紙面より

 日本という国家のあり方について、国民の暮らしを向上させる方策について、ライブドアの堀江社長がどういう考えを持っているのか、知っている人はほとんどいない。若くして会社を作った、次々と会社を買収して大金持ちになった、そのようなイメージしかない人を自民党が政治の世界へ送りこもうとしたことから、問題は大きく広がってしまった。

公認候補以上の扱い


 政治家に対する有権者の目が一層厳しくなっているというのに、最近の総選挙の候補者の選び方もいい加減だ。まるで国会議員の役割を、命令のままに賛成投票する自動投票機としか見ていないかのように、郵政民営化に賛成さえすれば国会の議席を与えようとする。

 その極端な例がホリエモン堀江社長の立候補と、それを自民党が支援したことである。

 自民党の公認候補ではなかったけれど、公認候補以上の扱い。まず党本部での立候補記者会見で小泉改革との一体感をしっかりと打ち出し、「改革」という二文字を大きく刷り込んだTシャツを着せて、若者を中心とする全国二十二万人のライブドア株主のみならず、何百万人ものIT愛好者層にしっかりとアピールして投票行動に結びつけていった。

 有権者を驚かせたり面白がらせたりした立候補騒ぎの中で、見落としてはならないもう一つの非常識は、金もうけと政治の二足のわらじを自民党が容認したこと。政治は専業であるべきという不文律の道徳観念を無視して、国会へ入ってからも自分が経営する会社の社長を続け、「金もうけのかたわら」政治をさせるなどという条件を自民党がのんだというから嘆かわしい限りである。自民党にその反省はないのだろうか。

 さすがに広島県民の良識というブレーキがきいて、「ホリエモン議員」は実現しなかったからいいようなものだが、国会議員のポストの安売り、投げ売りは自民党に限らずあらゆる政党が厳しく慎むべきことである。

 「カネさえあれば人の心まで買える」と豪語する人物を支援する自民党もまた、同じように人の心はカネで買えると考えているのだろうか。

竹中、武部氏が熱烈応援


 武部幹事長、竹中大臣など、小泉政権を代表する人たちが広島県で堀江候補を応援して次のように述べた。

 「われらがホリエモンです。小泉さんとホリエモンさんと私と三人で小さな政府を目ざします。構造改革を実現します」とマイクを持って叫んだのは竹中大臣。経済の専門家として重用され、小泉政権を代表するカオの一人がここまで持ち上げれば、投資家も安心して政府自民党保証のその株を買いたくなるのは当然のことだ。二足のわらじをはこうとする人を応援することがそのまま株価を持ち上げる効果につながったことを専門家の竹中さんが知らないはずはない。竹中さんは「風説の流布」の責任をとるべきだ。

 金融を担当しながらライブドアの不正取引を摘発できなかったばかりか、あろうことに政界に迎え入れようとした不明をどう説明できるのか。

 その程度の専門家が設計した郵政民営化は、私が再三指摘してきたようにまさに偽装設計そのものであり、百年、二百年にわたって国民の安心を支える設計にはなっていない。郵政民営化の仕組みには、株を売却したり、買い戻したりと、ややこしい擬装が各所に伏せられている。

 例えば、民営化の証(あかし)として政府所有の株式を完全に売却するが、その直後に買い戻すこともできるという条項は「まやかし」「ごまかし」そのものではないか。「連続保有」ではない、「連続的保有」だという無責任な詭(き)弁で国会を押し切っているが、これは問題となっているライブドアが投資組合を使って連続的保有で投資家と取引所をあざむいた仕組みと全く同じではないか。

 ライブドアが真似たのか、政府がライブドアを真似たのか、この点も明らかにしてほしい。

 「精神的にも全面的に応援したい」と最高級の激励を与え、続いて「わが弟です、わが息子です」とマイクを握って有権者に訴えたのは自民党の武部幹事長。ここまで支援したのであれば、ホリエモン裁判の時にはしっかりと無罪判決がおりるように全力を挙げるのが公党の責任であり、義務ではないか。

犯罪生んだ規制緩和の風潮


 私が勤務していたころの証券の世界は、株式を発行する「経営者」と、それを買う「投資家」と、引き受け責任を負って仲介する「証券会社・銀行」と、三者の役割は明確に分離されていた。

 それが規制緩和の風潮の中で、投資家が証券会社を兼ねたり、証券会社が投資家になったり、経営者が証券会社を持ったりなど、三者の役割があいまいになり、その極端で分かりやすい例がライブドアのホリエモン社長である。彼は会社の経営者であり、会社を買収する投資家であり、株式を売買する機関を持ち、要するに一人で三役を演じているから今までの規則や法律では処理しにくい面がある。

 小泉内閣の「三位一体」を演じる「三身一体」のホリエモンを認知するだけでなく、そのうえ政治家という四つ目のお面までかぶらせようとした自民党の考えが、今回のライブドア犯罪の温床になっていることを知らなければならない。

 株式市場を利用した犯罪を取り締まるためには強力な監視委員会が必要だ。銀行行政を一次方程式の世界と見るなら、ダイナミックに働く証券市場はスピード、情報力、決断、規模、戦略が左右する五次方程式の世界だ。日本の現状はいわば中学生に無理矢理に大学生の問題に取り組ませているような危うさともどかしさを感じる。

 こういう反省のもとに、私たちが国会に証券取引委員会設置法案を提出したのが昨年の四月のことだった。

 わが国の証券取引等監視委員会は、その規模、権限、独立性のすべてにおいて米国SECに見劣りしている。例えば米国SECは三千八百人を超える人員を擁しているのに対し、日本は四百人あまりに過ぎず、権限が小さいから事件が起きても、金融庁、法務省、検察庁などに一々お伺いを立てなければならない。捜査一つとっても、報道付き、予告付き、隠ぺい期間付き、手心付きの甘いやり方では、真相解明や犯罪防止効果に著しく欠け、投資家保護の目的を達成することはできない。

 ライブドア事件を契機に、一日も早く「日本的SEC」を「日本版SEC」に充実させる法案に超党派で取り組むべきだろう。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「人は石垣、人は城」

2006/1/30の紙面より

 横なぐりの冷たい風の中を歩く。頭巾をかむり、小さな体を吹き飛ばされないように、足を踏みしめて、何人かが一緒になって学校へ向かった。

 暗い、どんよりとした雲の下には、白い波を立ち上げて噛みつくような勢いで海岸へ押し寄せてくる日本海があった。

 学校が終われば畑へ出る。野菜の手入れ、そして冬の畑仕事で一番つらいのは麦踏みだ。下から吹き上げてくる浜風の中で、母の背中を見ながら麦を踏む。

 そのころの子供はつらいとも思わず、いやだとも言わず、仕事をした。大人も子供も真剣に生きてきた日本の戦後の時代だった。

嘘、偽り、だましが横行


 日本の親が子供たちに言い聞かせていたことは、そのころも、それ以前も、たった二つ。

 「嘘はついてはいけない、閻魔(えんま)さんに舌を抜かれるから」

 「人に迷惑をかけてはいけない」

 どこの家でも子供たちは同じことを言われて育った時代が、そこにはあった。

 ところがこの一年、ふり返ってみるとこの国では嘘、偽り、だまし、ごまかしが至る所で横行し、日本人の品性が地に堕(お)ちた感がある。

 こともあろうに各地の神社への初詣でに「偽札」が使われたのが一年前のお正月の話。

 西武鉄道の株主名簿に「偽名」株主が五十年間も存在し、その株主が税金を払っていたかどうかさえ、政府は質問されても調査せず、公表もしない。

 カネボウがおカオだけでなく決算書類まで厚化粧して四十年間も「偽決算」で株主をだまし続けていた。

 永田町でも、内ポケットの一億円があっというまに消えたり、ありもしない十億円の残高をあるように偽って報告した「偽装収支報告書」が問題となった。

 「偽札」はいけないことだ、犯罪だと言っている日本銀行が、見学者に見せている金塊が、実は「偽金塊」だったことも予算委員会の質問で明らかとなった。

偽装設計の郵政民営化


 総選挙の争点として使われた郵政民営化法案にも嘘やごまかし、「偽装」がふんだんに込められている。

 まず、アメリカが期待している民営化なら、そのアメリカはさっさと実行ずみだろうと国民に思わせて、そそっかしい人に賛成させるという「偽計」。

 そのアメリカが民営化を実施しているどころか、二年前に「民営化しない」と決定し、米国民に公表しているという事実を、小泉さんも竹中さんも最後まで日本国民には一度も説明したことがない。アメリカが民営化しているという虚偽説明はしていないという言い訳は通らない。最大の争点に関わる最重要な情報を隠ぺいしたままで国民に投票させたことは、不作為の作為、「偽計」そのものであり、その偽計で得られた得票は「粉飾」された票数であり、八十三のチルドレン・シートは「偽席」そのものである。

 民営化法案にはまだまだ偽装設計がある。その一つを挙げれば、郵便、貯金、保険と三つの会社に分離独立させ、株式をいったんは完全に市場に売却したように見せかけて、そのあと直ちに買い戻しができる条項が最終段階でもぐり込んできて偽装が完了。ライブドアの偽装取引と仕組みが全く似ていることに今さら感心したり、憤慨してもあとの祭り。

 偽名まで使われているのが郵政民営化。「貯金銀行」を設立するというが、銀行が扱えるのは「預金」であって、国が保障する「貯金」ではない。「銀行」を作るなら「貯金」を名前から削るか、「貯金」を扱いたいなら「銀行」を削るか、どちらかでないと「貯金も預金も扱っている銀行」と錯覚させてお金を集めることになる。人に錯覚させてお金を集めることを「詐欺」と言う。国家ぐるみの詐欺までして金を集める国家はどこかの会社にも似て、三流の国家ではないか。

 郵政を民営化すれば外交関係もよくなるという説明も全くのごまかしだった。

 外交のどこがよくなったのか。

 アメリカは日本の安保理常任理事国入りを応援してくれたのか。

 アメリカは日本の食の安全に協力してくれたのか。「民営化法案は骨ヌキ、牛肉検査も骨ヌキ」で、骨ヌキ牛肉のはずが届いたのは骨ツキのBSE。

 民営化や規制緩和のすべてに私は反対しているわけではない。世界各国の民営化や規制緩和をそれぞれの国で私ほど多く見てきた人間はいないだろう。見るだけでなく、私はそういう仕事に携わってきたのだ。

 だからこそ私は慎重だ。

 官から民へと言ってもすべての民が正しく仕事をするわけではない。民にできることは民にと言っても、民にさせてはならない、官だからこそやらなければならない仕事がある。検査がそれであり、監視がそれであり、不正摘発がそれである。だからこそ、例えば警察を民営化しようという国はどこにもない。

 しっかりとした官の役割があってこそ、正直者が馬鹿を見ることなく、自由闊達な民の世界が広がり、民間の活力が社会を前進させるエネルギーとなる。

 民間に検査や不正摘発を委託した結果はどうなるか。言葉は過ぎるが泥棒に泥棒の見張りをさせればどうなるか。民間が設立した民間の検査機関が顧客を増やし、売り上げを伸ばすにはどうするか。検査の手抜きや不正の見逃しに走るのは分かりきったことではないか。偽装工事を問題にする前に、こうした規制緩和や無責任な民営化を設計した「政府による偽装設計」を問題にすべきではないか。

教育は国家支える鉄筋


 民間による効率化は必ずしも公正を意味しないこと、そして民間による創意工夫は必ずしも公益を尊重しないことなどへの配慮が欠けている構造改革には問題が多すぎる。何よりも、目先のゼニ、カネ、ソロバンだけにこだわり、日本という国の倫理や品性を守ろうとする志が欠けている。だからこそ、ホリエモン的経営と日本の改革路線とを簡単に重ね合わせて、お互いに利用しあうことが恥ずかしさもなくできるのだ。

 ライブドアに関する多くの有識者の意見を読んで、経済界の人も、学者も、反省点として教育の大切さを訴えておられた。私も全く同感だ。「嘘はいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」。この二つの教育だけでも徹底すべきだ。

 そして、国家の指導者には指導者にふさわしい志が必要だ。国家があって教育があるのでなく、教育があって国家がある。国家という建物を支える鉄筋に相当するものは教育しかない。

 教育があって人間は「人間」になれる。その「人間」あって国家が成り立つ。

 「人は石垣、人は城」。昔も今も、国を守れるのはカネや鉄砲ではない。志をとり返す教育だけが日本を守ってくれるだろう。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「パパ、ママ、バイバイ」

2006/2/6の紙面より

 東京の渋谷からはじまり、世田谷、川崎市の鷺沼を通り、横浜市青葉区、緑区に至る東急田園都市線の中でも、青葉区が注目されているのは緑の多さ、整備された道路と住環境だけではない。

伝えなければならぬ悲劇


 長生きの県として長野とか島根とか沖縄の名前を挙げる人が多いが、時代は変わり、近年の統計では、平均寿命男性の第一位は横浜市青葉区、そして隣の緑区の女性は横浜市で一位。赤ちゃんの出生数も青葉区は市内十八区の一位を十年間に亘って独占してきている。

 高齢化の問題と少子化の問題ほど新聞に毎日のように取り上げられない日がないほどの日本で、高齢者は長生き、赤ちゃんは多く生まれる、まるで明るい日本の未来を眺める窓がそこにはある。そのような恵まれている地域では、悲劇には縁がないと思い込んでいる人が多いのも無理はない。

 だからこそ私は、あの二十九年前の悲劇を一人でも多くの人に伝えなければならないと思う。

米軍機墜落、血まみれ母子


 一九七七年九月二十七日、夏の名残りを思わせるような、汗ばむ暑さの日だったという。その日の午後一時過ぎ、横浜市青葉区荏田町に在日米軍厚木航空基地を離陸したジェット偵察機二機のうち一機が火を噴きながら墜落し、炎上した。当時の新聞は次のように伝えている。

 「一瞬、火の海」「米軍機、民家に墜落」「住宅襲う火だるま破片」「二階建てが吹き飛ぶ」「火だるまマッハ住宅地襲う」「助けて! 血まみれ母子」「すさまじい爆発音、もうもうと数十メートルの高さにまで真っ赤な炎と、どす黒い煙、炎に包まれながら飛び散る機体の破片、頭から血を噴き出し、燃え上がる住居からはい出す親子」。

 墜落現場は、東京から三年前に引っ越してきた私の今の住所から見降ろせるぐらいに近い、二百メートル離れた場所である。

 事件当日、近くには東急建設の作業所があり、作業員たちが駆けつけた。女の人が助けを求めて表へ飛び出してきた。作業所の毛布を五枚持ってきて包んだ。救急車を呼んだが、二人の男の子が血まみれになって泣きわめきながらかけて来たので作業所の車でいったん近くの開業医のところへ運び、そして救急車が来て次に昭和大藤が丘病院に運んだ。

 二人の男の子はさらにその後、近くの青葉台病院へと運ばれたが深夜一時に三歳の長男の裕一郎ちゃんが、そしてその後を追うように一歳の次男の康弘ちゃんが息を引き取った。

 その時の模様を伝えた朝日新聞の記事と、母の和枝さんの日記をもとに出版された「あふれる愛に」そして「『あふれる愛』を継いで」(七ツ森書店、土志田勇)を涙なくして読むことはできない。

 母和枝さんの父、二人の子のおじいさんである著者の土志田勇さんは次のように記している。

 「痛いよ熱いよう

 全身に包帯を巻かれたユー君は苦しさに暴れ、

 「お水ちょうだいジュースちょうだい」と繰り返した。

 「いまは、あげられないんだよお水飲むと、もっと苦しくなるのよ」

 泣きながら、こう言わなければならなかったおばあちゃん。

 裕一郎危篤の知らせを受けて、父の林一久さんが、藤が丘病院の和枝さんの看護を義父の土志田さんに託し、青葉台病院のユー君のもとへ深夜のタクシーを走らせる。「死ぬなよ裕一郎。いまパパが行くからな」。

 しかし、間に合わなかった。小さな裕一郎君の体は呼吸をやめていた。付き添っていたおばぁちゃんに、

 「パパ……ママ……おばぁちゃんバイバイ」という最後の言葉を残して。

 弟の康弘君の容体がおかしくなったのはそれから二時間のことだった。呼吸がどんどん荒くなり、息の乱れが激しい。

 この子のために何かできないのか。ふと思いついた。

 「なぁ康弘、パパといっしょにハトポッポをうたおうか」

 お風呂に入りながら教えてきた、康弘君の歌えるたったひとつの歌だった。

 「いいかい康弘、うたうぞ。ポッポッポ、ハトポッポ」

 「ポ、ポ、ポ、ハトポッポ」

 康弘君の声がはっきりと聞こえた。

 「パパ……、ママ……、じいちゃん……、ばぁちゃん……

 突然、康弘君がそう言った。まわりの誰もが息をのんだ。パパ、ママは言えても、これまで一度も言えなかった言葉−−じいちゃん、ばぁちゃんをはじめてはっきりと。北の湖の目に似ていると言われていた康弘君の目が開くことは二度となかった。

削られた母子像台座説明


 ジェット機のパイロット二人はどうなったか。二人は墜落前に脱出。地上の騒ぎとは対照的にパラシュートでゆっくりと空から降りてきた。ほとんどケガらしいケガもなく、自衛隊のヘリコプターに収容され、厚木基地に運ばれ、本国へ帰国した。早すぎた脱出が人家への墜落につながったという疑惑も究明されることはなかった。

 自衛隊が活動したのはパイロットの救助だけだった。「自」衛隊でありながら、「自」国民の救助に当たらず、他国民の救助を優先したのである。自衛隊にとっての自国とは米国を意味する。

 それから四年半、八二年一月二十六日に母の和枝さんも亡くなった。吐く息が真っ白になるほど寒い日だったという。

 「もう一度自分の腕でふたりを抱きしめたかった」という和枝さんの最後の言葉を聞いて、父の勇さんは母子像を完成した。しかし、台座に刻むはずだった「和枝さんの愛の母子像」は市の要請によって「和枝さんの」を削られ、「あふれる愛をこの子らに」から「この」が削られた。

 「海が見たい」といっていた和枝さんの思いを汲んだ土志田さんの願いで横浜市が許可した「港の見える丘公園」での条件は、特定の事件や事故に関連させないことだったのだ。

 和枝さんが裕一郎君と康弘君を抱きしめているこの像の由来を説明する碑文も未だに許されないままである。

 日本中に報道された、横浜市の北部で今から二十九年前に起きた、米軍による事故と悲劇は、歳月の経過とともに、近隣に住む人たちにさえも今や忘れ去られようとしている。

 周辺の町田市でも大和市でも起きたこのような事件が再発しないという保証もないままに、厚木の米軍基地では今日も米軍機の訓練が続き、横須賀には米軍空母が停泊を続けている。首都圏といわれるこの地には今も日本の戦後がしっかりと足をとどめている。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「教科書に感動」

2006/2/20の紙面より

 小学校や中学校の国語の教科書の中には、ただ単に美しい言葉とか正しい文章の書き方のお手本だけでなく、物語そのものに胸を躍らせ、地球の各地への探検、好奇心を育てたり、人間性に感動したりした教材が数多くあった。

暗黒のアフリカ大陸横断


 子供たちの育つ時代や家庭の環境にも影響されるだろうけれど、教科書の中で一番感動した物語は何かときかれたら、私は迷わずに「リヴィングストンとスタンリー」を挙げる。

 少し長いストーリーだったが、何度も何度も読んだ。教室でも先生に指名されては生徒が立ち上がって読んだ。ずいぶんな時間をこの「リヴィングストンとスタンリー」にかけたのは、担当の国語の先生もこの話と二人の主人公が好きだったからに違いない。

 柔道のチーム対抗のように、教室を二つに割って、立ち上がって読まされた生徒が間違えると相手チームに順番が移る、そんなゲームのようなことを先生にさせられたが、私の順番に来た時、間違えずに最後まで読み切って、友だちがびっくりし、先生がとてもほめてくれたから、私にはとりわけ印象深かったのだろう。ラグビーのボールをかかえて、ロングヤードを独走でゴールを決めたような爽快感があった。

 未知の土地をさぐりたいというのは、人間の本能的な強い願いだ。

 地球のはてをきわめようとして南極の氷の中に消えたり、アフリカの大陸の中で病に倒れたり、九死に一生を得て高山の頂きを征服したり、こうして人類は次第に知られなかった世界を明らかにし、人類文化圏を広めてきた。

 十九世紀に入って、残る未知の世界で最大の難関はアフリカ大陸だった。

 そこに登場したのがのちに暗黒のアフリカ大陸の父と呼ばれるリヴィングストンだった。一八一三年にイギリスのスコットランドに生まれ、工場で働きながら夜学に通い、医学の勉強を積み、宣教師の修業をした後、伝道を目的に一八四〇年の末、アフリカへ向かって初めての旅行に出発した。

 アフリカの南端から九年をかけてカラハリの大砂漠に至り、ヴィクトリア大瀑布を過ぎて一八五六年東海岸のケリマネに達したのが、ヨーロッパ人による最初のアフリカ横断となった。

 二度目、三度目とアフリカへ向かう中で、一八六九年五月の手紙を最後に彼の消息はぷっつりととだえた。多くの人が彼の死を信ずるようになった時、一人の探検好きのアメリカ人が立ち上がった。

長い苦難の末の出会い


 その年の十月、パリに滞在中だったニューヨーク・ヘラルド新聞のベネット主幹は、かねてからリヴィングストンに深く敬服しており、自分の新聞社の社員、英国ウェールズ出身の若いスタンリー記者をパリに呼び寄せた。

 「費用はいくらでも出すから、捜索隊を率いて行ってくれ」というベネットの依頼に応えたスタンリーは、苦心の末に一九二人の大チームをようやく編成することができた。帰れないかも知れない暗黒大陸への旅を引き受ける者は少なかったからだ。

 予想どおり困難を極めた旅。隊員が次々と倒れてゆく。しかし、困難が増せば増すほどスタンリーの決意は固くなり、リヴィングストンを探しだすことは、もはや新聞社の仕事ではなく、彼自身の心からの仕事となっていた。

 遂にその日がやってきた。情報をもとにウジジに入ったスタンリーは、背が高く、金モールをまいた帽子をかぶり、赤い上着と白いズボンの一人の白人を発見した。

 「リヴィングストン博士ではありませんか」

 「そうです」

 スタンリーは相手の手を強くにぎりしめて叫んだ。

 「あなたにお会いすることができたのを私は神に感謝します」

 「私もここにあなたをお迎えすることになったのを深く感謝します」

 長い苦難の年月の末に出会えた二人が、胸をふるわせながらも、このように礼儀正しく、落ち着いた態度で挨拶できる、このくだりを読むたびに、これが大人の世界なんだと感心していたことを思い出す。

スポーツマンシップの手本


 今、トリノオリンピックたけなわ。毎晩のように感動のドラマが誕生している。教科書の中での大好きなスポーツ・ドラマは、一九三六年のベルリン大会で棒高跳び決勝戦でメダルを争った大江・西田の両選手だ。四メートル三五を跳べたメドウス選手が一位の金メダル。そして日本の選手が銀と銅を争うことになった。

 誰でも銅より銀を手にしたい。しかし、この大会を目ざして寝食をともにしてきた二人が今さら何を争う必要があろうか。順位決定戦を行わず、二人で銀と銅を受けとり、それを永遠に記念にするために、それぞれ真っ二つに割ってつぎ合わせた、世界の誰もが手にしたことのない記念メダルが残ることになった。

 その直後に起きた太平洋戦争に招集された大江選手はフィリピンで戦死。その友への思いを込めて綴った西田修平さんの手記を僕たちは涙しながら読んだ。

 もう一つのスポーツの物語は一九二〇年のウィンブルドン・テニス大会の清水善造選手だ。身のたけ二メートルのアメリカ代表チルデン選手はウィンブルドンでも三回優勝している実力世界一。対するのは小国日本を代表する小柄な清水。

 しかし、人間技とは思えないチルデンの猛球をリスのようなすばやさで追いかけて鮮やかに打ち返す清水の活躍に、観衆は驚いた。予想は完全にくつがえされ、第一セット前半は四対一で清水が圧倒的リード。観衆の興奮が渦巻く中、さすがにチルデンも調子をとり戻し、第一セットは四対六、第二セットも四対六でチルデンが取った。

 ドラマは第三セットに起きた。五対二とリードしてもう一点をあげれば第三セットは清水が取れる。チルデンのスピードボールを清水が返そうとした瞬間、チルデンが足をすべらせてころんだ。それを見た清水はチルデンの打ちやすい場所にやわらかなボールを送った。それはチルデンにもはっきりと分かった。取れるはずのもう一点をあえてその時に取ろうとしなかった清水のプレーに驚き、観衆席から万雷の拍手が湧きあがった。

 結局このセットはジュースを繰り返し十一対十三でチルデンのものとなった。

 翌日のロンドン・タイムズは、「スポーツマンシップのお手本であり、一人で数十人の外交官がイギリスに来たよりも日本の評価を高めた」と清水選手を賞賛したという。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「民主党の光と影」

2006/2/27の紙面より

 荒川静香の金メダルに日本中が沸いた。開会式にパバロッティがオペラ、トゥーランドットの「誰も眠ってはならぬ」のテノールを主役にするという開会式の趣向にも、さすがイタリア、芸術の国と、うならされた。

 表彰台で金メダルを受け取る荒川選手、するすると上がる日の丸、そして君が代の吹奏、この場面を凝視しながら、ふと思った。本物だけが作り出せるのが感動だと。

三種類の偽もの


 この欄でも取り上げたように、とりわけこの一年、日本では偽ものばかりで、国会の委員会議事録でも「偽」という漢字がこれほど頻繁に登場したことはかつてないことだったと思う。

 神社初詣での「偽札」西武鉄道の「偽株主名簿」、カネボウの「偽装決算」、日本銀行の「偽金塊」、アメリカも郵便を民営化していると思わせたままで決行した「偽計総選挙」、ホリエモンの「偽装公認」、貯金銀行という「偽名銀行」、年末に浮上してきた「偽装建築」、そして新年に入ると民主党が武部幹事長の「わが息子」と本当の息子の間の金銭授受を裏付ける証拠として国会質問で民主党議員が取り上げたいわゆる「偽メール」など、枚挙にいとまがない。

 これらの偽ものには三種類ある。偽ものと知っていて人をだますために使われた偽もの、例えば「偽札」「偽株主名簿」「偽名」「偽装建築」などである。

 もう一つ、あえて偽ものを使う意図はないが、本物提示ができなかった偽もの、例えば「偽金塊」「偽計選挙」である。

 最後の偽ものは、偽ものと知らないで使ってしまって、あとから偽ものと判明する、言いかえれば、人をだますのではなく、自分がだまされているケース。今の政局の台風の目となっているホリエモン・メールが偽ものと分かれば、永田議員の「偽メール」がこれに該当する。

 ブッシュ大統領からイラクに大量破壊兵器が存在するという秘密情報文書。それもブッシュ自身が今では偽情報だったと認めている。イラクへ自衛隊を派遣するために小泉首相が使ったのも偽文書だったことになる。

 どの偽ものであっても、いい話ではない。そして政治の世界でも偽学歴とか選挙資金の偽収支報告、偽文書など、あってはならないことは言うまでもない。

 官庁が国会に提出した資料の中にも偽資料とまでは決めつけられないが、年金法案審議中にすでに出生率が一・三二から一・二九に低下していることが統計で出ているのになぜか国会には法案審議が終わってから提出された例もある。データ操作というより、はっきりとその時点では適切でない資料で審議妨害していたことになる。

 つい最近の例では、民主党の渡辺周議員が二月十六日総務委員会で質問した北朝鮮への現金を包んだかも知れない「保険付き郵便物」が二〇〇四年度に急増していた問題。精査したところ実際は前年度並みだったことが七日後に判明した。偽データともお騒がせデータとも言える例だった。

永田議員のメール問題


 自民党武部幹事長の「息子同士」の金銭のやりとりがこれで明らかになったとばかりに、張り切った永田議員が使用したメールのコピーも、真ぴょう性が百%確実とは言えず、提供者の協力も得られないままに、日に日に疑惑度が高まり、民主党の調査結果もあと二、三日を待たなければならない。疲労困憊(こんぱい)した同議員は入院し、今の段階では明日二十八日に同議員と民主党執行部の共同説明会が開かれる予定となっている。

 その調査結果を踏まえ、永田議員の議員辞職に民主党も同意するか、民主党の代表と幹事長がどういう責任のとり方を示せるか、衆議院が既に出されている永田議員懲罰動議をどのように扱うか、それによっては私が委員長を務める衆議院の懲罰委員会が開催され、永田議員の弁明と自民、公明両党側から動議提出の理由説明が行われることになる。

 こうした一連の動きの中で、民主党に対する批判がかつてないほどに高まっている。私の自宅にも事務所にも、厳しいご批判や注文が寄せられ、私も秘書もその対応に追われている。

 永田議員は民主党の中でも私が親しくして、私が昨年まで務めていた党内の政治改革担当大臣としての私を資料集めや委員会質問などでよく支えてくれたし、正義感が強く、勇気と行動力を持ち合わせた優秀な素質のある議員だ。

 腐敗を防止し、不正を摘発しやすくするために私が私案として温めてきたすべての政治家にアメリカのように背番号を付ける「政治家登録番号」制度には、民主党内にも反対する議員が少なくないが、それを法案化したいと、正義感に燃えて推進に努力している議員グループの一人でもある。

全議員「眠ってはならぬ」


 その正義感と情熱ゆえにリスクがあることを覚悟で質問に立ち上がったのだろう。もちろん、十分な裏付けをとらない段階で公党の幹事長とその家族の名誉を傷付ける行動に出ることは許されることではないし、党としても若い議員の一存ということでは済まされない。

 ましてや鳩山幹事長の「ライブドアに利用された投資事業組合には自民党議員が関係している」という札幌発言、NHKテレビでの発言のように、十分な裏付けが二週間三週間経過しても未だに発表できず、風説の流布ではないかと自民党から抗議を二度、三度と受けるような、口が先に動いて裏付け証拠はあとから出しますというやり方を見れば若い議員が影響されるのは当然のことであり、他党からは「風説の流布」、党内では「影響の流布」のそしりを免れない。永田議員の窮状を救う気持ちがあるなら、投資組合に関係している議員の名とその裏付けを発表して、民主党をとり巻く形勢をここで一挙に逆転させるべきではないか。

 前原代表が入手していると言われている武部幹事長二男の銀行名とその口座番号も形勢一挙逆転の「お楽しみに」カードだ。批判的な電話やメールを頂く方たちにも「お楽しみに」と私は答えている。いつでも出せるというその銀行口座名も複数あるというからなおさら心強い。そのうちの一つだけでも明日には提出すべきだろう。それが永田議員の病状回復にもっともよく効く特効薬となることは間違いない。

 レンブラントは「光と影の画家」と呼ばれた。今、民主党は自らが作りだした光と影の前に立っている。その影の部分から何をつかみだせるか、民主党自身が脱皮するために、いつかは迎えなければならなかった試煉の一つだ。

 代表と幹事長のコンビで繰り出す斬れ味抜群のワン・ツー・パンチで、民主党が反転攻勢に、全国民の期待を担って「追及をとめるな」、談合疑惑、牛肉疑惑、ライブドア疑惑の追及に、全議員「誰も眠ってはならぬ」日が近づいている。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「民主党に明日があるか」

2006/3/6の紙面より

 民主党が揺れている。結党以来八年間、多種多様な人材、グループ、価値観、そして政策を、新しい日本の時代を目指して大同団結、五回の国政選挙の度に批判と激励の洗礼を受け、ようやく政権交代が視野に入ってきた昨年だったが、総選挙の戦略的ミス、加えて偽メール事件の逆風に、今や、党存亡の危機に立っている。

支持率急落の危機的状況


 連日のように党内の幹部会、議員総会、あるいは全国幹事長会議などで、自己反省とともに今後の党のあり方について活発な意見が出ている。

 二月二十八日、永田議員が釈明記者会見を行ったその夜の議員総会で、再び民主党議員に深々と頭を下げて謝罪し、自らの心境を述べた。

 常任幹事という立場上、発言できる会議と発言できない会議があるが、他の議員とともに私も次のような発言をした。

 『議員にとって本会議に出席することは最も重要な役割。テレビで元気になったその姿を放映されている永田議員が、なぜ昼の本会議に姿を現わさなかったのか、私はそのことを残念に思います。

 もう一つ、前原代表が「確証はある。そして銀行口座、出してもいい。しかも複数ある」と。また、それより早い時点で鳩山幹事長の「投資組合に自民党議員が関係している」という札幌での発言、NHKでの発言、こういう裏付け不充分な段階でのご発言を代表が、そして幹事長が次々と行う。それが若い議員である永田さんにかなりの影響を与えてきているという責任を感じていただきたい。

 今、民主党を取り巻く情勢は非常に厳しく、昨日発表された支持率調査でも十七%から十一%に急落している。昨年の総選挙の民主党支持者二千四百八十万人のうち、急落した支持率で計算しますと、八百万人が既に離れ、今夜中にさらに三百万人が離れるかもしれない。こういう危機的な状況の中で、もし代表と幹事長の二つの発言がそれぞれ裏付けがあるものならば、この場で、今夜中に、出し惜しみをしないで早く出していただきたい。そのことをお願いし、終わります。』

徹底した総括と自己改革


 民主党に明日はあるだろうか。私はこのような表題で、結党以来、党をめぐる環境が激変する度に書いてきた。

 自民党が政治本来の役目「強きをくじき、弱きを助ける」政治から益々遠ざかっている時に、野党第一党の民主党が政権を奪いとるどころか、無力、無策であるがゆえに自民党政権が安定する。皮肉なことに民主党が自民党の最大のサポーターとなっている状態が続いている。

 四年前に読売新聞が行った世論調査では、民主党のマイナス・イメージのトップ・スリーは、「分かりにくい」、「若すぎる」、「危なっかしい」の三つだった。このイメージはその後改まるどころか、一層悪くなっているのかも知れない。

 民主党のもう一つの特徴は、男性に比べて女性からの支持がきわだって低いということである。

 毎日新聞によるこの十年間に八十回の調査では、自民、共産は男性と女性の支持がほぼ均衡している男女均衡型政党。一方、公明党は女性の支持者が多い女性型政党。それに比べて自由党と民主党だけは女性の支持が男性に比べて常に低く、男性支持率の七割から五割で、結党以来女性支持率が男性支持率を上回ったことが一度もない極端な男性型政党。このように女性支持率の低い政党が先進国で政権を取った例を私は見たことがない。

