【 一月三舟 (いちげつさんしゅう) 】
仏教用語。一つの月でも、とまっている舟から見るととまって見え、北に行く舟から見ると北に行くように見え、南に行く舟から見ると南に行くように見える。一つのこともそれぞれに異なって受け取ることができ、いろいろな見方をすることができることのたとえとして使われている。

         

「アメリカとアフリカ」                   2008/11/09の紙面より

 

 史上最大の奴隷使用国、言い換えればそれは史上最大の人権無視大国であったアメリカ。そのアメリカがアフリカの血を引き、アジアの小学校で育ち、アメリカの最高の大学で学び、多様な文化と宗教に接してきたオバマ大統領の誕生により、アフリカとの心理的距離感を一挙に縮めることになれば、それは世界の新秩序創成に大きく寄与し、当然ながら日本の外交にも大きな影響をもたらすことになるだろう。

 私もかってはロンドン、パリ勤務時代に、欧州、中近東諸国とともにアフリカを担当し、ケニア、エジプト、エチオピア、ウガンダ、タンザニア、そして最近ではモロッコ、南アフリカなどの国々を訪問してきた。

 南アフリカのケープ・タウンはアフリカ最南端の地の果て、インド洋と大西洋が出会う、世界中の海岸線の中で最もすばらしいケープ(岬)と言われる。

 地の果てという言い方は北半球の先進国のパリ、ロンドン、ニューヨークから見るからで、逆にケープ・タウンから見れば日本などは地の果てということになろうか。

 

日本の民主主義支えた教育

 

 モロッコの、フェズとならぶ古都の一つ、マラケシュで開催された「自由主義インター」の大会にも三泊四日で出席した。

 討議テーマは「民主主義と経済開発」。国の規模により、また開発段階の違いによって、それぞれの参加国の意見が違ってくるのは当然のことである。

 民主主義と経済開発をどのように均衡させ、維持発展させることができるのか。共産主義や社会主義の国では、必ずしも民主的とは言えない経済発展計画を進めざるを得ない時期があり、逆に急激な経済開発の結果が富の集中や格差の拡大をもたらし、民主化プログラムを後退させてしまった国もある。

 その点、戦後の日本が民主化と経済再建を並行して順調に進めることができた最大の理由は、国民の高い識字率にも象徴される、平均して高度な教育水準とそれをもたらした教育システムにあると思う。

 日本の高い教育水準の存在が戦後の天皇制から民主主義国家への大変革を混乱なく受けいれ、資源がほとんどないという障害を乗り越えて、世界の驚異と評された経済発展を可能にしたと言えるのではないか。

 教育が民主主義の発展・維持を可能にし、その民主主義という全員参加・全員平等受益型政治が経済開発の継続を保障し、その成果として生ずる財政力が教育を支えることにまたつながっていく。

 今年の五月に日本の横浜市で開催された第四回TICAD (アフリカ開発会議)総会には五十一力国という「予想以上」の国からの首脳が出席し、日本の「期待以上」の具体的、積極的なアフリカ支援が表明され、開催地としての面目を保つことができたことを率直に喜びたい。

 

アフリカの政治的未発達

 

 アフリカは各種の未開発の資源を保有し、国運総会の中で四分の一を占める五十三票という大きな票田を持つ一方、地球温暖化の影響を最も大きく受けて飢餓などに苦しんでいるのが現状である。そのアフリカとどのように取り組むかは、先進国にとって最重要な経済・外交戦略になる。

 アフリカは人類発祥の地とされながら、長い間「暗黒の大陸」という表現をされてきた。十七世紀以降ヨーロッパ人がアフリカに進出し、地理に関して無知という「暗黒」に加え、文化の違いに基づく「野蛮」というイメージが加わったからである。奴隷貿易を正当化するためには 「アフリカ人は野蛮である」必要もあったのだ。

 そのアフリカに、皮肉なことに地球の危機とともに暗黒から開放される希望の曙光が見え出している。

 しかし、アフリカの各国が抱えている問題は多く、根も深い。最大の問題は政治的未発達にある。

 だからこそ、世界最大の経済大国アメリカが、従来のベルリンの壁ならぬ「偏見の壁」崩壊を機にアフリカ諸国との接近を進めることは、世界が抱える貧困、格差、健康、環境、教育、エネルギーなどの問題の解決に大きな希望を与えることになるのはまちがいない。

 

暗黒から希望の大陸へ

 

  アフリカの現状はどうか。 ケニア、南アフリカなどの国でも強権的独裁の被害や、選挙制度、議会と政府のおり方をめぐる対立激化の報道が目立って多くなってきている。

 暗黒の大陸が希望の大陸、太陽の大陸と呼ばれる日までの道は遠い。

 しかし、その日は必ずやって来る。そのためにも、先進国と呼ばれる国が何を出来るのか、何をすべきなのか、注目し続け、日本もしっかりとその責任を果たしていかなければならない。

 アメリカが動くから日本も動く…、アメリカの言う通りに行動すればまちがいない…そういう時代は終っている。

 オバマ新大統領の世界政策、アフリカ諸国との協調体制づくりに期待し、注目しながらも、日本のプレゼンス(存在感)をどのように構築していくか、これから問われてくるのは日本の外交的発想と発信能力である。

 

 (衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「国債地獄」                       2008/10/19の紙面より

 

 国債発行残高は本年六月末で六百八十五兆円あり、国債の利払費は、二〇〇七年度は八・六兆円、二〇〇八年度は九・三兆円である。

 今は超低金利のゼロ金利政策が継続されているからこそ国債の年間利払額が十兆円前後で済んでいるが、これが通常の金利に復帰すると、利払費は増え、借金残高が増え、借金地獄への転落スピードが加速する。

 

雪だるま国債

 

 財務省の試算では、税収等と歳出の差額を新規国債の発行額とするが、二〇一二年度以降、すべての年についての国債発行額を、二〇一一年度の三十二・三兆円と仮定して試算している。この試算によると、二〇一一年度に六百兆円を突破した公債(国債)発行残高は、二〇一五年度に七百兆円台、二〇二十年度に八百兆円台になってしまう。また、年間の利払い費は、二〇一七年度に十五兆円を突破する。

 また、この試算は、金利を二・〇%という前提にしているが、昨今の金融危機の状況からすると金利は低下することが見込まれる一方、さらなる国債発行額の増加が想定される。

 増税は新たな増税を産み、国債発行は新たな国債発行をもたらす。

 私の持論であるが、国債を紙幣発行に変えて十兆円の利払い負担を軽減すれば、財政再建、社会保障充実にも使える貴重な「新財源」となる。「雪だるま国債」の「利払い地獄」から脱出するための唯一の方法である。

 国境を越える通貨「ユーロ」が誕生して「多国一通貨」が実現し、いわゆる「一国一通貨制」を絶対普遍の法則と思い込む必要はないし、中央銀行だけが紙幣発行を独占できるというのは錯覚でしかない。

 加えて二十一世紀のグローバル現象である。人間に国籍はあってもカネには国籍のない時代がやってきた。日本の資産家の運用対象も、政府が勧めようと勧めまいと、円証券だけでなく、ドル、ポンド、ユーロの証券にも向かい、「資産の多通貨時代」がすでに始まっている。

 

利払い地獄から脱出

 

 政府の立場で考えるなら、国債という「借金」ではなく政府自身の通貨を発行すること。攻める財政をさらに一歩進めるなら、現存する国債を政府紙幣で買入消却して利払負担を削減すること。仮に十兆円減らせば、消費税引上げなしに逆に減税に使うか、その十兆円を年金財源に充当するか、少子化対策に使うか、道路公団の借金を返済して、四十五年後ではなく、四年後に高速道路無料化を実現して経済の活性化と税収増加に結びつけることもできる。

 このように、政府通貨発行で十分な財源を確保すれば景気の回復は間違いない。景気回復が税収増をもたらせば、増税内閣どころか、国民待望の減税内閣が実現する。

 政府だからこそできる、政府だからこそやらねばならないことをやらない、そういう無為無策、無能無気力の政府には三文の価値もない。

 新しい通貨の発行は景気の過熱やインフレを招くのではないかと懸念する人があるかも知れないが、政府通貨も国債もその発行限度は国会などで厳しく審議されなければならない点で政府の直接のコントロール下にあるという点で共通しており、国債発行なら安心、政府紙幣発行ならインフレという議論には全く根拠がない。

 金利ゼロで銀行などに大量の資金を供給する超金融緩和策を何年も続けている異常な金融政策の最大の理由は、国債の受け皿を作ることだった。日銀が全額買い受けることは禁止されているために、民間の金融機関にコスト・ゼロでカネを提供して国債で収益を挙げさせる…、これは偽装された日銀引き受けではないか。

 

ゼロ金利政策が犯した罪

 

 しかも、ゼロ金利政策により、海外の投資家・機関が、国際的に低金利の円を借入れて運用し、利益をあげる「円キャリー取引」を行ったため、円が海外に流出した。日本のマネーは、米国に行って、出たきりで帰ってこない。米国ではよく働き、それで、米国を元気にした一方、サブプライム問題では米国のマネーと一緒になって問題を大きくした。

 米国の株価が急落すれば、日本の金融機関は円キャリー取引の清算に失敗した海外の投資家・機関の不良債権を抱えこむことになり、日本経済にも重要な影響を及ぼす。また、日本の金利が上昇したり、円高が進行した場合、円キャリー取引を継続していると為替差損が拡大するリスクが高まるため、早めに円を買い戻す動きが出ることで円高が加速されることが懸念され、円キャリー取引の問題は日本銀行の金融政策の新たな制約要因となっている。

 国家ぐるみの偽装や粉飾から一日も早く脱却し、誇り高き経済国家への道を進むべきではないか。

 

 (衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「今こそ政経手術」                   2008/10/12の紙面より

 

 米国発の金融危機は、欧州などの世界経済にも波及しており、輸出関連産業の業績悪化懸念が高まり、日本の株式市場は一年間に五〇%という世界最大の急落に見舞われて、景気の先行き不安が一挙に高まっている。

 株価下落を喜ぶ人は誰もいない。いないどころか、株価の下落は株式を所有する企業、銀行、投資家のみならず、年金、保険などの一般国民の安心を奪い、不況による雇用削減で若い人の職場を奪い、「暮らしの大量破壊兵器」となってしまう。

 この未だかつてない強力な大量破壊兵器から日本経済と国民生活を守るための方策は、どの教科書にも見つけることはできない。

 異常な事態には異常な発想が必要だ。

 日本の経済と国民生活を守るためには、政治と経済の仕組みを変える、発想の大転換が必要ではないか。政治を変える、経済も変える、「日本の政経手術」である。

 世界的な金融と経済の混乱の中で、構造的改革を伴う八項目の緊急経済対策を提言したい。

 一 転換国債発行

 二 企業の自社株買い

 三 政府紙幣発行

 四 高速道路無料化

 五 第二次農地開放

 六 「消えない年金」

 七 食料品減税

 八 軽老ではなく「敬老の時代」を

 

転換国債発行

 

 政府が保証し、国民が買い手となる価格保険付き転換国債を政府が発行する。

 言いかえれば、日本株式会社による自社株購入であり、アメリカ政府の不良債権買上げではなく、日本政府は優良株式の買上げで株式市場の安定化を図り、株価の下落を防ぐことで金融機関の経営劣化を防止する。

 政府が東証第一部上場株式時価総額三百兆円の十%を市場から買い上げるという構想を発表するだけで、株式市場の売り注文は止まる。

株式を買い上げ、保有する資金に税金は使わない。国債三十兆円を発行して、銀行一年定期を上回る年利一%を支払い、一般国民から募集する。「国民的資金」の動員である。

 一%の利払いは、買い付けた組入株式の配当利回り二・五%を原資とする。期間は十年。期中、いつでも組み入れ株式を対象とした投資信託に転換でき、値上がり益を享受できる

。 超慎重派の投資家も参加しやすいように、五年後に一回だけ行使できる「額面償還請求権」というオプションを付けた、価格保険付き転換国債である。

 三十兆円の転換国債による株式買い上げは、即効性のある株式市場対策として、そして景気対策として、更にはカネの失業対策として、一石三鳥ではないだろうか。

 

自社株買い

 

 株価を安定させる効果をもたせるため、国会で法改正を行ない、自社株買いが認められるようになった。二十年前のアメリカのブラックマンデーの時に効果を発揮したように、経営状況や株式の価値を最もよく知っているはずの発行会社自身による自社株買いは、政府や金融機関のアクションよりも、株式市場を覆う不安を解消する効果がある。

 現在のように、日本企業が依って立つ資本主義の基盤を壊しかねない不安と動揺のときにこそ、各企業に自社株購入を要請すべきである。

 

政府紙幣発行

 

 十兆円の利払い負担を軽減すれば財政再建、社会保障充実にも使える貴重な「新財源」となる。「雪だるま国債」の「利払い地獄」から脱出するための唯一の方法である。

 政府による紙幣直接発行はインフレを引き起こす危険性もあるという、否定的な意見もあるが、もともと国債と同じく発行額は国会の直接・間接のコントロール下にあるので、そのリスクを回避することは可能である。

 以下、高速道路無料化、年金改革、農業改革、農地国有化などについては本欄で度々紹介してきたので省略し、新たな提言として食品減税について説明したい。

 

食料品減税

 

 年初、アメリカでも日本と同様に株価が十%下落したが、ブッシュ政権は景気悪化と不安心理を防ぐために、間髪を入れず一六兆円の減税を発表し、超党派で三週間後に立法化させた。

 一定の税収の維持と、国民生活の現状の比較衡量の観点から、減税にあたっては、食料品のような生活必需品を優先的に軽減すべきではないか。

 麻生総理と中川財務大臣の全額消費税型年金私案や与謝野経済担当大臣の発言からも、消費税増税は将来的には不可避と考えるべきであろう、しかし食品については別途検討することが可能であり、必要でもある。

 例えば、イギリスでは、標準税率一七・五%に対し、食料品は〇%、フランスではそれぞれ、一九・六%に対し七%である。税金が高いことで知られるスウェーデンでは、二五%に対し、一二%である。

 生活不安が高まり、中小企業の売上減少、倒産など環境がますます悪化している今こそ、消費税の逆進性を緩和する軽減税率を、前倒しで先行実施すべきではないか。

 食品関係の支出は、全体消費の二十%程度だから、消費税率5%の場合は二兆五千億円の減税、平均的な標準家庭では四万円強の減税となる。

 

軽老ではなく「敬老の時代」を

 

 七七歳の喜寿には、喜寿のお祝いを「喜寿」褒章として、医療保険料を無料化する。

 ゼロ金利政策という名目で金利を丸ごと奪いとる百%の強制的天引き税が十年間に亘り課せられてきた。

 平均して高齢者の預金一千万円から徴収された金利三十六万円の十年分、三六〇万円は、七五歳から百歳までの二十五年間の医療保険料の前払いに相当する。これは、ゼロ金利政策の結果、若い世代の勤める企業への支援金として、既に強制的に預金利子から天引きされてしまっている。

 それを今、青壮年世代が「ありがとう」と言ってお返しする。

 子育て支援や高齢者対応に関しては、金融や税制での制度的な対応が必要だ。私の持論は「子宝政策」「親宝政策」。

 「子宝政策」は若い世代が新築、畸曄改築、移転をしやすいように、子供の数に応じて、子供一人に対して一%、二人になれば二%と、子供の数に合せて金利補助を住宅ローンに付ける。

「親宝政策」は、親は宝だと思えるように、六五歳以上の高齢者が同居できるように増・改築、新築する場合、住宅ローンの支払金利のうち三%を補助する。住宅建設、住宅購入を支援することで景気対策を兼ねることにもなる。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「生活守る転換国債」                   2008/10/05の紙面より

 

 「夢さめて そこらあたりを 探して見」(誹風柳多留)

 バブルという夢がはじけ、八年間で株式の時価総額が五百兆円、土地が七百兆円、合わせて千二百兆円ほどが吹っとんだという。千二百兆円といえば、三年前の阪神大震災の被害額の推計が四兆円と言われているから三百回の大震災、八年間毎週一回阪神大震災に襲われたぐらいの強烈さである。

 別な表現を使えば、日本人一人ひとりが一年間に稼ぎ出す額のグロス(GDP)のほぼ二年分以上が泡となって消えたのだから、そこらあたりを探してみたくなるのも当然であろう。

 しかも、いまだに株価、地価の下落には歯止めがかからず、資産悪化から金融機関に対する信用不安が流れ、それがさらに株価、地価を下押しするという悪循環に陥っている。

 先週の日経平均株価はバブル後の最安値を更新し、最高値三八、九一五円のちょうど三分の一。この間、アメリカの株価は四倍。四倍と三分の一で差し引き日米は十二倍の差に広がってしまった。

 何が違ったのか。

 政策が違ったのである。アメリカは減税と経済改革で若返り。日本は増税と既得権保護で老化を早めている。

 政策を違えただけではない。それを修正する判断もタイミングも間違えて、景気が後退しているのに緩やかに回復していると「大本営発表」を繰り返した橋本ゴテゴテ(後手後手)政権が、その傷を更に深くしてしまった。

 現在、最も必要な不況対策は、資産のデフレ・スパイラルを止めること、それによって銀行の貸し渋りなどの信用収縮を止めることである。

 これは丁度十年前の十月に、私が本欄で訴えたことである。

 

十年前の再現を防止

 

 それから十年、アメリカの株価は十年間に一・六倍を経て一・一倍、日本の株価は一・三倍を経て〇・七倍にと、その差は依然として開いたままである。

 世界的な金融と経済の混乱が続く中で、その原因はアメリカにありと、傍観者の立場をとるのではなく、ゼロ金利政策という日本の過剰な企業保護政策の結果として、アメリカのサブプライムの原資を国境を越えて提供してしまった言わば共犯者としての責任も自覚して、日本は日本の市場を守るための英知を発動しなければならない。

 まず第一の提案が、政府が発行し、政府が保証し、国民が買い手となる保険付き転換国債である。

 株価の低落は、富裕層のみならず多くの投資家の資産を減らし、年金運用損が年金保険料の引き上げや、年金支給額の引き下げとなったり、若い人の職場が減って深刻な社会問題を引き起こすことになり、すべての国民に被害が拡散してゆくことは自明の理である。

 

株価暴落は大量破壊兵器

 

 株価の大幅な下落は、言わば国民生活の大量破壊兵器そのものである。

 大量破壊兵器を破壊する力は国民の一人ひとりにはなく、これだけは政府にしかできないことであり、政府が日本経済を守り、国民生活を守る固い決意で、責任をとり、リスクをとって行動すべきことである。

 言いかえれば、日本株式会社による自社株購入であり、アメリカ政府の不良債権七十兆円買上げではなく、日本は優良株式の買上げである。

 政府が株式の十%を市場から買い上げるという構想を発表するだけで、株式市場の売り注文は止まる。

 転換国債の募集が始まり、市場から買付けが始まり、その株式は株式保有機構に十年間凍結する。株式市場の景色は一変し、高水準にあるカラ売りの踏み上げ(買い戻し)エネルギーを巻きこんで日経ダウは二万円を目ざすだろう。ダウ二万円が日本株式会社の額面と考えてよい。長かった日本経済の額面割れ状態がようやく解消することになる。

 

一石三鳥の転換国債

 

 株式を買い上げ、保有する資金に税金は使わない。国債三十兆円を発行して、銀行一年定期を上回る年利一%を支払い、一般国民から募集する。税金をカムフラージュした公的資金などというものではなく「国民的資金」の動員である。

 一%の利払いは、買い付けた組入株式の配当利回り二・五%を原資とする。期間は十年。期中、株式の値上がりがあれば、いつでも組み入れ株式を対象とした投資信託に転換でき、値上がり益を享受できる。

 超慎重派の投資家もいるだろうから、五年後に一回だけ行使できる「額面償還請求権」というオプションを付ける。つまり、保険付き転換国債である。

 前例はあるか。

 東芝がオイル・ダラーを対象に一九七五年に世界で初めて欧州及びアラブで発行し大成功をおさめて、ハーバード・ビジネス・スクールの教材にも使用された「オプション付き転換社債」三千万ドルがある。日本のかなりの企業が続いて発行している。