 党のカオが見えない、女性にも支持される分りやすい政策がない、シャドーキャビネットの顔が見えない。地方では民主党をぬくもりのある政党と思っている人は皆無に近い。

 その一方で自民党は、セーフティーネット付きの党内派閥政権交代という空中ブランコで大衆を引きつけている。それが単なる政権たらいまわしに過ぎなかったとようやく皆が気づく日に備えて、健全で強力な野党をつくっておくことは、日本の政治にとって喫緊の課題である。

 自民党の政策では日本の閉塞状況を解決できないことは多くの人が既に気づいていることだ。財政再建、皆年金の実現、アジア外交、天下り官製談合、政治献金の浄化、教育の充実などなど、いずれも日暮れて道遠しの感が益々深まるばかりではないか。

 民主党に出番はあるのか。

 「一致団結、ガンバロー」コールで終わるだけでは民主党の明日はない。民主党に明日があるとすれば、そこまでやるのかという「解党的出直し」と自らの「聖域なき改革」の実行しかない。

 一年後に迫る統一地方選に全力を挙げること、「対案型」もよいがさらに踏みこんで「提案型」政党に切り替えること。

分かりやすい七政策提案


 「分かりにくい」と言われる政策の中身と表現を大胆に変更することもその一つだ。

 例えば次のような七つの政策を打ち出せれば、支持率を必ず回復できるだろう。

 『天下り禁止』。民主党が法案を提出する。

 『定数格差廃止』。世界最大の人権差別ここにあり。衆院二倍、参院五倍にまで広がった格差解消と政治的人権平等を実現する。

 『財政改革』。国民の税金の半分近くを、七百兆円に積もった国債の利払いに先取りされて自分で自分の首を絞めているのが現状。国債の代わりに金利の付かない政府紙幣を発行して、二十兆円の利払い負担を減額して社会保障に回す。

 『年金改革』。保険料廃止という「減税付き」で消費税を十%に引き上げ、基礎年金七万円に充当。未納者ゼロの皆年金を実現する。保険料を支払ってきた人にはその金額に応じて払い戻す。

 『子育て・教育』。日本の教育予算は先進国の半分で、残り半分は家族負担。予算を倍増して家族負担を解消する。資源のない日本にとって人間という資源への投資こそ、最良の投資ではないか。

 『アジア外交』。遣唐使の歴史を思い起こし、アジア諸国との人的交流を深め、定着させるために、ODA予算を利用して、大学の受け入れ体制と学生寮を充実して、アジアからの留学生を三倍にする。

 『富国共生』。外国人や国際社会との「外なる共生」に加えてもう一つの「内なる共生」も必要。あらゆる差別をなくして、女性・お年寄り・子供・障害者といったいわゆる生活弱者といわれてきた人たちとの共生社会を実現する。渡部恒三元衆院副議長の国対委員長就任は、年齢差別と闘う民主党の決意の一つの証しでもある。

 民主党にやれることはまだまだある。民主党にとってピンチはチャンス。逆風をしのいで、よくやったと評価されてこそ、政権を担当できる政党だという評価につながってゆく。

 日本が一党独裁政治の道へ帰らないために、そして国民が自分の一票で政治が買えるという民主主義の原点を失うことがないように、健全で強力な政党の実現が今ほど望まれる時はない。

 それは日本の未来にとって大きな財産の一つでもあるのだから。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「いつまで続くゼロ行進」

2006/3/13の紙面より

 量的緩和という名の「ジャブジャブ金融」の終了宣言が行われた。

 デフレ時代と言われた氷河の時代がようやく終わり、季節に例えれば冬から春三月に入ったということだろうが、日本銀行の三月九日の金融政策の転換について、いろいろ考えさせられることが多い。

 日銀が市中銀行にジャブジャブに資金を流すというやり方は、世界的に異常な金融政策であり、そう長く続けることは経済をシャブ漬け・麻薬漬けにするようなもので、副作用も多い。

 最近の土地の値上がり、マンションブーム、ライブドア事件、そして若い人を中心とする株式のインターネット・トレーディング・ブームなどもシャブ金融政策の影響である。

ゼロ金利で潤う銀行、大企業


 九五年からゼロ金利政策の時代が始まり、以後二〇〇兆円の預金利子が家計の財布から奪われた。預金利子や年金暮らしをしている人にとっては、インフレやデフレに関係なく、金利収入のゼロ行進が今でも続いている。

 今から約十年前の、金利水準が自然な形で推移していたころの受取利子が、今ではどれだけ減らされているか。一九九三年に比較して、日銀が計算した家計の利子の減額ぶりは、次のようになる。

二〇〇〇年 マイナス一七・八兆円

二〇〇一年 マイナス二一・二兆円

二〇〇二年 マイナス二三・五兆円

二〇〇三年 マイナス二三・七兆円

二〇〇四年 マイナス二六・〇兆円

 小泉内閣の五年間で計算すると百二十兆円を超える利子所得減である。

 昨年の郵政民営化を掲げたポピュリズム総選挙で誕生した、男を女に変えること以外はなんでもできるという巨大与党の下で、医療費負担は上げる、年金は下げる、税金は上げる、利子は下げる

 不良債権を解消させたとか株価が上昇してきたと手柄話の自慢顔だが、誰のカネを使ったのか。ゼロ金利政策という「国民利子総動員法」は依然として解除されないままだ。

 それに加えて、景気がよくなったという理由で今年から税金が上がる。財布の中身が更に小さくなる。

 そのうえ量的緩和政策だけ解除という悲劇のツケが住宅ローン借入者の負担増となり、少なくとも当面は何もいいことがなく、「忍」の一字のみ。

 近年のペースでは毎年二十五兆円(七〇〇兆円の三・五%分)の利子が支払われず、それが銀行と大企業の収益に使われている。いわば家計から企業へと強制的な利益の付け替えであり、違法とは言えないが公平・公正なぬくもりのある政策とはいえない。

 橋本、小渕内閣で本格化したこの冷酷な「弱者を犠牲に、強者を助ける」政策は確かに企業を助けた。そのうえ、それでも十分ではないからと、五年前の三月に持ち出したもう一つの異常政策がジャブジャブ放水政策だった。

 小泉・竹中政策が経済を回復させたと自慢するが、なんのことはない、ゼロとシャブの二つの政策の合わせ技で、日本の経済を偽装建築しているだけではないか。小泉さん、竹中さんはそのことをはっきりと国民に説明すべきだし、銀行の頭取や好況増益企業の社長は、全国の預金者にまず深々と頭を下げてお詫びし、お礼申し上げるべきではないか。

 残念ながら小泉さんからも、どこの頭取からも社長からも、このような謝罪と感謝の言葉を一度も聞いたことがない。

働き場ない日本のおカネ


 国民の暮らしがどうなっているかという「政治の目線」が欠落しているのだ。

 ヒトが職を失うことを失業と言う。会社が失業することを倒産と呼ぶ。もう一つ失業しているのがカネである。カネが働かずにタンスや金庫の中で失業している。日本には千四百兆円の金融資産があるというが、本当に働いているおカネは少ない。

 おカネが一年間働くと賃金がもらえる、その賃金を金利と言う。日本で一年間働くと一%の給料。アメリカでは四%の給料。アメリカで三カ月働くと日本の一年分の給料がもらえて残り九カ月は休暇がもらえるというので、この頃は日本のおカネが、日本のゼロ金利政策という苛政を避けて、パスポートもビザもいらないアメリカへ出かけている。

 ゼロ金利政策の見直しとおカネの失業対策が必要だと、九八年八月の予算委員会で、小渕首相、宮沢蔵相、速水日銀総裁への質問でとり上げて以来、「ゼロ金利」政策の弊害について、私は、再三再四、国会で取り上げてきている。お金が利子を貰えないということは、言い換えればお金が給料を貰わず、社会問題として非難されているサービス残業どころか、それを更に超えてサービス労働、奴隷労働に追い込まれているのが日本のおカネだ。

 いつ、誰が立ち上がって「奴隷解放戦争」を始めてくれるのだろうか。

 日本のおカネが日本で働けるような環境を整えること、人の職場と同じように、カネの職場を確保することも、政治の大事な役目ではないか。

福祉大国への道挫折


 六十年前、敗戦国日本には三つの選択肢があった。資本主義、社会主義、共産主義の三つの体制である。私たちの先輩、先祖が選んだのは共産主義、社会主義ではなく、「資本主義」だった。人が働けば給料を貰える、その給料は自由に使える。人だけでなく、お金も働けて、お金も利子や配当という名の給料が貰える。

 人もお金も給料が貰えるから早く豊かになれる。そして人が高齢になり、あるいは病気になった時にはお金が代りに働いてくれるから安心だ。

 「早く豊かになれて、万一のときも安心」、これが資本主義を選択した理由だったし、まさにその狙い通りに日本の復興は世界の驚異というスピードで進んだ。生活も豊かになり、次は経済大国から福祉大国へと歩みを進めようとした時に、バブルの挫折と政策不況、そして年金破綻から安心崩壊へ、二十年の後がえりとなってしまった。

 七十年前の米国では、株式の暴落から大恐慌に突入した。その時フランクリン・ルーズベルト大統領は公共投資による景気回復を中心とするニューディール政策を打ち出して、雇用拡大政策の導入など、安心の充実につとめた。なかでも特筆すべきことは、世界の歴史ではじめて、一九三五年の社会保障法で失業者や高齢者などに所得保障を行ったことだ。

 このように、社会保障の体系の中で生活保護や年金制度を図ることはもちろん重要だ。そして、資本主義国が高齢化時代を迎える段階では、経済運営のためだけでなく、所得保障としての観点から、安定した利子所得が期待できる金融政策を、社会保障政策の柱の一つとして位置づけ、第二の社会保障として重視すべきではないだろうか。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「『偽メール』、真相隠しか、糾明か」

2006/3/20の紙面より

 「政治は最高の道徳」、「強きをくじき、弱きを助け、これが政治の原点」。大学で政治学や社会思想史、倫理学などなど、政治に関して学ぶ時間は多かったが、最も生き生きとした言葉として頭に残っているのはこの二つぐらいだ。せめてこの二つだけでも守れていたら、私は悔いることなく政治の世界を離れてゆけるだろう。

 大学を卒業し、二十年の海外勤務の時には、米・英・仏の三国を中心にいろいろな政治家を見ることができたが、毎日の仕事に熱中していて、特別に政治に興味があったわけではない。

 ロンドンに赴任した六七年に、オムロン社の創立社長立石一真さんがおいでになり、私がカバン持ち兼通訳として、シティの大手マーチャントバンクをご案内した。その時にお名刺とともに一枚のテレホンカードを頂いた。立石さんの言葉が書かれたそのカードを、それから四十年、灼熱のアラブ・アフリカの国でも、モスクワをはじめ共産国の都市でも、中国・韓国を旅するときも、私は一日も離したことがない。

 立石さんが昭和四十二年一月十五日に色紙に記されたその言葉は、

 「最もよく人を幸福にする人が、

      最もよく幸福になれる」

 淡々とご自分の想いを語られたのだろうと思う。

 四十年間、私とともに旅したこの言葉を、頼まれると私も色紙に書くことがある。金融・証券の世界でも、その後の行政や政治の世界でも、私の心の支えとなっていたからだ。

「政治倫理」の心がまえ


 国会には、国会議員用の心がまえがあって、議員一人ひとりにそれが渡されている。

 ロッキード事件などに象徴される政治腐敗に対する国民の批判を受けて、国会が八五年に議決した「政治倫理綱領」には次のような言葉が並んでいる。

 「いやしくも国民の信頼にもとることがないよう努め」「国民の信頼に値するより高い倫理的義務に徹し」「政治倫理に反する事実があるとの疑惑をもたれた場合にはみずから真摯(しんし)な態度をもって疑惑を解明し、責任を明らかにするよう努めなければならない」

 さらに、同じ日に議決された「行為規範」には次の言葉もある。

 「いやしくも公正を疑わせるような行為をしてはならない」

 この綱領や規範に基いて、先週の西村真悟議員のように疑惑のある議員には、本会議場で辞職勧告が行われる。

 議会の外での疑惑については司法による追及が行われることは当然だが、国会内で議場の秩序をみだし、国会の品位を著しく傷つけた場合には国会法第百二十一条により懲罰委員会に送られ、審査の結果によって

 一、戒告

 二、陳謝

 三、登院停止(三十日以内)

 四、議員除名

 のどれかの懲罰を受ける。三月二日に懲罰動議が懲罰委員会に付託された元民主党永田寿康議員の偽メール事件がそれであり、今週二十二日に本人弁明、それをうけて二十四日には、永田議員に対して質問も行うことが理事会で合意されている。

永田議員初の正式弁明


 この永田議員の弁明と質疑をめぐっては、懲罰委員会の理事や関係者間でいろいろな意見が交換された。

 まず弁明が必要かどうか。確かに永田議員は衆議院の建物の中では二度も弁明会見をし、質問も受けているが、国会の記録に残される正式な衆議院の「院内」では本人弁明は一度もなされておらず、本人の申し出を受け入れて院内での弁明がはじめて実現することとなった。

 次に意見が分かれたのが、本人弁明を受けたのちに懲罰委員会委員による質疑も行うかどうか。本人の弁明申し出がなくても委員会の判断で弁明を要求し、そして必要なら質疑も行うことができる。

 六年前の松浪議員の場合には弁明も質疑もなしに二十五日間の登院停止という結論をだせたのは、衆院本会議場の演壇上の松浪議員を約四百人の出席議員が見ていたからだ。コップも見えたし、民主党席前列の永田寿康議員たちに向かって水が飛ぶのも見えた。従って四百人の生き証人がいた。

 それに比べて今回の偽メール事件には誰一人として証人が登場しない。誰もコップを見ていないし、誰も水を見ていない。誰が仲介者か、提供者か、作成者かも分からない。二度行われた本人の弁明も偽メールと断定できるかどうかの大事な点が修正された実績もあり、質疑を十分に行っておくことが、それに続く参考人、あるいは証人喚問のためにも必要であるという与党側の主張が通り、懲罰委における質疑が三十年ぶりに実現することになった。

 永田議員のためにも私はその方がよかったと思う。政倫審での田中真紀子議員への質問など、常に鋭い質問で知られていた永田議員であるからこそ、与党の質問を恐れたり、逃げたりしてはならない。

 この点、民主党がなぜ消極的だったのか、私は理事会などでの議論を聞きながら不思議に思った。

最低限の真相糾明


 三番目に、本人弁明・質疑に加えて偽メールを仲介したといわれる人物から証言を得られるかどうか。その証言で本人弁明と符節が合うことの裏付けをとって、はじめて権威のある審査ができることになる。国会を混乱させ、国民の国会不信を増大させたこの事件の最低限の真相糾明は欠かせない。今問われているのは「永田氏」一人の信頼だけでなく、「永田町」全体の信頼であり、再発防止のためにも証人喚問が必要という意見に対し、一方では反対する意見があり、実現しない可能性もある。

 誰が、どういう目的で作成したのか。金銭の授受はあったのか無かったのか。無かったとすればその目的は何だったのか。どの段階から民主党は偽メールと知ったのか。質問前なのか、質問後なのか。三月中に発表されるという民主党の検証チームの報告が新しい事実を提供すれば、二つの「真相」が誕生し、それでは適切な懲罰が下せるはずもなく、政党不信、政治家不信を一層助長させることになるだろう。民主党は本人の辞意を認めなかったが、最近は永田議員辞職を求める声が党の内外でも高まっている一方では、この段階での議員辞職は国会の手による真相糾明を不可能にしてしまうことを懸念する声もある。

 真相隠しで誰も得をすることはできない。既に民主党は国民に、自民党に、武部氏のご家族に対して全面的に書面まで作成して謝っている。

 その謝りが誤りだったのか、誤りでなかったのか。真相糾明のためにも自らの手による検証作業を急ぎ、国会による適正な審判に協力すべきではないか。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「梅か桜か、人の道」

2006/3/27の紙面より

 梅の季節から桜の季節へと移る三月は、梅と桜の両方の花を見ることができる、ぜい沢な時節でもある。「両手に花」という表現があるが、最近、機会があって国会図書館の蔵書の中で調べてみたら、右手・左手それぞれに「梅」の花と「桜」の花を持つこと、転じて一つでさえも手に入れにくいものを一人で二つも手に入れる喜びの表現だという。

 梅と桜のどちらかを一つ、となると難しい。寒気の中に他の花にさきがけてつつましく、しかし、凛として咲く梅を好きな人、春爛漫(らんまん)の多くの花の中で最も華やかに人目に立つ桜を好む人。花もいろいろ、人もいろいろである。

 最近のライブドア事件に登場した三十代の若者たちと、偽メールを国会の質問に取り上げた、これも三十代の若い議員。それぞれの生きざまと出処進退をめぐって片や経済、片や政治の先輩たちからいろいろと批判や、そして助言が行われている。梅の生き方、桜の生き方が問われている。

懲罰委員会の努力と苦心


 衆議院の懲罰委員会では、民主党の永田議員に対してどのような懲罰が適切なのか、審査が進行中である。

 従来のやり方に比べて、やり過ぎではないかという一部の批判を受けてまでも、懲罰委員会が一丸となって真相解明に迫ろうと努力しているのには、三つの理由がある。

 一つは、政治家の資質や、国会審議のあり方に対する国民の不信がかつてないほどに高まっていること。

 第二に、今までの懲罰案件と異なり、物的証拠もなく、証人もいないこと。誰がどういう目的でどういう利益を得たのか、得ようとしたのか、騒ぎを大きくして遠くから愉しむ「愉快犯」の部類なのか。さっぱり真相がやぶの中。

 永田議員の弁明が誠実に行われたと評価したとしても、誠実は必ずしも「真実」を保証するものではない。弁明を裏付ける物的証拠か証人がない限り、現時点では民主党さえも保証しない一人の当事者、永田議員の一人語りだけで結論を早くと催促する方が非常識ではないか。

 第三に、永田議員が今まで既に五回も懲罰動議が提出されたという意味で、いわゆる初犯ではないこと。

民主党の関与と責任


 さらにもう一つ付け加えるなら、民主党の関与とその責任が問われていること。謝罪状を新聞に民主党と永田議員が連名で掲載してしまったこと、すなわち、従来の事犯はすべて個人の単独だったが、共同正犯者としての民主党をどう位置付けるのかという複雑な問題も存在している。

 民主党内部の問題は、今週半ばには発表される内部検証チームの報告が明らかにすることだろう。民主党には内部のドアが多過ぎて、情報の共有や意志疎通の欠陥がそこから生じているなら、ライブドアとともに民主党は「ナイブドア」の問題にもこれを機に取り組まなければならないだろう。

 こういういろいろな複雑な要素があるからこそ、時間をかけてでも最低限の真相究明を行うことが必要不可欠という認識で委員も理事も、一致しており、前例のない本人弁明とそれに対する質問、さらには証人喚問へと一歩一歩前進してきている。

 そんな無駄な手順や日数をかけずに早く何とか結論をという圧力も受けているが、必要と思われる努力をこの委員会が示さなければ、再発防止にもならず、一罰百戒の効き目もない。総理、議長、大臣を経験した人たちを委員としてずらりと並べたこの委員会の権威にも傷がつく。どこかの党の日程かせぎではないかとの中傷もあるが、自民党の理事からは一度もそういう発言はなく、「理事会を毎日開いてでも」という提案を出しているのは自民党理事である。

証人喚問の必要性


 証人喚問についても議論があった。既に本人として罪を認めている以上、そこまでやるべきではないという民主党の慎重意見もあった。与党側も民主党の立場に同情を示しながら、証人喚問をしないとそのまま打ち切ってしまった場合、反対した民主党一人が批判される可能性もある。民主党への小さな妥協、思いやりも十分可能な雰囲気だったが、大きな観点からは全員一致で証人喚問を決議したい。そのために民主党側も時間をかけて党内の意見が整理されて、ようやく実現の運びとなった。

 昨日のあるテレビ番組で、証人喚問などは「時間と税金のムダだ」と、司会者が激しく批判していた。これが本当に社会の木鐸と呼ばれるジャーナリストの一人かと耳を疑った。もう一つ驚いたのは出席していた民主党議員がそれに反論もせず、同意していたことである。この党の真意は一体どこにあるのか、こういう党にはとても政権などは任せられないと思った人がいることだろう。

 永田議員自らの出処進退も民主党にとって悩ましい問題である。この段階で議員を辞職することは、国会の手による真相究明を逃れるための敵前逃亡ではないかという、単絡的な中傷も予想されるからである。

 出雲市長を退任し、桜を見るための旅に韓国全羅道へ妻と出かけたことがあった。桜は日帝主義の象徴として、第二次大戦後の韓国では桜は切り倒された所が多い。それが一転して、桜の原産地は韓国の済州島であるという学説が発表されてからは、かつて切り倒された桜の切り株のそばに新しく桜が植えられだした。韓国の桜は日本に比べて花びらの色が薄めで、花みずきのように空に向かって大きく開くので、広がりを感じさせるのが特徴である。

 桜は韓国から、そしてもう一つの梅の方は中国が原産地である。平安時代、梅はおもに貴族の庭に植えられ、江戸時代に至るまで、「好文木」(こうぶんぼく)の名の如く、学問を好む家の庭には梅が植えられていた。中国では、「梅は、学問に親しむと花が開き、親しまないと花が咲かない」とさえ言われている。

 「政治家は貧しく、国民は豊かに」という信念を、二十五年表彰での謝辞で、披露した鳥取県出身の古井喜實代議士も梅の花を愛し、梅の花で有名な世田谷区の豪徳寺に葬られている。凛として咲く梅の花こそ、志の高い人間の姿にふさわしい、そういう古井喜實さんの思いが今も私たちの胸を打つ。

 咲くときは梅のごとく、散るときは桜のように散って次の春を待つ。花は散る時を選べないが、出処進退、人は去る時期も去り方も選べるからこそ、そこに人生の美学が問われる。人生、難しい、つらい決断の中にこそ、次の生き方への道も開けるのではないか。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「SONY・クリントン」

2006/4/3の紙面より

 三年前の朝日新聞、読売新聞の世論調査。

 国会は民意を反映していない七四%

 政党や政治家を信用していない八二%

 そして職業別信頼度調査で、信用している、またはある程度信用している人、

 医師八一%

 教師五八%

 政治家一五%

 政治家は占い師の二〇%を下回り、最低にランクされている。同じようにセンセイと呼ばれている医師・教師にはとても追いつかないが、国会のセンセイたちは、まず占い師の二〇%に追いつくことを努力目標とすべきだろう。

 政治家が信頼されない理由は、選挙「公約」も街頭での「口約」も、選挙が終わると、手直し、書き直し、言い直しがあって、どこかへ消えてしまうことだ。そしてもう一つ、投票権は平等と憲法で保障されているはずなのに、実態はどこに住んでいるかによって一票の価値に差があり、総理が何度変わってもこの人権差別に手をつけようとしない無責任さ。

 他にも色々とあるが、政治家が信頼され、尊敬されない最大の理由は、政治とカネの不透明さではないか。

言葉だけの「政治改革」


 その典型的な例が、二年前の日歯連による迂回献金や帳簿不記載などである。

 このような、暴力団等の犯罪組織が用いるマネー・ロンダリングのような手口が、長年にわたって政界で行われてきたことは世間承知の事実だが、禁止する方法が見付からないままに違法献金は未だに根絶しないで続いている。いや、続いているどころか、先週三十日に無罪判決が言い渡された日歯連の一億円裏献金事件も、何が真実なのか、誰が何をたくらんだのか、不可解な事件がますます不可解になってしまった。偽メール事件と同様に、証人喚問も実現しなかった。

 国会は面白いところだ。次つぎと変わった手品を見せてくれるので、あきることがない。道路公団の決算表を振りかざして赤字にしたり、黒字にしてみたり。一億円のおカネが背広の内ポケットに入ったはずなのに、あーら不思議、誰が探してもどこを探しても出てこなくなる。

 その上、国会手品のすごさは、そばで手伝っていたはずの助手にも種あかしができず、本人さえも記憶を即座に失うところにある。

 一度紹介したことがあるが、「枕草子」「徒然草」と並ぶ日本三大随筆の一つ「方丈記」にも、迂回献金らしきものを連想させる次のような一節がある。

 「ゆく金の流れは絶えずして、しかももとの金にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある政治と金と、またかくの如し。いづかたより来りて、いづかたへか去る。

 政治改革の基本は献金の透明化であり、政治資金規正法を、まず名称を強制力のある「規制法」とし、そして迂回献金の禁止などを盛り込んだ法改正をやるべきだが、小泉内閣の五年間、そういう意欲が全く見られないのは残念だ。

 五年前の五月七日の所信表明を私は衆議院本会議場で聞いた。自民党からはパラパラと、しかし民主党からは大きな拍手があった。「改革」という言葉の使用頻度が群を抜いて多かったからだ。

 平成の歴代首相の所信表明の中で、リクルート事件のあとを受けて政治の刷新を公約した宇野首相は「改革」二五回、羽田首相が更新して三一回、六つの改革の橋本首相が大幅に更新して四八回。五つの改革の小泉首相は三九回だが、橋本首相の半分以下の六千四百字で三九回だから、使用密度においては橋本首相の約二倍、「チェンジ」を強調したクリントン大統領の五倍に相当し、一六〇字ごとに一回の「改革」が登場したことになる。

日本も政治献金番号制を


 しかし、政治改革に関する小泉首相の思いは演説の中でわずか百八十五字で全体の三%にしか過ぎず、予算委員会での私の質問に、「文章や言葉の長さだけが重要度を示すことにはならないでしょう」という小泉さんの言いわけだったが、その通り、結果は三%どころか、ゼロ%に終わっている。このあたりで政治浄化のために思い切って番号制を導入してはどうか。私の提案に小泉さんは「検討に値する一つの考え方だと思います」という答弁だったが、その後、政府や自民党が検討しているふしもない。

 年金については未納や受け取りミスを防ぐために、「年金番号」が定着している。税金についても未納や脱税を防ぐため、そして税の公平を確保するために既に企業には「法人番号」が付与され、個人には「納税者番号」を民主党が政策として掲げている。

 政治献金を渡すすべての団体と、一定限度、例えば五万円をこえる金額の個人献金者、そしてそれらを受け取る政治家とその資金団体はすべて登録番号を持ち、銀行口座の開設も、領収書の発行もインターネットでの公開もすべてその番号を使用すれば、透明性、捕捉性、公開度が大幅に向上し、国民の政治に対する信頼も回復することが期待できる。

 アメリカ、イギリスなどでは既に実行されている。アメリカの連邦委員会は、政治資金のネット検索に利用するため、候補者やその政治資金団体に対してはIDを付与している。このID番号は、候補者が立候補の届け出を、政治団体が擁立の届け出を選挙委員会に行った際に割りふられるもので、候補者、政治団体が、その後選挙委員会に対して提出する書類に明記しなければならない。

簡単にネットで検索


 クリントン前大統領夫人のヒラリー・クリントンの政治資金番号は「S0NY00188」。日本の国会図書館とワシントンの連邦選挙委員会に問い合わせたところ、最初のSはSENATOR(上院議員)の頭文字、次のゼロは、初めての上院選挙に立候補届出した年(二〇〇〇年)の最後の一けた目の数字、続くNYは選挙区ニューヨーク州の略称、そのあとの5けたの数字は全く意味がない乱数コード、という仕組みで構成されている。二百ドル以上の献金については誰が、いつ、いくらを献金したかが簡単にインターネットで知ることができる。

 アメリカの番号が「独自付与型」に対して、イギリスは会社法に基づく企業番号を献金する時に記入する「他機関付与型」。アメリカは受取人が、イギリスは献金者が番号を使用する。

 国民に番号を押し付けてきた政治家が、「隗(かい)よりはじめよ」、まずは政治浄化のために、政治家が率先して献金番号を取得すべきではないか。カネに支配された政治では真の改革などできるはずがなく、すべて偽装改革に終わる。

 今週選ばれる民主党の新しい代表も、これぐらいの改革を打ちだせるような勇気と発想を示してもらいたい。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「あなたの憲法に一票を」

2006/4/17の紙面より

 昨年の総選挙後、国会に「日本国憲法に関する調査特別委員会」が新設され、私も委員の一人として何回か憲法に関する発言をしてきました。

 国民が憲法改正を必要と考える日に備えて、国民投票の手続きを整備しておこうというのが中心テーマです。

 改正か護憲か、その議論が続いてきた中で私は中学、高校、大学を過ごし、また、その後二十年、アメリカ、ヨーロッパから日本という国を見てきました。

一日も早く国民投票を


 憲法改正を必要と考える人は既に六割を超えており、憲法を改正するかしないかも含めて、今こそ国会がみずからの無気力、無責任を反省し、封印を解いて憲法の改正手続を国民のために早急に整備すべきだと思います。

 そもそも、自国の憲法がだれによってつくられたかについての疑惑や経緯が、いまだに議論されているような先進国が世界のどこにあるでしょうか。

 四月五日のNHKで放送されましたが、白洲次郎さんは占領軍と厳しい交渉の中で何度も苦渋を味わい、戦後の憲法制定に携わってこられました。その白洲さんの、「この新憲法が本当に心の底から私たちの憲法だという実感を国民が共有できたとき、初めて戦後は終わるんだ」というその言葉に私は感動しました。

 国会が怠惰を繰り返し、時間をかけている間に、戦中、戦後、そしてその後の平和な日本、その三つの日本の顔を見てきた世代の人たちが毎日毎日二千人ずつ亡くなられています。戦争を経験した七千二百万人が、今は私を含めて三千四百万人しか残っていません。この人たちに、戦争への思い、平和への思い、そしてこういう憲法を残していきたいという、次の日本へのそれぞれの思いを発言する機会を与えていない国会は、私は恥ずかしいとさえ思っております。一日遅れれば二千人の方が、十日遅れたら二万人が、一年で七十万を超える人が亡くなります。国会はこういう人たちの声を封じながら、一年一年を過ごしてきているのです。議論を重ねることもよいが、決断と行動が今必要ではないかと思います。

世界一寂しい憲法


 日本の憲法に賛成した人がどこにいますか、反対した人がどこにいますか。だれも賛成していない、だれも反対していない。日本の憲法は世界で一番寂しい憲法ではないでしょうか。憲法が泣いています。

 日本人が賛成も反対もしていないままに六十年が過ぎました。

 イラクの国民の投票を見てください。イラクの人たちは戦火の中で身の危険を冒しながら、賛成の一票を、反対の一票を投じているではありませんか。

 私は、イラクの国民をうらやましいと思います。自分たちの一票の思いを込めてできた憲法だからこそ、大切にしようという気持ちが湧いてきます。

 愛国心についての議論があります。愛国心を論ずるならば、まず自分の「国」の憲法を「愛」する「心」を育てるべきではないでしょうか。

 長野県のある高校では、憲法の授業の中で、「どういう日本をつくりたいのか憲法の前文を自分で書いてみなさい」と先生が生徒に一人ひとりの憲法を書かせるのだそうです。すばらしい教育がこの高校では行われていると思います。

 日本ではJCとも言っておりますが、アメリカの青年会議所は何をやっているか。自分たちが集めたお金で高校生を夏休みに合宿勉強させて、大統領と議会の関係はどうあるのか、自分たちの国の形を議論させる、それがアメリカのJCの一番大切な役割になっています。

 国会には、戦争を知っている世代の議員も戦争を経験しない議員もいます。しかし、いずれの国会議員も、その多くは最近の一見平和に見える日本の中に安住し過ぎているのではないでしょうか。

 「立憲民主主義」という言葉がありますが、日本は「一見民主主義」ではないでしょうか。

 日本の伝統や文化を守ってきた「農本主義」という言葉があります。今の日本には農本主義という言葉さえもなくなって、残っている言葉は「ノホホン主義」しかありません。

「放置国家」日本


 委員会の席上で、ある委員から、憲法の解釈を都合よく広げ、超法規的な措置を積み重ね法治国家としての根幹を崩している日本は、「法治国家」とは言えないのではないかと海外から指摘されているという発言がありました。

 日本は法治国家だろうかという疑問について、私も長年考えてきました。日本は立派な「放置国家」だと思います。六十年間この大切な問題を放置してきたという意味の放置国家です。世界のどこにこんな放置国家がありますか。憲法に賛成するか反対するか、自分たちの憲法を持つか持たないか、これにまさる国民主権はありません。その問題を避けて、すりかえて、放置してきた日本は、立派な放置国家だと思います。

 国民投票法案に、政党ごとに賛成するとか反対するという議論が、もともと間違っていると思います。これは、一人一人の議員が良心と、そして家族と国民への愛情を込めて判断すべき問題であって、私は、そういうことを放置してきたことを、五つの全国紙と北海道新聞に、民主党にならって全政党の名前で国民に対して謝罪状を出すべきだと思います。そして、その謝罪広告の費用は、国会議員がそれぞれの在籍年数に応じて負担することを私は提案いたします。

 今の憲法とは一言一句変わらないものでもいいと、国民がそれを選ぶかもしれません。それでもいいんです。この憲法に賛成するという思いをしっかりと一票に込めて、そして自分たちの憲法だという実感を持つということ、これこそ民主主義の根本ではないかと思います。

 今、三千四百万人の日本人が戦争の日本を知り、戦後の日本を見て、そして、平和な日本を味わってきました。この三つの日本を見てきた三千四百万人の貴重な意見を捨てるのか、それとも日本の未来のために生かすのか。

 世界の平和のために、唯一の大量破壊兵器の犠牲となった日本らしい平和の理念をしっかりと取り込んだ憲法を誇りを持って、自信を持って制定する、そのプロセスこそ国民投票です。

 それさえもやらず、民主主義憲法といいながら、だれも賛成していない、だれも反対していない。

 これでは、民主主義国家どころか、最近はやりの言葉を使えば、日本は偽装民主国家ではありませんか。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「天皇の怒り」