 目先の業績見通しは暗い、しかし五年先の見通しには自信がある…、つまり、「全治三年」と総理自身が予測する今の日本経済の置かれているような環境に最適の証券発行が、保険付き転換国債なのである。

三十兆円の転換国債による株式買い上げは、即効性のある株式市場対策として、そして景気対策として、更にはカネの失業対策として、一石三鳥ではないだろうか。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「環境は山西(シャン シー)に学べ」           2008/09/30の紙面より

 

 六月に北京の南西にある山西省を初めて訪ねた。中国との交流に熱心なNPO法人「名館会」の澤登氏、中平氏、真辺氏たちの勧めで、省都太原市、世界遺産の平遥古城、仏教・道教・儒教などの古寺・遺跡の多い綿山を視察し、山西省幹部との交流を深め、四泊五日の旅を終えて帰国した。

 

石炭採掘で汚染深刻

 

 山西省の人口は約三千三百万人、省の広さは日本の40%に相当し、中国地方・四国・九州を合わせた面積よりも大きく、人口・面積とも鳥取県の約五十倍。気候は日本に似て、春夏秋冬の季節の変化があることも農業が発展してきた理由だろう。

 よく知られている三国志の英雄・関羽や刀削麺の故郷、浄土宗・京劇・囲碁の発祥の地であり、二つの世界文化遺産「雲崗石窟」と「平遥古城」を持つなど、中国の地上遺跡の70%が山西省にあるといわれるほど遺跡の宝庫でもある。中国四大美女のうち、楊貴妃と貂嬋の二人が山西省の出身であることはあまり知られていない。

 温和、誠実で知られる山西商人は、明代には北辺防衛にかかわり、米穀商と塩商を兼ねて巨利を得た。さらにその資金をもとに金融業にも進出し、活動範囲を全国に拡大して経済界を支配し、清代には為替・両替・貨幣鋳造の経営など金融業を主とし、その富で官界への影響力を増大していった。

 一九四〇年、八路軍が山西省を本拠として展開した「百団大戦」は、日中戦争の歴史にも有名である。

 現在の山西省は、石炭の海に浮かんでいると形容されるほどに石炭の産地として名高い。中国の急速な経済開発はそのエネルギー源の三分の二を山西省の石炭に依存し、石炭産業は省の基幹産業となっているが、原始的な露天掘りとコークス化が省内各地で行われた結果、深刻な大気汚染を惹き起こしている。

 

環境ワースト・ワン

 

 訪問中のある会合で紹介された女子小学生の手紙には、胸をうたれた。「教科書には月や星のことが書いてあります。私は夜空に月も星も見たことがありません。お母さんに、月と星の見えるところへ引っ越して下さいとお願いしています」

 環境問題に権威のある機関が近年相次いで発表した結果は、中国の政治責任者に大きな衝撃を与えた。

 世界銀行、米国のフォーブズ誌、米国のブラック・スミス研究所などによれば、山西省臨汾(リンフェン)市は世界のワースト・ワンである。

 中国政府も座視しているわけではない。全国百十三都市を環境保護の重点都市として指定し、大気汚染総合処理と都市環境の改善に全力を挙げることになった。

 ワースト・テンのうち五カ所を占めることになった山西省の環境緊張度は急上昇した。環境悪化で住民の健康にも被害が広がっているばかりか、石炭産業と双璧をなす伝統的な山西省の農業が、石炭掘りの結果として地下水が減少し、水不足から農業危機を招いているからだ。

 かつて毛沢東は、「工業は大慶に学べ、農業は大寨に学べ」と全国に号令し、山西省大寨は農業振興の模範都市だったが、今やその農業が昔日の面影を失おうとしている。

 そこへ地球温暖化に伴う食糧危機が新しい課題に急浮上し、山西省は環境、エネルギー、農業という三大課題を同時に解決しなければならなくなった。

 十日前に赴任したばかりの李鵬元首相の二世・李小鵬副省長、そして韓和平外事弁公室主任との会談を終えて省庁を去ろうとするとき、コンピューターがずらっと並んだ部屋に気づいた。劉環境保護局長に説明を求めたところ、そこでは八億元(百三十億円)をかけて完成した全天候型二十四時間汚染源自動監視・抑制システムが使われていた。

 従来の「監視だけで抑制しない」という局面を変えて、すべての工業汚染企業に対する即時、かつ直接的な抑制が実施されているのは世界で山西省だけではないか。

 山西省の必死の努力の結果、臨汾市はようやくワースト・ワンを脱出できる見通しをつかめたという。

 

日中共同でセンターを

 

 山西省の石炭は日本の商社、電力会社にとっても重要であり、同様にアジア地域の環境と農業推進もこれまた日本にも重要。言わば、エネルギー・環境・農業において、中国、とりわけ山西省と日本は運命共同体として認識し合うことが必要だ。

 そこで私の提案は、山西省に環境保全研究センターを日中共同で設置し、アジア全域の青年たちに、エネルギー、環境、農業について考え、研究・訓練し、その成果をそれぞれの国に持ち帰り、地球温暖化対策に、そして世界の食糧問題解決に役立たせる調査、研究、学習、訓練センターとしてはどうだろうか。

 衆議院環境委員会の与野党理事が沖縄視察に出かけた時の懇談会で、山西省の環境ワーストの話をしたところ、「ベストから学ばず、世界のワーストから学ぶという発想がおもしろい、総理に説明に行こうじゃないか」と小島委員長はじめ賛意を示していただき、大いに意を強くした。

 日本の出番。環境は山西省に学ぼうではないか、アジアの次の世代のために。

 そしていつか、山西省の子供たちが星空を見られるように。

 

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「麻生政権を祝う」                   2008/09/21の紙面より

 

 自民党総裁選投票は明日だが、麻生太郎氏の当選がすでに決定したかのように報道され、総裁選も終幕を迎えつつある。

麻生自民党総裁の誕生と麻生政権の発足を率直にお祝いしたい。

私が麻生自民党に感謝し、お祝いしたい理由は多くあるが、ここでは特に二つを挙げておきたい。

 

丸ごとそっくり模倣

 

 その一つは、総裁選の主役として、自民党の保守的閉鎖的体質の健在ぶりを、国民に分かりやすく理解させて下さったこと。

 もう一つは、個人的なことではあるが、私が月刊「中央公論」誌平成十六年八月号に発表した抜本的な新型年金制度を、ほぼ百パーセント忠実に模倣して、四年遅れでご丁寧にも同じ「中央公論」誌平成二十年三月号に、国民の福祉のためにと、党派をこえて自民党議員私案として掲載して下さったことである。このような知性と勇気ある政治家はまれである。

 類似点を挙げるならば、

 消費税を年金目的税として百%充当する点、

 年金保険料を廃止して無料とする点、

 減税つき増税として消費税を段階的に10%とする点、

 二階部分の企業負担を無くす点、

などなど、少なくとも発表当時、他のマスコミや国会議員の提案にはなかった独創的な「消えない年金、消せない年金、盗られない年金」の提案を、丸ごとそっくりパックリ模倣していただいた。

「模倣は最大の称賛である」(Imitation is the best form of flattery)というイギリスの古いことわざがある。

 私が一九七六年に東芝のアラブ市場第一号の長期十五年ドル建転換社債発行の時に考案した期中五年後の償還請求権付きという特典は、転換社債に全く接したことのないオイル・ダラー投資家の不安をとり除き、わずか三十分で売り切れるという爆発的な反響を巻き起こした。

 当然のことながらそれをまねたい銀行、引受証券会社が次々と現れた。大和証券は私のところに丁重にあいさつされ、こういうすばらしい発想をぜひ他の企業の資金調達にも応用させて頂きたいということで、私は多くの日本企業にお役に立つのであればどうぞと快く承諾した。

 

認定保育所も樹医も

 

 野村証券はじめ、他の銀行は、特許登録されていないのだから無断借用してもいいだろうという理解で、私がそれを知って不愉快な表情をしたのだろうか、新型第一号に率先して協力を申し出たロンドンの名門銀行フレミング社のモレル常務が教えてくれたのが、「模倣は最大のフラッタリングである」ということわざだった。フラッタリングというのは「おべっか」、「お世辞」、「ほめ言葉」という意味である。

 そういうことを聞いていたから、私は麻生さんと中央公論新社にはあえて抗議はしなかった。

出雲市長時代には、「認可保育所」に加えて、新しい保育制度に使用した「認定保育所」というネーミングを、それから十五年して東京都が無断で使用したときも、異を唱えず、「樹医制度」を創設して二年後に林野庁が「樹木医」と改称して全国展開をしたいとの申し出を受けたときも、むしろ名誉なことと快く承諾した。

 出雲市の「環境探偵団」をそのまま島根県が同名で利用したときも、自民党がICを利用した住民のための「総合福祉カード」を年金制度に応用せよという私の持論を抵抗なくそのまま無断模倣して「社会保障電子通帳(カード)」に利用しようとしていても、私は一切抗議していない。

 

政策「盗用」か「登用」か

 

 ただ麻生議員の年金試案は、掲載の前に同じ議員同士として、出版社を通してでも、「盗作」かどうかの検証ぐらいはしてほしかったと思う。そうでなければ、新政権による人材「登用」はともかく、 政策「盗用」がこれからも続くことを懸念しなければならないからだ。

 自民党がどういう政党であるかを総裁選という舞台の上で国民に分かりやすく説明していただいたこと、そして第二に、国民福祉のためには他党議員の提案でも自分の提案に偽装することをいとわずに発表していただいたこと、それはいずれも日本の有権者の政治認識を改革する上で、あるいは日本の社会保障制度を改革する上で、大きな影響をもたらすことだろう。

 そういう意味で麻生さんには感謝し、お祝いを申しあげたい。

 

 

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「自民党は悪くない」                   2008/09/07の紙面より

 

 自民党は決して悪い政党ではない。私は米国で十年、欧州で十年、日本の経済と政治を日本の外から観察し、米・英・仏など先進国の政治を間近に見てきたからこそ分かる。

 

失敗と心配の連続

 

 自民党は決して悪くない。ただ、六十年も政権の座に安住し続け、そのために知恵が出ない、汗は出さない、人の苦しみは分らない、それこそが問題なのだ。

 行政改革でムダを減らし、経済を活性化すると言った自民党が成功した行革はあっただろうか。規制緩和、例えばタクシーの規制緩和の例をとっても、結果はどうだったか。運転手の収入は減り、経営者の利益は減り、利用客の負担は増え、「一石三懲」の大失敗。郵政民営化も失敗の方向へ。失敗の次には年金の心配、食糧の心配がある。二つの「失敗」、二つの「心配」。失敗の次に心配あり、心配の次に失敗あり。

 福田総理の突然の辞任に、世界はあきれ、国民はびっくり。町行く人たちは「放り投げ」「投げ出し」「プッツン」などと批判的だが、自民党が自民党を選んだのではなく、自民党を選んだのは国民である。

 

「背水」の陣、実は背任か

 

 「自民党は決して悪くない」「悪いのは福田さん」と、辞任発表の翌朝には自民党国会議員が早くも駅頭で叫んでいた。

 その通り。自民党は決して悪くない。ただ、国際感覚の完全欠落が問題だ。

 世界主要国G8の議長は今年いっぱい日本の総理が務める。温暖化、食糧危機、エネルギーなどの難問に立ち向かうG8議長の責任も放り出したことになるが、自民党議員の誰一人としてこれを反省する声がないのも異常な政治家集団だ。

 忘れているのは国際社会や経済悪化への責任ばかりではない。

 「拉致問題は自分の手で解決」と決意を語った福田さん。公約は「口約」にしか過ぎなかったと今ごろになって気がついても遅すぎる。

 北朝鮮はすばやく動き、新しい政権の姿勢を見極めてからという理由で、約束した拉致再調査委員会の発足はたちまち延期、先延ばしとなった。

 「背水の陣内閣と名付けたい」と語った総理が、防衛省の疑惑、年金の混乱、医療制度の誤算、規制緩和の失敗など燎原(りょうげん)の火のごとく次々に広がる失敗と不安を前に敵前逃亡。「背水」の陣内閣とは「背任」の陣のことだったと今ごろ気がついても遅い。私たち国民が自民党に「お任せ」した以上、悪いのは国民と法律であって、これも憲法違反に問われることもない。

 民意を問うた前回の総選挙から、三年の間に四人目の総理が今月誕生する。出生率最低の日本が、総理の出生率では六十年間に二十六人と世界一。ご存命中の国家指導者経験者を比較しても英国三人、フランス三人、カナダ六人、中国一人、米国四人、ロシア・ソ連三人、ドイツ三人に対して日本は九人。元プライム・ミニスターだけで豪華な野球チームが結成できるのは、世界広しと言えども日本だけだろう。

 一回の選挙で四つの内閣。国民の一票で四人の総理。ひと粒で四度おいしい、一度食べたらその味が忘れられない、世界で最も価値ある、生産性の高い一票となっていることを喜んでいいのかどうか。

 

「休暇」が必要ではないか

 

 自民党は決して悪くない。国民がいつまでも政権をお任せし、働かせ続けるから、勉強する暇がなくて、野党の目線で国民の暮らしを直視する目と、苦しむ人の声を聞く耳を忘れているだけのこと。

 労働三法を守れ、過重労働禁止を叫びながら、一方では自民党に有給休暇を与えようともしない、そういう私たち国民にこそ責任があることを率直に反省しなければならない。

 

自民党は決して悪くない

 

 自民党が、目を覚まし、耳をとり戻して、再び、「自由」を尊重し、「民主」の原点を守る「自由民主党」に脱皮するためには、国民のための政策を生み出し、人材を育てる、「育児休暇」が自民党にも必要ではないか。

 アジアで政権交代がないのは中国と北朝鮮と日本だけ。なぜ日本は北朝鮮と同じなのか、もうそろそろそれを不思議に思う人が誰か出てくるのではないかと私が思い始めてから二十年が経過した。

 金正日様を、いや、自民党様をいつまでお守り申し続けていくのか。何回投票所へ通い続ければ、日本は北朝鮮とは違うということを証明できるのか。

 自民党がよい政党になれば、日本の政治に「輝き」と「ときめき」をとり戻すことができるだろう。

 問題は国民であり、有権者だ。

 日本の国民には自民党に有給休暇を差し上げる、その雅量があるかどうか、その決断の日が迫っている。

 

 

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「危ない東京」                       2008/08/31の紙面より

 

 東京には政治、行政、経済の中枢機能が集中し、ニューヨークとワシントンを合わせたような巨大都市を形成している。

 しかし、ビッグ・イズ・ビューティフルなどと喜んではいられない。東京が潰れれば日本はおしまいだ。まさか戦争はないだろうが、天災は忘れたころにやってくる。そのときどうするか。日本の巨大な心臓であり、頭脳であり、胃袋であり肺である。

 そのどこに危険部所があるか。

 

日本のアキレス腱

 

 東京は日本のアキレス腱なのである。何が危ないか。

 まずカネが、都庁が危ない。

 二〇〇五年四月に石原都知事の選挙公約の一つとして誕生したのが「新銀行東京」だった。

しかし、日本一の税収を誇る東京都がうしろに控えていれば失敗するはずがない…という選挙目当ての公約が大失敗。営業開始から三年、九百営業日で九百億円の赤字になっている。

 毎日開店するたびに一億円の大赤字。赤字を出すために三年間せっせと開店し続けた銀行は世界にも例がない。

 「銀行は全くデタラメだよ。本当にデタラメなんだ」という五年前の都知事の言。本当にデタラメだったのは誰か。

 世界の自治体に例のないことである。このような都庁を守る意味があるかどうかは都民がいずれ判断するだろうが、首都のこのような現状を政府や議会が黙認している姿勢もだらしがない。 千億円に達した損失は都民の安全強化にこそ使うべきだった。

 

都民の生命と財産

 

 都庁も危ないが都民の生命と財産をどのように守るのか。

 東京が被災すれば、日本だけでなく、世界経済に大きな影響を与える。地震・防災対策は国民の命の問題に加え、世界経済の命の問題だという認識を持ち、有効に税金を使ってもらいたい。

 東京という日本最大の地方自治体の行政が変わらなかったら、日本の改革はないという思いに駆られて、私は出雲市長を辞任し、その春四月の東京都知事選に出馬する決意をした。世界の四大都市と言われるニューヨーク、パリ、ロンドン、東京に生活し、勤務してきた経験を東京の都市経営に活かしたいと思ったからだった。

 阪神大震災のような直下型の地震が起きたら、東京はひとたまりもない。関東ローム層という火山灰でできた液状化しやすい土地に建てられた高層ビル群、ウォーターフロントのゼロ・メートル地帯、首都高速道路網、地下商店街、そして地下鉄網、密集した住宅街。多くの危険が潜んでいる。

 災害時に世界中から駆けつける救急隊の受け容れをどうするか。到着しても夜の空港がない。一日も早く羽田空港を二十四時間利用できるようにした上で、成田や横田基地を加えた三空港一体で空のセーフティ・ネットを整備すべきである。羽田の二十四時間国際空港化には、経済を活性化する、遠距離や海外から新鮮な農産物などを夜間に運び込んで物価の安定に役立てる、などという効果のほかに、このように防災上の重要な意義がある。

 

地下高速道路建設を

 

 また、防災のためには空港という「点」だけでなく、救援隊、救援物資を運ぶ「線」が必要になる。地上よりも地下の方が耐震性に優れていることから、高速道路と地下鉄を環状8号や環状7号の直下に整備すれば、地上交通網が寸断されても救助隊や救援物資を運ぶ命の道「ライフ・ライナー」として活用できる。

 家屋移転の必要もないし、国有地の地下だから買収費や立ち退き補償金もいらない。羽田から品川区、世田谷区、杉並区、練馬区、文京区、足立区などを結ぶ「エイト・ライナー」とか「メトロ・セブン」という地下鉄建設計画は十五年前に推進協議会という「予算づけ」ならぬ「格好づけ」をしただけで、一メートルも建設されていない。直ちに地下高速道路建設に切りかえるべきである。

 出雲市が、NTTデータの技術協力を得て一九九〇年に発行したようなICカードの活用も重要だ。国民がお守り代わりに持っていれば、災害時にどこにいるか、家族同士が安否を確認できるシステムを構築できる。障害者、お年寄りなど希望者にはセンサー付きのカードを発行すれば、建物が倒壊し生き埋めになっても、迅速な救命活動が可能となり、人命救助の確率が高まる。また、カードに血液型などの情報を事前登録すれば、輸血など治療が効率的になる。

 いわゆる首都機能移転論議がピークに達していた頃、私は衆議院の特別委員会で質問に立ち、反対論を述べた。危ないから国会を、危ないから官庁をというのはおかしい。国会議員や役人が安全地帯へ先に移って仕事をするのは結構なことかも知れないが非安全地帯には誰が残っているのか、働く人であり、納税者であり、東京を支えている人ではないか。こういう委員会ならムダの象徴、ただちに委員会そのものを廃止すべきだ述べて私の議論は終わった。

 十一年前の六月十日だった。

 住民に安心を与える最大の防災対策、「安全こそ最大の福祉」ではないか。

 

 

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「「敗戦」か「終戦」か」                  2008/08/17の紙面より

 

 八月十五日は終戦記念日と呼ばれ、敗戦記念日と呼ぶ人はいない。 終戦と敗戦はどう違うのか。

 

8月15日は敗戦の日

 

 戦勝国でない以上、日本は敗戦国である。何の条件もつけず無条件で降伏した以上、これ程に明々白々たる敗戦はない。例え字面が悪かろうと、語感が気に入らなかろうと、八月十五日は敗戦の日である。そのように呼ぶことはつらいことではあるが、私たちはその歴史的事実を拒否するわけにはいかない。

 歴代の総理は国会では終戦と言ったのか、敗戦と言ったのか、国会の会議録の検証を国会図書館と宮内庁に求めたところ、発言回数が多い総理は以下であった。

 

 

終戦

敗戦

吉田 茂

五〇

三七

片山 哲

芦田 均

岸 信介

三三

池田 勇人

二五

三八

佐藤 栄作

三四

二四

田中 角栄

二〇

中曽根康弘

三四

宮澤 喜一

一六

細川 護煕

橋本龍太郎

四二

小渕 恵三

一三

小泉純一郎

二七

 