2006/4/24の紙面より

 日韓関係が揺れている。五月三十一日に予定されている統一地方選挙を前にして、韓国各地で日ごとに緊張感が高まっている。

 一般的な予測では与党ウリ党側の候補者が苦戦をしいられ、政権の支持率の低下と併せて、盧武鉉(ノムヒョン)政権は深刻な事態を迎えている。

 三月末に予定していた訪韓が衆議院の懲罰問題で変更せざるを得なくなり、四月十九日に済州島へ出発した。

 韓国経済界で活躍していた知人が道知事選に立候補することになり、一月に私が提出しておいた済州島の経済活性化と道政改革五項目も含めて打ち合わせが始まり、終わったのは十時を過ぎていた。

日韓情勢最悪の日に


 翌二十日朝七時発の飛行機で日本に帰国、二十日の衆院本会議に出席してから再び二十一日の第一便でソウルに向うという予定だったが、日韓情勢最険悪の風が吹いていたその二十日には、日本海も強風に見舞われ、午前中の便は全便欠航となり、予定がすっかり変わってしまった。

 まず本会議に欠席届の手続きをし、午後一時にソウルへ向かって出発したところ、それを待っていたかのように、韓国政界の首脳でもある韓日議員連盟会長の文(ムー)国会議員の事務所から二十一日の夕食の予定を一日繰り上げて今日中に会えないかとの連絡が来た。

 ノムヒョン大統領の執務室には私のハングル版著書が置かれていて、大統領がそれを参考に韓国の行政改革を進めよと側近の人たちに指示していることを文喜相議員が私に伝え、日本の行政改革法案についての説明を含めて話を聞きたいという意向を受けての私の訪韓だった。

 行革や私の著書についての話は別に一日を急ぐことでもないのに、文議員から今日中にでもという連絡を受けて、私にはその意味がよく分かった。

 日韓議員連盟の森喜朗会長には韓国での宝塚公演実現に大変お世話になったこととか、日本の国会で審議中の行革法案などの話題が終わると、竹島(独島)の問題について頭を悩ませているとのお話があった。韓日議員連盟の存在意義をかけて、文会長が大統領と連絡しながら懸命な努力を続けていること、そして解決の希望も残されていることを心強く思った。

 外交上の機密に属することなどは一切なかったが、一人の政治家としての韓国側からの若干の感想を話されたし、私も日本の野党の議員として控え目に少しばかりの意見は述べた。

憤怒を治めること


 文会長の部屋には、流麗な筆で書かれた一枚の大きなハングル文字の額が掲げられていた。仏教書の一つ、「雑寶蔵經」の第一巻にある言葉を、私がじっと見入っているのに気づいた連盟事務総長の朴正浩さんが次のように説明してくれた。

 有利な立場でも傲慢にならず

 不利でも卑屈にならない

 何かを知っても容易には行動せず

 まずそれが真実かを深く考え

 理致が明確なときに行動する

 唖者のように沈黙し君主のように話し

 雪のように冷静で火のように熱くなる

 泰山のような自負心を持ち

 横になった草のように姿勢を低め

 逆境に耐え打ち勝ち

 順調すぎる時にはより注意し

 財物の多さに心を汚さず

 憤怒が込み上げてもそれをよく治め

 時には気ままに風流も楽しみ

 鹿のように恐れを知り

 時には虎のように猛々しく

 これが智慧ある人の生き方である

 とりわけ書の中の一節、「憤怒が込み上げてもそれをよく治め」、この言葉こそ、今の日韓両国の政治家にとって、最も必要な教えではないだろうか。

明治以来二度の記録


 党内の「近現代史を勉強する会」で、東大の三谷名誉教授から、天皇がお怒りになったことがあるということを知り、国会図書館で文献を調べてみた。

 今でもそうだが、私たちの子供の頃は、天皇という方は、絶対に怒ったりされないものと思われてきた。

 人間の感情表現としてよく使われる「喜怒哀楽」。天皇もお喜びになることはもちろんあるはずだし、戦争犠牲者や災害地に天皇が国民を代表して哀しみを表されることもよくある。ご家族で楽しまれ、あるいは国民とのふれあいを楽しまれる場面もよく目にすることができる。「喜」「哀」「楽」はあっても、「怒」の字にはご縁がないはずの天皇が、明治以来の記録の上で少なくとも二度、宮中の奥深くではあるが、周囲の人にはっきりと怒りを表しておられる場面が記録されていた。

 一つは日清戦争時の明治天皇、そしてもう一つは張作霖爆殺事件における昭和天皇である。

 明治二十七年(一八九四)八月、日本は清国に宣戦を布告。朝鮮をめぐって起こった日本と中国(清)とのいわゆる「日清戦争」のはじまりである。

 宮内大臣が伊勢神宮に宣戦の奉告のために派遣する勅使の人選を天皇に相談した。そのとき明治天皇は、「今回の戦争は朕もとより不本意なり、」奉告などしたくないとおっしゃられ、宮内大臣がそれを諫めたところ、天皇は「お前の顔など見たくない」と激怒されたという。

 昭和三年(一九二八)六月、満州支配をもくろむ関東軍の一部の謀略で軍閥張作霖爆殺事件が起きた。出先軍部の独走を懸念された昭和天皇は、田中義一首相に関係者の厳重処罰と軍紀粛正を命じられた。しかし、田中首相は陸軍の強い反対で軍法会議さえ開けず、単なる行政処分の方針を報告しようと、とりあえず参内して拝謁を願った。

 田中首相が読み上げる上奏文をお聞きになっているうちに、みるみるお顔の色がお変わりになり、「この前の言葉と矛盾するではないか」と、ご立腹の天皇は「もう田中の説明は聞きたくない」と激しく叱責された。田中首相は宮中から退出して、直ちに内閣総辞職の手続きをとった。

 皇太子時代に東宮侍従をつとめ、その後も昭和天皇のために裏方として仕えた岡本愛祐氏はある文献の中で次のように証言している。

 「陛下は嘘が大嫌いです。田中さんは結果的にその嘘をついてしまったことになったのですから、陛下のお怒りは特に激しかった」

 「陛下はお若いときから、日本には資源がない、その資源をどうしても外国に頼らなければならないのだから、万国平和と国際親善を満たしていなければならない。他国を侵略して、領土を広めて資源をとるのは邪道だということを、お若いときからおっしゃっておられました」

 平成天皇も何かに怒りを示されたかどうか、いずれ文献が明らかにする日が来ることだろう。
                                                      (衆議院議員、元出雲市長)

「「愛國心」と「愛国心」」

2006/5/8の紙面より

 「人は石垣、人は城」。国づくりは人づくり、その根幹は「教育」である。資源に恵まれない日本にとっては、人的資源が何よりも重要なことは言うまでもない。

 小泉首相は「米百俵」の故事を引き合いに教育の充実を強調した。

重い日本の親の教育費負担


 しかし国の予算で見るかぎり、米・英・独・仏の平均が五%であるのに対して日本はわずか三・五%と、格段に低い。

 欧米の教育予算との差、GDPの一・五%を金額に換算すれば、七兆五千億円、つまり、消費税の三%以上に相当する膨大な「教育目的税」を、「第二の消費税」として負担してきたことになる。

 更に、日本経済研究センターの調査では、日本の子育て世代は平均して消費総額の七・八%を教育支出に充てている。

 一方、米国でその割合は一・五%に過ぎない。

 日米の消費総額の格差六・三%を金額に換算すると、個人消費年三百兆円をもとにすれば約十九兆円。消費税一%が約二・三兆円と計算すると、消費税八%相当の金額を「第二の消費税」として家計が負担していることになる。

 しかもこの第二消費税、または「教育目的税」という家計負担は収入や消費に比例するのではなく、どの家庭にも子供が生まれる結果、収入の少ない家庭ほど負担感が重い。

 加えて大都市と地方との所得格差の問題がある。東京に比して所得水準が七割という地方、例えば島根県、鳥取県などでは、東京並みの教育水準を七割の所得で維持するためには、東京の十五割、一・五倍の負担を強いられることになる。

 多くの先進国では、教育にはほとんどお金がかからないうえに、十八歳ぐらいまで所得制限なく児童手当が支給されている。「負担なし」の子供を産むか、「負担つき」の子供を産むか、その影響は出生率の差となって表れ、それがめぐりめぐって年金給付カットとなって、再び親にはね返る。

 いずれにしても、教育費負担を親に依存している日本の現状は、日本の少子化の原因と年金破たんの原因であると同時に、子供の教育が家庭の経済状況に左右されるという問題にもつながる。

日本を凛とした国に


 国会では教育基本法の議論が活発になってきた。基本法と呼ばれるものは三十本近くあり、新憲法に基づく従属法として直ちに昭和二十二年に制定された基本法第一号と言うべき教育基本法だが、最近の教育と社会の荒廃を見れば、その教育基本法の抜本的改革は避けられない。

 重要な法案だからこそ、各党、各議員の意見も違ってくる。一日も早く法案をそれぞれに提出して、時間を十二分にとって審議し、国民が安心して未来世代に期待できるような教育理念と教育環境を創出しなければならない。

 私は二人の子供を日英仏米の四カ国で育てて、それぞれの国の教育理念と教育環境を見る機会に恵まれ、私自身は客員教授として、日米中韓の大学で、ごく限られた時間ではあるがそれぞれの国の次世代と教室の中で接してきた。

 誤解を恐れずに結論を言えば、教育熱心で社会的に活躍している卒業生を持つ学校ほど愛国心が高く、校舎に国旗を高く掲げている。

 その愛国心を教育基本法に書き込む為には二つの前提と、愛国心の表記と表現の問題を整理しなければならない。

 まず、日本の現状は、尊敬され、愛される国かどうかという総括と反省。特定の国に防衛を依存したり、その国の軍人の引越し代に三兆円も負担する国、そして、娘を拉致された母親が地球の裏側へ他国の大統領に直訴しなければならない国、それは独立国と言えるのか。国連加盟の資格さえも疑わしい。自分の国は自分で守る、残念ながらそういう凛(りん)とした国でない日本を、子供たちに愛しなさい、尊敬しなさいと言うのは余りにも厚顔、無恥、無責任ではないか。

 自分の家のカギを他人に任せているような父親や、自分の家族を自分の力で守る気概に乏しい父親を子供が尊敬するだろうか。

 「不凛の国」日本の現状をあらためるという志を、国会決議で、あるいは党首討論を今週に繰り上げて、しっかりと打ち出すことが審議開始の大前提となる。

 次に、教育予算を他国並みにしっかりと確保するという大前提も必要。勉強しなさいとうるさい程に言い、子供の通信簿の成績を気にしながら、その割には教育のためにカネを出し惜しむ母親を子供が尊敬するだろうか。GDPの一%または予算の五%を下回らない公教育予算を、具体的な目標として書き込むべきだ。

 義務教育は、人生のスタートラインで不条理な格差が子供たちに及ばないよう、機会均等原則を掲げてスタートした制度であったはずだ。それが「三位一体」などのいい加減な発想で、国による財政調整力が弱まって地域格差が拡がれば、どの地域で義務教育を受けるかによって、その後のライフコースが大きく影響されてしまうだろう。義務教育の「義務」という言葉は子供に対する国家の「義務」でもあるということを、教育基本法の中ではより明確にすべきだ。

 地域格差だけでなく、所得格差が教育に与える悪影響も顕在化しつつある。

 そういう時だからこそ、「社会的差別のない社会の実現」と「経済的格差縮小」の原動力が公教育の充実にあることを強調し、予算的に裏付けなければならない。

 国と国民を守る志、教育を支える金、その「志と金」に欠ける国をどうして愛することができようか。

愛する國をつくる心


最後に、「愛国心」の表現について。

 新憲法が公布された昭和二十一年、日本国憲法は「日本國憲法」だったが、三年後に「國」の字が「国」に置きかえられた。國という字は戈(ホコ)と盾(タテ)でクニを守る、その武器をクニの外には持ちださないために、四角いくにがまえので囲んだのである。

 言わば、自分の国は自分で守る、しかし他国への武力攻撃はしないという日本が誇る平和憲法の理念、ジャパン・コードがこの一字には封印されている。それが、金や財宝さえ囲い込めば国になるという「国」の字に変わった昭和二十四年から、日本はエコノミック・アニマルの道を進みはじめた。

 「國」と書いて凛とした國家を目ざすか、「国」と書き続けてホリエモン国家を目ざし、軽べつと侮辱の中に国家崩壊への道を歩み続けるか、今こそ凛とした平和国家建設への志をとり返し、「愛國心」と表記すべきだろう。憲法調査会の自民党委員からも同じ提案が既に出されている。

 その読み方も、「國を愛する心」と、國のところで返り点を打って後戻りする読み方ではなく、イチ・ニッ・サンと順序正しく、「愛する國をつくる心」と表現すべきではないか。

 既に作られた国を愛しなさいと教えるのではなく、愛するにふさわしい国を「つくる心を育てる」、それこそが、私たちから次代を背負う子供たちへの、期待を込めた教育メッセージではないだろうか。(衆議院議員、元出雲市長)

「「母の日秀句」

2006/05/15の紙面より

 「私が六歳の時に父は亡くなった。山へ登ったり、古寺を訪ねたり、那智の滝へいったり、甲子園で写真を撮ってくれたり、その写真が父の撮ってくれた最後の写真になった。

 いい思い出を私のためにいっぱい残していった父だったが、父の本棚にはぎっしりと文学書が残っていた。旧制中学の国語の教師だったから当然といえば当然のことだが、小学生の私にはこういう本を読みなさいという父の声が聞こえるような気がして、私は文学書に囲まれて育ち、その点ではとても幸運だった。

 その中には俳句の本も数冊あって、小学五年生の時から新聞に投稿し、それがはじめて選ばれて新聞に活字になった時の喜びは、今でも忘れられない。その度に父が「てつんど、いい子だ」と誉めてくれているような気がしたからだ。

 それから約六十年間、私は新聞の俳句、和歌のページを必ず読む。海外に勤務した二十年間も、欠かしたことがない。心にひびく、気に入った句などを書きとめたりもするが、最近では長寿高齢社会を反映してか、いわゆる花鳥風月をうたう句よりも身近な生活や家族への思いを込めた短歌や俳句が私の目を引くことが多くなってきた。

 子供の日、母の日、そして父の日、今日もまた、全国各地で短歌や俳句の愛好家が、家族への思いを込めて筆を走らせておられることだろう。

 最近五年間の読売、毎日、朝日、日経の投稿欄で目にとまった家族への思いや、人生をふりかえった秀句のいくつかを紹介してみたい。

 「ありがとう」われが言うべき言の葉 を われに残して 母は逝きたり         三原市 岡田 独甫

 「もう頑張らんでもいいよ」に頷きて 卒寿の母は 穏かに逝く         枚方市 沢井 俊男

 尊敬する 母と夫に会えし事 我がよろこびと かみしめる日々       河内長野市 市野 恵子

 母さんの 初恋のはなし いつの日か 聞きたくもあり 聞きたくもなし         福井県 大谷 静子

 連れ添いて 六十年の夫逝きぬ 友亡き如し 父亡き如し         笠間市 小貫 和子

 世を去りて われを待つ夫ふるさとの 雪ふる丘に 墓凛と立つ         東京都 古川 貞子

 夫の古い 啄木歌集の印 たどれば多く ふるさとの歌         新潟市 太田千鶴子

 遠く離れて、妻の新潟に住みながらも、自分のふるさとの話には控え目だった夫。その夫が生前には見せなかったふるさとへの思い。やはり、それほどにというあらためての思いが残された妻の胸をはげしく打ったことだろう。

 不幸感 幼き日より持つ魂(たま)を 救ひたまひし 夫ははや亡し         三鷹市 市岡 隆子

 朧夜の 亡き夫に来る 電話かな         大分市 猪原アヤ子

 腕組みて 歩みし事無き 亡き夫と 夢の中にて 腕組みてゐつ         恵那市 丸山 貞子

 紅葉坂 和服の妻を しばし待つ        三重県 中村 勝臣

 米二合 とぎて会議に出でゆきし 妻をし待てば 雪降り出でぬ         横手市 浦部 昭人

 秋田県横手市は雪の「かまくら」で有名。早く帰ってこないかと待つ心境で詠む、「妻をし」の「し」の強調助詞が生きている。

 炊き上げて 仏の妻に 茸飯         柏 市 佐藤茂三郎

 日に一度 玄関先まで たどり来て 妻が手入れを せし庭を見る         五泉市 江川 富嘉

 短命なりし 妻いとほしや 曼珠沙華         枚方市 藤山 正次

 「金星が ずいぶん明るく見えますね」 手術前夜の 妻が指さす        アメリカ 吉富 憲治

 指さすその金星に妻は何かを予感しているのだろうか。

 新米や だんだん遠く なる生家        東松山市 松本 葉子

 新米の頃になると思い出す実家の秋。そのふるさとが、夫の転勤の度に遠くなってゆく。

 縁付きし 一人静の 能登をふと         金沢市 村田芙美子

 能登の「ととらく」、加賀の「かからく」。加賀では女性が大切にされるが、能登ではまだまだ男性社会。その能登へ嫁いで行った娘を思う母の心。

 生ハムの 塩味が好き それだけで 北海道へ 嫁に行くのか         佐倉市 小林 雅典

 北海道が千葉県から遠すぎるというのではない。生ハムが嫌いというわけでもない。ただ娘が離れていくことだけが気にいらない、父の心。

 妻逝きて 七年となる 春彼岸 墓ひとつ建てて こころ安まる         常総市 渡辺  守

 父のこと そうだったのだと思うこと 歳かさねつつ 多くなりゆく         横浜市 酒井 藤吉

 冷奴 元気な妻と 向き合って         下関市 野崎  薫

 まちがいなく絹ごし豆腐ではない。酒には湯豆腐も冷奴も木綿豆腐にかぎる。

 おだやかな 時をふたりに 福寿草         町田市 枝沢 聖文

 仲の良いご夫婦の新年の句だろうか。

 この辻は 幼きころの別れ道 あのまま去りて 会へぬ友あり        つくば市 潮田  清

 よき字書く 友にありしと 判読に 難き手紙は 見るに悲しも         東京都 横山 三郎

 潔よく ひと日を生きむ ラジオより ショパン流れて 春のあけぼの         仙台市 伊藤 俊雄

 死ぬことを 忘れてしまふ 秋日和        横須賀市 丹波 利一

 秋風や 病む身に秘めし 志        加世田市 川久保隼人

 初心忘るべからず。「志在千里」。たとえ病に倒れていても、志は遠く千里の向うにまで運んでみせる、男の心意気。

 今までの 世界がどんなだったのか わすれそうです 君が生まれて         高槻市 有田 里絵

 はじめて母となってのぞき見る新しいいのち。その瞳の中に、自分の新しい人生と世界が力強く見えてくる。(衆議院議員、元出雲市長)

「白い地球儀」

2006/5/22の紙面より

 海外に長く暮らしながら、日本を考え、その国と日本との文化の違いを考えてきた。

 日本の文化は木と紙の文化。木と紙だけが特徴ではないが、他国の文化には見られない美しさと独特の感性を発展させてきたのは木の文化にあると思う。

 日本はその伝統を今こそ自然との共生へ、そして地球保全への貢献に、誇りと自信をもって打ちだすべきではないか。

 新憲法を制定するときにはその前文に、そして教育基本法にも具体的に書き込むべきだ。

環境守り心育てる森林


時は五月。木々の緑が鮮やかで、日本中が若葉におおわれている。CO2を吸収し、酸素を吐き出し、一枚一枚の葉が一人前の工場に匹敵する働きをこなし、日本中の若葉を合計すると、多面的機能の評価額は日本学術会議の計算では一年間に七十兆円に達するという。

 一年三百六十五日、一日も休まずに、これだけの仕事をひと言も文句を言わずにこなす、まさに「日本一の働きもの」は山であり、森であり、木である。だからこそ日本では「御神木」とか「鎮守の森」として大切にし、家庭で一番大切な母の存在を「山の神」と尊称したりする。

 日本は文化でも経済でも環境でも、もっと木の政策を強調すべきだと思う。

 出雲市長時代には、木の文化にこだわり続けた。島根県は県土の八〇%が山林で、「樹木」が最大の財産。この財産だけは守るべきであり、「樹」と「緑」には徹底的にこだわろうと心に決めた。

 景観条例を島根県内で最初に施行し、生け垣に五〇%の補助をし、そして「樹医制度」をスタートさせた。「樹医」とは読んで字の如く「樹」のお「医」者さんで、市内の樹木の健康に目くばりし、緑を守るドクターであり、現在、全国で一千人をこえる規模となっている。

 造林予算を復活させ、「ぬり絵ノート」を使って木の教育を強調し、木の利用推進のために木造り校舎や木造りドームを、そして、木の文化を伝承するために「出雲文化伝承館」を建設した。

 木のぬくもり、木の香り、木のやわらかさの中で子供たちを教育し、まろやかな性格の子供たちに成長するように、議会は一九八九年六月に「木造り校舎推進決議」という決議を行った。全国六六六の市の中で出雲市議会だけだった。

 市内の小学校の校長先生との懇談会で、小学生には卒業までに必ず一度は市内の高い山に登らせて、そこから出雲市の全景を見させるようにと言ったことがある。友達と一緒に山の頂上から広い日本海と、広い出雲平野と、それを取り囲む山々を自分の二つの眼で見るとき、はじめて「雄気林々」、この大きな平野が僕達のふるさと、この山が、森が、みんなわたしたちのものなんだという感動を覚え、ふるさとを守っている木に対する愛情が湧く。その感動はどこにいても一生忘れることなく、ふるさとと子供たちを結ぶ太いきずなとなるに違いない。

「地球地図」作製へ気運


ODA、PKOなど、日本の国際貢献をめぐる話題がにぎやかだが、地球環境の問題に積極的に取り組み、貢献することが、日本にとっては最高のはまり役ではないか。砂漠化や温暖化防止など、日本の貢献は、「地球地図」の作製から始めてはどうか。

 今までの「世界地図」は、地図作製技術の差異とか防衛上の理由で、各国の提供した地図を貼り合わせてつくられ、不正確な面があった。しかし、東西冷戦の消滅や、地球環境問題への国際的関心の高まりから、各国の共同作業で地球の標準地図を作成する機が熟している。

 日本がその中心となってはどうかと、出雲市長三年目のときに、ある新聞にそのような趣旨を寄稿したところ、同じような意見を持つ建設省、国土地理院、日本学術会議の幹部の間で話し合いがもたれ、九四年、第一回の地球地図国際会議が、旧暦神在月(かみありづき)の出雲市で開かれることになった。

 七三三年に作成された「出雲風土記」は、地形・地理などの記録としては、現存する日本最古のもので、第一回の国際会議の開催地が出雲に決定したのは、そうした歴史的背景からでもあった。

 国連アメリカ地域地図会議、国際地図学会、北京で開かれた国連アジア太平洋地域地図会議などでも、次々と地球地図構想に対する支持決議、地球環境保全のための地理情報整備促進決議が行われ、日本の提案が珍しく国際舞台でクローズアップされ、はずみがつくことになった。

 九四年の「出雲宣言」にはアメリカ、フランス、イギリス、韓国、中国など十四カ国が参加したが、参加国数は現在百四十六国、世界陸地面積の約九一%にまで広がって、WORLD MAP(世界地図)がGLOBAL MAP(地球地図)へと交代する日が近づいてきた。

 今日までの人類の五十万年は、正確な地図を持たなかった人類の歴史。これからは、正確な地球地図をすべての国が初めて共有する人類の歴史が始まる。

 「出雲風土記」が、いまや「地球風土記」に書き換えられようとしている。

東大を驚かせた注文品


新緑五月のある日、東京大学総合研究博物館小石川分館を訪ねた。その博物館にある直径一メートル六〇センチの巨大な地球儀に会うためだった。

 その地球儀については、東京大学の学内誌などに、次のような話が紹介されている。

 第一次世界大戦が始まるとすぐに、ドイツ軍はベルギーに侵入し、古い歴史を持つルーヴァン大学の図書館が焼失した。一九一八年に戦いが終わり、日本は全国から集めた図書をルーヴァン大学に贈った。

 ところがその直後、今度は一九二三年の関東大震災で東京帝国大学図書館が壊滅して、五十七万冊の蔵書が焼失してしまった。

 国際連盟が各国に日本援助を呼びかけ、ベルギーからは図書と義援金も送られてきた。東大は、一九二八年にこの義援金でベルギーに地球儀を注文した。

 それから九年、待望の地球儀が一九三七年(昭和十二年)に到着。しかし、箱を開いてビックリしたのは東大だった。地球儀が国別に着色されていなかったからだ。

 その六年前の一九三一年、日本は中国の東北部に侵入し、翌年には早くも満州国独立宣言を行い、更にその翌年、国際世論に抵抗して国際連盟まで脱退した。

 ベルギー地理学会は、満州国を地球儀上に示すことを潔しとせず、警告の意味で着色しない地球儀を送ったのだった。

 それから七十年、武力による侵略への国際社会の批判と未来への警告は、いくつもの歴史を刻みながら、日本最古の小石川植物園、そして近代植物学研究発祥の地となった森に囲まれて保存されている。(衆議院議員、元出雲市長)

「四安(しあん)の農業」

2006/5/29の紙面より

日本の女性の名前で最初に稲の字が使われたのは、スサノオによってヤマタノオロチから救われ、ミコトと結婚することになった稲田姫であろう。この出雲神話を農業・治水関係者は、治水技術集団が暴れる斐伊川を治めて、稲作農民を救ったと解釈している。ヤマタノオロチが飲んで酔う八つの甕(かめ)の酒も、稲作だけでなく酒つくりまでが既に行われていたことを物語る。

 開催中の国会では農業の担い手育成法案が審議を終えて、成立しようとしている。問題の先送りをしてきた自民党政権の農業政策の結果として、日本の農業は今、深刻な問題をすべて抱え込み社会問題、政治問題のふきだまりのような場所になってしまった。

将来や問題点を本音で


農家は農政に「不信」、後継者は「不足」、外国は日本の開放消極姿勢に「不満」、そして消費者はコメ価格や、これから入ってくる外国の食物の質など、もろもろの「不安」を持っている。

 「不信」「不足」「不満」「不安」の声の中に、農村地域を抱える地方都市の議会では、熱心に農業再生のために真剣な議論が交わされている。これからの農業はどうあるべきか。今こそ各界各層の人たちが、その立場や地位にこだわらず、もっと本音で語るべきときだ。

 農地法は改正し、食管制度は廃止する。農地の所有者と経営者の分散を大胆に進めるべきだ。農地があっても耕作できない超高齢者。意欲がありながらも十分な農地がない農業者。このギャップを早急に埋めることだ。

 農地をゼロ・クーポン農地債か政府紙幣発行で購入し、県や市が責任を持って管理し、その公有農地を、平地を中心とする生産農地と中山間地の環境保全農地に区分し、生産農家には自力で競争に勝てるような「生産農力」の向上を期待し、所得の面で不利な中山間地には、環境保全型所得補填を実施する。「生産農家」と「環境農家」の選択、選別を直ちに行うべきである。そうすることによって後継者確保の可能性も出てくる。

 フランスでもイギリスでも、国のすみずみまで耕作が放棄されることなく、緑の農村地帯が広がっていた。教会、郵便局、小学校の3点セットを守ってきたからだそうだ。

 ドイツでは「わが村を美しく」という集落単位でその美しさを競い合うコンクールが実施されていて、「美しい農村を文化的遺産として残す」ということで、営々として農村の整備が進められ、農村環境はすばらしいものになり、人々は農村に愛着を持ち、都会からも農村の自然環境を求めて人がどんどんと集まってくるといった構図ができ上がっている。

 出雲市高浜地区では後継者が四十年間一人も生まれず、六十三歳でいまだに町内最若手の福代晴行さんは、五町歩のコメを作りながら、「コメには豊作の年も、不作の年もありましたが、後継者作りは四十年間不作続きですわ」と嘆く。

「百姓」に誇りを


しかし、暗い話ばかりではない。私が市長時代に語っていた農業の夢に啓発されて開かれた農業士会では、イキイキと農業に取り組む三十組のご夫婦が集まった。「百姓 手銭賢二」という名刺を渡して、「わしは百姓という言葉が好きでございまして」と語る人がいた。

 「農業経営 請負耕作 松井盛男」という名刺を作り、近隣の農地も含め十八町歩を夫婦でコメ作り一筋の人もいる。

 これからの農業は、後継者もできて、「安心」して農業に取り組めるような農政に期待したい。「安全」なコメが「安価」で手に入るような、消費者にも配慮した施策と、安全、安価なコメが「安定」して供給されるような、国内自給にこだわらない国際自給体制の確立が、農家、消費者の共通した願いである。

 日本農業の新しい歴史の出発点に立って「安心」「安全」「安価」「安定」の四安を目ざした農業再構築を今こそ思案すべきときである。「わしは百姓です」と胸を張る人を一人でも多く見たい。

 「百姓」(ひゃくしょう)という言葉は今はあまり使われなくなり、死語辞典に入っていたり、NHKの放送でも「農家の人」と言いかえるように指導されていたりするが、もともとは差別用語どころか、民一般を指すことばだった。

 元号を含む日本の重要なことばの出典となる中国の「書経」の中に、「百姓」(ひゃくせい)として登場し、それが日本でもそのまま使われ、農業中心の日本では農家の別名となっていった。

 「百姓昭明にして万邦を協和す」。人民おのおのが自分の徳を明らかにすることになれば、それを本(もと)として天下の国々を仲良くさせることができる、という意味で、この語句から「昭和」という元号が誕生している。

 「百姓」と「昭和」元号の結びつきの固さを思いおこすだけでも、国会は農業再生の決意を新たにすべきだろう。

北海道からのメール


出雲だけではなく、全国いたるところの地方自治体でも、これからの地方の活力に漁業・林業とともに、農業がどのように位置づけられるのか、どのように活かせるのか、国会審議の中から学びとろうと真剣なまなざしが注がれている。

 私も衆院農水委員会で質問に立った。世界各国の農業地帯を見てきた印象を、子どもの頃の農作業体験とそのときの母の背中の思い出を重ねて紹介しながら、この法案で農業と農村の維持が期待できるのか、中川農水大臣に質問した。

 その質疑を、遠く北海道から国会議事録のインターネット・サービスで読んでいた市役所職員がいた。私に届いたEメールには次のように書かれていた。

 「北海道名寄市(なよろし)の新田と申します。市役所で農政担当をしており、担い手経営安定新法の勉強をしております。農林水産委員会の議事録もいつも拝見しておりますがそのなかで、ミレーの「晩鐘」にふれておられる箇所を拝読しました。当市では3年前から、農村景観の向上のために、農業施設にヨーロッパ絵画を模写する活動を続けています。美術専門の大学の先生が指導して、絵画サークルや市民、学生、子どもたちが彩色作業を行います。昨年は5m×7mの「晩鐘」を描きました。絵筆を握る子どもたちの誇らしげな表情が印象的でした。一昨年は8m×10mの「落穂拾い」を制作しました。今年は「羊飼いの少女」を制作する予定です。北海道へお越しの際はどうぞご覧をいただければと存じます。壁画群は主に風連地区に制作されています。国政におけるご奮闘、ご活躍をお祈りします。」

 国会から北海道へ、私の想いが届いていたことを知り、胸が熱くなった。(衆議院議員、元出雲市長)


「「にほん」と「ニッポン」」

2006/6/05の紙面より

国会で審議中の教育基本法については、教育の荒廃ぶりを目前にして、その必要性は認めながらも、多くの疑問や謎が存在する。

 充分な審議を前提として、次期国会には日本の未来を明るく期待できるような教育基本法の成立を望みたい。

教育基本法の疑問や謎


まず、憲法との関連についての疑問。今の教育基本法は憲法の従属法として最重要基本法だから、憲法をどうするのかの議論を整理、確認してから従属法に手をつけるのが順序というもの。その憲法論議を待たずに従属法の改正から入るというのは、母屋(おもや)のデザインや設計、方向も決めないで離れの改築を先行しようという考えに似て、順序が逆というものだ。

 もちろん、母屋以上に、離れの教育の方の荒廃が激しく、雨もれや柱の傾きがひどすぎるから先に工事を始めなければならないという考えも決してまちがってはいないが、それをまず確認しあい、国民の認識を深めてから改正を実現すべきだろう。

 更に、現在の教育基本法は憲法の従属法でありながら、なぜ憲法よりも先に施行されなければならなかったのか。法制定の手続き、順序としての謎は未だに政府によって説明されていない。

 天皇の名によって公布されたときの憲法の名称は「日本國憲法」であった。その権威ある名称が、その後、誰の手によって、どういう理由で「日本国憲法」と書きかえられたのかという謎がある。

 人名の書きかえが本人の承諾なしにはできないと同じように、夜中に隣の表札の文字を勝手に書きかえるなどということが許されるはずがない。「國」という字が使用禁止になったのならともかく、「國」の字も「国」の字もどちらも常用漢字として漢字表に掲載されている。

 「國」と「国」とは文字文化の中で、同義・同意語だという判断は誰がしたのか。文字文化を尊重してきたわが国の伝統・歴史を無視するものではないか。

 公布された名称を書きかえるほどに重要で明確な理由は何だったのか。

 公布された昭和天皇のご承諾は、誰がいつ頂いてきたのか。

立法府、公教育でも混乱


書き方だけでなく、「ニホン」か「ニッポン」なのか、国号に二つ読み方がある。そんな国が世界のどこにあるのか。

 衆議院の教育基本法に関する特別委員会が五月二十四日開始されたが、その初日から質疑の中で「ニホン」と「ニッポン」が入り乱れて使われている。政府・自民党・公明党は「ニホン」と呼ぶ。

 憲法以外には「日本国」という三文字をわざわざかぶせた法律は外国との条約以外にはない。従属法でありながら日本国憲法に対して失礼ではないかと私も党内で指摘したことだが、「ニッポン国」教育基本法を提出した民主党は当然ながら質疑でも「ニッポン」で通している。