 回数だけで「敗戦」派と「終戦」派を分類することは難しいし、あまり意味をなさないとは思うが、印象としては中曽根総理までは「終戦」が使われることが多かったが、宮澤総理以降は「敗戦」が多く使われているように思える。

 それでは新憲法によって国民統合の象徴と位置づけられた天皇陛下はどう表現されているか。

 

天皇は終戦と表現

 

 国会図書館と宮内庁の記録と検索によれば、昭和天皇の場合、

昭和二〇年九月二七日、マッカーサー元帥との第一回会見では、「敗戦にいたった戦争のいろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある」「私も日本国民も敗戦の事実を充分に認識して居ることは申す迄もありません」

 昭和二〇年十一月二九日、高松宮等皇族へ、「敗戦は朕の不徳の致す所なり。」

 もっとも、これらは公表を前提とした公式の場でのご発言ではないことには留意しなければならない。

 公式の場では敗戦に類似の表現「戦争の敗北に終りたる結果」が、昭和二十一年一月一日のいわゆる「人間宣言」の中にわずかに一回あるだけで、それ以外は「敗戦」という言葉はお使いになっていない。

 また、今上天皇に関しては、一昨日の日本武道館でのおことばを含めて「終戦」という表現しかお使いになっておられない。

 日本が占領下にあった一九五一年頃まで、新聞紙上では、九月二日を「降伏の日」や「降伏記念日」と呼んでいた。現在では天皇による玉音放送が行なわれた八月十五日を一般に「終戦記念日」あるいは「終戦の日」と称している。

 それでは学校教科書ではどのように扱われているか。

 小学生、中学生用の社会科教科書の多くは戦争終結を八月十五日と記しているが、高等学校の日本史教科書の多くは、八月十四日をポツダム宣言受諾が決定され連合国側に通知した日、八月十五日は戦争が終結することをラジオ放送で国民に知らせた日、九月二日を日本が降伏し戦争が終結した日としている。

 戦争の相手国はどの日をもって、どのような表現をしているか、調べた結果は次の通りである。

 アメリカ、九月二日 対日戦勝記念日

 イギリス、八月十五日 対日戦勝記念日

 カナダ、九月二日 対日戦勝記念日

 旧ソ連(・ロシア) 九月三日 対日戦勝記念日

 中国、九月三日 抗日戦争勝利の日

 韓国、八月十五日 光復節

 

「排戦」「反戦」の日を

 

 終戦か敗戦か。戦争を主張し、積極的に推進した陸軍を中心とする軍部にとっては、勝利できなかっただけではなく、無条件降伏に受け入れたことは名実ともに「敗戦」である。

 しかし、私もその一人であるが、戦争に敗れた悲しみの中にも、勝利の展望もないままに不安な日夜の繰り返しがようやく終わったという安堵感がはるかに大きかった。

 天皇は「終戦」、総理は「敗戦」というねじれ現象のはざまにはさまれて、終戦か敗戦かと言葉にこだわることよりも、国民全体から見れば押し付けられた戦争が終った事実を終戦という表現で統一されることが望ましいと私は思う。

 さらに言えば、あらゆる戦争に反対し、戦争を降伏する決意を新たにする意味では、「反戦の日」とか「排戦の日」という表現があってもよいのではないか。

 

「感動こそ金メダル」  8月10日号 

 

  世界中の国で多くの人たちが、北京オリンピックの開会式の祭典の一つひとつの場面に驚嘆し、感動し、見入っていたことだろう。

 

男女完全平等な出番

 

 中国の長い歴史と伝統文化、大きな国土に育まれた多様な民族と風俗、それを短い時間でどの世代にも分りやすく訴える最新の技術のオンパレード…。今までのオリンピックの祭典としても画期的なことばかりだが、特に感動したのはあのように何千人という多くの人が心を合わせて一つの場面を作りだす集中力と熟練度、男性と女性が殆んど完全に平等な出番を与えられていること、そして何よりも子供たちがいろんな場面でひょこひょこと楽しそうに嬉しそうに顔を出す場面が多かったことだ。

 

中国の感謝の気持ち

 

 天を翔ける少女、ピアニストの横にちょこんと座っている少女、中国選手団の先頭を切って、ひときわ大きな旗手とともに歩んだ九歳の四川省の少年。

 四川省の大災害を知り、物心両面の援助を差し伸べた世界中の人たちへの中国の感謝の気持ちと少年の世代へ引きついでいく再生の決意のメッセージが込められていることが、その場面から瞬時に伝わり、世界の国々の人たちの胸の中を熱いものが流れて行ったに違いない。

 遠く四川省の被災キャンプの中からテレビで祭典を固い表情で眺めていたという被災者の人たちの表情がそのときはじめて笑顔に変ったという報道はとてもうれしい報道だった。

 暴動、大地震の試練の真っただ中で世界の祭典を予定どおりに、そして予想以上に実現できたことは、中国国民の大きな誇りと自信につながることだろう。海外にいる中国出身者も、涙を流しながら喜んだことだろう。

  この祭典のすべてを通じて、中国が「理解される大国」「価値観を共有できる大国」を目指していること、外との共生と内なる共生という「共生の理念」を実現しつつあることを発信できたことは、中国にとって政治的な大成功であろう。

 

スポーツの原点

 

 スポーツの戦いが昨日から始まったが、観衆と一体となった感動にこそスポーツの原点があるように思う。

 その感動を求めて今年もまた甲子園に出かける。そこには一球ごとにドラマがあり、試合の数ほど感動がある。

 ロンドン・パリ・ニューヨークに勤務の時期も、夏になると日本に帰り、必ず甲子園に行った。必ずやることが三つあった。

 父が亡くなり、激しくなる大阪の戦火をさけて帰っていった母のふるさと西浜村は、出雲市に近い村で、長男だった私は母を助けてずっと高校三年の春まで畑仕事をしていた。

  畑仕事も一生懸命やったが、野球も好きだった。小学校、中学校と、野球部に入ってピッチャーをしたりショートをしたり、勝ったり負けたり、いろんな楽しい思い出がある。しかし、これはという決勝戦では一度も勝てなかった。

 甲子園へ私が毎夏出かけるのは、曽根崎小学校一年生の時に亡くなった父が、最後に撮ってくれた写真が毎年連れていってくれた甲子園のグラウンドだったからだ。十年前の江の川高校の試合には、そういう私の胸をしめつけるほど嬉しい場面があった。

 島根県の江の川高校野球部には全国から、特に関西からの選手が多く、関西弁が幅をきかせていて、大社町出身、出雲弁の森山君は疎外感にしばしば襲われ、実家に帰るとお父さんにそれを訴えていたという。

 「元気をだせ、くじけるな」といつも励ましたお父さんがそれから間もなく事故死。その悲劇にもめげず、遂に森山君は県代表となって甲子園に出場することになった。

 三塁側スタンドにはお父さんの写真を抱いたお母さんの姿。しかし、森山君には出番がまわってこない。福岡第一に九対三とリードされた八回がすでに終わり、九回の表、最後の守備に選手がつこうとするときだった。同僚のキャッチボールの相手を終えて、自軍のベンチにかけこんでくる森山君に向かって、監督の右手がさっと上がってレフトの位置を示した。私にはその意味がすぐに分かった。それは森山君のお父さんの写真に一番近いポジションだからだ。

 びっくりしたように立ちどまり、パッと喜びを満面に浮かべて、くるっと背中を向けて守備位置に走る。三塁側応援席から大きな拍手が湧いた。背中の14番がゆれている。踊っている。そして、くしゃっと曲って泣いている。私の目は、もう涙でかすんで、すぐにその姿が見えなくなってしまった。

 

 

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「屈辱外交の日」                     2008/08/11の紙面より

 

 北東アジアにおける日本の外交に戦略らしいものがあるのか、六か国協議の核、拉致をめぐって、怒りがふつふつとこみあげてくるのは私だけではないだろう。

 

何も言わないのが国益

 

 米国のイラク攻撃に備えての外交方針を質問されて、川口外相が「今は何も言わないのが日本の国益」と答えたりして失笑を買うまでもなく、日本の外交が受け身外交、日和見外交、米国の声明を見てから声明を出す時差外交だということを、いまでは国民のほうがよく知っている。

 世界はしかし、自ら判断し、発言し、行動しようとしない日本に、世界が安心しているのも否定できない事実である。発言せず、請求書が来たらこれまた黙々と支払う…。そういう理想的な劣等生であり、理想的なミツグ君国家に、世界の国々は内心、満足しているのだ。そのような国こそ世界が必要とする国だからである。劣等生のふりをし続けることはたしかにわが国の国益にかなうという外務大臣の発言は、一つのすぐれた考えかもしれない。

 しかし、民族の誇りを大切にするならば、日本はカネにモノを言わせる外交から、自分のクチにモノを言わせる外交にこの辺で転換すべきではないのか。

人類史上最初の大量破壊兵器の被害国となったのはアメリカでもヨーロッパでもアフリカでもないこのアジアであり、日本である。

 その日本が北朝鮮に対して核兵器の恐ろしさと愚かさを訴えることは、そんなに難しいことだろうか。

 

米の基本路線は破綻

 

 広島・長崎の原爆の日を前にして、愚かな選択の道に固執する北朝鮮に直接、あるいは米・中・露の安保理三国の力を利用して間接的な圧力を加えることができるのは、日本だけが使える外交上の特権ではないのか。どのような哲学と戦略で、日本国民と日本憲法の平和理念のために日本外交が努力したのか、さっぱり見えない。

 北方領土を占領拉致されて六十三年、竹島を占有拉致されて五十六年、そして日本国民を拉致されて三十年。これ程の長期間に亘り「愛国心の自民党」長期政権によって長期放置され、未解決のまま今日を迎えているのは、単なる怠惰や無責任政党では許されない。

 テロ支援国家指定取消しというカードを使って核問題を解決しようとする米国の外交戦略が、同盟国と呼ばれているわが国の利益を犠牲にするのであれば、中国に、中東に、人権主義を振りかざして迫った米国の基本外交路線が破綻したことを、まず米国に認めさせなければならない。