 立法府が教育基本法を論ずる場合でもこのありさまだ。

 日本社会党(当時)はなぜ「ニッポン」で、日本共産党はなぜ「ニホン」と言うのか。

 このように大人の社会や、立法府の中でさえ混乱が続いている日本で、学校教育では「ニホン」と「ニッポン」をどのように教えているのだろうか。

 まずは音楽の時間。小学一年生で、国旗日の丸に対する尊敬の心を養う歌「ひのまる」では、「ああうつくしい、にほんのはたは」と、日本=にほんとおぼえさせる。

 それが小学三年生になると、「ふじはにっぽんいちのやま」。日本=にっぽんと教えられる。

 次に国語の時間では、はじめて「日本」という二字に子供たちが出会う小学二年生の教科書には、「にほん」とふりがながついている。

 それが小学四年生になるとローマ字の勉強が始まり、NIPPONとかかせてNIHONの例は示されていない。

 これが文字や言葉を大切にする国の、歴史や伝統を教え、尊敬させようとする国の公教育の実態である。

 政治家以上にことばを生命線とするNHKの放送文化研究所では、「日本」の読み方について七十年前から調査・研究を続けてきている。男性女性別に、「日本」の正式な呼称としてどちらがよいかという意見調査では、次のような興味ある結果が出ている。

 一九九三年(ニホン)(ニッポン)

   男性  五七%  四一%

   女性  六〇%  三八%

 二〇〇三年

   男性  六〇%  三八%

   女性  六一%  三七%

 更に注目すべきことは、若い年代ほど「ニホン」が多く、二十代では男性女性ともに約八〇%に達していることだ。

 この調査を継続しているNHKはニッポン放送協会ではあるが、そのNHKにしても、天気予報などでは「日本(ニホン)海側」「西日本(ニホン)」などと、「ニホン」を使用している例が圧倒的に多い。

 オリンピックなど国際競技大会での「日本」の読み方についても定めはなく、過去には一部の競技のユニフォームに「NIPPON」と表記するものがあったが、最近では「TEAM JAPAN」と呼ぶことが多くなったそうである。

文相の答弁に注目


古来の日本の文学では、「ば・び・ぶ・べ・ぼ」などの濁音(だくおん)は使用されていたが、「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ」などのいわゆる半濁音がいつごろから日本語の中に入ってきたのか。定説はないが、日本の年号や天皇のお名前には半濁音は使用されていない。

 お金の世界を覗くと、紙幣にNIPPON GINKOと印刷される日本(ニッポン)銀行。場所は日本橋にあるが、日本の道路距離の起点となる、日本のおヘソともなっているその日本橋は、「ニッポン橋」ではなく「ニホン橋」と呼ばれ続けている。

 NHKの記録によると、イラクへの自衛隊派遣を閣議決定した直後の会見で小泉総理は、「ニッポン」「ニッポン国」「ニッポン国憲法」「ニッポン国民」と「ニッポン」を繰り返した。しかし別の場所では「ニホン」を使用したこともある。

 戦時中、「ニホン」と読むのは危険思想であるとみなした一部の人たちがあり、その影響を受けたのか、当時の軍部は強力に「ニッポン」の使用を指導していたという文献も残されている。

 「日本國憲法」や「教育基本法」をご自分の名で公布された天皇陛下が「日本」をどのように呼ばれていたのか、昭和天皇の記録はまだ宮内庁から私の手もとには届いていないが、今上陛下は即位、即位十周年、古希などの公式の場では常に「にほん」と呼ばれ、「ニッポン」と呼ばれたことはない。

 天皇が正しいのか、小泉総理が正しいのか、学校でどのように教えるのか、今日午後の私の国会質問に文部科学大臣はどのように答弁してくれるだろうか。

(衆議院議員、元出雲市長)

「國号(こくごう)不明の日本」

2006/6/12の紙面より

 六月五日と六月八日に日本の教育をめぐる問題について質問に立った。

 六月八日の質問では、まず最初に内閣を代表する官房長官に、ドミニカ移民訴訟問題に対する政府の見解をただした。

国民を海外に放置


このドミニカ共和国への移民とその後の日本政府の対応は、教育の中で、「あるべき国とはなんぞや」を議論する上で重大な問題だと私は考えたからである。

 (岩國)「ドミニカ移民のこの問題、国としての責任はどうなっているのか。日本国民を海外に放置したままその生命財産に対する責任をとらず、法律的な責任も拒否しようとする、いわば「放置国家」ではないか。

 拉致問題も大切です。しかし、拉致というのは、よその国によって不幸にして拉致された人。自分の国の手を使って放置する。拉致問題以上に、国としてあるべきことではないと私は思います。

 拉致と放置。こういう状態の国を尊敬できる国とはとても言えないと私は思います。教育基本法を論ずる前に、凛とした国でない、いわば「不・凛の国」の現状を一日も早く改めるべきでしょう。

 このドミニカ移民について、放置国家の状態を安倍官房長官はどう考えておられるか。隣の委員席の羽田孜元総理のご指示もあり、まずこの点を質問します。」

 (安倍)「突然の御質問でございますが、判決の結果につきましては、外形上は国の勝訴となっておりますが、国にとっても反省すべき点は多々あるであろう、そして、移民された方々のお気持ちを酌んで、また移民された方々のお気持ちに報いることについてもこれは検討すべきではないかと思います。」

国への変更奏上せず


(岩國)「天皇陛下が公布されたときの日本國憲法の國という字はいわゆる旧漢字と言われ、しかし、今でも常用漢字の中に残っております。矛と盾で国と国民を守り、その矛と盾、つまり武器は国外には出さないということでくにがまえで囲ってある。いわば憲法第九条の、平和憲法の精神を、この一字に込めている、これが文字の文化なんです。

 今使われている国は、憲法が天皇陛下によって公布されたときの國の字と違っている。(思い違いをしている人が多いが、明治憲法を廃止して新しく昭和憲法を作ったのではなく、明治憲法を「改正」して現憲法は作られた。これを第一回の改正とすれば、名前書きかえは第二回の改正ということになり、次に行われる改正は第三回目ということになる)

 しかし、人の名前を勝手に変えてはならないと同じように、日本で一番大切な法律の名前がこのように簡単にかえられていいのかどうか。公布された天皇陛下の御了承は得てあるのか。だれがいつとったのか。お答え下さい。」

 (小坂)「天皇陛下への奏上は行われておらず、この場をかりて、六月五日の答弁を訂正させていただきたいとお願いを申し上げる次第でございます。」

 (岩國)「奏上されていないのが事実とすれば、これは大変天皇陛下に対して失礼ではないかと思うんです。天皇の地位について言及した法律は、ほかにはありません。天皇陛下にとって一番大切な法律は、天皇の地位を国民統合の象徴としてはっきりうたっている日本國憲法しかない。天皇陛下にとって一番大切な憲法の名前を、勝手に夜中に表札を書きかえるような行為は許せないでしょう。」

国号読み方不一致


シンガポール・タイご訪問に先立って、天皇皇后両陛下は六月六日に外国人記者会見をお受けになり、そこでは「日本」、「日本国」、「日本人」、「日本国憲法」、「大日本帝国憲法」、「日本庭園」など、日本という国号に関連するところでは国号を二十二回ともすべて「にほん」で通され、皇后陛下も三回すべて「にほん」とお呼びになっている。

 (岩國)「天皇は「にほん」と呼ばれ、小泉総理は「ニッポン」と呼ぶ。閣内意見の不一致という言葉がありますが、君臣意見の不一致はもっと問題ではないか。これが本当に尊敬される東洋の君子の国、凛とした国だろうか。

 書き方も二通りあれば、読み方もこのように二通りある。「読み・書き・そろばん」は教育の原点ではありませんか。この原点を論ずべきときに、この読み・書き・そろばんの中でしっかりしているのは「そろばん」だけ、「ホリエモン、村上ファンド国家」じゃありませんか。

 国号に二通りの読み方を教えている先進国の名前を教えてください。」

 (小坂)「世界の国の中で、国号の読み方を二通り教えている学校、学校でそういうふうな教え方をしている、これについては残念ながら把握をいたしておりません。」

 書き方は「日本國憲法」か「日本国憲法」か、呼び方は「にほん」か「ニッポン」か、國号不明の今の日本を、日本の歴史と伝統はどう裁くのだろうか。占領下に拉致された國号と憲法の表札は、いつ帰ってくるのだろうか。

報道されぬ陛下のお言葉


陛下は外国人記者からの教育基本法についての質問にもお答えになっている。

 (記者)「まず、第一の質問。愛国心を促す方向で日本の教育基本法の改正が進められています。しかし、陛下がこの度訪問されます国も含めました近隣諸国では、そういった動きが戦前の国家主義的な教育への転換になるのではと恐れられています。陛下もそうした見解に共鳴されますでしょうか。」

 (天皇陛下)「教育基本法の改正は、現在国会で論議されている問題ですので、憲法上の私の立場からは、その内容について述べることは控えたいと思います。

 教育は国の発展や社会の安定にとって極めて重要であり、日本の発展も、人々が教育に非常な努力を払ってきたことに負うところが大きかったと思います。

 なお、戦前のような状況になるのではないかということですが、戦前と今日の状況では大きく異なっている面があります。その原因については歴史家にゆだねられるべきことで、私が言うことは控えますが、事実としては昭和五年から一一年、一九三〇年から三六年の六年間に、要人に対する襲撃が相次ぎ、そのために内閣総理大臣あるいはその経験者の四人が亡くなり、さらに内閣総理大臣が一人かろうじて襲撃から助かるという異常な事態が起こりました。帝国議会はその後も続きましたが、政党内閣はこの時期に終わりを告げました。そのような状況下では、議員や国民が自由に発言することは非常に難しかったと思います。

 先の大戦に先立ち、このような時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています。」

 このお言葉こそ全国民がしっかりと知るべきことなのに、新聞がそれをほとんど報道していないのはなぜだろうか。(衆議院議員、元出雲市長)

「消えた「米百俵」

2006/6/19の紙面より

 教育があって人間は「人間」になれる。その「人間」あって国家が成り立つ。

 「人は石垣、人は城」。昔も今も、国を守れるのはカネや鉄砲ではない。資源に恵まれない日本にとって、人的資源が何よりも重要なことは言うまでもない。

 小泉首相は「米百俵」の故事を引き合いに教育の充実を強調した。それから五年が経過し、小泉政権は終了のときを迎えたが、「米百俵」の所信はどういう実績に終ったのか、検証してみよう。

 まずここで、小泉さんが五年前に総理に就任して初めての所信表明演説で、自分自身の志として紹介した、「米百俵」の故事を振り返ってみよう。

後退する国家百年の大計


戊辰戦争(慶応四年−明治二年)で越後長岡藩は官軍に敗北し、所領は三分の一に減らされ、藩内は疲弊した。

 長岡藩大参事に就任した小林虎三郎は、藩の再興は人材の育成に如かずと考え、親類の三根山藩から見舞いとして送られた米百俵を藩士には分けず、藩内の反対を押し切って学校建設費に充当した。

 山本有三作「米百俵」の見せ場は藩士に対する小林の説得ぶりにある。

 「もとより、食うことは大事なことだ。食わなければ、人間、生きてはゆけない。けれども、よいかな、自分の食うことばかり考えていたのでは、長岡はいつになっても立ち直らない。貴公らが本当に食えるようにはならないのだ。だからおれは、この百俵の米をもとにして学校を立て、子供をしたてあげてゆきたいのだ。

 この百俵は今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか百万俵になるか、はかり知れないものがある。いな、米俵などでは見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は永久に立ち上がれない。あたらしい日本はうまれてこないぞ。」

 まさに「国家百年の大計は人づくりにあり」、そのものの逸話である。

 まず、日本の国家予算の配分を見るとき、残念ながら欧米や隣の韓国に比しても、日本の国が教育を重視している国とはとても言えない状態だ。本当に日本は子どもを大切にし、輝く未来のために十分な投資をしているだろうか、はなはだ疑問と言わざるを得ない。

 OECDのデータによれば、GDPに対する比率で見ると、初等中等教育費は、アメリカ三・八%、フランス四%、イギリス三・七%、ドイツ三%、近隣の韓国でも三・三%であるのに日本は最低の二・七%。そして、教員の給与はフランス、韓国では百%を国が負担するなど、地方自治体に負担のかからない配慮がなされている。

親が国の負担肩代わり


小泉内閣になってから二・七%という比率はさっぱり上昇しないどころか、国が負担している義務教育関係予算は、小泉内閣になってから四割もカットされて一兆円以上の予算が消えている。小泉内閣の教育無策第一の罪である。

 日本経済研究センターの調査では、日本の子育て世代は平均して消費総額の七・八%を教育支出に充てている。一方、米国でその割合は一・五%に過ぎない。

 とくに日本は、低所得世帯でも米国を大幅に上回る教育支出をしているばかりでなく、所得が高まると更に格差が広がる。日本では所得が低い世帯でも高い世帯でも、すべての所得層にとって教育費の圧迫は非常に大きい。

 日米の消費総額の差六・三%を金額に換算すると、個人消費三百兆円をもとにすれば約十九兆円。消費税一%が約二・三兆円と計算すると、消費税八%相当の金額を「教育負担税」か「第二の消費税」として家計が負担していることになる。

 小泉内閣の罪は義務教育負担費を削減したことだけにはとどまらない。

 第二の罪は大都市と地方県の所得格差を拡大したことである。県民一人当たりの県民所得統計は平成十五年度までしか発表されていないが、小泉内閣誕生から二年間に東京を一〇〇として地方県の所得がどのように低下したかを見ると、

 東京都    一〇〇一〇〇

 岡山県・長野県 七〇六五

 島根県・鳥取県 六〇五五

 「中央から地方へ」というかけ声とは全く逆に、所得が「地方から中央へ」と、二年間に五%移転して、単純に推計すれば、小泉内閣があと二〇年続けば、沖縄・九州・四国と島根県・鳥取県はゼロ所得県になる。五五%の所得しかない地方で東京の子供と同じ学力の子供を育てるということは、地方の両親の教育負担が約二倍となっていることを意味する。

地方からカネとヒト奪う


地方が奪われているのは所得ばかりではない。一八才までの子供一人当たりの生育・学習費を二千万円とすると、島根県の場合、七千人の高卒のうち六〇%、四千人が県外へ進学・就職するから、毎年八百億円の人的資産が奪われていく。

 例えてみれば、二千万円のコストをかけて生産した高級車を、毎年四千台ずつ大都市圏へ提供させられているようなものだ。この教育赤字を抱えたままで地方は自立できるのか、これも政治の大問題ではないか。

 国の責任だけは減らし、地方から所得を奪い、高卒生を奪い、「中央から地方へ」どころか、カネとヒトの「地方から中央へ」逆流を起こした結果として益々経済力が小さくなる地方県の自治体に、公教育義務を、「地方分権」とか「三位一体」という言葉を誤用承知で押し付けるのは、まさに悪政の象徴そのものだ。

 現状を踏まえ、教育のあるべき未来像を描きたいなら、教育の「機会均等」だけではなく、教育の「負担均等」を重視すべきではないか。

 貧富の格差が都市圏住民の間でも、そして中央と地方の間でも拡大してゆくことが教育にどのような悪影響をもたらすのか。貧富と教育の関連について示唆に富む研究が今年の四月二十六日にアメリカで発表され、欧米各国の主要紙が取り上げている。

 アメリカン大学のエコノミスト、トム・ハーツ氏が四千人を対象に三十年間の追跡調査を行った結果では、アメリカの社会では貧富格差の固定化が進んでいる。ハーツ氏はその主たる原因として教育をあげている。

 低所得層の家庭で生まれた子供が、米国における所得上位五%の階層に行ける確率はわずか一%であるのに対し、上位五%の家庭に生まれた子供が成人してその階層に入る確率は二二%、つまり低所得家庭児の二〇倍も高い。しかもこの高所得−高教育−高所得−高教育という循環図式は再生され、固定され、その結果、不健全でもろい社会をつくりだす危険につながることは容易に想像される。

 財政の健全化は子供の健全化より優先しなければならないのか。「財政残って日本滅ぶ」という政策は、本当に正しいのか。

 「米百俵」で登場した小泉さんが消えてゆく今こそ、胸に手を当てて、私たち一人ひとりが考え、決断すべきときではないだろうか。

  (衆議院議員、元出雲市長)

「低金利の低倫理」

2006/6/26の紙面より

 私は金融・証券の世界に三十年、米国、欧州、日本の三大市場で、世界各国の金融政策を見て来た。

 日本では、超低金利政策、分かりやすく言えば「ゼロ金利政策」という世界で最も異常な政策を、十年前から銀行救済と大企業救済のために採用し、その結果、銀行と企業の症状回復以上に家計の病状悪化が進行している。

未払い利子百二十兆円


 そのような政策を採用し、今なお継続して金利生活者、特に年金生活者を苦しめている責任者が、自民党総裁と日本銀行総裁の「二人の総裁」である。一人の総裁は「自民党員が選んだ総裁」であり、もう一人の総裁は「自民党総裁が選んだ総裁」である。

 私は衆議院予算委員会で、小泉内閣が進める改革は、強いもの、大きいものを、より強く、より大きくするだけだという分かりやすい例として、「二人の総裁」に対し、この庶民いじめ、年金生活者いじめの政策の非情ぶりを批判した。

 小泉政権が発足して十カ月後、四年前の二月二十一日、当時の速水優日銀総裁に次のように質問した。

「あなたはお金の印刷ばかりなさっているが、そのお金に給料を払っていますか」

「払っておりません」

「世界のどこの国がこういう政策をとっていますか」

「どこの国もとっておりません」

「あなたはどういう心境で仕事をしていますか」

「たいへん心の痛む思いであります」

 そういう心の痛む最高責任者である福井日銀総裁が、ゼロ利子どころか年三十%相当の利益を得ていたとなると、法律的には問題がないとしても、政治的・道義的責任が生じるのは当然のことだ。ゼロ金利・超金融緩和政策が株価を支えていること、その株価あればこそ、その利益が生じていることは明白だからだ。

 そのうえ、インサイダー史上最高という三十億円の不正利益から配当が支払われているならなおさらのことである。

   ここで、日本のゼロ金利政策が本当に役に立っているのかどうか、胸に手をあててよく考えてみるべきではないか。

 預かったお金に利子も払わない銀行が世界のどこにあるのか。たしかに利子を払わないだけ銀行は助かり、その銀行から巨額の借金をしている大企業は「借金棒引き」で救済される。しかし、期待していた利子をもらえない人たちの損害は小泉政権誕生以来の五年間だけをとってみても百二十兆円に達しているのだ。

 ゼロ金利政策とは払うべき金利を払わないこと。人もおカネも給料が欲しい。おカネのもらう給料は金利と呼ばれるが、日本ではその給料が欠配で、その未払い利子がプールされて大企業への金利減免や借金棒引きの原資に使われている。ある人がもらうはずの収入や資産を他の人に使わせてしまうことを、経済用語では所得移転、俗な言葉では泥棒という。

 銀行員がお客に利子を払いたくないというのではない。銀行員に利子を払わせないようなゼロ金利政策が悪いのだ。

不安を拡散する政策


 その被害はますます拡大するばかり。 とりわけハイスピードで高齢化が進む中、ゼロ金利は年金生活者を直撃する。老後のための蓄えは、当てにしていた金利を生まない。いわば得べかりし利子に政府が一〇〇%の税金をかけて、それを銀行に補助金として渡しているようなものだ。元本はできるだけ崩さずにいたいと思うから、消費を抑えて対応するしかない。貧しい思いで毎日を暮らさなければならない。倫理感が欠如している政策だという批判は当然のことである。

 不安のタネを拡散していることに政府はまだ気がつかないのか。「テロ対策」も大切だが、暮らしの大量破壊から国民を守る「ゼロ対策」も必要だ。

 日本は外交下手と言われるが、私もそう思う。おカネを使うわりには外国の信頼という黒字に結びつかず、財政赤字に加えて外交赤字が累積するばかりで、次期政権の外交一新に期待したいところだが、日本がこの「双子の赤字」から脱却することは当面難しいのではないか。

 ゼロ金利政策で日本では得られない利子を求めてアメリカに日本のカネを働きに行かせ、そのPKO(PRICE KEEPING OPERATION=価格維持工作)効果でアメリカの景気と雇用と株価を支えた小泉内閣の貢献をアメリカはどう評価してくれるのか。

 日銀がゼロ金利で市中銀行にジャブジャブに資金を流すというやり方は、世界的に異常な金融政策であり、そう長く続けることは経済を麻薬漬けにするようなもので、副作用も多い。最近の土地の値上がり、ライブドア事件、村上ファンド、そして若い人を中心とする株式のインターネット・トレーディング・ブームなどもこの政策の影響である。

 不良債権を解消させたとか株価が上昇してきたと手柄話の自慢顔だが、誰のカネを使ったのか。ゼロ金利政策という「国民利子総動員法」は依然として解除されないままだ。それに加えて、景気がよくなったという理由で今年から税金が上がり、医療費負担が更に上がり、財布の中身が更に小さくなる。

 小泉・竹中政策は「低利と放漫」の二つの政策の合わせ技で、日本の経済を偽装建築しているだけではないか。小泉さん、竹中さんはそのことをはっきりと国民に説明すべきだし、預金者に利子を払わず、国に法人税を納めず、利益は史上最高という銀行の頭取や好況増益企業の社長は、全国の預金者にまず深々と頭を下げてお詫びし、お礼申し上げるべきではないか。

 残念ながら、小泉さん、そしてどこの頭取、社長からも、このような謝罪と感謝の言葉を一度も聞いたことがない。

「うっかり」と「ちゃっかり」


 総裁に就任してからの投資ではないにしても、副総裁までつとめた金融界の権威で次期日銀総裁と予想される人がファンドに出資することの「激励効果」を、本人も、それ以上にファンド側が計算していないはずがない。金銭的利益をあげたかどうかだけでなく、知名度という信用がファンド資金勧誘に利用され、結果として日本銀行の「信用創造力」が民間ファンドの信用創造力に「流用」されたのであれば、公金流用と同じく批判されねばならない。

 世間一般が日銀のゼロ金利政策の犠牲になっている時期であるからこそ、たとえ、「うっかり」という一面があったとしても、その政治的・道義的責任を問う声が巷に溢れるのは当然である。

 通産省出身の民主党議員の場合には、そのような政策や道義的責任はないかも知れないが、逆に、ファンドの利益から献金を受け、本人と秘書が給与を受けていたとしたら、「うっかり」ではなく「ちゃっかり」の法律的責任が生じる。

 日銀総裁の投資以上に悪質という見方をされるだろう。「うっかり」の責任を追及する民主党が、「ちゃっかり」のケースは黙認というのでは、支持者の理解は得られないだろう。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「三つ子の赤字」

2006/7/3の紙面より

 

 米経済は二十一世紀の初めに、ITバブルの崩壊、企業会計不正事件の続出、さらには9・11の同時多発テロに見舞われ、二〇〇一年にリセッションに陥った。そうした難局を乗り越えて、現在では回復軌道に乗りつつあるが、その陰では「貿易赤字」と「財政赤字」が膨れ上がり、米経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)は急速に悪化している。

米国の「双子の赤字」最悪


 多くのエコノミストが米国の経済の先行きに大きな不安を抱いているのは、米国の財政赤字と貿易赤字の、いわゆる「双子の赤字」問題にある。

 一九九〇年代後半から強い国内需要を背景に、輸入が膨らみ赤字が急増、米国の二〇〇四年の貿易赤字が過去最大の六五一五億ドルを記録した。経済規模の五%を超える数字であり、同じ二〇〇四年に財政赤字も過去最大を更新している。

 「双子の赤字」は国際金融市場の懸念材料でもある。米国の財政赤字が拡大し、赤字を埋めるための資金を海外に依存していけば、いずれは海外投資家がその資金提供をためらうときが到来し、その時にはドル安(円高)や悪い金利上昇の圧力が強まると考えられるからだ。

 世界経済に圧倒的な影響力を誇った米連邦準備制度理事会のグリーンスパン議長が、一月末の退任に際して、それに対処する警告を忘れなかったのは、大量の資金が簡単に国境を越える怖さを知っているからだ。九七年に起きた通貨危機、いわゆる「「アジアのつなみ」をどう防ぐかが経済運営、金融政策のカギだ」とも述べている。

 五年前、二三〇〇億ドルもの「史上最高の財政黒字」を引継いで発足したブッシュ政権だが、任期四年目の二〇〇四年度には四一二五億ドル、そして二〇〇五年度には四二七〇億ドルの「史上最高の財政赤字」記録を更新、まさに、がけからころげ落ちるような転落ぶりである。選挙戦中には「次の任期中に財政赤字を半減、貿易赤字を縮小」すると公約したが、それから一年余りが経過しても改善の見通しは全くたっていない。

 そのうえ、大量破壊兵器が存在するからというイラク戦争の根拠も崩れ、政権に対する国民の不信が信頼を上回り、差し引き信頼率は赤字に転落し、財政と貿易と信頼の「三つ子の赤字」の危機を迎えている。

日本の家計は火の「赤字」


 ひるがえってわが国の赤字は、世界に冠たる借金大国として財政赤字街道を驀進中。その「財政赤字」に加えて、他の先進国には見られない「家計の赤字」がある。

 不況の中で、所得は、せいぜい良くて伸び悩みか横這い。運よく失業はしなくても、非正規社員に身分変更されて給料がダウン。

 医療費負担は上がる、

 給料は下がる、

 健康保険料は上がる、

 年金は下がる、

 住民税は上がる、

 預金利子は下がる……

 金利は下がりに下がってゼロ金利。

 財政の要諦は「入るを計りて、出ずるを制す」というが、日本の家計について言うならば、小泉政権の下での五年間は「入るを減らされ、出ずるは増える」という状況で、財布の中は火の車。

 高齢者に的をしぼったかのようなこの老人いじめの政治に、国会閉会と同時に、七十四才の方から皮肉たっぷりの投書が朝日新聞に掲載されていた。

 「至れりつくせり、ありがた涙がこぼれる。より貧しい者からより多くの税を。まさに『政治の王道』である。『足を引っ張って差しあげましょうか』と年老いた貧しい者にまで親切に手を差し伸べてくれている。感謝感激である。

 残念ながら、もう手元にはお礼に差し上げるべき何物も残されていないが、次の選挙までお待ち願いたい。その時は心からなる感謝の意を込めて、手厚くお礼させて頂く所存である。」

 「自立」の精神を強調した小泉さんの所信表明から五年、そして郵政民営化選挙から一年。「自立」とは「自分」も「立」腹すること、一票を返せと「自分」も「立」ちあがることなのだと、ようやく目ざめた人からの投書である。

近隣諸国との「外交赤字」


小泉政権になって新たに加わったのは、「家計赤字」だけではない。近隣諸国との関係が悪化し、「外交赤字」も大きな問題である。

 「中国、韓国、ロシア等の近隣諸国との友好関係を維持発展させていくことが大切」と声明して五年。「北方四島帰属に精力的に取り組む」はずだったが、北方四島が返ってくる気配はない。

 「中国との関係は最も重要」「最も地理的に近い国である韓国との関係の重要性は言うまでもありません」。

 その結果はどうだったのか。韓国、中国の友人は増えたのか減ったのか。

 まず韓国の日本に対する友好感情は、悪い印象が六八%で北朝鮮への悪印象の六九%に匹敵するところにまで上昇し、完全な「友好赤字」である。

 別の調査で小泉政権下での変化を見ると、「日本に親しみを感じる」が三〇から一八%に低下し、「感じない」が七〇から七九%に上昇し、「友好赤字」は四〇から六一%に急上昇している。

 中国についても赤字幅は依然として拡大しつつあり、「日本に親しみを感じる」人の比率は一六%、「感じない」人が七一%で、赤字幅は五五%に達している。

 小泉さんが頼りにするアメリカの日本への感情はどうか。アジアの中の最も重要なパートナーとしての認識は、一般人を対象にした調査では四九%から四八%と微減に止まってはいるものの、問題は、中国をパートナーと考える人が二二%から二六%に上昇し、日本の中国に対する優位差は二七から二二にダウンしていることだ。

 次に有識者を対象に同じ調査を行ってみると、衝撃的な結果が出ている。日本は七二から四八にダウン、中国は二〇から三八にアップし、日本の中国に対する黒字幅は五二から一〇にまで急激に縮小している。尽くしても尽くしても報われることがない、日本外交の貧弱さがここに表れていると言えよう。

 「財政赤字」「家計赤字」「外交赤字」。この三つ子の赤字を拡大したままで、小泉政治は幕を閉じる。

 次の政権がこの「三つ子の赤字」を解決するのは至難のわざだろう。

 それどころか、少子高齢化、子供の数と六五才以上の高齢者数が逆転して「老・子赤字」が拡大している。

 生活が楽になったという人の数が、苦しくなったという人の数をはるかに上回る「苦・楽赤字」も解消しそうにない。

 以上、しめて「五つ子の赤字」を解決できる指導者が、九月には自民党から選ばれる。期待して待つことにしようではないか。

(衆議院議員、元出雲市長)

「三つの禁じ手」

2006/7/17の紙面より

 

竹下 平一

宇野 平二

海部 平三

宮澤 平四

細川 平吾

羽田 平六

村山 平七

橋本 平八

小渕 平九郎

森  平十

 平成元年から、毎年のカレンダーを取りかえるように、日本の総理が次々と代わって、平成の十一番目が小泉十一郎。政権の実績評価が各紙に掲載されているが、辛口の評価が多い。

 私はあえて異を唱え、甘口の評価を試みたい。今までの「平成の十人の総理」に比しての小泉さんの功績を評価したいからだ。

 「壊党」「改革」大当たり 小泉政権誕生の翌月に、バージニア大学、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルスなどで、八五%という高い支持率の原因は二つの禁じ手を小泉さんが使ったことにあると、私は講演してきた。

 まず一つは、自分の党の批判をし、党を壊すと宣言したことである。「倒閣宣言」というのは聞いたことがあるが、総裁候補による「壊党宣言」というのは聞いたことがない。これが大当たり。

 もう一つは党の看板、ラベルの張り替え。これも総裁選では禁じ手のはず。民主党が掲げていた「改革ラベル」をいとも簡単に自分の政権のラベルとして使用する。これも大当たり。考えてみれば、改革という言葉自体に価値があるわけではなく、何を、いつ、どのように変革するのかという中味までとるわけではないから、苦情の出ようもない。

 その壊党宣言とラベルの張り替えの二つの禁じ手を使ったことを私は非難するつもりは全くない。むしろ時代が二つの禁じ手を小泉さんに要求していたのだ。従来のマンネリ政治ではなく、今までの政治手法を思いきって変えなければ日本は閉塞状況から脱出できないことは、政治家よりも国民の方がよく知っている。

 三つ目の禁じ手は、共産主義に対抗するはずの自民党の総裁が、共産主義の根本理念をそっくり受け入れたことである。ゼロ金利政策、すなわち資本(おカネ)には価値がない、人間の労働にしか価値がないというカール・マルクスの思想の最大の特徴を五年間活用し、おカネが銀行で働いてもその金の労働には利子という対価、報酬を払わず、民間同士がつくりだした不良債権の整理のためと称し、銀行、大企業に貢献したことである。これもまた見ごとな禁じ手と言わざるを得ない。

 資本家を喜ばせ、国民の多数を犠牲にすることは、マルクスの目ざしたことではない。小泉さんのゼロ金利政策は、預金者の所得となるべき利子を銀行や大企業に移転するという「所得移転」であって、手法はそっくりだがマルクスの目的からは全く外れている。

「不満と恐怖」が高支持演出 首相に選ばれる四カ月前の世論調査で小泉さんが首相にふさわしいと答えた人はわずか一・七%。その一・七%が四カ月間に五十倍に増幅して八五%になっていく過程の中には、一つの不満と二つの恐怖が投影されていた。

 まず不満。その前年六月の総選挙とその後の森内閣の極端に低い支持率にはっきりと表われていたのは、もはやこの国の民は政治を信用していないということ。消費税を上げる、医療費負担を上げる、倒産は増える、自殺は増える、国の借金は増える、そして、売り上げは減る、貯金利子は減る、株価は下がる、年金が減る。要するに、心配が増えて、安心が減っていた。

 そして二つの恐怖。

 第一の恐怖は近づく参院選での惨敗が政権交代につながり、今までの利権構造に激変が起きることへの自民党員の恐怖。

 第二の恐怖は、総裁選で圧倒的な地方票が小泉氏に流れるのを目のあたりにしながら、国民大衆の小泉人気にさからうことは、とりわけ小選挙区制となった現在、それぞれの選挙区で衆院の自分の議席を失うことにつながる、という議員たちの恐怖感。

 この「不満と恐怖」が相乗効果を発揮して「小泉サプライズ」が生まれ、その過熱ぶりに、総裁選において小泉さんの用いた二つの禁じ手さえも問題にされなかった。大衆はタブーを恐れぬ姿勢にむしろ新鮮さを感じ、それに反発する大派閥や民主党が、逆に古さの象徴のように受けとられていたのではないか。

「小泉旋風は民主が原因」 民主党には逆風が吹いた。小泉政権誕生の一年前には支持率が自民党を上回っていたのが、景色は一変した。

 一年後、惨敗の参議院選挙の結果をどう評価すべきか、総括の会議で、「小泉旋風に苦しんだというが、そもそも小泉旋風を起こしてしまったのは民主党の責任だ」というある議員の発言に、会場は静まりかえった。だれもが感じていながら、口にしなかった言葉だったからだ。

 小泉内閣誕生の最初の段階での判断のズレ。「その改革は民主党の言っている改革と同じ」「その改革の元祖は民主党」と、ポスターでそれを強調したのだから民主党支持者の八〇%をこえる人たちが、「民主党お墨付きの改革政権」と思い、安心して手を上げ、改革列車に乗りこんでしまった。

 ポスターは列車「改革号」の先頭に民主党の代表と幹事長と思われる二人がまたがり、そのうしろに小泉首相とはっきり分かる人物が乗っている。「改革列車」に「呉越同車」、「運転手はキミだ、車掌はボクだ」という尋常小学唱歌「電車ごっこ」にモチーフを得たものだろう。

 そのポスター図案が紹介された時、一部の議員がその場で激しく抗議していたが、結局採用され、「小泉さんの改革はいい改革だ」という認識を広める手伝いをすることになった。

 だからといって小泉さんのすべての「禁じ手」が日本再生に効果をもたらしたとは言えない。

 「壊党宣言」は「解凍宣言」に終わり、自民党は息を吹きかえし、議席数を増やしている。

 「改革、改革」の連発は改革の意味をあいまいにして、改革という手法が手法ではなく目的化して、なんのための改革なのかが分からず、道路公団民営化などは、改革便乗作家の印税を増やしただけの話。基幹道路は国民のもの、国防のものという哲学から益々遠ざかった。

 アメリカに要請され、アメリカさえもやらない郵政民営化を強行して、一体だれが得をしたのか。「外交にもプラスになる」というはずだったが、日本の常任理事国入りにアメリカは賛成したのか。北朝鮮制裁決議案に中国は賛成したのか。さっぱりではないか。

 党内の動きにいつも制紂(せいちゅう)されて大きな仕事がしにくかった多くの総理に比べて、小泉さんの実績は傑出しているという評価もある。そうかも知れない。「思い込み」でも「思い違い」であろうとも、党ではなく総理の権力が上回ることを示した点で、国民に強い印象を残したことはまちがいない。

 しかし、財政改革、行政改革、農業問題、年金改革などにとって、「禁じ手」が、「効き手」にも「決め手」にならなかったことも確かである。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「訪米に見る天皇と総理」

2006/7/24の紙面より

 

 国会は六月十八日に休会となり、九月二十日ごろまでは開かれず、小学校以上の長い夏休みに入っている。

 例年以上に多くの課題を抱えながら、延長もせず、なぜ早ばやと休会されたのか。首相退任を前にしての米国訪問がそれほど大事なのか、それともプレスリーへの愛曲心が教育基本法の愛国心よりそれほど重要なのかと、批判されてもしかたのない、しまりのないエンディングとなってしまった。

うかれすぎ日本への警報


 日米関係はたしかに大切だ。誰も否定する人はいない。しかし、北朝鮮ミサイル発射が近づいているという情報をもとに、アメリカ大使館と日本政府が極秘の情報分析を行っている最中に、プレスリーの旧居を訪問してプレスリーの遺品や物まねに興じていたという印象は、いかにも一国の総理らしくなかった。米国側のプレスにも、やゆした報道がいくつかあり、次元の低い友好ぶりを見せただけに終わってしまったのは残念だ。

 小泉内閣の五年間は、近隣の国との外交を悪化させながら、米国のブッシュ大統領へは協力を常に打ち出す、「常時・ブッシュ」。その結果が、国連外交の場で、北朝鮮からの威かくミサイル発射に対して日本が主張した制裁という核心の言葉が抜きとられた、「骨ぬき決議」。

 こういう結果をもたらしたのも日本政府の危機感の欠如にある。

 国会閉会を三日後に控えた六月十五日に、北朝鮮がテポドンを発射台にのせたことが判明し、政府はXデーに備えた体制づくりに入っている。そういう最中だからこそ、総理が訪米日程をそのまま進めるとしても、歌手のプレスリー私宅訪問の部分だけは削除すべきだったのではないか。

 それを一切変更しないまま、メディアに大きく取り上げられることを期待して強行するという鈍感さ、非常識。その報道が世界のメディアで流れたタイミングを見はからって、うかれすぎ日本への警報として北朝鮮の発射日が選ばれたと言えないだろうか。

 アメリカに庇護を訴える心情を込めて、ブッシュ大統領の前で、「ラブミー・テンダー、優しく愛して、甘く愛して、決して僕を離さないで、これからの年月、僕は君のもの、時の終わりまで」、と歌っている日本の国民を代表する総理の、ノー天気ぶりを好ましく思った日本人はどれだけいただろうか。

好感持たれた天皇訪米


 それに引きかえ、十年ほど前に行われた天皇陛下の訪米日程、とりわけシャーロッツビルへのご訪問を私は今でも高く評価している。

 一九九四年、天皇陛下と皇后陛下は訪米され、六月一五日、バージニア州の古都シャーロッツビルにある第三代大統領トーマス・ジェファーソンの私邸「モンティチェロ」や同大統領が創立したバージニア大学を視察された。

 バージニア州が次々と分家を作るようにして他の州ができあがり、ジョージ・ワシントンを含めて、米国の最初の五人の大統領のうち四人までもがバージニア州出身者であったため、バージニア州は「建国の州」と呼ばれ、その州の花「花みずき」が、日本から贈られた「桜」への返礼として選ばれたという、日米友好の「花の舞台」となったことでも知られている。

 バージニア大学学長夫妻主催の昼食会で、多くのアメリカ国民によって「歴代の大統領の中で最もすぐれた大統領の一人」と尊敬されているトーマス・ジェファーソンに敬意を表され、天皇陛下は、「ジェファーソンは米国建国の時、米国の理想を築いた。日本も民主主義を大切にして、新しい世界を築いていくのに寄与したいものです」との趣旨の乾杯のあいさつを述べられ、このお言葉を多くの新聞が報道している。

 ジェファーソン大統領の墓碑には三つのことが書かれている。

「独立宣言の起草者

 宗教の自由を保障する法律の起草者

 バージニア大学の創立者」

 独立、信仰、教育の三つだけ。自分が第三代目の大統領だったという、誰もが一番書きたいことがどこにも書かれていない。そういうジェファーソンの謙虚さが、今でも親しみを込めて「ミスター・ジェファーソン」とアメリカ国民に慕われ、またそれゆえにこそ日本の天皇がシャーロッツビルを訪問されたことを、アメリカ国民も好感と親しさをこめて受けとめたのである。

 首脳外交というものはこういうものであってほしいと思う。

 私自身も縁あってこのバージニア大学の大学院の客員教授に任命されて二十年になろうとしていることを大変誇りに思っている。

靖国参拝、首相の言いわけ


 外交のあり方や外国に対する敬意の表わし方ばかりでなく、靖国神社への参拝問題についても問題がある。

 天皇陛下という国民統合の象徴、その方が参拝しておられるかどうか、そういうことを考えたことはないのか小泉総理に対し、昨年六月二日の予算委員会で質問した。

 小泉総理「私は、天皇陛下が何回参拝されたかというのは存じておりませんし、また、そのようなことをあえて、何回参拝されたか調べる必要があるとも今でも思っておりません。」

 宮内庁に要求して入手した記録によれば、昭和天皇の靖国御参拝は昭和五十年十一月二十一日を最後にして、その後一度も行われていない。

 靖国参拝を陛下が中止されているという事実を、私が具体的に挙げて質問しているにもかかわらず、逃げて、すりかえて国民に対しても真正面に答えなかった小泉総理。富田長官の書き残したメモで私の質問の意味が裏付けられたが、総理は依然として、「それは人それぞれ、心の問題だから自由」という言いわけに終始する。「人それぞれ」というのは一般人の場合であって公人の天皇や総理には当てはまらない。

 心の問題だから人に拘束されることはないというが、それも私人の場合であって、公人には公人としての制約がある。「心の問題」と主張するなら、なぜ靖国参拝を公約としたのか。

 靖国参拝を続けようとする総理と、自粛される天皇。訪米の目玉にロック歌手の私邸を選ぶ総理と、アメリカ建国の父と尊敬される大統領の私邸を選ばれた天皇。私人ではなく公人としての心の持ち方はどうあるべきかを考えさせられたお二人の訪米だった。(衆議院議員、元出雲市長)

 

「鬼平がいない」

2006/7/31の紙面より

 鬼平の魅力はどこにあるか。それはまず、火付盗賊改方長官としての長谷川平蔵の持つずばぬけた強さと、そして弱いもの、過ちを犯したものに対するやさしさが人を魅きつけるからだろう。

不正と闘い弱者にやさしく


 鬼平が周りの名もない人、お年寄り、人生の途中で過ちを犯した人たちに見せる、あのやさしさがたまらない。

 「人は強くなければ生きていけない。しかし、やさしくなければ生きている価値がない」。

 私の好きな言葉の一つである。強くなければ競争に敗れる。不正や悪にも対抗できない。しかし、周りのめぐまれない人、体の弱い人、お年寄り、そして、人生の途中でふっと幸せを見失ってしまった人たちに対する、やさしさがなければ生きている価値がない。

 私は市長時代から、強さとやさしさの鬼平を、理想の行政官として心に描いてきた。不正と闘う強さ、弱者に対するやさしさ、これこそ今の日本の政治に最も欠けているものではなかろうか。

 老中・田沼意次の時代に、政官財の癒着がきわまり、江戸バブルの崩壊とともに江戸幕府の財政は窮地に陥った。

 その後を受け継いだのが、老中・松平定信で、「寛政の改革」と呼ばれる苛烈な財政引き締め策を実施した。松平定信は田沼意次時代の規制緩和、農村軽視、そしてカネ経済に振りまわされた「貴金賎穀」の田沼姿勢に反して、「勧農抑商、貴穀賎金」の政治に突き進んでいく。その一つが旗本、御家人を救済するための強制的な不良債権処理、すなわち「借金棒引令」であり、その二が暴騰し続けていた諸物価に大なたをふるった「物価引下令」だった。しかし、金貸したちは貸し渋りという手段で報復し、旗本たちは一層の困窮に悲鳴をあげる結果に終わった。「物価引下令」も江戸の大町人よりは地方の中・小商人を苦しめただけに終わり、効果をあげるには至らなかった。

 経済政策の失政ばかりではない。田沼時代末期に相次いだ天災の季節ともいうべき天明大飢饉、奥州大飢饉、江戸大火、関東大水害などで世情不穏は高まり、打ち壊しが頻発していた。貧民の群れは黒いつなみとなって江戸中を襲い、大坂、京都など三十二都市に広がり、経済危機に無為無策の幕府を戦慄させていた。

 当然のことながら、犯罪も激増した。平蔵が火付盗賊改方長官に就任するころになると、これまでの「おつとめ」と呼ぶ本格派盗賊の見事な手口から、押しこんだ先の家人を皆殺し、手ごめにする「いそぎばたらき」「畜生ばたらき」と呼ばれる凶悪型盗賊が台頭してきた。

 盗賊世界のしきたりや仁義が薄れ(規制緩和)、訓練不足の若年層が進出(新規参入)してきた結果である。

自己利益追求の風潮


 これを現代の社会に置き換えてみると、「いそぎばたらき」に相当するのは、政府であり、役所であり、ホリエモンや村上ファンドである。政府は「徴税」という合法的な手段で、国民の金銭を「税金」というかたちで奪い、無駄に使う。目的が失われた公共工事や、水増し請求、そして、開きもしないカラ会議、行ってもいないカラ出張

 加えて、低金利政策の名のもとに、預金者に支払う利子を銀行や大企業の懐へ五年間になんと百二十兆円を移転させた「所得移転」という手口も開発された。

 山陰のある県では、わずか二年という短い期間に、県民の金蔵(かねぐら)が三万回にわたって襲撃され、七億円が奪い去られたというすさまじさ。身内の調査でさえこの金額だから、厳しく調べればこの倍、十年間で五十億円を超えるという推測もある。

 国会の中では「族議員」という「賊議員」が暗躍していることは、国民もよく知っていることだ。

 中央の乱れは地方にもすぐに波及し、モラルの低下が伝染する。「上、好ム者有レバ、下、必ズ、焉(コレ)ヨリ甚(ハナハ)ダシキ者有リ」(孟子)、為政者の行為を倣(まね)るのは世の常のことである、と言われる。議員の入札情報横流し、議員選をめぐる収賄、市長の汚職、等々、地方政治の汚濁もかなり重症となってきている。こういう政治腐敗だけは、是非とも一極集中にとどめ、腐敗の地方分散は進めたくないものだ。

 民間でも負けてはいない。人の富を奪うのに、情報を持たない多くの投資家を犠牲にしながら、VIPと呼ばれる有力旦那衆に収奪金を分配する「利益供与」「損失補填」という方法も作り上げた。

 ホリエモンや村上ファンドにいたっては、ルールのすきまを利用したり、偽情報や仮空取引で一般投資家の利益を横どりしたりという、「株価盗賊」。

 官民そろっての自分の利益追求の風潮の中で、誰も責任をとろうとしない。

 世相の悪化といわれるものは政策の責任に帰すべきものばかりではないが、少なくとも政治や行政に携わるものがなんらかのけじめをつけなければ、「上(かみ)行うこと、下(しも)習う」の風潮はおさまらないだろう。

正義の時代始まるか


 丁度三十年前の七月、私はパリに駐在していて、田中角栄元首相が逮捕されたというニュースに接して衝撃を受けた。政治の最高権力者でも火付盗賊改方の手にかかるという、日本にも正義の時代がいよいよ始まったのかと、胸をときめかせたものだった。

 裏ガネの解明どころか、内ポケットに入ったはずの表ガネの追跡さえもできない日本。一部の特権階級だけが利益を手にするとか、なすべきことをなさない、いわゆる「不作為の作為」という犯罪も含めて、権力者たちの犯罪を大きく突きくずせる鬼平のような正義の組織集団の登場を待っているのは、私ばかりではないだろう。

 毎日のように登場する「ポスト小泉」という見出しに、何やら新しい時代を期待する雰囲気がかもし出されているが、「強きをくじき、弱きを助ける」、政治の一新が行われるだろうか。

 たしかに郵政民営化に熱中した小泉さんは、赤い「ポスト」が好きだった。だからこそ「ポスト小泉」という尊称をさしあげるのに、私は異議を唱えるつもりはない。

 問題は、「ポスト小泉」という言葉が、政策や政治姿勢の転換を約束しているかのように使われていることである。

 しかし、実態はすっかり変わってきているのではないか。今、自民党内に行われている日夜を問わぬかけ引きや数合わせが、なんのために行われているかを、そして、「ポスト小泉」運動は国民のためのポスト(職場)拡大ではなく、単に小泉政権の次の自民党内のポスト(地位)獲得競争を表現しているに過ぎないということを、新聞はもっと正確に報道すべきではないか。(衆議院議員、元出雲市長)

「終戦の日に思う」

2006/8/7の紙面より

 大阪で生まれ、私は曽根崎国民学校へ入った。一年生の時には既に戦争の影響は子供たちにもはっきりと分かる時代となっていた。夜の防空壕への入り方、消火のためのバケツ・リレーの訓練などが始まった。

戦争知る世代の義務


 恐ろしい噂までが流れ出した。大阪が米軍の空襲の標的となって、私たちの家が全部焼かれてしまうというのだ。母は生まれたばかりの弟を手元に残して、私と妹を戦火から守るために出雲の実家へ疎開させる決心をした。小学二年生の夏、終戦まであと一年のことだった。

 父とは死別、母とは生別。私と妹は、初めての地、島根県へ向かった。

 その出雲には戦火とは遠い、のどかな日々が待っていた。B29が中国山脈の上を飛んでいると、生徒は逃げ隠れするどころか、校庭に出て、空を見上げ、みんなで指を差して「B29だ、B29だ」と叫んでいた。

 終戦を迎えたのは、翌年の三年生の夏だった。その終戦の日の八月十五日、私は隣の村の親せきの家へ遊びに行っていた。その家の姉さんと小高い山に登って、くぼみにさしかかったところ、三十人くらいだっただろうか、兵隊さんの一群が草の上に座り、隊長さんらしい人の話を聞きながら全員が泣いていた。

 兵隊さんは強いもの、その兵隊さんが泣くことなどは想像もできなかった私は、その驚くような光景を叔母さんに伝えるために山を駆け降りていった。叔母さんは、よく聞こえる場所を選んだのか、廊下に正座をして、ラジオを聞いていた。十二時、天皇の玉音放送だった。

 長かった戦争がラジオの放送一つで終わる。幼い私には何がどうなったのか、これからどうなるのか、何も分からないままに、泣いている叔母さんのそばに立ちつくし、さっき見たばかりの兵隊さんの話を告げることさえも忘れていた。

 戦後六十一年の歳月が流れ、戦争の時代を知る日本人は四人に一人となった。

日本の国家像とは


 日本は早く普通の国になるべきだという主張がある。しかし日本は、二十世紀前半のアジアにおける第二次世界大戦を含む諸戦争の、加害者であり被害者でもあったこと、そして、原爆という人類史上の最も非人道的殺りく行為の唯一の対象国であったという事実は消すことができない歴史である。

 そのような歴史を持つ唯一の国として日本が、「普通の国」ではなく「普通以上の国」としてその歴史にふさわしい理念を持ち、かつ、行動することは、世界の非常識でもなければ異常な国家でもなく、人類のこれからの歴史に対して日本に与えられた使命でさえある。

 国際社会に向かって、私たちの国や、日本という民族の志や理念を訴える文書は憲法の他にはない。しかし、それほど大切な憲法について大きな疑問を放置したままに制定から六十年を過ごしてきたことは恥ずかしいことであり、先進的民主国家とはとても言いにくい。

 なによりも、作成された時期は連合軍の占領下、すなわち、日本側の主権が制約されている時に、「日本國憲法」が公布・施行されたという厳然たる事実にかんがみると、独立を回復してからも一切、手を付けないということがむしろ異常ではないか。いったん廃止して、仮に実質的に全く同じ憲法を制定しても、それなりの意義は十分にある。

 占領軍の影響下で作られた憲法、つまり、「米定憲法」を、そのまま二十一世紀のわれわれの子孫にパスしてはならない。精神的怠惰と政治的臆病を私たちはまず恥じるべきだ。

 世論をリードするのが政治家なのに、「世論の成熟を待って」と言っているようでは指導者の資格がない。ドイツは五十七年間に五十三回も書き換えている。

 戦争直後に憲法起草に関係した人たちの「文明が速やかに戦争を絶滅しなければ、戦争がまず文明を全滅するだろう」という思いも、忘れてはならないものだ。

危険な方向への兆候


 二十世紀は戦争の世紀だったが、二十一世紀こそ平和の世紀にしたいという新世紀初頭の思いが、早くもつまずき、新しい世紀もまた戦争で始まった。文明は戦争を絶滅できるどころか、文明が絶滅されかねない危機にある。

 今ほど世界の指導者といわれる人たちの英知と勇気が必要な時はない。真の意味で文明社会が野蛮社会や帝国主義時代と異なるのは、「人が人を殺さない」ことである。国家のため、国益のため、あるいは「人間の自由」のためと称して、他国に恐怖や貧困をもたらすことが文明といわれるはずがない。

 アメリカのやり方が強引すぎる。「衝撃と恐怖」によってこそ、平和がもたらされるというブッシュ政権の新理論は、どの国の占領体験をもとに作られたものなのか。

 すべての国にはそれぞれの民主主義がある。NATO軍の最高司令官をつとめ、レーガン政権で国務長官を務め、共和党のタカ派として知られるアレキサンダー・ヘイグ氏でさえも、「米国が、民主主義を受け入れる土壌のない国に、民主主義を植え付けようとして何度も失敗してきた事実を、米国は忘れてはならない。民主主義を押しつける政策の限界を知るべきだ。すべての国にはそれぞれに適した独自の民主主義モデルがあるからだ」と述べている。

 「衝撃と恐怖」は、イラク側よりもむしろ国際社会をまともに襲ってしまったのではないか。イラクだけではない、世界中の国が、「アメリカからの自由」を求める時代のはじまりを迎えている。

 小泉さんの後継者を選ぶ自民党総裁選と国会による首相指名選挙が、早くも終盤戦の様相を示している。そこへ最有力候補と目される安倍官房長官の四月の靖國神社こっそり訪問が明らかになり、その周到なやり方には不気味さを覚える。昭和天皇と今上天皇が参拝されないことへの挑戦なのか挑発なのか。

 「靖國」というタスキをかけてバトンタッチを受けようとするこの構図が、アジア諸国にもアメリカにも「不快感」を与えることが分かりきっていながら実行してみせるところに、次期政権の危険な性格が隠されているような気がする。

 このバトンタッチがどこかの運動会のレースなら心配はない。問題は、国民のほとんどを排除したかたちで、ある一つの政党が総理・総裁の靖國参拝を事前に承認するという総裁選挙である。そしてその結果、九月末には国民を代表する衆議院で、日本国民が合法的に「靖國参拝権付き」の新総理を選出することによって、靖國に関する我が国ではじめての歴史認識を国会が示さなければならないことである。

 「自民党の、自民党による、自民党のための」、「閉鎖型日本国総理選挙」によって、この国は明らかに危険な方向へと向かいつつあるようだ。(衆議院議員、元出雲市長)

「色紙『野球道』」

2006/8/21の紙面より

一球ごとにドラマがある。試合の数ほど感動がある。

 夏の甲子園にとりつかれて五十年。パリ、ロンドン、ニューヨーク、東京、どこにいても、総選挙があっても、出雲へお盆のお墓参り、同窓会に出席すること、そして準々決勝か準決勝の二日間は甲子園に座ること、この三つだけは欠かしたことがない。

 曽根崎小学校一年生の時に父は亡くなったが、三歳の時から私を毎年甲子園へ連れていってくれた父が、そこで待っていてくれるような気がする。

 私も野球が好きだった。野球部に入ってピッチャーをしたりショートをしたり、そして周りの学校と試合をして勝ったり負けたり、いろんな楽しい思い出がある。しかし、これはという決勝戦では一度も勝てなかった。甲子園へ行けなかった野球仲間の思いを、毎年私が代表して甲子園へ運ぶ。しかし、決勝戦に勝てなかったピッチャーの意地で決勝戦だけは見ないことにしている。

出雲ドームに甲子園の土


 東京大学に進み、野球部で二年間遊んでいた。この大学も優勝には縁がない。

 縁がないどころか、東大野球部は法政の十六連敗を大きく引き離して七十連敗という記録さえつくった野球部である。

 しかし、この野球部のすごいところは、七十連敗しても部を解散せずに、七十一回目には勝てると信じて野球を続けてきたことだろうか。

 「文をせず、武もせず、わずかにお茶ごころあるのみ」と江戸時代の文献に記された出雲人。「武をせず」、「はまなす国体」から最下位で帰ってきた平成元年は、まさに島根県の恥辱の年であった。

 最下位を脱出するためには、スポーツレベルを上げるための自らの努力が必要だ。出雲市が全天候型の世界最大の木造りドーム競技場を建設したのも、こういう背景があったからだ。

 高校野球についても同じことがいえる。天候に恵まれないから、球運にも恵まれない。山陰の子供たちにとって、甲子園はまるで地球の裏にあるような存在に思える。

 阪神電鉄の社長さんと甲子園球場の場長さんにお願いした。球運に恵まれない山陰の子供たちに夢がほしい。完成をまぢかに控えた出雲ドームのマウンドのために甲子園のマウンドの土を使いたい。前代未聞の陳情に驚き、しかし快く了解されたお二人の決断で、十トントラック一台分の黒土を出雲市に運んだ。

 マウンド開きの日、五百人の中学生、小学生の野球部員に言った。「甲子園は地球の裏にあると思ってはいけない。君たちの足の裏にあるのだ。その自信を持って、マウンドの土を踏んで、土のふるさと甲子園を目指そう」と。

 三十二人をマウンドにあげ、一人ひとりの球を私は受けた。小学・中学・高校・大学とピッチャーとショートの経験しかない私の、人生初めてのキャッチャー・ポジションだった。その「甲子園の兄弟マウンド」を踏んで、多くの選手が甲子園に向かったことは言うまでもない。

父の遺影近くで最後の守備


高校生たちが夏の甲子園に寄せるキャッチフレーズの優秀作品そのままに、甲子園には「心たかぶる夏が来る」、そして「ここにしかない夏」があり、「夏のすべてがここにある」。球児たちの「熱い想いを白球に込めて」闘う高校生の青春がある。

 十八年前の島根県江の川高校の試合には、そういう私の胸をしめつけるほど嬉しい場面があった。

 江の川野球部には全国から、特に関西からの選手が多く、関西弁が幅をきかせていて、地元の島根県大社町出身、出雲弁の森山君は疎外感にしばしば襲われ、実家に帰るとお父さんにそれを訴えていたという。

 「元気をだせ、くじけるな」といつも励ましたお父さんがそれから間もなく事故死。その悲劇にもめげず、遂に森山君は県代表となって甲子園に出場することになった。

 三塁側スタンドにはお父さんの写真を抱いたお母さんの姿。しかし、森山君には出番がまわってこない。福岡第一に九対三とリードされた八回がすでに終わり、九回の表、選手が最後の守備につこうとするときだった。同僚のキャッチボールの相手を終えて、自軍のベンチにかけこんでくる森山君に向かって、監督の右手がさっと上がってレフトの位置を示した。私にはその意味がすぐに分かった。

 それはお母さんの抱くお父さんの写真に一番近いポジションだからだ。

 びっくりしたように立ちどまり、パッと喜びを満面に浮かべて、くるっと背中を向けて守備位置に走る。三塁側応援席から大きな拍手が湧いた。背番号の14番がゆれている。踊っている。そして、くしゃっと曲って泣いている。私の目は、もう涙でかすんで、なにも見えなくなってしまった。

歴史に残る牧野さんの決断


 印象に残る多くのドラマの中には石川県星陵高校の松井秀喜選手に対する全打席敬遠という事件もあった。

 平成四年夏の試合で、大会随一の強打者松井選手に対し、高知の明徳義塾は前代未聞の全打席敬遠という作戦に出た。

 作戦は当たり、明徳義塾が勝利を収めたが、興奮したスタンドのファンからグラウンドにメガホンなどが投げ込まれて、試合が一時中断する騒ぎになった。

 試合終了後、牧野直隆・日本高校野球連盟会長は異例の記者会見をし、こう述べておられる。

 「敬遠も作戦のうちだが、走者のいない打席は勝負してほしかった」

 「勝つことに走り過ぎている。全打席敬遠は度を越している。指導者の自覚が一番大事だ。」

 牧野会長にはその年の三月、出雲ドームのマウンド開きにはるばる出雲へ松井副会長とともにお出かけ頂き、野球界を代表してご祝辞を頂いた。

 その時、公用車で出雲空港まで送迎をつとめた妹尾(せのお)榮治秘書課職員は中学校時代に捕手として活躍した大の野球好き。牧野さんに、自分の一生の宝として色紙をお願いしたところ、空港では適当な筆もないことだし、帰ってからお送りしますというご返事だった。

 約束どおり届いたその色紙には力強く「野球道」と三文字。直隆と署名され、落款も押されていた。出雲市に一枚しかない、出雲ドーム完成記念の色紙を、こうして気軽に書いていただいた牧野さんのお人柄に私たちは感激した。

 高野連会長を二十一年務め、七月にお亡くなりになった牧野さん。大会役員室の白い花に囲まれた遺影の前で、「野球道」に一生を捧げてこられた牧野さんを偲ぶ人が多かった。

 朝鮮高級学校など外国人学校にも参加の道を開き、そして二十一世紀枠を設けて地方の恵まれない公立校にも機会を与える決断をされた牧野さんを、甲子園の春・夏の高校野球大会の度にいつまでも思い出すことだろう。

(衆議院議員、元出雲市長)


「信州に学ぶ人たち」

2006/8/29の紙面より

 国内で五万キロ、海外では四十万キロ以上は走っている。運転免許証も、イギリス、フランス、アメリカ、そして国際免許証と使い分けながら、各国各地をドライブした。

 家族四人と愛犬ルーピーも一緒に、ミシュランのガイドブックでホテルやレストランの予約をして、古代の遺跡とか中世の古い町や城を訪ねて歩いた。パリからは南へ南へと走り、アビニョン、ニーム、アルル、カルカッソンを訪ね、スペインとの国境、「ヨーロッパで最も星がよく見える」という南仏ピレネー山脈にまで足を伸ばした。

青春思い起こさせる蓼科


 休暇がとれるとき、私は長野県蓼科の山荘を目ざして中央高速を走る。富士山のきれいな姿がまず左手に、そして八ヶ岳連峰のシルエットが夕日の中に浮かびあがる。世界の各地を走ってきたが、左に富士、右に八ヶ岳と顔を見せてくれる中央高速ほどに、最高の舞台を見ているときのような胸のときめきをおぼえさせるところはない。

 諏訪インターチェンジからビーナスラインで二十分、蓼科湖の北側の高原は奥蓼科、あるいは蓼科中央高原と呼ばれ、遠くにアルプス、近くに八ケ岳山脈を望む高低差のある四季折々の眺望と、自然や動物がいっぱい詰まった空間があり、谷間にはいたるところに温泉がある。

 信州の夏は緑がいっぱい。八ケ岳からの涼風、樹林を通過する夏の陽光、小川の瀬音、鳥のさえずり、山麓にゆたかに水をたたえる白樺湖、蓼科湖、女神湖、白駒の池などの山の湖。四千年前から縄文人が住んでいたという蓼科中央高原は、夏の季節には憩いの場所としてはもちろん、思索の場としてこれほど恵まれた地は日本でも数少ないだろう。

 そして何より、夏の蓼科は天の恵みと言えるほどに、湿気のないサラッとした涼風、青い空、強い日差しと木陰の涼しさ、心に青春をよみがえらせる要素のすべてがある。学生時代に二人の友人と美ケ原まで出かけた時、途中の茶店のおじいさんと娘さんが裏手の白樺林へ三人を案内して、そこから広がる高原と八ケ岳の山を一つひとつ丁寧に説明して頂いた思い出が、頭のすみに残っているからかも知れない。

自然や文化の伝統を発信


 意外に思われる方があるだろうが、信州は日本の映画史の中でも貴重な一頁を飾っている。

 木下恵介監督、高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」という映画は、日本で最初の「総天然色映画」ということで、当時は大変な話題となったが、舞台は信州。雄大な浅間山を背景にして青く澄んだ信州の空、そこに突然、彩り華やかな洋服に大きな帽子の若い女性が二人。時代がモノクロ社会から色彩社会へと変わった衝撃的な瞬間だった。

 木下恵介監督以上に信州を愛したのが松竹の小津安二郎監督や、佐田啓二、笠智衆その他の俳優、脚本家で、蓼科に居を構え、昭和三十年代に蓼科は「松竹村」と呼ばれていたことがある。そこで「晩春」「東京物語」「彼岸花」「秋日和」「秋刀魚の味」「小早川家の秋」など多くの名作がそこで生まれた。

 もう一つ言えば、この八ヶ岳山脈地帯は日本で最も星空のきれいな場所として評価が高く、野辺山には宇宙への窓、国立天文台が置かれている。

 この信州蓼科に「蓼科高原セミナー」が誕生したのは五年前。二十一世紀最初の年に合わせて開学したこのセミナーは、二十年前、私がメリル米国本社に勤務していた頃から、日本へ帰国するたびに、そして出雲市長に就任した平成元年からは、毎年春夏秋冬の休暇を蓼科の別荘で過ごし、諏訪地方、とりわけ蓼科高原の人たちと親交を重ねてきた中から生まれた。

 信州のすぐれた自然や文化の伝統を世界中の人に知ってもらいたい、そして「大量生産、大量消費、自然破壊」の二十世紀との対立軸を信州から力強く打ち出してゆきたい、誰言うとなくそのような発想が育ってきた。

 今は茅野市長となった矢崎さんも、今年一月に亡くなったパークホテルの篠原社長さんもその仲間だった。冬の横谷温泉のカラオケ・ルームで、そして時には夏の諏訪湖の花火を眺めながら、何度も何度も構想を練り、多くの人の協力を頂いて開講にこぎつけた。

 季節大学と呼ばれるこのような大学は、年々盛んになってきているが、長期休暇客や別荘の多い長野県では特に盛んだ。もともと「信州教育」という伝統のある土地柄に加えて、その居住者、長期滞在者の中には文化人、学者、経営者など、講師としてボランティア的に引き受けて貰える人たちが多いことも一つの理由であり、受講者側にも、子ども連れの毎日の休暇の中で、自分だけの勉強時間を持ちたいという需要があることも、もう一つの理由と思われる。六年目の今年は、藤森照信東大教授、養老孟司東大名誉教授などに講師を引き受けて頂いている。

夜空に輝くドラマ


 冥王星プルートの話題もあり、今年の夏休みを信州で過ごした家族づれの中には、子供たちと夜空を見上げた人が多いことだろう。

 私たちの小さい頃はテレビのない時代。夏休みの子供たちにはそれだけに夜空を眺める時間がたっぷりとあったし、星空の宿題もあった。星座の物語を読み、大きな遠い宇宙の中で今でも織女と牽牛、英雄ヘラクレスなどのドラマが進行しているかのように、星を見ながら小さな胸をときめかせていたものだった。

 北斗七星や金星をはじめて見付けて指さしながら叫んだときの感動は、今でも忘れられない。

 冥王星は九つの惑星の一つとして数えられ、暗誦させられた「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」のラスト・バッターとして親しまれてきた。「冥」まで言えるとほっとした、私たちの時代の七十五年間だけ惑星の仲間だった冥王星という星のことを忘れることはないだろう。

 惑星からはずされた冥王星が可哀想という声もあるが、月より小さな冥王星が土星、木星などの大きな「惑」星の仲間に今まで入れられていたことの方がありがた迷「惑」であって、今はむしろ、あるべき分類仲間に帰って、冥王星は喜んでいるのではないか。

 ワールド・カップは終わった。甲子園は終わった。夏祭りも、花火大会も終わった。小泉内閣も終わった。

 しかし、小泉政権の「外交赤字」と「財政赤字」は残った。

 夏休みが終わり、山を降りると、夏の星座が秋の「政座」に変わる。

 そこでは、江戸時代と同じように星の名称も混乱したままに、惑星、恒星、遊星、矮星、そして、阿世、二世、三世、四世、入り乱れての政座ドラマが繰り広げられていることだろう。

(衆議院議員、元出雲市長)

「川柳で見る日本」

2006/9/4の紙面より

 洋の東西を問わず、すぐれた人たちの残した言葉は格言とも呼ばれ、人生の機微に触れ、あるいは政治や政治家に対する鋭い批判が込められていて、学ぶことが多い。

 文豪として知られるゲーテも、日本のために次のような格言を残している。

 靖国参拝は「心の問題にすぎない」のかどうか、

「自分自身の内心を支配することのできぬものに限って、とかく隣人の意志を支配したがるものだ」。

 愛国心をめぐる教育基本法について、

「愛国的芸術とか愛国的学問とかいうものは存在しない。すべて高尚な善いものはそうであるが、芸術や学問は世界全体のものである」。

 それではゲーテに少しばかり手の届かない一般人は、格言ではなくどういう言葉で表現すればいいのか。

 そこで日本の江戸時代中期にはじまったのが、川柳である。

 わずか五・七・五の十七文字の中に、人の見逃しがちな、人事、世相、歴史、役所、権力などの断面を面白く指摘してみせる句風で、同じ十七文字の俳諧の道とは異なり、ごく卑俗な題材まで、諸事百般余すところなく句の対象としてしまうことを特色として庶民の自由発言の道として発展してきた。