 北朝鮮はテロ国家指定取消しにこだわるが、わが国にもこだわらなければならないものがある。「テロ支援国家」どころか、国連から日本は「敵国」と指定されて六十三年。国連加盟後も敵国呼ばわりをされ続け、分担金は毎年四百億円、加盟以来五十二年間に二兆円を支払い、本部が置かれていて雇用や消費で支払い金以上に見返りがあるアメリカが最大の二二%を分担するのは分かるが、見返りのない国が露・中・独の三大経済国合計一三%を上回る一七%を負担して なお、敵国という汚名条項を未だに抹消してもらえないのはなぜか。

駐留米軍費用負担金という米国の肩代り、言いかえれば迂回分担金を含めれば、日本が国連の40%を負担していることになる。

 日本はあと幾ら支払えば敵国指定を取消してもらえるのか。国の誇りをまでが拉致されている現状を政府や外交官は気にならないのか。

 

効果消える経済制裁

 

 八月十一日、が一日一日と近づいている。

 

 テロ支援国家指定取消しが実現すればわが国が実施中の経済制裁の効果もなくなり、措置解決のための「対話と圧力」の「圧力」という選択肢が事実上消えてゆく日である。米国のペースで8/11の取消しが実現するならば、日本外交惨敗ではないか。

 日本の拉致解決が置きざりになるなら、米国を「拉致支援国家」に指定しなければならない。残るわずか一週間に総理の訪朝を決意すべきではないか。「サプライズ 無いというのが サプライズ」といわれる内閣改造よりも、対米談判と対朝対話に取り組むべきではないか。

 六年前、日朝接近を警戒する米国の協力なきままに小泉総理は決断し、平壌宣言という対話の道を少なくともいったんは開いている。

 拉致解決は自らの手でと公約した福田さん。成果がなくとも恐れることはない。支持率がこれ以上下がることがないというのも、考えてみれば天の恵みではないか。

 

 

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「八十万の棄民」                      2008/07/27の紙面より

 

 同じ時間にどころか、明日の日付の新聞を前の日に私は読んでいた。日本の新聞社は翌日の記事を前夜の十時に入稿し、十一時に印刷するが、それはニューヨークの朝九時に同時印刷され、例えば火曜日の昼の十二時、東京の水曜日の朝二時には、東京の人が朝七時に読むであろう新聞を五時間も早く読むことができた。

 日本にいる時以上に情報を待ち、海外から日本を見つめて、日本の政治の方向に多くの意見を待っている人は私だけではなかったはずだ。にもかかわらず、選挙のたびに、八十万人以上の有権者が、憲法で定められた参政権を奪われ、政治的な棄民として扱われてきた。

 アメリカでもフランスでも、海外にいる自国民には投票権を与えているし、フランス、イタリアのように海外選挙区をもうけている国すらある。

 八十万人といえば、単純に数字だけでいっても衆議院に六人、参議院三人ぐらいの代表を選出できる人口であり、鳥取、島根、福井、高知、徳島、佐賀、山梨の各県の有権者数よりも多い。日本の政治が本当に国際化を目指するなら、こうした国際社会のなかで活躍し、生活している人たちの意思、意見を聞き、世界が日本をどう見ているか、何を批判し、何を期待しているかを知る必要がある。

 

投票権は当然の権利

 

 そういう思いで二十五年前、ニューヨークにいた頃、私は邦人向けの機関紙その他で、この問題を提起したことがある。まさか自分が帰国して選挙の候補者の一人になろうなどと思ってもいなかった時である。八九年に出雲市長に立候補した時、三ヶ月の居住条件を充たしていないために自分自身への一票を投ずることさえできなかった。

 私は、投票権は「当然の権利」であり、「基本的人権」ですらあると思っている。日本のパスポートには「所持人に必要な保護扶助を与えられるように関係の諸官に要請する」という意味のことが書いてある。他国からの保護も結構だが、その前に日本人なら日本政府の保護をまず受ける権利があるのではないか。

 二十二年前に一度、法案が国会に提案されたが、結局は廃案。

 ようやく陽の目をみたのが八年前だったが、比例選に限られていた。これに対し、選挙権を制限している公選法の規定が憲法に違反しているとして、在外邦人の代表が、九六年に国を提訴。 最高裁は〇五年に公選法を違憲とする判決を下した。翌〇六年に、公選法が改正され、昨年七月の参院選で、比例選と選挙区選の一人二票が初めて与えられた。

 

投票率の向上を期待

 

 これを受けて昨年の七月、在外邦人に参院選への関心を高めてもらう「政党討論会」がロサンゼルスで開かれた。討論会には民主党の西村智奈美衆議院議員のほか自民・公明・共産各党の国会議員がはるばる太平洋を渡って参加した。外務省によると、海外でのこうした試みは初めてで、主催した市民団体は「投票率の飛躍的向上を期待したい」と話している。

 海外の推定有権者数は約八十万人。ただ、投票するためには事前登録が必要で、登録者数は約十一万人にとどまっている。

 これまで実際に投票するのは登録者の四分の一ほどだった。ロサンゼルス地区には4万人以上の有権者がいるが、前回衆院選で投票したのは一千人以下。比例選しか投票できなかったことに加え、投票するには在外公館まで出向くか郵送するなどの手間がかかることも投票率が上がらない一因とされてきた。

 「海外選挙区」を設けてほしいという意見も討論会では出ている。アメリカ選挙区では東海岸代表と西海岸代表の候補者が激しく争うといった状態が生まれれば投票率も上がるだろう。

 

 

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「中元に挑戦」                       2008/07/20の紙面より

 

  一九九二年の五月一日から国が完全週休二日制を実施したのを受け、出雲市役所は全国の市に先駆けて、二カ月後の七月一日から完全週休二日制を実施しました。

 もちろん、民間よりも先に市役所が完全週休二日制を導入することについては、各方面から不満の声が出ました。しかし、出雲市は、完全週休二日制の導入に向け、三年もの長い準備期間をとって検討を重ねました。おそらく、国や全国の自治体のなかで、三年もの準備期間をとったのは出雲市だけです。土曜に閉庁しても絶対市民に迷惑をかけることはないという自信があればこそ、完全週休二日制に踏み切ることができたのです。

 

「一番の会社」目指す

 

 私が市長に就任した朝、職員に私が訓示したのは、行政は最大のサービス産業、だから、「出雲市の中で一番いい会社はどこですか」と出雲市民がきかれたら、「一番いい会社は市役所です」と言ってもらえるような職場になってほしいと。

 それから二年後、職員たちは何をまちがえたのか、出雲市の中で一番ではなく、日本で一番の会社として、トヨタ、ソニー、資生堂と並んで表彰され、職員の代表が胸を張って帰ってきました。週末もデパートで役所を開けるなどの一連の行政改革や組織改革が評価されたのでしょう。

 市から文化やスポーツ関連など民間団体への補助金の審議・決定権も、助役など市の協議機関に委ねることにして、市長が次の選挙のための思惑などで不公平な税金の使い方ができないように、市長の関与を最小限に縮小しました。

 

付け届けの「悪い噂」

 

 市役所の幹部に付け届けをすると、仕事の便宜を図ってもらえるという悪い噂が世の中にはあります。おそらく、どこの都市にも、こうした噂はあるでしょう。単なる噂ならいいのですが、本当ならばこれは大問題です。

 役所は業者の選定に際して、絶対的な公平性を保たなくてはなりません。それは単に役所の倫理の問題ではなく、住民のためなのです。役所と業者が癒着すれば、必ず税金の無駄づかいが起こり、それは住民サービスの低下と行政への不信につながります。

 役所というとかく閉鎖的な社会の中で、カネとコネが行政や教育をゆがめているような疑いを持たれてはいけません。

 小さなことのようですが、お中元、お歳暮を断ることは、業者との癒着を断ち切り、行政の合理化を図るという大きな問題につながっているのです。

 市長就任後、最初の中元時期を前にして職員に、地方では特に慣習となっている盆、暮れの中元、歳暮を一切受け取らないこと、何かの手違いで受け取った場合には、どこから何を受け取ったかを報告させ、庁議で回覧すること、取引関係のある業者から接待を受けることや、議員等有力者を身内の婚礼の来賓に招くことも同様に自粛することを指示しました。

私は市長である間は市内の結婚式には一度も出席しませんでした。

 中元、歳暮の時期が近づくと、いままでにどういう所から来ていたかを報告させた業者リストに基づいて、私の名前で協力願いの手紙まで書きました。「ご協力頂けないときは市役所として貴社との取引を停止させて頂きます」という言葉まで添えました。

 それでも私宛のお中元、お歳暮はやみませんでした。私の妻は、フーフーいいながら、たくさんの贈り物を福祉施設に配って歩きました。そして、「あなた様からいただきましたお品は、○○老人ホームに寄贈させていただきました。これからはこういうことはおやめください」という手紙を、いちいち贈り主に書き送ったのです。

 何回か手紙を書くうちに、ほとんど姿を消してしまいました。

 

どんなささいなものでも

 

 ずいぶんと細かい、無意味なことをしたものだと思われるかもしれません。しかし、出雲のように封建的なしきたりが色濃く残っている地域で、役所を変え、社会を変えていこうと思ったら、こんな小さなことから問題提起をする必要があるのです。毎年、毎年こうした努力を積み重ねて、ようやく贈り物はこなくなりました。

 たかがお歳暮、たかがお中元でも、ごく親しい友人・知人は別として、贈り主はなんらかの「効果」を期待して送ってきます。どんなにささいなものでも、公人たるもの、タダでモノをもらってはいけません。

 受取ればお返しをしなければならないと考えるのは世間の常識。権力や権限を流用してそのお返しをすることは「公金横領」と同様に、「公権横領」に当ります。

 こういう職員に対する指導は、裏返せば「酒と泪(なみだ)とおカネと女」に弱い、私自身の自衛策を兼ねてのことでした。

 知事や市長が資金パーティーを開催していますが、これもやめさせるべきです。そういう上司がいるから職員の不祥事や権限流用が各地で起きるのではないでしょうか。

 

 

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「公金持逃げ」                        2008/07/13の紙面より

 

 紅花の利権を手に入れようとする商人とやくざが傲然と突っ立っている前で、両手をついてお辞儀をする役人。それを見て黄門がつぶやく。「金の力とは恐ろしいものじゃな。これではまるで(商人と役人の立場が)あべこべじゃ。『やくにん』ではなくて『やくざにん』ではないか……」と。