新採用職員が川柳で報告


 政治や、社会のゆがみ、権力の不正に対する読者の批判と不満のはけ口として、今やどの新聞にも、川柳が掲載されない日がないほどに隆盛を極めていて、私も欠かさず見続け、国会質問の中でも引用させていただいたことさえある。

 出雲市長時代にも、ふと思いつき、新採用職員がどういう目で役所の仕事を見ているか、学生生活から役所へ入って、訓練を受け、どういう感想を持ったか、今までのありきたりの報告ではなく、短く端的に表現させてみるために、全員に川柳で報告させることにした。助役、人事課長とともに夜遅くまでかかってそれを一つ一つ読み通したが、天才ぞろいではないかと思うくらいに即席の若い川柳作者が一挙に誕生した。

「仏前に 重み感じる 初給料」

 出雲地方では、初めての給料は仏前に供え、祖父母、父母の恩に感謝する風習が今でも残っている。

「ゴミ研修 過去の態度を 反省し」

「兵隊の 経験生きる ガケ登り」

 両親が病弱なため長男としての義務を果たさねばと、自衛隊の幹部コースを断念した平井孝弥一尉にはさっそく、「中隊長」というニックネームがついた。市職員は、農作業実習、介護訓練などの他に、災害や突発事故があれば、昼夜を問わず暗い夜道でも一番先に出勤しなければならないから、普段からガケの上り下りなども経験しておく必要がある。

 この中隊長の本場仕込みの号令は、落後しようとする職員にはビシッときいて、好評だったそうだ。

「仏谷 自転車踏めば 地獄谷」

 仏(ほとけ)谷というのは山間部の旧稗原(ひえばら)村の中にあり、そこからは広い出雲平野と出雲ドームばかりか日本海まで見渡せる高さにあるが、自転車で上がってゆくのは容易ではない。まさに上りは地獄、しかし下りは極楽のような気持ちになる。

「縦割り行政 隣は何を する人ぞ」

「すみません 一日何度 言うことやら」

 仕事の中身に入っていくのは容易なことではなかったのだろう。

「入ったら 選挙 災害 土日ない」

「総選挙 選挙権ないのに お手伝い」

「日曜日 もう金曜日が 待ち遠しい」

見方変えれば「共謀罪」


 国会へ入ってからも各紙の川柳欄を読み続けているが、議席から国会を眺めると臨場感、現場感があって作者の気持ちが一層よく分かる。

 教育基本法改正は前国会では実現しなかったが、国民にはどの「愛国心」が正しいのやら、不要なのやら、さっぱり分からない状態で国民の頭を混乱させたままで六月に実質的に審議を打ち切った自民党の罪は重い。「愛国心」を比べ合う国会に、なぜか国民の目は冷めている。

「国からの 愛を感じた 覚えなし」

「国に子を 愛する心 持たせたい」

 イスラエルが二人の兵を取り返すために戦闘行為を続けていることが良いか悪いかは別として、

「外国は 拉致が二人で 戦争よ」

 共謀罪についても同じこと。日米協議と称し、イラクに大量破壊兵器があるという、あの国からのガセネタ情報を使ったイラク派兵などは、立派な日米共謀罪ではないか。

 ゼロ金利政策も、銀行を助け、大借金企業を助け、円安という補助金を輸出企業に与え、米国の高金利で日本のカネをアメリカに誘導してその株高を支え、日本人への利子は停止して財布は小さくする。これも日本の国民を被害者とした、極めて高度の振り込め詐欺共謀罪と思うがどうだろうか。

「なぜ払う 隣の社長の 借金を」

「ゆるやかに 回復しつつ 倒産し」

「一生を かけた会社に 先立たれ」

「親が子の 子が親の職 心配し」

「好景気 うわさばかりの 片田舎」

「家計簿が 五年の悲劇 物語る」

「配当も 利子もゼロにし 高利益」

「税重く 財布の軽い 好景気」

政界の「親下り」大問題


 靖国参拝問題も、もう行かないでね、ご苦労さん、という国民の心情的支持が五〇%。

 裏を返せばこれを最後にしてほしい、天皇陛下と違う心や態度を見せつけて国民を混乱させないでほしいという願いにつながる。

「小生と 同じ意見だ 昭和天皇」

「小泉さん 大切なのは 心では」

「天皇と 心が違うの ね総理」

 総理の任期末外遊は、アメリカへ、アフリカへ、ウズベキスタンへ、しかし、

「最後まで 行けそうにない 近い国」

 役所の談合や不祥事にはあきれる他はない。まず天下り原則禁止を徹底させる。

「官談合 重ね重ねて 税増やす」

「引責で 辞任した人 天下る」

「次選挙 テーマは一つ 天下り」

「天下り」も問題だが政界では「親下り」も今や大きな問題となっている。

 自民党の総裁選は最終的には三人で争われることになったが、その三人を含め、自称候補として自民党の横浜大会の壇上に並んだ五人が、すべて二世か三世か四世議員。これが民主主義の国の総裁選挙なのか。難問山積の非常時に日本の政治の活力が失われてゆく。

 それぞれの候補には早くも表敬の句が呈上されている。

「信念の ないのが取り柄 という不思議」とは誰のことか。

「政策の ないのが取り柄 という不思議」とは誰のことか。

 毎日新聞の川柳コーナーからも、そして岡山市のある社長さんの川柳からも多数引用させていただいたが、その川柳熱心ナンバーワンの毎日新聞も、政治の活力が失われることに警告を発している。

 その社説のタイトルは

「秋の陣戦う前から総主流」

 よく読めば嬉しいことにこれも川柳となっている。

(衆議院議員、元出雲市長)

「総裁選のなぜ」

2006/9/18の紙面より

 自民党の総裁選。二十日には総裁が選出され、実質的には日本の次の総理が決まる。

 一つの政党の代表を選び出すだけのことと言えばそれまでだが、その人の歴史観、人間性、政策、実行能力のいかんによって、国家の運命と国民の生活が大きく変わってくることを考えれば、誰一人として無関心ではいられない。

 しかし、三人の候補の政見の中味はうすく、重要な問題の殆どは語られていないのはなぜか。

まるで歌舞伎の襲名披露


 政策の中味を避けても総裁選にはそれで充分というのは、誰が選ばれてもそれほど変わりがないほどに、世襲議員しか立候補していないという点にあり、まるで歌舞伎の襲名披露気分だ。

 先週十四日、神奈川十六区に三人の総裁候補が入り、自民党の二世候補と共に二世が二人、三世が二人の四人だけが街宣車の上に並んだ写真は、政策よりも祖父の名か、父の名で選んでほしい、国民に対する「使命感」よりも一族の名にこそ価値がある、「氏名感」が先行する国政の世襲化を分かりやすく示していた。

 それを制度的に加速させたのが小選挙区制であることは言うまでもない。

 公平、公正な民主政治の実現を目指すとうたいながら、日本の選挙法が実現しているのは、「家柄による差別」と、選挙区ごとに一票の価値が違うという「投票権差別」という、皮肉なことに法律がつくりだしている二つの格差である。

 「天下り」行政の弊害にようやく気づいて天下り禁止に耒りだしはじめたが、日本を支配しつつある「親下り」支配には誰も声をあげず、その傘下にこぞってはせ参じようとするのはなぜか。日本中に苦労をふりまいた政党が、最も苦労しないで議員になった人たちから代表を選ぼうというお笑いである。

 今からでも遅くはない。投票の行われる前に、国のかたちについてどう考えているのか、国民の安心が次々に損なわれている現状にどのような抱負経倫を持っているのか、外交、防衛、財政、農業、教育、地方自治、経済格差、社会保障、年金、雇用、などなど、小泉さんのやりかけの破壊と中途半端な創造の結果として広がった「改革」という言葉への疑問に明確に答える、それこそが自称「継承」三人男の国民に対する義務ではないか。

昭和憲法の錯覚と幻想


 憲法をとり上げている安倍さん、あなたの改正の目線はどこにあるのか。

 自分好みの立派な玄関や表札に作りかえるだけでは自己満足に過ぎない。その家のどこが悪く、どこに雨もれがあり、どの部屋に住んでいる人の住み具合が悪いのか。それとも町内の美観や隣り近所との家並びの問題だけなのか。

 そもそも、あなたがとり上げる憲法は、明治憲法なのか、昭和憲法なのか。廃棄届は出されていないが、明治憲法は生きているのか、死んでいるのか。

 明治憲法に基づいて明治憲法を改正してつくられた昭和憲法は「新憲法」と呼べるのか、「明治改正憲法」と呼ぶべきなのか。

 私は安倍官房長官と小坂文部大臣に、学校教育ではどのように教えているのかと委員会で質問したことさえある。

 日本に憲法はあるのか。昭和憲法があると答えるなら、誰が制定したのか。

 どんな小さな国でも独立を実現して最初に行うことは自分の国の憲法を持つことだ。

 日本は一九四五年の終戦から占領下に置かれた。その国の主権を認めながらその国に駐在する外国の軍隊は一般に駐留軍と呼ばれる。これに反して占領軍はその国の主権を奪い、あるいは重要な部分を制約するからこそ占領軍と呼ばれる。

 日本は東京裁判を受け入れ、一九五一年九月八日、サンフランシスコ講和条約に調印し、その日をもって日本の独立が認められ、翌五二年四月二八日に「占領」は終了し、日本の独立が実現した。

 独立以後、日本国憲法は、一度もつくられていない。「主権を有する国民の手により」と改正案は説明されているが、その時に主権を有していた国民は日本国民ではない。日本国民が自らの主権のもとに憲法を制定したというのは、錯覚でなければ偽装か幻想にしかすぎない。

 つまり、日本には明治憲法と昭和憲法の二つが存在するのではなく、あるとすれば明治憲法しか存在していないということになる。

問われる歴史認識


 消費税でも逃げる安倍さん、今までは逃げることはできても、九月二九日、新総理として衆議院本会議で所信を表明するとき、自分が日本の総理としてどういう歴史認識を持ち、どういう憲法解釈を持っているのかを、あなたは語らねばならない。

 昭和三十四年三月、日本の憲法学の最高権威であった宮澤俊義東大教授は退官され、その年に卒業した私たちは、東京大学法学部での最後の講義を受けた学生となった。宮澤先生の講義録を調べてみたが、この肝心な部分について先生は話しておられなかった。戦後の特異な雰囲気の中で明治憲法は廃止され、独立をとげた多くの国と同じように新しい憲法が主権を有する国民の手でつくられたという、錯覚と幻想の中に日本中が時をすごしてきたのではないか。

 当時、日本の優秀な学生が集まっていたと言われていた学部で勉強したはずが、それから半世紀を経て今頃になってこのような疑問につき当たっていることを、私自身、恥しく思っている。

 教育基本法改正を実現するという候補者のすべてに質問したい。あなたの言う教育基本法は明治憲法に基づいて制定された教育基本法なのか、それとも昭和憲法に基づいた教育基本法なのか。なぜ、そう言えるのか。

 基本法というのは憲法に従属し、憲法に最も近い距離にある、憲法に次ぐ最重要な法律とされ、いわば憲法が父なら教育基本法はその長男に相当する。ところが、それぞれの誕生日を調べると、昭和憲法は昭和二十二年五月三日に、そして現在使われている教育基本法はその前の三月三十一日に誕生している。

 これを家庭に例えてみれば、長男がお父さんの前に生まれていることになる。では、父が生まれる前に生まれていたその長男は、いったい誰の子ということになるのか。

 長幼の序を尊重し、「法治」国家というのであれば、こういう疑問や法律の乱れをもはや「放置」すべきではない。いずれこの稿でもとりあげたいが、年金、財政、その他についても、日本という国のかたちには多くの「偽装」がそのまま手付かずに放置され、無用な混乱や、国民生活への圧迫材料となっている。

 野党もこれらの点を鋭く分かりやすく訴えなければ、何も語らぬ地蔵のような存在に受け取られ始めている。

 野党には新政権と対決する「耐晋設計」が、与党には国民の不信に応える「耐信設計」が欠けているのではないか。

 幻想の中にいつまでも怠惰な日々をすごすことは、もうやめようではないか。

 新総理には、「偽装」と「幻想」に囲まれている日本を今こそ解放する、その決意と方策を語ってほしい。

(衆議院議員、元出雲市長)

「熱海、熱戦の湯」

2006/9/25の紙面より

 つい今月の十日、「有馬」「道後」とともに日本の三大湯として有名な温泉の町、熱海市で、十二年ぶりの激しい市長選挙の投票が行われた。「無風の湯」が「熱戦の湯」に一変したのは、地方の時代、分権の時代の風が保守的な静岡県の都市にも吹きだした証でもある。

地方に吹く三つの風


 この熱海市の市長選を見ればわが国の地方にいまどのような風が、いくつの風が吹いているかがよく見えてくる。

 第一に希望の風である。細川熊本県知事と私の共著「鄙(ひな)の論理」が出版されベスト・セラーとなった九一年一月には、既にその風が吹いていた。

 九一年の統一地方選挙で、多くの地方議員が市長選を、多くの青年が地方議会を目ざし、「中央が変わらないなら地方から変える」夢を抱いて挑戦した。

 第二の風は競争の風である。地方の時代は当然のことながら、中央の地方過保護の時代の終り、地方都市の競争の時代の始まりを意味する。

 日本中の都市が近隣の都市と介護や役所のサービスを競争し、企業誘致を競争し、住みよさや安心・安全を競争しあう、「都市間競争時代」が始まった。

 だからこそ、専門的な機関の住み良さ評価や格付けが必要になる。市民にとって、自分たちの市や、市長の施策を判断する一つの目安になるからだ。

 九三年三月に東洋経済研究所が、はじめて全国六百五十六市を対象に、十五の社会経済指標を採点し、総合点を発表したが、出雲市が一位となった。「市長さんの通信簿」と銘打って発表されていたが、こういう十五にもわたる指標は、一市長個人の力量で左右できるものではない。国、県の政策や、協力度合い、何よりも市民と、市民を代表する市議会が何を市長に求めてきたか、市役所が効率的な行政を行ったか、その意味では「市民の通信簿」「市議会の通信簿」であり、「市役所の通信簿」でもある。

 第三の風は危機の風である。はじめての都市倒産と報道された北海道夕張市のように、役所経営を誤れば市民が被害者となる。国が連帯保証人として借金を返済してくれたのは昔話となりつつある。

市の通信簿三〇〇番も転落


 熱海市の人口は四万二千。歴史は五世紀頃から始まり、温水が海中に湧き出して海が湯のように熱かったので熱海という名が付けられたという。

 徳川家康は、関が原の激戦に勝利した体を熱海の湯で癒やした。家康はその熱海の湯を、京都で病気療養中の岩國藩主・吉川広家の元へ見舞いとして運ばせ、これが「献上湯」の起源となった。

 明治時代には、熱海を舞台にした尾崎紅葉の小説、貫一お宮の「金色夜叉」の新聞連載が大人気を呼び、熱海の名を全国にとどろかせた。

 五十年前、昭和三十年代からの日本の高度成長時代に観光ブームが到来すると、東日本最大の歓楽型温泉地としてのイメージがすっかり定着した。

 しかし、このように歴史のある温泉という大きな財産を抱えながら、最近二十年間の熱海市の状況は深刻さを加えつつあった。楽観・希望の風はやみ、危機・悲観の風が強くなってきた。

 そこで迎えたのが市長選。三期十二年の現職市長が四期を目ざして出馬。熱海の現状を憂えて、国土庁出身、私の政策秘書を経て藤末民主党参院議員の政策秘書となっていた斉藤栄君が七月に決意し、静岡県の民主党国会議員や熱海市市会議員が連日のように街頭に立った。

 熱海市の通信簿を見ると、十二年間に総合評価は三〇〇番も転落。三島市、沼津市、静岡市、小田原市はいずれも五〇番から二〇〇番も成績を上げており、伊東市は下がっても一五〇番の下げ方。熱海市の三〇〇番もの下げ方は異常だ。

 課目別に見ると、もっと深刻な問題がある。市民一人当たりの「借金」は周辺の七市で一位。逆に「安心度」は七市でワーストどころか全国七八〇市の中で七五八番目、最下位に近づいている。

 「安心度最悪の熱海市」が広く日本中に知れわたる日、それは熱海の観光業が終りを告げる日である。

激戦の末に新市長誕生


 「借金は一位、成績はビリ」。

 停滞か、交代か、市民がその一票で選ばなければならない時が来た。

 現職三期の厚い支援に加えて自民・公明や有名人の応援などがあり、結果は見えているという下馬評でスタートしたが、有力な地元経済人の出馬もあり、三つどもえの様相となっていった。

 私も現地でマイクを握り、五人の秘書や秘書OBも、二十日間に三日しか自宅へ帰らなかったという私の後援会の人とともに熱海市に入った。現地責任者の指示のもとに、地元の人では入りにくい現職市長の最強固な地盤に二台に分乗して進撃。六人はやがて無気味な雰囲気の二台の車が追跡していることに気付いたが、こわさをふるい落としながら薄暮の中、市政交代を訴える私のメッセージを各戸配布し続けたという。

 そして投票日、開票の時がやってきた。投票率六〇%、投票総数二一、四六八票がどう分かれているか。

 三つのテレビ局は現職側にぴったり。新人側事務所はひっそり。

 地元のテレビ局が第一回の独自調査で現職三三〇〇対斉藤三二〇〇 午後十時十分、第二回発表で五四〇〇対五五〇〇で逆転、事務所内は興奮のるつぼ。その後六五〇〇対六五〇〇で並ばれたが、十時五十二分の第四回発表で七一〇〇対七二〇〇で新人候補に当確が出て、ようやくテレビ三社が到着した。

 選挙管理委員会の最終発表は七一五四対七二一六でわずか六二票差。僅差とは言え市民の審判は下り、新市長が十二年ぶりに誕生した。

 投票から十日が過ぎて、私は再び熱海を訪れ、支持して頂いた人たちにはお礼を、対立候補の方やその支持者の方たちには新市長への協力をお願いした。

 市役所を中心に「市農工商」の協力体制が必要。お会いした皆さんは、熱海ルネサンスのために、快く新市長への協力を約束して頂いた。

 斉藤市長は、ある意味では運がいい市長だ。熱海をとりまく逆風が経済人や市民の危機感を、そして、その危機感が一体感を熟成しようとしているからだ。

 熱海には山があり、海があり、島がある。自然のすべての良さを持っている。

 長寿高齢時代は、自動車よりも新幹線が観光客や保養客を運んでくれる。飲んで騒ぎたい短期客から長期滞在保養客への変化。高齢化時代は追い風でもある。

 「君たちの市には山も海も島も全部ある。日本中が知っている温泉があって、新幹線の駅もある」と、胸を張って先生が若い人や小学生に教えることができるのは、国土交通省の調べでは日本中に熱海市しかない。

 熱海の良さと強さの再発見、市民と新市長の健闘に期待しよう。

(衆議院議員、元出雲市長)

「美しい国の不安と不信」

2006/10/2の紙面より

 

 確定した金額を必ず受け取れるというシステムを「年金」という。辞書を見てもそう書いてあり、世界の常識でもある。その年金をカットした国がどこにあるか。お金の無い国ならともかく、お金が有って、外国にまで百八十兆円を貸しているダントツの金貸し国家が年金をカットした例が、どこにあるのか。

年金は払い込め詐欺か


 確定した金額を給付することを約束してお金を集めた国家がそれを実行しないなら、それは詐欺とどこが違うのか。

 日本がそのような詐欺国家とならないために、細川さんは十三年前に福祉目的税を提案した。三%の消費税を七%に引き上げて、負担の公平化と介護・年金の確保を目指した政策だった。すぐれた先見性のある政策であったことは、今ごろになって各政党や政治家が口にするようになったことでも分かるだろう。

 詐欺国家の国会議員となりたくはないので、七八%に高まっている年金不信を一掃するために、私も年金の新しい仕組みを四年前から提案している。

 大原則は「皆負担、皆年金」。職業や会社の規模、男女の差別を一切取り払って、年金は国民共通の制度に一本化し、その上で、消費税を財源とする「国民基礎年金」と、資産と所得と意欲に応じた自己選択積立金を財源とする「積立年金」との二階建てにする。

 一階部分の基礎年金はだれもが同額六万六千円を受け取る。そのために消費税を、現在の五%から二年に一%ずつ、五回上げて十年後に十%として、年金保険料は徴収しない、「減税付きの増税」。消費税が年金という名札をつけて財布に帰ってくる。

 現在の平均寿命を前提にして、仮りに六十五歳から年金を受け取る期間は女性の二十一年に比べて男性は十四年、つまり男性は七年分だけ期間が短い。

 裏返して言えば、十四年受け取る男性に比べて女性は七年分、男性の五割り増しの二十一年分を受け取る、女性専用プレミアム付きの年金ということになる。

 その無料の一階部分の上にある二階部分は、それぞれの財布と相談して毎月一万円、二万円、三万円の三つのコースのどれかを選択し、「年金国債」を二十五歳から六十五歳の四十年間に分割購入し、満期の六十五歳からその金額の十倍、たとえば一万円コースの人は毎月十万円、三万円コースの人は三十万円を一生涯受け取ることができ、途中参加、途中変額、途中解約も可能な条項を設ける。

 一階部分の基礎年金はだれにも無料、そのうえ女性には一階部分も二階部分も七年分のおまけ付き。

 「年金国債」だから、だれが総理だから削られるとか、デフレがどうだから減らされるという心配がない。一階の柱もぐらぐらしないし、二階の天井がずり下がってくることもない。

 この新しい制度では、企業が激しく抵抗している年間十兆円と試算されている企業負担が一挙にゼロとなる。その分だけ民間企業は雇用の増加、賃金アップ、設備投資、利益の増加などで、国の税収の増加、個人消費の伸び、そして治安の維持などにつながり、財政構造の改善にも大きく寄与するはずだ。

 所得比例にこだわれば自営業者がとり残される。企業負担にこだわれば正規雇用が減る。所得比例と企業負担の「二つの呪縛」を断ち切ってこそ、はじめて新時代の年金が誕生する。  一方、既存の年金制度と新制度が並存する期間については、たとえば二十年間という移行期間を設け、新方式への移行者については、支払い済み期間・金額と受け取り開始時期などの期間按分、金額按分を公平に行わなければならない。

窓口一本化し、「年金カード」


 今までの複雑な制度は一元化され、社会保険庁と国税庁の窓口は統合一本化する。米国のように税と保険料を一緒に集める「徴収の一元化」で、保険料の徴収コストをゼロにする。社会保険庁には大型コンピューターが一台と「長官兼掃除係」が一人。国民一人ひとりに「年金ICカード」が一枚ずつ。運用リスクなし、天下りなし、管理コスト・ゼロ、世界一透明正大な年金システムが完成する。

 自分がいくら払ったのか、いくら受け取れるのか、確かめたい人は「年金カード」を銀行や郵便局の預け支払い機に差しこみ、すぐにのぞけるようにすれば、五〇・二%とかのパーセントでなく、明確に何万円という金額で分かる仕組みだから信頼度と透明性は格段に向上する。

 この新型年金は最初から個人個人のものだから、年金分割のために慌てて「年金離婚」をする必要もない。

 自分の努力とそれを守ってくれる国への感謝を象徴する一枚のカード。それで政治への信頼が回復するなら、それこそが善政ではないか。

 このように分かりやすい、二階建て方式、自己選択型、女性有利型の年金制度に移行させ、負担と受益の関係を明確にし、年金への信頼と参加を急上昇させて、日本人の元気のもと、「安心」を取り返したい。

低い日本政府の役割評価


 ある米国の金融会社が年金に対する信頼度調査をしたところ、老後の安心を守るために政府が役割を果たしていると答えた人は中国六一%、インド五二%、日本は八%。政府を完全に信頼できると考える人の割合は中国二四%、インド二一%、日本はゼロ%。その根底には世帯間格差や世代間格差の広がりだけではなく、あってはならないはずの地域格差までが拡大している。最近は未納者が増え、しかもその未納率の地域的バラツキがひどくなり、例えば納付率七六%の島根県に対して東京は五七%、大阪は五三%に過ぎず、県民一人当り所得で東京の六〇%、大阪の七五%にしかならない島根県人が東京人、大阪人の未納付年金を支えているという、全くおかしな地域格差の存在が、益々不信感を増長させている。

 衆院本会議で安倍総理の「美しい国」演説を聴きながら、どこかずれて、何かが足りないと気になり続けた。その一つが年金革命だ。

 約束を破って年金をカットするような国が美しい国と言えるのか。

 高齢者が悪いことをしたわけではない。戦後の日本を世界有数の豊かな国にしてきたその労苦に感謝することを忘れた若者世代に「若肉老食」などという陰口を言わせて、この国のために体を痛めつけてきた高齢者の今度は心を痛めつける。そんなお粗末な年金設計をこれからも続けようとする国が、どうして美しい国となれるのか。

 「身命を賭して」、「先頭に立って」、「全身全霊を傾けて」、老後の不安と政府への不信を一掃してみせる、そのような胸を打つような言葉も志も全く伝わってこなかった。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「長寿新時代」

2006/10/9の紙面より

 

 ヨーロッパでは八〇年、アメリカでは四〇年かかった「高齢化」現象が日本では二〇年というスピードで進んでいる。アメリカの二倍、ヨーロッパの四倍の速さで到達し、社会のすべての仕組みと価値観が変わりつつある。

「ものづくり大国」から転換


 とかく、高齢化率が高いと活力がなくなるとか、行政負担が大きすぎるといったマイナスのとらえ方がなされ、また、こうしたことを泣き言のように使っているが、それは大きな間違いである。

 戦後五十年、日本はひたすらヨーロッパやアメリカのような「ものづくり大国」を目指してきた。そのころによく使われた、「オンナ、トシヨリ、コドモ」という言葉はそのような時代においては役に立たないものの代名詞として使われていたのではないか。

 しかし、時代は大きく変わってきた。ひたすら目指してきた「ものづくり大国」の地位を占めた日本が、いま新しい時代を迎え、この新しい時代のキーワードは、情報が社会や政治を動かす「情報社会」であり、「ゆとりと自由」である。

 それはとりもなおさず、これまでの「ものづくり時代」から、女性の情報発信能力(おしゃべり能力)と、お年寄りの知的資産としての知識の時代へと、大きく変わっていることを意味している。

 政治や行政は、「女性、お年寄り、子供」を大切にする時代を迎えて、発想の転換を迫られている。

 出雲市では一九九一年に、県内市町村にさきがけて「高齢者憲章」を制定し、いわゆる「老人会」は「慶人会」と名前も変わった。それを記念して、その年に第一回の「慶人式」が、老人会入会資格の六十五歳になられた方たちをお招きして、市民会館で行われた。

年は八掛け「老人会青年部」


 今は「八掛け人生」の時代。生まれてからの暦の上での年齢、つまり満年齢を八掛けすると大体昔の年齢に合う。八〇歳の人は八掛けして六四歳、七〇歳の人は五六歳ということになる。「としは八掛け、気持ちは七掛け」と話すと、高齢者の人たちがにこにこと大きくうなずいて下さる。

 「だから、六五歳で老人会に入会する資格は見直して、もっと条件をきびしくしましょう」と、その席で提案した。

 「それでは市長さん」と、老人会、いや慶人会の会長さんと副会長さんから逆提案があった。「老人会に青年部をつくったらどげでしょうか」。

 びっくりしたけれども嬉しくなって、「それでは日本で最初の『老人会青年部』をつくりましょう」と約束した。六〇歳から七〇歳は青年部、七〇歳から本会員。その年の秋に一〇〇〇人の「青年部員」が集まり、設立総会が開かれた。

 老人会という名前を気にして入会をためらっていた多くの人が参加し、青年部の規模は二千人にふくらみ、まちづくり活動の中心は青年会議所から慶人会青年部に移った。

 同じくその年の秋に始まった「里家制度」は、一人暮らしの高齢者を近隣の家族が「里家」センターを拠点としてお世話する。家族、すなわち血縁だけが支えてきた介護を、「血縁社会」に代わる「地縁社会」で支えようというもので、これも高齢者の発想と市役所の知恵がブレンドされてできあがった「福祉の郷土料理」である。ここでも「青年部員」が活躍していることは言うまでもない。高齢者がその地域の一人暮らし、二人暮らしの高齢者を介護する、いわゆる「高高介護」の姿があちこちで見られている。

 人生五十年時代の青春は一回しかなかった。人生八十五年時代、青春は二度やってくる。二度目の青春は六十歳。昔は数えで六十一、還暦といった。まさに若返りの年齢である。

 一回目の青春は知識も、経験も、判断も、人格も、人脈も、ゆとりもない。二回目の青春は違う。知識、経験、判断、人格、人脈、ゆとり、すべてを揃えて迎えるのが二回目の青春。こちらの方がはるかに素晴らしい。

農業に新しい可能性


 いまは「共生」の時代といわれる。血縁社会を超えて地縁社会の中で、「お役所」だけに依存しないですべての人が何かの「お役に立つ人」を目ざそうという「共助」の精神があってこそ、はじめて、ぬくもりのある共生の時代の幕が開くだろう。

 長寿時代を迎えた日本の農業には新しい夢が開ける。定年制に全く無縁で、自分で定年を選べる職業は農業しかない。「痛勤時間」ゼロ、自分の体力に合わせた作業が許される。自然食、健康食、長寿とグルメ時代に最もぜい沢なのは、いつでも身近に畑という名の天然の冷蔵庫を持つことである。

 こうした農業に従事することは、ひいては自分の健康ばかりか国の財政にも貢献することになる。自然に触れ、自家製の農作物を食することが、身土不二、長寿社会を益々豊かなものにし、その結果、老人保健収支を改善し、厚生労働省予算を削減することができる。「健康食」に加えて「健康職」、これを合わせて提供できるのは農業しかない。

 明治維新から百四十年、今こそ平成維新の時。その最重要項目は、尊皇攘夷ではなく「尊農上位」、尊皇開国ではなく「尊農改革」でなければならない。

 道路政策も変えなければならない。長野県に住む残り少ない人生の老母を横浜市の娘や孫が毎週末にでも訪ねられるように、仙台市に住む母の介護に東京の息子が高速道路を使って帰れるように、全国の高速道路を無料にする。

 最もおいしい国土の背骨に相当する高速道路が開放されれば、若い人の起業の場、雇用の場が増える。子供や孫の就職に悩んでいる祖父母や両親の心配を減らすことこそ、見方を変えれば、国が高齢世代に対して実行できる最大の「親孝行」ではないか。

 親孝行のための介護の道として、若い世代の職を守る道として高速道路を「孝速道路」と「幸速道路」に転換する、それが日本の「親孝行の道」ではないか。

 住宅政策も長寿時代にあわせて改革する。「個老創設」、つまり、二世代同居型「個人経営老人ホーム」の制度を創設し、振興する。遅々として進まない役所の建てる、高齢者一人に年六%のコストのかかる公的老人ホームを一日千秋の思いで順番を待っておられる高齢者は後を絶たず、順番が来るころにはお亡くなりになる。これではらちがあかない。

 そこで、個人が建てる、または購入する老人ホームの所要資金の三%を毎年国が助成することにより、財政再建・景気対策・福祉対策の一石三鳥の効果が期待できるはずだ。

 出雲市はいくつかの小さなお手本を示したのにすぎないが、二一世紀の新しい幸福追求のお手本を世界に示そうという、「年金シニアプラン総合研究機構」が厚生労働省の支援のもとに七月に発足した。長寿時代の安心と幸福をどのように増幅できるか、その活躍を大いに期待したい。

(衆院議員、元出雲市長)

 

「権腐十年」

2006/10/16の紙面より

 

 地方分権推進基本法が九九年に国会で成立し、二十一世紀は地方分権の時代、言いかえれば「中央から地方へ」、権限、財源、人間の「三ゲン・セット」を霞が関の手から地方の手に移す、新しい国のかたちを造る大作業がいよいよ始まっている。

「多選禁止」思想見落とす


 一人ひとりが一票を持ち、その一票を行使して国や市の予算、つまり税金の集め方と使い方を決めるための議員や知事、市長を選ぶ。住民、市民が賢民か愚民かを知るよい機会にもなる。中央は地方自治体のやれない仕事、すなわち、外交、通貨、防衛の主要三業務を中心にする。手法は違うが細川さんも小泉さんもこの点においては志は共通していた。

 地方分権の時代の機関車となる知事や市長を住民が直接に選ぶということは、明治時代の「官選知事」制度に比べてすぐれていることはいうまでもない。しかし、米国の制度を見習うときに、一つだけ見落としたのが二期を限度とするという「多選禁止」の思想である。

 来年春の統一地方選挙を前に、この「多選虫」がうごめきはじめる、その季節を前に、今一度、多選公害について警鐘を鳴らしておきたいと思う。

 せっかくの本格的な開花の時代を目の前にしながら、多選公害が各地を襲い、地方の民主主義の立枯れ現象が日本中にまん延して、日本の民主政治そのものを根絶やしにしてしまうからである。

 公金横領(裏金づくり)と公権横領(多選)の抱き合せで、地方自治体が民主主義の刑務所と墓場になる危険を、なんとしても防がなければならない。

 十八年前、電話を受けてニューヨークから日本へ帰る決心をしたころ、「フォーブス」という雑誌の表紙にデモの風景と大きなスローガンが踊っていた。「税金はアップ、サービスはダウン、アンフェアだ」。アメリカでも近年は役所のサービスに対する批判が高まっていることを知らされて出雲へ帰った。

 職員に私が言ったのは、「行政は最大のサービス産業」、だから、「出雲市の中で一番いい会社はどこですか」と出雲市民がきかれたら、「一番いい会社は市役所です」と言ってもらえるような職場になってほしいと。

 それから二年後、職員たちは何をまちがえたのか、出雲市の中で一番ではなく、日本で一番の会社として、トヨタ、ソニー、資生堂と並んで表彰され、職員の代表が胸を張って東京から帰ってきた。週末にはショッピングセンターで役所を開くなどの一連の行政改革や、意識改革、組織改革が評価されたのだろう。

 役所仕事の改革が必要だ。いま日本で一番重要なテーマはこれにつきるだろう。そして、中央もさることながら、地方行政の改革は宝の山、改革すれば住民への大きな配当が期待できるのだから。

任期四年で全力尽くせ


 しかし、「長居は無用」という言葉があるように、権力が一カ所に長く居座るとき、必ず弊害が生じる。予算と人事権を手にしていれば、あとは時間さえかければ批判勢力は駆逐できる。

 事実、現職の知事は絶対に有利である。年がら年中、県の広報予算を使っての対談記事や広報紙の発行に加えて、知事の存在感を示すのが主目的のような県主催の行事を地元のテレビ、新聞が毎日報道してくれるとなると、一年三百六十五日、再選に向けての公費丸抱えの事前運動をやっているようなものだ。

 熊本県知事も務めた細川護熙元首相は「権不十年」の言葉で多選の弊害を説いた。権力は十年もすると腐敗するという格言「権腐十年」がもとという。「権腐十年」、一人の首長の仕事は十年以内に限るべきだ。それ以上はかえって地元のためにならない。十年もたてば世の中はガラッと変る。そのときは、潔よく、新しい時代の感覚を身につけた後進に道を譲るべきだ。

 どんな知事や市長でも、十年あれば十年分の仕事が出来る。それを一期四年で成しとげられる人は一期で辞める。それ以上は「長居は無用」だし、住民からは「長いは無能」という評価を受ける。

 すべての権力は魔物である。長期化は必ず弊害、腐敗をもたらす。地位や肩書きを永久に自分のものにしようという汚れた欲望に変化し、「不敗」の選挙態勢が、その裏では「腐敗」を招いている例が各地で起きている。

 「地方自治は民主主義の学校」と呼ばれているが、民主主義の思想をいつまでもみずみずしく保つために、その学校にも校則がある。知事・市長の任期は四年。その与えられた四年間に全力を尽くし、アイデアを出し切り、市を活性化させ、四年間で卒業すること。

チェックアウトはお早めに


 十一年前の東京都知事選では、内務省出身の鈴木俊一知事の後継者として名乗りをあげた自治省事務次官を、自民党をはじめとする与野六党が「官僚による偽装多選」「談合」「相乗り」という批判をものともせずに押し立てて、無残に敗れた。

 六年前の長野県知事選では、自治省出身の知事が二十年間同じポストに座ったあとに、県官僚出身の副知事に引き継ぎ、院政のもとに自分の権力温存を策し、偽装された超多選を目論んだが県民に見事に見破られ、副知事は惨敗。

 最近の例で言えば、四年前の横浜市長選挙。現職三期、官僚、相乗りの「三枚カード」を握っていた市長が、新人候補に敗れている。

 今年の七月に行われた滋賀県知事選では三期を目ざして与野党の相のり磐石の態勢の現職が新人に敗れた。

 九月に行われた静岡県熱海市長選では四期を目ざした現職市長に対抗して、私の元政策秘書が立候補した。

 三期十二年続いた熱海市政の結果、市民一人当りの借金は増え続け、熱海市の行政の格付ランキング、いわゆる「通信簿」は下がり続けた。熱海は説明するまでもなくホテルや旅館の多いところで、従業員にとって一番困るのはチェックアウトの遅いお客さん。

 私の事務所の秘書と秘書OB、インターン学生、後援会有志七人が熱海市へ向かい、「借金は一番、成績はビリ」、「市長さん、チェックアウトのお時間です」というキャッチフレーズとその背景や通信簿を説明したビラを街頭で配り、各戸に配布した。

 熱海の多選は三期で終り、新しい市政へと転換した。

 多選弊害は地方だけにとどまらない。自民党という名の組織権力者の五十年に亘る多選は、役所の天下りを放任し、二代目、三代目世襲議員の多選を奨励し、苦しんでいる国民のためのはずの政治の中心に、苦労足らずの人たちが座っている。

 市長はポストにぶら下がり、

 役所の世界は天下り、

 政治の世界は親下り、

 これでは日本が腹下り

 日本の活力が萎えてゆくではないか。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「鉄の三角形」

2006/10/23の紙面より

 

 地方の知事選、市長選での「脱与野党相乗り」という民主党の方針が問題を起こしている。その方針が成功した例は今のところは一つもない。理念としては充分に共感されても、普段からその心構えや準備ができていないから、滋賀のように得点を逸したり、長野のように迷走、敗戦。福島でも与野党相乗りが成立直前に崩壊。「仕方なく独自候補探し」、という記事が全国紙で報道されたりしている。

相乗りより首長の資質問題


 国政では激しく対立している自民党と民主党が、知事選や市長選では仲良く協力する「与野党相乗り」という現象の背景には、議員の思惑と、みんなで渡ればこわくない、遠い国政での争いはともかく、身近な県政や市政での争いは避けたいという日本人の気風などがある。

 民主党は相乗り路線に乗ってきた、というよりも乗せられてきたと言った方がよいだろうか。公務員の組合である自治労がまず先頭を切って自分たちの上司である現職知事、市長の推薦を発表し、それが連合の決定に影響し、それがまた連合からの支援を受けている民主党県連の方針を左右する、ちょうど四年前の横浜市長選挙に典型的に見られたように、こういう構図が全国各地で展開されてきた。それが有権者から見る日本の政治を分かりにくくし、ひいては民主党などの野党に対する不信感と軽視にもつながっていたことは否定できないだろう。

 その限りにおいては、民主党の小沢代表の「脱相乗り」方針には充分な理由がある。しかし、勝てる候補者の用意と戦い抜くだけの充分な準備がなければ、それもことごとく無為に帰する。

 地方自治にとって、こうした「相乗り」をめぐる問題以上に深刻なのは、行政責任者としての知事・市長の資質や政治姿勢の問題である。

 今から十三年前、仙台市長、茨城県知事、宮城県知事の三人がゼネコンの談合汚職などのスキャンダルで逮捕された。東日本自治体の三悪トリオの後任を選ぶ選挙で奇妙な現象が起きた。仙台市では、出直し選挙、世直し選挙と新聞、テレビは囃(はや)したが、五〇%にはるかに及ばない三九・二%の投票率。続いて全国注目の中で行われた茨城県でも、投票率が不思議なことに同じく三九・二%。

 翌月、宮城県では、前知事と前市長が仲良く取り調べを受けている最中に県知事選が行われた。結果はこれまた三九・二%。談合疑惑で逮捕されたあとの出直し、みそぎの選挙が三つとも、下ひとけたまでピッタリと合わせるみごとな談合ぶり、いや、偶然の一致ぶりだった。

繰り返される公金不正事件


 最近の岐阜県庁の裏金づくりや福島県、和歌山県での官製談合疑惑などは、まさに官に対する不信の象徴として、見逃すことのできない事件である。

 県庁の裏金づくりで思い出されるのは、そのために知事が辞任に追いこまれたちょうど十年前の、秋田県庁の四十四億円にのぼる不正事件である。

 私も平成九年の決算委員会でとりあげた都道府県の不正支出は、北海道の二十一億円を筆頭に、宮城、三重、鹿児島の各県でも巨額のカラ出張などが明らかになったが、いずれの知事も処分は減給だけ。秋田県の公費不正支出問題が知事の引責問題にまでに発展した背景には、同県の特殊性があった。

 その第一は、組織ぐるみでの大量の公文書を偽造していたことだ。県財政課が公開した一九九三年度の食料費支出関連公文書三九件がすべて書き換えだったことが発覚。書き換えは公文書全体の三割に及び、県庁の根深い隠蔽(いんぺい)体質が浮き彫りになった。

 第二の特徴は、知事個人の問題が絡んだ点だ。佐々木知事後援会が知事選直後に開いた懇談会の費用や、知事公舎の正月のおせち料理代までが、官官接待を装って食料費から支出されていた。

 当時、カラ出張、無原則な官官接待、職員同士の飲食、補助金流用など不透明な公費支出は、全国的に広がりを見せていて、ある調査によると十三都道府県にも及び、その一つには島根県があった。

悪くて、賢くて、強い


 江戸時代のことだが、政官財癒(ゆ)着の田沼意次時代のバブルが崩壊し、鬼平と呼ばれた長谷川平蔵が火付盗賊改方長官に就任するころになると、これまでの「おつとめ」と呼ぶ本格派盗賊の見事な手口から、押しこんだ先の家人を皆ごろし、手ごめにする「いそぎばたらき」「畜生ばたらき」と呼ばれる凶悪型盗賊が台頭してきた。盗賊世界のしきたりや仁義が薄れ(規制緩和)、訓練不足の若年層が進出(新規参入)した結果である。

 これを現代の社会に置き換えてみると、「いそぎばたらき」に相当するのは、政府であり、役所である。「徴税」という合法的な手段で、国民の金銭を「税金」というかたちで奪い、無駄に使う。目的が失われた公共工事や、水増し請求、そして、開きもしないカラ会議、行ってもいないカラ出張

 人をだまして金を集めた人は詐欺師と呼ばれて刑務所に入る。県民をだまして金を使った人は課長と呼ばれて県庁に残る。どちらも立派な詐欺師ではないか。

 島根県では九四、九五年度の二年間に組織的に二万九五〇〇件、七億円の不正支出が明らかになった。鬼平犯科帳風に書けば、わずか二年という短い期間に、県民の金蔵(かねぐら)が三万回にわたって襲撃され、七億円が奪い去られたというすさまじさ。身内の調査でさえこの金額だから、厳しく調べればこの倍、十年間で五十億円を超えるという推測もあった。

 裏金作りで足りなければ、知事や市長が公職であり行政の責任者であるという立場を忘れて、自分のための資金集めパーティーを開催したりする。横浜市ではこともあろうに部下までが真似をしているが、この「表金づくり」も立派な公権乱用と言わざるを得ない。

 このままでは、「地方自治は民主主義の最良の学校」どころか、「地方自治は民主主義の墓場」になる。政府や国会も直ちに手を打つべきだ。早急に決算行政監視委員会を開き、責任者の知事を証人として喚問し、徹底的に真相を究明するとともに、日本各地で今も進行中の役所の不正事件の根を絶つことだ。

 官から民への規制緩和が一方では民の不祥事を増発させたように、地方分権という追い風に乗って、中央の政官財の癒着も地方に移転分散を進めている。

 いわゆる悪の三角形、悪くて、賢くて、強い、政官財の鉄の三角形を許しているのは知事・市長の「公の心」の低下である。自らの地位を守る多選体制温存のためには、悪との妥協も必要だろうし、カネもかかることだろう。それがすべて国民の負担で行われている犯罪であることを、全国の知事・市長は部下にも自らにも徹底しなければならない。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「お母さんの笑顔」

2006/10/30の紙面より

 

 毎年優勝して当たり前のようなジャイアンツのファンはどこにでも溢れている。政治の世界でも同じことで、いつも政権を握っている自民党の支持者はどこの選挙区にも多い。しかし、いつ政権を取れるか分からない野党の熱狂的支持者はどれぐらいかといえば、残念ながら数が少ない。田中派七奉行の一人だった故奥田敬和郵政大臣のように、「民主主義を守るのが国会の、特に野党の役目。そして政治を面白くできるのは野党だけだ。野党こそ国会の花形、政治の華」と言い切れる人はまだ少ない。

深刻な女性低支持率


 政治の世界は数の多さが選挙を、そして議席数を、そして法案の採決を決定する。自由党と合併したあとでさえも、民主党の支持率は、よくて自民党の二分の一、ほとんどの調査では四分の一から三分の一で、そのうえ中味が悪い。男性の支持率に比べて、女性の支持率がやっと半分という著しい男性支持偏重型政党であることだ。女性の支持だけで政権を取るのは難しいが、女性の支持率が極端に低い政党が政権を奪取できた例は外国にもない。「共生」を掲げる政党なら、その支持パターンも「共生」型でなければならない。

 政党の中で女性支持率が男性を上回っているのは公明党、共産党、社民党。逆に、男性支持率よりも女性支持率が極端に低いのは民主党と自由党。その似たもの同士の民主と自由が合併してもその欠点がそのまま引きつがれて、合併後の読売新聞調査では男性一一%に対し女性四%、毎日では男性一二%に対して女性五%、NHKでは男性八・五%に対して女性三・七%。その後、党の代表が何回も変わったが、なぜかこの女性低支持型パターンだけは一貫して変わらない。

 これに対して自民党の男性・女性の支持率を見ると、かつては女性支持率が男性を常に下回っていたが、小泉総裁誕生以来はパターンが変化し、同率かまたは女性上位が五十六回中十八回という男女均衡型政党となっている。

政策と言葉を分かりやすく


 民主党が政権をとれるかどうかは、男性依存型体質を自らの手で改革できるかどうかの一点にかかっているのではないだろうか。例えば、民主党が品揃えしていた政策や党内議論からいくつかのものを、最近の二つの補欠選でもしっかりと、次のように打ち出していれば支持率は大きく違ってきたはずだ。

 『拉致問題解決』。民主党は、政権に就けばまず拉致問題の解決に全力を挙げて取り組み、国民の生命を守り、日本国の誇りを守ります。

 『議員献金番号制を導入』。アメリカ、イギリスのように、献金の受け取りは献金番号のある口座をすべて経由し、インターネットで公開する法案を民主党は提出します。自民党のように袖の下や背広の内ポケット経由は認めません。

 『定数格差廃止』。世界最大の人権差別、衆院二倍、参院五倍にまで広がった格差を解消し、政治的人権の平等を実現します。すべての政治改革の本丸です。

 『議員数削減』。法案を提出します。

 『天下り禁止』。法案を提出します。

 『財政改革』。国民の税金の半分近くを、七百兆円に積もった国債の利払いに先取りされて自分の首を絞めているのが現状。国債に代わり、金利のつかない政府紙幣を発行し、年間二十兆円の利払費を削減して社会保障の財源とします。

 『年金改革』。保険料廃止という減税付きで消費税は一〇%に増税し、基礎年金七万円に充当。未納者ゼロの皆年金を実現します。保険料を支払ってきた人にはその金額に応じて加算します。男性より七年長生き、世界一長寿の日本の女性には世界で最も有利な年金です。

 『子育て・教育』。日本の教育予算は先進国の半分。残り半分は家族の負担です。予算を倍増し、家族負担を解消します。資源のない日本にとって人間という資源への投資こそ、最良の投資です。

 教育格差、所得格差、地域格差、そして議員の家柄格差の解消を目ざします。

 『アジア外交』。遣唐使の歴史を思い起こし、アジア諸国との人的交流を深め、定着させるために、ODA予算を利用して、大学の受け入れ体制と学生寮を充実して、アジアからの留学生を三倍にします。

 『農業』には新しい夢。自分で定年を選べる職業は農業しかありません。「痛勤時間」ゼロ。自分の体力に合わせた作業が許される。自然食、健康食、長寿とグルメ時代にもっともぜい沢なのは、いつでも身近に畑という名の天然の冷蔵庫をもつことです。こうした農業に従事することは、ひいては自分の健康ばかりか国の財政にも貢献することになります。

 自然に触れ、自家製の農作物を食することが、身土不二、長寿社会を益々豊かなものにし、その結果、老人保健収支を改善し、厚生労働省予算を削減することができます。「健康食」に加えて「健康職」、これを合わせて提供できるのは農業しかありません。

 第二次農業革命を断行して農地を公有化し、「生産農家」の生産コストを下げる一方、中山間地農家は「環境農家」として、地域の環境維持労務に対し、所得補償を行います。

親孝行できる道路政策


 『道路政策』も変えなければなりません。長野県で残り少ない人生を過ごしている老母を横浜市の娘や孫が毎週末にでも訪ねられるように、仙台市に住む母の介護に東京の息子が高速道路を使って帰れるように、全国の高速道路を無料にします。クルマとヒトとモノが動いて不景気になった国はなく、増税なしに税収を増やします。最もおいしい国土の背骨に相当する高速道路が開放されれば、若い人の起業の場、雇用の場が増えます。子供や孫の就職に悩んでいる祖父母や両親の心配を減らすことこそ、見方を変えれば、国が高齢世代にたいして実行できる最大の「親孝行」ではないでしょうか。親孝行のための介護の道として、若い世代の職と幸福を守る道として高速道路を「孝速道路」と「幸速道路」に転換する、それが日本の「親孝行の道」です。

 『お母さんの笑顔』。お母さんの笑顔こそ日本の平和の象徴、そして家族の幸せの象徴。そういうお母さんの笑顔が一つでも二つでも多くなるような、小さな幸せを民主党は守ります。

 民主党にやれることはまだまだある。「分かりにくい」と言われる政策の中身と表現を大胆に変更することもその一つだ。日本が一党独裁政治の道へ帰らないために、そして国民が自分の一票で政治が買えるという民主主義の原点を失うことがないように、健全で強力な野党の実現が今ほど望まれる時はない。

 政府・自民党が何か法案を提出してくるとそれに反対するばかりの政党ではなく、対案を出せる「対案型政党」になれという声が一時あった。私は政府与党が法案を出す出さないにこだわらず、国家国民のために必要と思うときは独自の政策を先がけて打ち出すような、進取の気迫を持った「提案型政党」になるべきだと思う。

 (衆議院議員、元出雲市長)

 

「教育格差と総理の世界史疑惑」

2006/11/6の紙面より

 

 日本には二つの民族がある。日本酒民族(日本酒、焼酎)と洋酒民族(ビール、ウイスキー)である。顔、かたちは似ていても、性格がかなり違う。

日本酒愛好県は世界史嫌い?


 例えば秋田、山形、新潟、福島、富山、鳥取、島根、宮崎、高知などの県は、ビール、ウイスキーよりも県民一人当たりの日本酒消費量がきわだって多い県である。この反対に、洋酒民族は東京、大阪、京都、愛知、兵庫、広島などの都府県である。

 二つの民族の違いは、離婚率にも顕著にあらわれていて、洋酒民族は日本酒民族より平均して離婚率が三〇%高い。

 選挙の投票率にも差異がある。投票率が高い県はすべて日本酒民族県で、過去十三回の総選挙で、島根は常に一位、鳥取はそのうち十回が二位の不動の一、二位コンビである。

 二つの民族の違いは世界史の履修率にもあらわれる。必修になる前の選択制の時代に、高校生がどの程度世界史を学んでいたかを調査された高橋史朗教授の論文をニューヨーク駐在中に目にして以来、私はこの世界史と県民性の関係に興味を持ち続けてきた。

 私の出した結論は、日本酒をよく飲む県は離婚率低く、投票率高く、自民党支持率高く、世界史履修率は低い。逆に、日本酒よりも洋酒を好む県は離婚率高く、投票率低く、自民党支持率低く、世界史の履修率は高い。

 例外は長野県で、日本酒は飲むが世界史の履修率は日本一。長野と言えば海のない県。いわば外国につながっていない県の高校生が日本で最もよく世界史を勉強していたことは、信州教育の伝統が生きていると言うべきだろうか。

 もう一つの例外は愛知県で、洋酒を飲む割には世界史を勉強していなかった。

人材流出、教育赤字深刻


 県民性と全く無関係だが、地方では教育の地域格差が深刻になっている。

 地方の努力にもかかわらず、東京との格差はますます広がりつつある。教育はすべての格差の出発点。その原因の一つが、大学・短大の極端な中央偏在である。

 島根県では大学・短大進学者三千五百人のうち八〇%が県外へ出て行く。県外の特定大学へどうしても行きたいという学生も当然あるが、多くは県内に収容能力がなく、志望学部がないためである。島根県ほどではないが、東北、山陰、四国、九州の過疎県も大同小異である。

 これらの地域は、かつての高度成長期においては、若者を都会の労働力として送り出す人材供給県だった。今は進学という名のもとに再びそれが繰り返されている。高度成長の時と異なるのは、今は子供が二人程度しかいない点である。もし、彼らがそのまま都会で就職すれば、地方には親と年寄りしか残らない。

 都会への進学に伴って生じるもう一つの現象が、仕送りという形での家計からの流出である。島根県に例をとると、毎年二百億円以上が「教育赤字」として県外へ流出し、島根県の年間生産農家所得が二百億円だから、教育赤字の額は地域経済にとって軽視できない。

 大学・短大の大都市偏在が地方の若者の都会流出をもたらし、産業近代化を阻み、所得格差を生み「教育赤字」を増大させ、そのツケは東京都民にも回り、やがては東京自体も深刻な動脈硬化に陥ってしまうだろう。

 政府案、民主案ともに地域格差がもたらす教育格差という深刻な問題への配慮や危機感が基本法案に盛られていないのは残念だが、民主案には総体的な教育に対する財政支援が、GDP比率という表現で明記されていることは評価できる。

 下がる一方だった投票率が昨年の郵政民営化劇選挙では六〇%から六八%に上がるという異常な現象が見られた。

 総理が先頭に立って刺客団まで編成して集団いじめを実行し、メディアがそれをはやし立て、今までは選挙に振り向きもしなかった「無関心派」を投票にかり出したからである。

 そのような「いじめ面白がり」の票で議席を増やした政権に、教育基本法を提案する資格があるのだろうか。

 「集団でいじめれば勝ち組になれる」というお手本は教育には良くない。

総理には歴史観語る責任


 世界史の未履修問題についても同じことが言える。十一月三日の毎日新聞の政治漫画で、安倍さんがブッシュ大統領に「安倍クン、世界史履修した?」ときかれている。

 その前日の衆議院の教育基本法に関する特別委員会で、安倍総理は欠席だったが私は同じことを質問した。

 全大臣について調べて答弁するように前日に官房長官に事前通告しておいたにもかかわらす、「ほとんどの大臣は履修しており一部の大臣は明確ではない」という答弁。世界史いじめをするつもりもないので、それ以上の追及はしなかったが、当時は必修ではなく選択制だったから、年金とは違い、「未修三兄弟、四兄弟」というほどに緊張する問題ではない。きちんと時期も高校名も挙げて官房長官は答えるべきだ。

 私が安倍総理の世界史について関心を持つのは、「歴史認識は歴史家にまかせる」という姿勢に疑問を持つからである。確かに、細かい事実の確定やそれに直接関係する評価は歴史家に任せてもよい。しかし、それを全体として評価し、どこが間違ったかを反省して現代に生かすのは、国民を導く政治家としての大切な責任ではないか。侵略を受けた国と、どういう歴史認識に立って新たな関係を築こうとしているのかは、相手国にとっても大切なことだが、それ以上にまず日本国民が知らなければならないことだ。

 二十世紀最大の戦争について歴史観を語れない、語ろうとしない政治家が世界に通用するはずがない。そういう指導者しかもてない日本は不幸である。

 安倍総理は世界史を履修したのか、しなかったのか。

 履修したけれども語れないのか、語らないのか。

 いや単純に、履修しなかったから語れないだけのことなのか。

 国民が教育について、そして高校必修とされる程に重要な世界史についても関心が高い今こそ、「歴史疑惑」を晴らすべきではないか。

 三十四年前、北京の人民大会堂に田中首相を迎え、周恩来首相が述べたアジアの戦争に関する歴史観が、日中の新しい歴史の扉を開いたのである。

 政治こそ歴史ではないか。生きている歴史、明日の歴史をつくるのが政治家の役割ではないか。その政治家が歴史観を語れないとは何ごとか。

 「総理という立場だからこそ語れないのでしょう」という伊吹文科大臣の答弁はアベ・コベではないか。総理だからこそ、歴史を語らなければならないのだ。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「マラケシュ」

2006/11/20の紙面より

 

 今まで色々な国を旅してきたが、北アフリカのモロッコほど変化に富んだ地形、景色、文化、色彩、人々の厚い人情、そして空気そのものが、旅人を驚かせ感動させ、ドキドキさせる国はかつて経験したことがない。

活気あふれる「赤い街」


 そのモロッコの、フェズとならぶ古都の一つ、マラケシュで開催された「自由主義インター」の第五四回大会に三泊四日で出席し、帰途はカサブランカを経由して帰国した。

 「赤い街」とよばれるマラケシュには、北から、大西洋岸から、そしてサハラ砂漠から、あらゆる土地の人々がやってくる。集う人間も、売買される品物も、交わされる情報も、あまりにもバラエティ豊かで、その数もあふれんばかりだ。中心のジャマ・エル・フナ広場では各地の芸人達がパフォーマンスを繰り広げ、夜には広場いっぱいに屋台が立ち並ぶ。喧騒と活気が渦巻く、はちきれそうなこの街のエネルギーはこのカオス(混沌)の雑多さが生み出しているに違いない。

 人・モノ・カネ・情報、文化、そして歴史と現代の時空間の交流がつくりだしているマラケシュだからこそ、自由主義インターのような、百カ国をこえる国々の大小さまざまな政党が、立場や環境は異なりながらも、人間性尊重のために「自由主義を守れ」という旗のもとに一堂に会し、議論し合う開催地として選ばれたのだろう。

 三日間の会議の雰囲気は大国だけの集まる「威風堂々」ではなく、「異風同堂」の感があった。

日本の復興支えた教育


 今大会の討議テーマは「民主主義と経済開発」。国の規模により、また開発段階の違いによって、それぞれの参加国の意見は違ってくるのは当然のことである。日本からは正式メンバーとして加盟している党はないが、民主党だけがゲスト・メンバーとして毎年招待されていて、今年は小沢代表が日程調整がつかず、私が代理で出席し、演説も引き受けた。

 民主主義と経済開発をどのように均衡させ、維持発展させることができるのか。共産主義や社会主義の国では、必ずしも民主的とは言えない経済発展計画を進めざるを得ない時期もあり、逆に急激な経済開発の結果が富の集中や格差の拡大をもたらし、民主化プログラムを後退させてしまった国もある。

 その点、戦後の日本が民主化と経済再建を並行して順調に進めることができた最大の理由は、国民の高い識字率にも象徴される、平均して高度な教育水準とそれをもたらした教育システムにある。

 その教育が戦後の天皇制から民主主義国家への大変革を混乱なく受けいれ、資源がほとんどないという障害を乗り越えて、世界の驚異と評された経済発展を可能にしたと言えるのではないか。

 教育が民主主義の発展・維持を可能にし、その民主主義という全員参加・全員平等受益型政治が経済開発の継続を保障し、その成果として生ずる財政力が教育を支えることにまたつながっていく。

 言いかえれば、日本の民主主義と経済発展、テーマである「DEMOCRACYとDEVELOPMENT」のよい関係を支え、そしてこれからも支えるのは「EDUCATION」。DとDを支えるEこそが最重要と位置づけなければならないし、教育への投資こそが政治にも経済にも最も必要である。

 その教・政・経の三角形の中で、効率化・短絡化を急ぐあまりに、教育の場で人間を資本財のようにみなして(HUMAN CAPITAL)、詰め込み・記憶中心・知識重視・智恵軽視型教育に傾く危険があり、日本の教育も抜本的検討を迫られている。人間資本という考えから、人間性尊重の教育(HUMAN VALUE)に引き戻さなければならないと、私は強調し、幸いにも多くの国の人から賛同を得ることが出来た。

大人が次々と悪い手本


 その日本の教育にも、戦後六十年、多くの問題、たとえば、いじめ、自殺、ニート、フリーター、必修科目逃れなどの問題が発生していることも紹介した。

 それらの原因についてはここでいちいち説明を省略するが、大人が、社会が、政治が、国会が、次から次へと子供たちに悪いお手本を提供していることに大きな責任がある。

 日本の親が子供たちに言い聞かせてきたことは、戦前も戦後も、たった二つ、「嘘をついてはいけない、閻魔(えんま)さんに舌を抜かれるから」、そして「人に迷惑をかけてはいけない」。どこの家でも子供たちは同じことを言われて育った時代が、そこにはあった。

 ところが昨年から今年にかけて、この国では嘘、偽り、だまし、ごまかしが至る所で横行し、日本人の品性が地に堕(お)ちた感がある。

 神社初詣での「偽札」、西武鉄道の「偽株主名簿」、カネボウの「偽装決算」、日本銀行の「偽金塊」、アメリカも郵便を民営化しているはずと錯覚させたままで決行した「偽計総選挙」、昨年末に浮上してきた「偽装建築」、そして新年に入ると民主党議員が取り上げた「偽メール」など、枚挙にいとまがない。  ブッシュ大統領からイラクに大量破壊兵器が存在するという秘密情報文書。それもブッシュ自身が今では「偽情報」だったと認めている。自衛隊を派遣するために小泉首相が使ったのもガセネタの「偽文書」だったことになる。その小泉政権を継承して「主張する外交」を掲げている安倍新総理が、結果的に日本をだましたアメリカと、どういうおとしまえをつけられるのか、見ものである。

 国会では教育基本法の議論が活発に行われている。重要な法案だからこそ、各党、各議員の意見も違ってくる。審議時間を充分に確保せよという民主はじめ他の野党の要求を、「与党が審議拒否」して強行採決したのはなぜか。ブッシュ大統領との会談の前にという動機だったとすれば、日本の子供を捨てて他国の大統領との会見を優先したことになる。

 「いじめ」はいけないと学校で教えながら、昨年の総選挙では総理が先頭に立って刺客団まで編成して集団いじめを実行し、メディアまでがそれをはやし立て、今までは選挙に振り向きもしなかった「無関心派」を投票にかり出した。そのような「いじめ面白がり」の票で議席を増やした政権に、教育を論ずる資格があるのだろうか。

 「集団でいじめれば誰でも勝ち組になれる」というお手本を示した。その選挙から一年間に、いじめによる自殺が急増していることは報道の通り。しかし文科省は、つい最近までいじめによる自殺は一件もないと報告していた。うそ報告、やらせ公聴会、いじめ自殺、必修逃れ、偽卒業証書、偽内申書 安倍総理自身は世界史を学んだのかどうか、国会での私の質問になぜはっきりと答弁できないのか。安倍総理が学んできたのは「世界史」なのか、それとも祖父や父の「政界史」だったのか。

 世界史を学んだからこそ若くして日本の総理になれたのだと思う、だから君たちも世界史をよく勉強しなさい、というごく単純明快なメッセージこそ、今必要な「学問のすすめ」ではないか。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「日本分割の愚論」

2006/11/27の紙面より

 

 国会の中ではいい法律も作られるが悪い法律も作られる。「障害者自立支援法」もその一つ。自立支援などとうたいながら、障害者の自立を妨害し、生活を苦しめ、治療の幅を狭くしようという法律。直ちに障害者団体から反対運動がはじまり、民主党などが法案の訂正に動いている。

あいまいな道州制法案


 更にもう一つの例を挙げれば「道州制特区推進法案」。衆議院の内閣委員会で審議され、十一月二十二日に与党の賛成多数で可決。今週中には衆議院本会議で可決、参議院に送られて正式に成立する見通しとなっている。

 二十二日の私の内閣委員会での質問と合わせて、どこにこの法案の問題点、疑問点があるのかを検証してみよう。

 道州制については国と都道府県との関係を再構築する制度として広範な議論がなされ、今回の法案も題名に「道州制」を冠し、「将来の道州制導入の検討に資するため」と説明されている。

 しかし、この道州制法案にはあまりにも理念や定義のあいまいさが多すぎる。質問をしても、はっきりしないことが多く、すべてが北海道特区の実験を終えてからという姿勢だが、実験は将来の構想のために行うのか、それとも実験だけが目的で、次の段階へどのように、いつ進むのかはどうでもいいのか。

 道州制の「道」と「州」はどう違うのか。道州制の「道」と北海道の「道」は「どう」違うのか。

 日本の国は国・県・市町村の三層構造から「道州」が県と国の間に割りこむ四層構造に変わるのか、県を廃止して新しい三層構造なのか、道州制を採用する県と採用しない県があってもそれは認められるのか、それとも日本中が強制的にある日一斉に道州制に変わるのか。

 小さな日本を七つか八つの道や州に分割し、そこへ中央の官僚が天下りし、大きな自治体に権限と財源と人間の三ゲン・セットを持たせることは、結局、税金を身近な所で監視するという自治の原則から後退することになる。

きめ細かい行政サービス


 ところで、道州制については、大きくまとまればサービスがよくなるという一つの期待感があるが、それもまちがっているように思う。

 私は、世界の四大都市と言われるニューヨーク、ロンドン、パリ、東京のすべての都市に住み、そして今、日本で一番大きな政令都市と言われる横浜にも住んで、それぞれの都市の行政効率とか行政サービスを毎日の生活を通じて体験してきた。行政規模というのが大きければ必ず行政サービスがよくなるというものではなくて、むしろ逆な場合もある。

 大きくなればなるほど、サービスのきめ細かさが失われ、人の顔が見えない、声が聞こえない、ぬくもりが失われる。

 都市を一定規模に抑えて、小さくしていく努力も必要ではないかと思う。

 例えば横浜市の場合。日本で一番人口の大きい政令都市だが、その横浜市議会においてもいろいろな議論がされていて、それをもとに花上喜代志市会議員が最近「横浜の挑戦」を出版した。

 横浜市は、大きいがゆえの悩みにぶつかっている。これからの北海道特区の実験には、政令都市で人口が大きくなり過ぎた横浜がどういう問題を抱えているかを十分に参考にすべきだろう。

 その中の一つは、教育委員会のあり方。この教育委員の数を比べてみると、四国四県の教育委員の数は五二八人、同じ人口の横浜市の教育委員は六人で、同じ自治体でも約百倍の差がある。

 横浜の教育委員は一人当たり四万五千人の生徒を担当し、一方四国の教育委員は一人当たり六百四十人を担当。

 こういったことについてどう考えているのか。道州制には、こういうきめの細かさが必要な行政が失われていく危険が非常に大きい。

 仮に東北五県が合併して、あるいは合併しないまでも「東北道」に衣(ころも)がえとなった場合に、県人会などで盛り上がる郷土意識は薄れてゆくだろう。ふるさとへの思いは、郷土の規模に反比例するからだ。

 同じ国会の中で「伝統と文化、郷土を愛し」と教育基本法案ではうたいながら、一方では郷土心が薄れるような国の形のリフォームに着手する。言うこととやることが一致していない。

幻の「広島根県」構想


 住民に対してはサービスの改善どころか、不便さを押しつけることになりかねない。松江市や出雲市から「中国道」の道庁となるかも知れない岡山市や広島市にある道庁へは、それぞれ二時間半、三時間半を要することになり、東京の霞が関官庁へ行く方が早い、身近なはずの地方自治が逆に遠くなるという地方分権時代の逆転現象が生まれる。