 最近の相次ぐ政界、官界の汚職を見ていると、水戸黄門の時代に返っていったようである。

 

汚職がやりやすい国

 

 汚職が多く、政治行政腐敗の規模がますます拡大してゆくのは、長期にわたる一党支配と、その結果としての政官癒着にある。安定的に汚職がやりやすい、隠蔽しやすい構図が先進国の中で最も確立されていて、不正利益のために先行投資する最も安全なマーケットになっているからだ。だからこそ国会議員の多くは、息子に後を継がせるための地盤づくりに精を出す。これだけは相続税が「高齢者マル優」の扱いになることを知っているからである。

 ある新聞に、これも時代劇ファンと思われる記者が、遠山の金さんや黄門はいないのかと嘆いていたが、今テレビの政治ニュースに現れるのは、金さんではなくカネさん、黄門ではなく狡門の顔ばかりである。

 

「持続可能な」悪の構造

 

 もう一つの役所の悪の構造は「裏口採用」にある。大分県の教員採用や昇進のほとんどすべてにカネが効いていたということに新聞やテレビは驚いてみせるが、これは三十年、四十年前から県庁や市役所の隠れた常識となっていたはずだ。

 私は二十年前、出雲市長に就任した時に同じような経験をした。

「市役所に入るためにはコネがいる、県庁の職員になるためには百万円必要だ」という市民の噂があった。

 宴会の席で私にそっと紙を渡し、「よろしくお願いします」とささやく市会議員がいた。夜、市長の自宅へ電話をかけてくる有力者もいた。私に電話をしにくい人は助役の自宅へ電話をかける。

 縁故で採用された公務員には、「縁故者」またはその周辺から、四十年間にわたって不正行為への働きかけ、いわば「公務執行妨害」が行われ、「持続可能な」悪の構造が形成されてゆく。

 しかし、これでは日本が悪くなる。

 私はこの悪の循環構造や市民の噂を絶ち切ることにした。

 議員との会合の席上で、私はお願いした。「実力で入った職員が心の中で泣いている。能力と情熱を評価されたという誇りを傷つけられている。市役所の職員は市の財産。最も優秀な人に最もいい仕事をしてもらいたい。そのためには、議員の紹介で左右されるようではだめなので、これからはやめていただきたい。試験で同点の場合には、議員紹介が無いほうを優先的に採用することにする。」と。

 このようにして、わざわざ不利に扱われる縁故採用に頼ろうとする親も本人もいなくなった。私の後援会長をつとめて頂いた前市長の長男が不合格だったことも、結果としてショック療法になっただろうと思う。

 

脱落官僚組は返したか

 

 新聞の政治面と社会面を賑わす官僚の談合、汚職、不正、収賄、逮捕などなど、あきれるばかりだ。そういう記事に接しながら、それでもなお私は、役人のなかには高い志を持つ人が多いと信じたい。

民主党がかつて「脱官僚」をポスターにすりこんだ時も、私は異を唱えた。他の党と違い民主党は、官僚出身であっても「志が高く、目線は低い」人を選んで来ているからだ。「脱官僚」は「奪官僚」と書き換えねばならないと。

 それでもなお官僚に対するバッシングは絶えない。特に「脱藩」官僚と自称する「脱落」官僚が官僚組織への批判を売りものにし、話題にしようとするのは見苦しいばかりだ。

 居酒屋タクシー使用も、マイレージ私用も、いいことではないが、「公金私用」を問題にしたい脱落官僚組は、一人二千万円の公費留学費用とその期間の給与を、きちんと国に返済して退職したかどうかを明らかにすべきだろう。

 民間企業ではすでに三十年前から、留学という機会を与えられながら留学という経験を生かして転職した社員に返済義務を課している。官僚という志の高い人であれば、当然返済した人ばかりだと思うとこれが全く逆で、この二十年間だけでも二百人の官僚が公費留学費用を一人も返済せず、その合計額は四十億円にのぼると推定されている。

 公金持ち逃げとどこが違うのか。

 

 

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「七十五歳の喜寿褒章」                 2008/05/26の紙面より

 

 ニューヨークから出雲へ帰り、慌ただしく市長選挙の準備がはじまったのは平成元年となったばかりの二月のまだ冬の最中だった。

 本当にこの選択が正しかったのか、市長という仕事が自分にできるのか、雲をつかむような気持ちに襲われることも時々あった。

 

これから長生きしたい

 

 迷いがさめたのはある老人会の席だった。八十人ばかりの高齢者の方が集まって、畳の上に座っている。私も畳の上に座る。出雲というところは、すぐ畳の上に座るところだ。誰かがうすい座ぶとんを右手からすすめてくれる・・・。

 話を始めようとひと呼吸したそのときだった。前から三列目のおじいさんとおばあさんが前ににじりよって私に近づき、「お前さん、ようかえってごすなったのー。こうから(これから)わしゃちゃ長生きせにゃいけん」と言って農作業で荒れた両手両指で私の手をしっかり握って涙を流された。前にも書いたことだが、このとき私は初めて、何のためらいもなく、市長になろう、市長になりたいという気持ちになれた。

 老人クラブ、あるいは老人会という組織は、昭和二十五年(一九五〇)に大阪で結成されたのがはじまりで、全国に展開されている。

 出雲市でも六十五歳以上の人に入会資格があり、百の単位クラブを拠点にして活発な学習活動や地域活動が行われていた。しかし、最近は六十五歳になっても自分自身、高齢者だとか、老人だとか意識しない人が多くなり、加入率も低下しつつあるという話も一方で聞いていた。

 そこでこれからの長寿社会を楽しく迎え、地域社会の活発な参加者であり続けられるように、いろいろな施策を講じることにした。まず「ふるさとアカデミー」の発足である。島根県の高齢者比率は日本一。高齢者が多いということは、知識や経験の豊富な人的資源が多いということだ。その資源を活用するために、歴史や園芸に詳しい高齢者が教授になり、市民を教える。つまり、市民が教えて市民が学ぶ教室で、そこでは学ぶ喜びと教える喜びに満ちた、生き生きした顔が見られる。

 次に県内で初めて「高齢者憲章」を制定した。市民が高齢者のために誓う三項目と、高齢者が自分たちのために宣言する三項目である。憲章制定を記念して、平成三年の三月に、第一回の慶人式が市民会館で行われた。

 広い会場を見渡して驚いた。私が小さいころに見ていた六十五歳の人たちは、本当におじいさんだなァー、おばあさんだなァーという感じがした。それがどうだろう。顔が若々しすぎる。

 

木村教授の「老人」定義

 

 東大の木村尚三郎名誉教授は次のように話しておられる。いまの六十五歳は、昔の六十五歳と違って老年と呼ばれる資格がない。「老」という字は江戸時代の「家老」「大老」という役職でも分かるように、年令にかかわらず学問があり、人格のある人でなければ「老」という字は与えられない尊称だった。

 今の六十五歳は第一に体力がありすぎる。第二にゆとりがありすぎる。第三に気力、意欲がありすぎる。従って、新しい定義は二十歳から四十四歳までが「青年」、四十五歳から七十四歳までが「壮年」、七十五歳になってはじめて「老年」と呼んでもらえる資格がある、と。人生五十年と言われた頃は、お正月が来るたびに一つずつ年をとることになっていた。今は一年おきに年をとる時代になった。そうしなければ、人生八十五年、九十年時代といわれるときに、昔の年齢と計算が合わなくなったからである。

 私は、よく講演でも話すことだが、「八掛けの人生」の時代だと言っている。生まれてからの暦の年齢、つまり満年齢を八掛けすると昔の年齢になり、これが今の実質体力年齢になる。

 老人会も慶人会に名称を変え、青年部をつくりましょうという提案があり、市役所が応援体制をしいてその年の九月十四日に、六十歳から七十歳の部員千人で、成相博部長が設立宣言を高らかに読み上げて発足した。

 高齢者憲章の三項目、即ち「健康、研修、献身(社会貢献)」の犹哀吋鶚瓩鯡槁犬乏萋阿はじまり、一年という短い期間に、市内十六地区全部に青年部の支部が出来上がった。青年会議所の総員が六十人であるから、市内における「青年」の存存感もぐんと厚みを増した。

 とかく保守的、閉鎖的といわれる山陰で、これだけの組織設立と会員増を実現したのは成相部長とそれを支えた支部長たちの情熱である。「老人会」という名称ゆえにためらっていた人たちからの参加が増えて、「青年部」はその後二千人に達した。

 

神様からのごほうび

 

 人生五十年のときは青春は一回、人生八十五年時代は青春は二度やってくる。ニ度目の青春は六十歳、昔は数えで六十一、還暦といった。まさに若返りの年齢である。一回目の青春は知識も、経験も、判断も、人格も、そしてゆとりもない。しかし、二回目の青春は違う。知識、経験、判断、人格、人脈、そしてゆとり。神様が六十年の努力をした人だけに下さる、六つの宝のすべてを揃えて迎えるのが二回目の青春。こちらの方がはるかにすばらしい。

 経済復興、輸出第一、外国に追いつき、追いこせの時代は若さの持つ体力がものを言った時代だろう。しかし、長寿社会では、高齢者の六つの価値とやさしさが生きてくる。慶人会青年部二千人はそのことをよく知っている。

今、高齢者医療制度が問題になっている。数え年の七十七歳には一年ばかり早いが、満七十五歳の誕生日には市町村が「喜寿褒章」を、一年後に控える「喜寿」に先駆けて「早贈り」して、医療保険料は百歳まで二十五年間支払済みという延寿百歳の証明書をお届けして、長年納めてこられた多額の税金への感謝状としてはどうだろうか。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「英語好き」                        2008/05/19の紙面より

 

 日本の円から国境を無くしたのが一九八四年。日本語しかしゃべらなかった円が、英語も、ドイツ語も、フランス語もしゃべる通貨となった。日本の銀行・保険会社の動きがロンドンのシティーやニューヨークのウォール街で注目の的となり、メリル・リンチの朝の役員会でSEIHOという日本語がそのまま英語で通用しだしたのも、その頃からである。