 今から約三十年前、広島県永野知事と島根県田部知事の間で、両県の合併構想が真剣に検討されたことがあった。瀬戸内海と日本海を両手に持ち、広島の工業力と島根の農水産業という二つの県のそれぞれの強味を生かし、行政効率とともに若者への夢と職場を広げようという壮大な考えがもとにあり、新しい県の名前まで「広島根県」と内定していた。広島から読めば「広島」に「根」が付いているし、島根から読めば「島根」の上に「広」が冠されてグレーター島根、広い島根となり、ネーミングもよかった。しかし、関連諸法規の未整備という困難のためか、「広島根県」構想は幻と消え、今ではその話を知る人さえも少ない。

 それから三十年、時代も変わり、住民の考えも変わり、今は何事も大きくすれば喜ばれるという時代ではなくなった。

 住民が何を望み、日本の未来のためにどういう国のかたちが望ましいのか、この法案を前にして、胸に手を当てて今しっかりと考えてみることは、決して無駄なことではない。

 北海道の現職知事が法案成立に合わせて再選出馬表明をする予定とかの話が伝わってくると、四年前の知事選で「最重要公約」として誓ったはずの雇用状況改善が、惨たんたる結果となっていることの目先をそらすお手伝いを国会がさせられているようで、国会のあり方としてこれほどおかしなことはない。

 憲法第九五条は、「ある一つの地方公共団体にだけ適用される特別法を制定するには、その地方の住民投票を実施して、過半数の同意を得なければならない」、と要求している。やらせの公聴会を何回か開催してもそれは無効だということ。

 四年前の知事選にはどの候補者も掲げなかった道州制。その住民投票を国も道も行わないのならば、せめてもそれに代えて、あと四カ月後に行われることが確定している来春の道知事選挙の機会に争点の一つとし、有権者の審判を謙虚に受けてから国会が立法手続きに入ることこそ、「地方の時代」を掲げるすべての政党が示すべき良識ではないか。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「感謝の無い政治」

2006/12/04 の紙面より

 

 一九六五年から七〇年の「いざなぎ景気」を超えて、戦後最長の好況と言われているが、巷の勤労者、高齢者、一般の生活者にはサッパリ実感がないという声ばかりで、「いざなぎ」どころか「さざなみ」程度にも感じられないという。

 その実態を全く知らないかのごとく、安倍新首相は所信表明演説で、「成長なくして財政再建なし」と力説した。

法人減税最優先は間違い


 言うまでもなく、財政再建は手段ではあっても政治の目的ではない。これだけでも訳のわからない首相の表現である。その本音は消費税の引上げ論議をとりあえず先送りし、法人税減税をまず実施したいということだろうが、これは大きな間違いだ。

 日本の今の家計状況と雇用環境を直視するなら、法人減税を最優先させることができるはずがない。

 グローバル競争に日本企業が勝ち抜くために必要な措置だと位置づけているが、そうだろうか。

 日本の現行法人税率は三〇%で、国際比較すると先進国の中で日本より低いのはドイツの二五%だけで、アメリカ、フランス、イタリアなど軒並み日本を上回っており、アジアは低い国が多いが、中国は三三%で日本より高い。決して日本だけが突出しているわけではない。

 次に金利生活者に対するゼロ金利政策で、実質的に毎年二〇兆円以上の家計への利子収入を収奪し、銀行と大企業の収益回復に無料奉仕させてきたことへの反省が全く無いことだ。

 ゼロ金利政策とは払うべき金利を払わないこと。人もおカネも働けば給料が欲しい。預金者が得たはずの利子を他の人が使ってしまうことを、きれいな言葉では所得移転、俗な言葉では泥棒という。

 それを嫌ってカネは銀行へも行きたがらず、タンスの中で寝たきりマネー。

 銀行員がお客さんに利子を払いたくないということではない。銀行員に利子を払わせないような政策が悪いのだ。

 更に忘れてならないことは、多額の国家資金が円を下げるためにドル買いに使われ、その結果として安い円で輸入したガソリンは割高な値段で消費者の割増し負担となる。

 逆に輸出企業はその分だけ利益が多くなるのは当然だ。小泉内閣の五年間で四二兆円がドル買いに使われ、いわばトヨタなど輸出企業への補助金の役割を果たしている。

 円安になると思えば円価値切り下げを避けて日本のカネは海外に脱出する。正月過ぎれば人間はカネを使い果たして帰って来るが、カネはあちらで高金利をもらえるから帰ってこない。

 国内では寝たきりマネー、国外へは出たきりマネー。寝たきりと出たきりで、日本のカネが日本の中で働こうとしないからタクシーが、土地が、サービスが、株が動かない。こんな国の景気がよくなるはずがない。

 円安は国際的な労働価値を切り下げて、見えざる賃金カットで実賃収入を切り下げる。

 首相からも銀行の頭取からも、収益最高を記録している大企業の社長からも、まるで自分たちの政策、経営努力のたまものであるかのような説明はあっても、金利や給与を奪われてきた者に対する反省、謝罪、感謝の言葉が無いのはどういうことか。

下がり続ける平均給与


 ゼロ金利政策と円安誘導に加えて、働く者、労働者に対する企業利益の「労働分配率」の低下も問題だ。

 景気回復が始まる直前の二〇〇一年の八四・七%から下がり続けて〇四年には七七・二%、直近の〇六年四−六月期では七六・八%にまで低下している。

 企業がリストラと年金負担軽減の一環として賃金や雇用のカットを急いだ結果、小泉内閣の〇二年から〇五年の三年間に雇用者報酬は増えているどころか逆に二六三兆円から二五九兆円に減っている。民間企業で働くサラリーマンの平均給与は八年間連続ダウンで、減少記録を更新中である。

 賃金の安い非正規雇用が増えていることなどが原因だ。十年前から急速に進んだ「日本型雇用」の解体で、雇用条件や賃金水準は大幅に下落した。九八年から〇六年まで正規雇用数が四五四万人減り、それと置き換えるように非正規雇用が四九〇万人増加した。

 トヨタなど大企業や銀行が史上最高の好決算を誇っている裏側で、このような悲惨な状況が創り出されている。

 こういう状況の中で、一般個人や労働者の負担を更に増やして、企業の減税に回そうという発想がどこから出てくるのか。昨年の総選挙で、多くの企業が従来にないほどに自民党候補者を応援してくれたことに、それほど急いであからさまに感謝を示さなければならないのか。

 この所得再配分のゆがみを放置したままで、法人減税で企業に補助することを国民が受け入れるだろうか。

増税か減税か論戦テーマに


 悪い世の中を表現する言葉は悪世、末世、乱世、厭世など数えてみると十七あるが、良い世の中の表現は極楽、浄土、天国、涅槃、楽土、桃源などなど十九もある。

 逆に、善い政治の表現は善政、徳政、仁政、賢政などわずか十しかないが、悪い政治の表現は悪政、暴政、虐政、貧政、失政、愚政、酷政、腐政、呆政、苛政、圧政、邪政、盲政、堕政などなど三十六もある。

 仕事を守る、暮らしを守る、これが経済政策の出発点であり、そして終着駅であるはずだ。仕事を探すのに疲れ、望みを捨てて求職窓口から姿を消した人たちが統計上は失業者から除かれたために失業率が低下したように見える。それを善政の効果と手ぼめしている場合ではないだろう。善政ではなく、酷政の結果だと、なぜ反省できないのか。

 政策の基本は税金を増やすか、税金を減らすかの一点にある。増税とは国民の使う金を減らし、役所が使う金を増やすこと。減税とは、逆に役所が使う金を減らし、企業や国民が使える金を増やすこと。増税が正しいか、減税が正しいか、企業を対象にするか、国民を対象にするか、それはその時の景気情勢の判断と見通しによる。

 しかし、給与・年金生活者を犠牲にして、そのうえ更に法人減税で大企業の利益をふくらます政策を各政党がどう判断するか、新年国会の予算委員会の論戦の中心に据えるべきだろう。

 しいたげられ、奪われ、銀行と大企業の再建と巨額利益に無料奉仕させられ、それでもじっと黙って耐えてきた国民への感謝の言葉が全く無い。

 日本の伝統である反省と感謝の「美しい心」、それが欠けたままで法人減税を優先し、「美しい国」づくりを論じても空しいばかりだ。勝ち組だけを増やすに過ぎない。

 美しい国は「美しい心」からはじめようではないか。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「歌い上手は年金上手」

2006/12/18 の紙面より

 

 私の選挙区は横浜市の青葉区と緑区です。その青葉区は、平成十五年発表の男性の平均寿命調査では、岐阜県の和良村と国府町が一、二位で、人口二十八万人の青葉区は三位でした。

 全国的な市長村合併の動きの中で、その一位の和良村が一昨年、そして二位だった国府町が昨年、それぞれ合併で消え、三位の横浜市青葉区が自動的に日本一の長寿のまちとなりました。

 青葉区では男性が長生きですが、隣の十七万人の緑区では女性が長生き。その原因は何か。青葉区の水が特に男性にいいのか、緑区の空気が特に女性の健康にいいのか、横浜市役所が現在調査中ですが、結果はいまだに発表されていません。

 世界の四大都市に住んで、その人々を観察してきた私の人生経験から考えると、それは多分、青葉区に住んでいる人は奥さんが御主人を大切にするから御主人が長生きし、緑区では御主人が奥さんを大切にするから奥さんが長生き。これは私の推理であって、科学的根拠は全くありません。

長寿支える最重要政策


 しかし、長寿、高齢に恵まれている市にも大きな悩みがあります。介護と年金です。長生きすればする程、万一のときの介護の問題と所得のないままに二十年、三十年を暮らしてゆくための年金の問題が大きくのしかかってくるからです。とりわけ男性に比べて七年以上長生きされる女性の介護、年金問題に対する関心は強いのです。

 現在の平均寿命を前提にして、仮に六十五歳以上からの年金を受け取る期間は男性の十四年に比べて女性は二十一年。日本の女性は世界一の長寿で、男女格差も最大で年々格差が広がっています。

 にもかかわらず、世界の最長寿国だからこそ最重要であるべき、この老後の安心を支える日本の年金政策を、まるで信用していない人が五七%もいるというのだから話になりません。信用しないだけでなく、既に離れていった人が四〇%近くもいるというのだから驚きます。

 一方、政府はどう考えているか。今の年金制度を維持しようとすれば一〇%台の消費税率アップは不可避であると発表。そんなことに急に気がつくはずがないから、今まで一体何をしていたのか、驚くというよりもあきれるばかりです。

 一昨年の国会で注目された年金「抜本」改革法案は、政治と年金に対するダブル不信を一挙に吹き飛ばすという触れこみでしたが、これがとんでもない「公約詐欺」の、「抜本」改革どころか「罰点」改革で、政治不信と年金不信を逆に加速してしまったのだからお粗末な話です。

 欠点だらけの年金はまさに国辱もので、私は国会でそれを指摘し、党を通じて、あるいは「日本海新聞」「大阪日日新聞」や月刊誌「中央公論」を通して、新しい発想に基いた、安心できる年金制度を提案してきました。

老後の安心守る秘訣


 その年金改革が実現するまでは、今の制度の中でとりあえずどうすればよいのか、どうすれば私たちの老後の安心を守れるのか。私がその三つの秘訣をお教えしましょう。

 まず第一に、支払い上手になること。未納のツケは結局自分にまわってきて、自分自身の受取りが減ることになります。「支払い上手は受取り上手」。

 第二に、長生きすること。男性と女性では、保険料は同じでも女性が男性より平均して七年長生きできるようになっていますから、男性が年金を十四年間受取れるのに対して女性は二十一年間も受取れるのです。男性に比べて五割も多く受取れるということです。アメリカ・イギリスの女性は男性に比べて三年長生き、フランス・ドイツは四年長生き、日本の女性は七年長生き。

 「長生き上手は受取り上手」という世界一のお手本が日本の女性です。

 しかし、誰でも女性に生まれるというわけではありませんから、男性に生まれたものはどうすればいいのか。

 それが第三の秘訣、「歌い上手は受取り上手」。

 ある学者の説ですが、一曲歌えば七百メートルのジョギングに相当する効果があるそうです。三曲歌えば二千メートル以上を走ったことになります。中・高年にとって健康で長生きするのには適切な運動量が欠かせないと言われていますから、歌えば長生き、長生きすれば受取る年金も多くなる、「歌い上手は受取り上手」ということになります。

 女性でしかも歌い好き、ということになれば、まさに鬼に金棒ではありませんか。

 いま日本の女性の間では、従来盛んなカラオケブームからシャンソンや民謡にも関心が高まり、各地で教室などが賑わっているようです。

 私の地元の青葉区では「うたごえ」運動時代の人たちが中心となって、会場の人たち全員で一緒に歌う大会が開かれましたし、緑区では民謡を中心とする「歌と踊りの大会」が毎年開催されています。

印象的な貝殻節の唄と踊り


 そういう各地の民謡を聞きながら、島根の民謡「関の五本松」や、ずいぶん前のことですが妻の姉がはじめて親類の会合で披露した鳥取県の民謡「貝殻節」などを思い出します。

 貝殻節は、砂丘の裾に湧く浜村温泉の景勝地、気高町の西端、長尾岬を中心に日本海沿岸に伝わる海の代表的民謡です。

 「何の因果で貝殻漕ぎなろうた」 

 貝殻節が温泉街を流れていく。御座敷唄のような陽気ではしゃいだような調子とは異なり、地味ではあるが板一枚が生死の境目である海で働く漁師たちの男性的な勇壮さと、貝殻漕ぎの辛く、厳しい、哀調切々たるメロディーがあり、日本海の潮の香りと彼らの生活が唄全体にあふれています。

 国会図書館にある文献では、貝殻節が全国に知られるようになったのは昭和二十七年のことです。朝日放送全国民謡大会で第一位となり、その後も全国芸能祭りなど芸能大会でしばしば選抜され、海の民謡としてテレビ、ラジオなどの電波にのり、全国的に愛唱されるようになりました。今では素朴な貝殻節踊りとともに、郷土を代表する民謡として山陰路を訪れる観光客の旅情を慰めています。

 貝殻節踊りの方は、昭和八年小唄貝殻節がレコーディングされたのを機会に、京都の花柳の家元によって振り付けがされ、衣装も労働歌にふさわしくカスリが取り入れられました。

 私の妻欽子の姉が、出雲から山陰の浜村温泉に出かけておぼえて帰ったのが、この貝殻節と踊りです。

 手のひらほどに大きな貝がらを二枚持って、久しぶりにロンドンから帰国した私たち夫婦と二人の娘の前で唄いながら踊る、その時の哀調を帯びた節まわしと、姉のあでやかな舞い姿を私たちは今も忘れられません。

 歌い上手は長生き上手。姉は今でも元気で、日本の政治が一歩、一歩、また一歩と、着実、確実に後退していることに、山陰の地で、今なお若い怒りの情熱を燃やし続けています。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「偽理人情」

2006/12/25 の紙面より

 

 今年最後の一週間となりました。皆さんも慌しい思いで毎日をお過ごしのことと思います。

 政治の役割で一番大切なことは、「希望の持てる国を次の時代に残すこと」、私はいつも自分にそう言いきかせながら国会で仕事をしてきました。

 それなのに、ふりかえってこの一年、二年、今の政治では明るい未来への希望を示すこともできず、「改革」の旗じるしで強きを助け、弱きをくじき、「痛み」を強いるばかりではありませんか。

 税金は増える、貯金は減る、

 医療費負担は増える、年金は減る、

 倒産は増える、売り上げは減る、

 自殺は増える、職場は減る、

 皆さんの「心配」が増えて「安心」が減っているのです。政府の言うこととやることが、これではまるで「アベ」こべではありませんか。そのアベ内閣に変わって、小泉内閣以上に、弱者に増税、強者には減税という性格がはっきりしてきたことは、皆さんがよくご承知の通りです。

一銭も使わない銀行の献金


 最高利益を更新している大企業や銀行。銀行は利益をあげても小泉内閣の五年間は法人税を免除されてきました。アベ内閣に変わってもこれから三年間は「無税」が保証がされています。税金を払わなくてもよい大銀行が、税金の代りに自民党に献金したくなる気持がよくお分かりでしょう。

 自民党への献金は、払うべき税金のわずか百分の一、千分の一で済みますから、銀行にとって大きな節約になります。

 野党の民主党には百分の一の、そのまた百分の一の金額ぐらいを提示しておけば、公平・バランス感覚というアリバイ工作も完璧と言えるでしょう。

 更に大事なことは、相手から何度も要求されてから差し出すのではなく、その前にこちらから献金の意志を示すこと。これが相手やその関係する議員をいたく感動させることになり、次の陳情の成功率を高める効果を大きくするのです。

 もう一つ大事なことは、情報公開義務でどうせ分かってしまうことですから、こっそりではなく派手に持ち込むことです。なぜ「利益ドッサリ・税金はゼロ」の銀行が献金などするのかという非難が湧きます。結果として献金とりやめ・自粛という、一銭も使わない献金が実現するのです。美しい国の哲学、美学です。

 このような心強いサイフの待機援軍があるからこそ、安倍総理はフトコロも暖かく、寒い冬空の下でもポスターでニッコリ笑っていられるのです。

偽りや嘘が横行する政治


 政治には公平と誠実さが必要です。政治とは難しいものではありません。「暮らしを守る、仕事を守る」、その政治の原点を見失い、すりかえ、ごまかし答弁や、やらせタウンミーティングに象徴されるような、偽りの論理を押し通してくるアベ内閣には大いに警戒が必要です。

 昨年、今年と振り返ってどれほど多くの偽りや嘘が政治の世界で横行したか、いくつかの例を挙げてみましょう。

 まず、偽装建築。官から民へ放任した結果が耐震度手抜きでも甘い検査でパスし、購入者が真っ青。

 永田議員の偽メール。武部自民党幹事長の「ホリエモン、わが弟、わが息子」という誇大偽宣伝に扇動・洗脳された民主党の若い議員を見ごとにはめこんだブラックジャーナリストの偽メール。

 郵政民営化にも数々の偽情報が飛びかいました。日本の民営化を迫ったアメリカはとっくの昔に民営化しているものと錯覚させ、それなら日本も民営化でええじゃないかと思わせたのです。政府が嘘を言ったわけではありませんが、かなりの偽計だったとは言えるでしょう。

 リフォーム詐欺というのもありました。リフォームを承諾しなければ痛い目にあわせるといって逮捕されました。郵政民営化に賛成しなければ解散だ、総選挙だ、次の総選挙で痛い目にあわせる、刺客を送る、公認しない、離党せよと暴言を弄し、一人ひとりの議員に圧力をかけた手口までがリフォーム詐欺にそっくりでした。

 必修科目の世界史を未修のままの生徒にも卒業証書を渡した、「偽卒業証書」も大きな問題となりました。

 経済情勢についても偽証や虚偽答弁が多いのです。「小泉内閣の政策が功を奏し、景気が回復基調に入った」とか、「いざなぎ景気を超える最長期の景気回復」とか、竹中大臣が説明しているわきで、厚生大臣が報告している生活保護世帯数は十二年間も増え続けて、とても回復どころの話ではありません。「今までの実績や経験を踏まえてどういう経済情勢で生活保護が増加したのですか」という私の質問に、「景気の悪い時に困窮世帯は増加しています」という答弁でした。これでは好景気なのか不景気なのか、どちらかの大臣が嘘を言っています。

 政府の「財政再建を目ざした予算」という手ぼめの宣伝にも嘘があります。税収増で基礎収支均衡が一−二年早まるそうですが、定率減税廃止で個人に増税し、税収を「かさ上げ」させているだけです。

 財政と年金の安定に必要な消費税をいくら上げるのかという本質的議論は、野党の民主党もそうですが、「棚上げ」したまま。

 「かさ上げ」と「棚上げ」で景気が「底上げ」していると錯覚させる目くらまし、「偽装回復」にしか過ぎません。

安倍首相の説明責任


 偽りか嘘か、嘘か偽りか。「嘘偽り」とひと口に言いますが、国会が終った翌日、国会図書館でその嘘と偽りの違いについて調べてみました。

 色々な学説がありましたが、簡単に要約すると二つの違いがあるようです。

 偽りは言葉としての嘘の他に、行動や態度で人をだます場合に使われ、第二の違いは、嘘はわざとでなく無意識的につく場合もあるが、偽りは常に意識的であるということです。

 ならば、小泉総理が自衛隊をイラクへ派遣したのは、意識的なガセネタ情報だったということでしょうか。ブッシュ大統領が根拠ありと小泉首相を説得した材料は誤っていたと、ブッシュ大統領もブレア首相もそれぞれ国民に謝罪しましたが、小泉首相からは謝罪の言葉は未だにありません。嘘でも偽りでもなかったという説明と、過ちだったのか誤りだったのかの国民に対する説明が必要です。

 安倍首相の四月の靖国参拝はあったのか、なかったのか。政治的に大きな問題だから答えないというなら、首相は政治的にどうでもいいことだけを答えましょうという姿勢なのでしょうか。

 それなら、世界史を履修したかどうかの私の質問に答えないのは、履修しなかったからではなく、政治的に大きな問題となることを恐れているからなのでしょうか。

 郵政造反議員の復党問題についても、小泉さんが「改革の本丸」と名付けたからこその郵政大騒ぎ。調和できないはずの改革の「理」と復党の「情」を改革の本丸の継承を掲げた安倍首相だからこそ、しっかりと説明しなければならないはずです。

 年の暮れ、仕事納めの準備にお忙しいことでしょう。

 偽の国日本の経済の象徴日本銀行では、今年の暮れも見学にお出かけの皆さんを、本物ではない偽の金塊がお待ちしています。

 読者の皆さん、どうぞ良いお年を。(衆議院議員、元出雲市長)

 

「ふるさとを思う心」

2007/1/1 の紙面より

 

 新年明けましておめでとうございます。

 日本海新聞の地元鳥取県、島根県の皆様に私の随筆を毎週お届けするようになったのは平成九年の一月六日でした。

喜怒哀楽共に十年


 「一月三舟」とは、仏教用語で、一つの月でも、とまっている舟から見るととまって見え、北に行く舟から見ると北に行くように見え、南に行く舟から見ると南に行くように見える。一つのこともそれぞれに異なって受け取ることができ、いろいろな見方をすることができることのたとえとして使われています。

 長年の海外生活で見てきたことも含め、時にはふるさと山陰の心で、時にはパリ、ロンドン、ニューヨークの目で、そして時には永田町の目で、皆さんに私の思いをお届けします、とお約束して、十年があっという間に過ぎてしまいました。「旅は道づれ」という言葉がありますが、私にとって、この十年間は何十万人という皆さんとご一緒に喜怒哀楽を共にしながら、旅を続けてきた十年間でした。

 東京、横浜の選挙区の人たちと政治や社会を議論しながら、小選挙区、比例選挙区の他に私にはもう一つの「ふるさと選挙区」がありました。

 そういう運命と機会を与えていただいた神様と日本海新聞の皆さんに感謝しています。

 議員としての多忙なスケジュールの中で、原稿用紙に向かう時間を見つけることは決してやさしいことではありませんが、全国各地の読者の皆さんが私の背中にいつも温かい声援を送っていただいていると思うと、愚政、失政、悪政に向かって立ち上がる勇気が湧いてきます。

 新年もご愛読と、ご意見、ご批判を宜しくお願いいたします。

なぜ急いだ教育基本法改正


 さて、昨年を振り返って、日本にとって一番大きな政治上の出来事といえば、安倍内閣の誕生というよりは、教育基本法の改正でしょう。外国に対しては総理大臣が変わったということがトップニュースかも知れませんが、実体を見れば変わったことは一つもないのです。

 自民党の多選がまた続くことも、靖国参拝を言い続けて戦争に対する反省が欠けていることも、対米追従も、企業・財界優遇も、年金・消費税先送り体質も、二世・三世型陣容も、まったく見事に何も変わっていないのです。

 教育基本法案について、六七%の国民がその法案は成立させるな、もっと審議を十分にしてという意見を表明しているにも拘わらず、やらせミーティングで「官製談合」世論をつくりあげ、審議は打ち切り。なぜそんなに急ぐのか、憲法改正実現の地ならしが狙いなのか、教育のどこが本当に変わるのか、などなど疑問を大きくしただけではありませんか。

 憲法改正を基本政策とする政党なら、まず憲法という母屋(おもや)の設計や、玄関の向きなどと釣り合いが取れるようにしてから、基本法という離れを設計してゆくべきでしょう。

 基本法というのは憲法に従属し、憲法に最も近い距離にある、憲法に次ぐ最重要な法律とされ、いわば憲法が父なら教育基本法はその長男に相当します。ところが、それぞれの誕生日を調べると、昭和憲法は昭和二十二年五月三日に、そして現在使われている教育基本法はその前の三月三十一日に誕生しています。

 これを家庭に例えてみれば、長男がお父さんの前に生まれていることになります。では、お父さんが生まれる前に生まれていたその長男は、いったい誰の子ということになるのでしょうか。

 日本には長幼の序を尊重する伝統があり、「法治」国家というのであれば、こういう疑問や法律の乱れをもはや「放置」すべきではありません。

 占領軍という、当時は最高権力に相当する存在が、なぜ憲法改正の前に教育基本法を先行させたのでしょうか。

 これは私が国会図書館などの文献で調べた判断と推測に基づくのですが、天皇制を民主制に変えるというどこの占領軍にとってもかつてない難しい大改革をやり遂げるためには、男女共学という分かりやすいテーマで身近に民主主義を実感させること、そのために新しい教育基本法がまず必要と考えたのでしょう。

 しかし、今それと同じ手法をとる必要は全くありません。

 占領軍はどこにもいません。主権を持っている国民とその代表である国会という立法府があれば、今回は順序正しくやればいいことではありませんか。

子供に正しい手本示す


 審議を打ち切ってまで急いだり、やらせミーティングで国民を誘導したりするほどの中味もありませんでした。

 なにより、嘘でも世論を作る政府や、偽の卒業証書を渡す校長先生や、雇用が大切と言いながら正規労働を不正規労働に変えて表面的な失業率だけを偽装して下げてみせたり、暮らしを守ると言いながら税金を上げて企業への減税に回したり、郵政民営化こそ「改革の本丸」、反対する者は自民党から除名と公言し、票と議席を貰って一年すると復党させる、カレンダーが新しく変わるごとに、規則正しく国民を裏切る政党。そういう政府や政党や校長先生のいる国を、「美しい国ランド」という看板を掲げただけで子供たちが愛してくれる国と言えるでしょうか。

 「いじめ」はいけないと学校で教えながら、総理が集団いじめの先頭に立って日本中の子供と両親に見せつける。当選できなかったけれども、武部幹事長によるホリエモンの起用は、逆教育の効果を高める上で効果絶大でした。

 一年たつと、まるでビデオゲームのやり直しのように勝ち組と負け組みが仲良く座る。こういうお手本も大切だとは思いますが、やはり子供には良いお手本なのか悪いお手本なのかが分かりにくい。それをはっきりと分からせることのできる父母や先生が誕生するまでは、こういう小泉さんの集団いじめや、安倍さんの靖国隠しのような反面教師は差し控えること、そして、悪いお手本を示した人には教育に関する法律作成には一切参加させないことだと思います。

 どこの国でも、「愛国心」「郷土愛」は尊重すべきものです。「国を愛する」ことを強制するような教育ではなく、「愛せる国」をみんなで創る、それを教育と呼んでいるから、「国愛心」ではなく、「愛国心」と呼んでいるのです。

 「ふるさとを愛する郷土愛」も、小さいときから、家庭で、自分の学校、自分の町、そして何よりも毎日毎日自分が目にする山・川・森などの自然への愛情から生まれていくものです。

 子供たちの目はいつも大人の生き方、やり方を見ています。まず父母が、先生が、周りの大人たちがお手本を示すことです。やさしい愛情、仕事のきびしさ、困った人を助けることの喜びなど、子供たちの心の教育、人間教育につながる素材はいくらでもあります。

(衆議院議員、元出雲市長)

 

「『命』に国境なし」

2007/1/8 の紙面より

 

 年が改まる時、喜んでいるのは人間だけではない。

 日本では一年間の人間の生活を支配する暦を十二の動物が支配し、その年その年の主人役を演じ、年賀状やカレンダーに登場して、老若男女の目を楽しませる。

 暦の上だけでなく、私たちの日常生活の中にもしっかりと入り込んでいる。

 例えばキリンがビールを作り、ライオンが歯ブラシを売り、カメの子がタワシを作り、ゾウがお湯をわかし、タイガーがお湯をあたためる。クロネコがお歳暮を届け、ペリカンが荷物を運ぶ。いろんな動物が、日本ほど活躍の場を与えられている国は世界でも例がない。

 動物ばかりか、日本では植物も大活躍。山川草木すべてに生命が宿ると信ずる日本独特の自然生命観に基いて、山や川、森や木などが日本の各地で神様とされ、「鎮守の森」などは、古くからその村々で、地域を治め、地域を守る存在として大切にされた。それが結果として急速な近代化と開発の嵐の中でも、日本の環境をしっかりと守る役割を果たしてきたことは否定できない。

消防士が小鳥救う


 アメリカにはASPCAという小動物を二十四時間体制で治療、保護する救済施設があり、多くの生命が救われている。

 横浜市でも従来のセンターが手狭になったのを機会に、場所を移動し、最近の横浜市民のライフ・スタイルの変化を反映して、イヌだけでなく、ネコ、その他の小動物にまで対象を広げようという計画が予算化され、動物愛護者の期待が集まっている。

 私たちがニューヨークに住んでいた頃、晩秋のある日の夕方、セントラル・パーク南側の通り、五十九丁目を妻と歩いていると、人だかりが見えた。プラザホテルの近くの大きなポプラの、すでに葉が落ちてしまった枝で、何かの紐にでも足をからませたか、一羽の小鳥がバタバタ身をもがいて逃れようとしていた。

 人の集まりは更に増え、しかし、救ってやりたくても誰も何もできない。そこへ消防車がかけつけた。慣れた動作ではしごを伸ばし、あっという間に小鳥は若い消防士の手におさまった。その消防士が得意そうに集まっている人たちに向かって小鳥を見せる。

 一斉に大きな拍手が沸き立ったことは言うまでもない。そして私たちは、まるで私たちの手でその一羽の小鳥の命を救ってやることができたかのような喜びを分けて貰って、その場を立ち去った。

 日本でも、震災のときにイヌ、ネコが救われた話、昨年末にも二日がかりで一頭の犬が多くの人の協力で無事に保護されたテレビ・ニュース、新年には、軽井沢で買いものの時にネコを見失った人が八七日間探しまわり、ようやく再会できた新聞記事など。「これ以上の喜びはありません」と語るその人の言葉に多くの人が感動したに違いない。小動物にまで愛を注ぐことができるのは、その人だけの幸せではなく、そういう社会を持っていることが国の誇りであり、強さであり、子供たちへの教育でもある。

教育こそが武器


 にもかかわらず、最近の、人が人を殺す記事やテレビ画面の多さには、驚きや嘆きを通りこして怒りを覚える。昔は人間の倫理と常識のない人をさして、犬畜生のようだという表現があったが、今では犬に対して失礼な表現になっている。

 親が子の、子が親の、兄が妹の命を奪うなどということは動物の世界にもないことだ。学校教育を受けたことのない動物たちに対してさえも恥ずかしい行為が、日本で行われ、報道されていることを、私たちの先祖はどう思うだろうか。

 日本人は動物世界の最低種族になりつつあるのだろうか。

 財団法人・日本漢字協会が毎年末に公募で選ぶ「今年の漢字」が年末に発表され、「命」という字が選ばれた。飲酒運転や虐待、いじめ自殺など多くの命が失われたことへの反省、苦しみが潜んでいるのだろう。一方では皇室に新しい命が誕生したことを喜ぶ人びとの気持ちの反映でもあっただろう。

 その二日後には「防衛庁を防衛省に変更法案成立」と「教育基本法改正案の審議打ち切り、成立」の二つの見出しが新聞に踊っていた。その二つの法案は日本人の命を大切にするためなのかどうか、疑問を持つ国民は少なくない。

 イラクにおける戦闘で既に三千人の米兵と、五万人のイラク人の命が奪われ、それでもまだイラクの国内状況も国際関係も、一向に改善のきざしすらない。

 人を殺すのに道具まで作る動物は人間だけ。関係のない人間まで煽動して仲間の動物を殺すのも人間だけ。その理由が人間の文明社会を守るためと言うのであれば、その人間文明なる立派なものが、なぜ地球破壊への道を進んでいるのか。

 すべての生物、すべての生命を支えているこの地球の自然を守ることこそ、人間文明のかえがたい価値であるはずだ。

 自然と地球の前には国境も宗教の境もない。人の命を減らし合う闘争から、人間の生命を尊重しあう競争へ。それを地球上すべての人に分からせる唯一の方法は教育しかない。

 一九九〇年、南アフリカで武器を持って戦った黒人解放運動の政治指導者マンデラが長年の牢獄生活から解放された。

 再び彼とともに武力闘争に立ち上がる決意を胸にした群衆が歓呼の声で彼を出迎えた時、マンデラは次のように演説をした。「武器を捨てて学校へ行こう。教育こそが我々の武器だから」と。

地球の生命を守れ


 憲法議論と並行して日本が積極的に進めなければならないのは、世界で日本にしかできない、日本に最もふさわしい、「地球のドクター」というポストを確保することだ。一九九五年、日本が主唱し、出雲宣言で始まった宇宙衛星による「地球地図」が間もなく完成し、地球環境保護に貢献する。出雲市が創設した樹医制度が全国で一千人の樹木医に発展し、日本の森や樹木を守っているが、次は世界の森林と水を守ってくれるだろう。京都議定書も発効し、日本は地球温暖化防止の先頭に立つことになった。

 このような実績を踏まえれば、日本が農業国、森林国でありながら高い工業技術を持つ国として、地球の森林と水と大気を守る、いわば地球のドクターとしての地位をかち取ることは決して難しいことではない。自然を大切にしてきた日本人の民族的感性に最もふさわしい役目ではないか。

 日本は国境を越えた生命尊重の国、地球防衛への貢献という理念を掲げる唯一の国であることを憲法の前文にしっかりとうたう、そういう憲法こそ世界へ、そして次の時代の日本人へのメッセージとして残してゆくべきではないだろうか。

 一年を代表する漢字として「命」が選ばれ、教育についても議論が高まったこの機会を、命と教育についてすべての日本人が考える機会としたい、そう願っているのは私だけではないだろう。

(衆議院議員、元出雲市長)