 そして、カネの世界でも日本製イングリッシュが生まれた。円建て外債にいろいろと新種が生まれ、「サムライ・ボンド」とか「スシ・ボンド」という日英混血語が誕生した。

 

小椋佳の英語

 

 作詞・作曲家の小椋佳さんは神田紘爾という本名で、当時の第一勧銀から派遣されてメリル・リンチのニューヨーク本社で一年ばかり研修したことがある。日本最大の銀行の幹部であり、作曲家でもあるという二つの顔を使い分けるだけでも非凡な才能だが、そのうえに、メリルで一年をすごしたということでもわかるように英語の使い手としても優秀である。

 第一勧銀本店の国際財務サービス室長時代に、二つの通貨を組み合わせた「デュエット・ボンド」という愛称をつけた新しい金融商品をヒットさせたことがある。ふたご債券とか、仲よしボンドとか命名できたかもしれないが、デュエット・ボンドとはさすがに作曲家である。

 いままでになかった新しい考え方や新しい商品に外国の言葉が使われるのは納得できるが、最近やたらと片仮名が目につきすぎる。読売新聞の投書欄に外国語の乱用を慎めという意見が紹介されていた。

 一部を引用させていただくと、「ファンタジックなムードでチャームするゴージャスなインテリア」、これは「幻想的な雰同気」の方がよくわかり、字数も少なく、省資源的だという。同じことを日本語で表現できるのにわざと、しかもへんな英語を使いたがるのは、まるで値民地のような心根で情けない、というご意見である。

 ただの乱用だけでなく、目にも耳にも下品できたならしい造成死語が多くなった。朝シャン、パンスト、ボディコンなどがそうである。男子大学マラはともかく、女子マラなどと書かれると、一瞬、ギョツとする。

 最近の特徴は、こうした国籍不明の和製イングリッシュが使われ、とくに行政、公共機関での乱用が広がってきていることである。アメニティタウン、アートフェスティバル、アーバンプロジェクト。白書類でも、心がマインドに、変化はシフトに、公約はコミットメントに、空き地はオープンスペースにわざわざ書き換えられている。

 

知事の英語

 

 英語好きは知事さんにも多い。八〇年に就任した鈴木東京都知事の例では、マイタウン東京を連発し、その実施計画はビッシリとカタカナで埋められた。シティ・ホール建設、コーポラティブ・ハウジングによる家づくり、多目的コミュニティ施設、コミュニティーリーダー、レクリエーション・ゾーン、ノーマライゼーション……。そのとき、朝日新聞の天声人語が噛みついている。外来語をちりばめて、新しくてすばらしい政策であるかのような錯覚を与えても、直輸入のような政策が東京の土に根づくはずはない、と。

 島根県の澄田前知事も、就任にあたっての二つのスローガンが県議会で問題にされた。「リフレッシュ・リゾートしまね」と「海と山のフロンティア」、そして二年後には県民の意識改悟と県外へのPRを狙った「シマネスク・島根」である。いずれも英語の使い方として疑問があるし、「島根様式の島根」などというスローガンはナンセンスではないかと、地元松江市の野島幹部氏ら二人の弁護士が新聞を通じて使用差し止めを訴え、山陰中火新報も社説で取リあげるという異例な扱いでその意見を支持した。ジャーナリストの本村太郎氏も中日新聞で取り上げ、サンフランシスコの新聞が報道し、松江市に住むハンフリーさんという英語の先生もジャプリッシュの悪い例だ、チャンポンはやめなさい」と手きびしい意見を表明した。

 それから二十年、日本の英語好きは益々進行し、それに異を唱える人も少なくなってしまった。

 

大臣の英語

 

 安倍前総理の所信表明演説もカタカナの多さで評判になったが、安倍総理に限らず、英語が得意で大好きという大臣もいらっしゃる。

 五十人の与野党委員が出席している三年前の予算委員会で、私は小池環境大臣の英語の使用回数の多さに苦言を呈した。

 私の用意していた質問は学校や社会での環境教育が充分になされているか、環境省と文科省、農水省、厚生省など、他の省と充分に連繋しているかという点だったが、私はそのためにも同僚議員に対する大臣のカタカナ答弁をとりあげざるを得なかった。

 「大臣のように国会の中でやたらカタカナを乱発されて、やれEだとかUだとかAだとか、聞いている国民はさっぱり分からない。子供やお年寄りに分るような言葉で環境教育を進めて頂きたい。

 ビューティフルぐらいは分るとしても、やれリッチだ、やれヘルシーだ、HERB構想だ、なんとかかんとか、分る国会議員は殆んどいないような答弁では、(Hなら分るという野次あり)、Hは分るという話ですが、国会議員でさえ分らない言葉の乱発では環境問題は国民に浸透しないと思います」。

 言葉はよく伝わることが大切であって、アクセサリーとまちがえてはいけない。私の英語生活三十年で学んだ教訓である。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「英語嫌い」                        2008/05/12の紙面より

 

 三十年もの間、国際ビジネスの世界にいて、そのうち二十1年間は外国の都市に住んでいたわけだから、英語とはいやでも付き合わなければならなかった。英語で仕事をして、それで給料もはじめて受け取れるのだから、英語には足を向けて寝ることもできない。山のような書類を英語で読む。おかげで、いまでは英語の書類もスラスラ。

 

英語ペラペラか ペラか

 

 会話の方はペラペラというほどではないが、「ぺラ」ぐらいにはなったと思っている。

 ニューヨークで仕事をしている頃のことだが、一週間の間にも英語力は変動する。月曜から金曜まで、英語で電話や会議をこなしていると、「ペラ」ぐらいになっていく。そして、週末の二日間、日本語の世界に浸りきったあとに迎える月曜日の朝は憂鬱だった。英語のレベルは、金曜日の「ペラペ」から「ぺ」に急落しているからだ。そして、火曜日、水曜日とたつに従ってまた「ペラ」になり、ラクになってくる。

 こういうわけで、私はいつも、フルに英語を駆使する大事な会議は可能な限り、週の後半に持ってくるようにしていた。

 中学以来、四十年以上の長い英語との付き合いのなかでも、英語が嫌いなときがなかったわけではない。高校時代と大学時代だ。中学時代は「ジャック・アンド・ベッティ」という教科書で、インクのにおいとともにアメリカ文化のにおいをかいでいる思いで、英語は得意な科目だった。

 私がとりわけ英語に優れた才能があったのではない。なにしろ神話の国の、海岸に近い人口五千人の西浜村の中学校のことだ。芋畑の草取りや、一麦わらを束ねることは速くても、英語などは嫌いで、苦手だという子供ばっかりだ。そういう友達に囲まれていて、自分は英語ができると思いこんでいただけのことだろう。

 

竹下 登 先生

 

 すぐ近くの掛合中学では竹下登という英語の先生が、「田舎ではDDTとPTAさえ知っておれば英語の先生はつとまる」と、冗談半分で語っておられた頃のことである。

 後年、ワシントンの世銀総会で大蔵大臣のスピーチは英語で行われた。「日本語はところどころ英語に似ているところがあるね」というのが参加者の評判となった。

 得意だと思っていた英語が嫌いになりだしたのは、高校へ入ってからである。高校には当時English Speaking Societyというクラブ活動があり、進駐軍の通訳をしていた日本人の先生が指導し、アメリカ人の先生も週に一度くらい松江市の方から来ていた。

 そんなこともあって、このESSは、当時人気のあるクラブの一つで、美人女生徒がメンバーに多く、従って、そのクラブに入る男子生徒の中には、軟派と目されるものが多かった。

 私も、正直をいえば、入りたかった。しかし、読解力では負けないが、会話の方はいまひとつ自信がない。そのうえ、農村の中学から来た、汽車通学組の私たちには、出雲市内のいわゆる町方の中学から来ている多数派の生徒に対する遠慮があった。入りたいESSに入れない、入っても美人の子などが口をきいてくれることもない、みじめな思いをするだけだ、そういう心理が私を英語ぎらいにしてしまった。

 大学に入ってからもそうだった。試験ではいい成績を取りながらも、いつしか心の中では、英語で仕事をしたり、給料を貰う日本人を軽蔑するような気持ちさえ芽生えていた。

 大学を卒業し、日興証券に入って、英語と縁が切れたことにホッとした気持ちさえ感じた。それも、わずかな期間だった。二年後、早くも英語の世界に呼び戻された。金融、証券、為替の自由化が急速に進展し、ニューヨーク駐在員事務所勤務を命じられ、昼間の仕事だけでなく、食事まで英語でする生活がはじまったのだ。赴任前の津田塾外語で一か月の特訓といってもタカが知れている。しかも、半分以上サボって仲間と芝のゴルフ練習場へ行ったりしていれば、当然ツケは厳しくやってくる。 電話が掛かってくると、誰か先に受話器を取ってくれないかとまわりを見回しているような、そんななさけない月日がしばらく続いた。

 それからの長い三十年の英語暮らしから出雲弁の世界へと私を引きずりだしたのは、出雲市からの一本の電話だった。

 

英語を使えば票が減る

 

 市長選挙の準備をはじめなければならない私がニューヨークから東京へ、そして出雲へ帰ろうとするとき、地元の国会議員青木幹雄さんが、赤坂の中華料理店に私を呼んで注意された。青木さんは大社町出身、早稲田を中退して政治の世界に入ったが、竹下さんから学んだのは英語でなく、政治である。

 「岩國さん、あんたは演説のときには英語を使ったらいけんよ。英語を使うたんびに票が逃げて行くけんね」。

 その足で出雲へ向かった。十一月紅葉の季節を迎えた奥出雲の、深い杉木立とせせらぎに囲まれた絲原邸に妻と招かれた。絲原義隆氏は島根県議会の最古参の議員で、三百五十年続く旧家の当主でもある。澄田県知事夫人邦江さん、そして山陰中央テレビ社長夫人田部陽子さんと一緒に、仁多そばをご馳走になっているとき、絲原さんがこう話した。

 「私が家内と岩國さんのニューヨークの家へ行ったことを聞いた出雲市の市会議員が、わしんとこへ来ましてなァ。こんどの市長は議会答弁も英語でされェだらかときくから、わしやぁ、あァ英語でされェ、まちがいない、わしやぁ会ってたしかめてきた、わしと話すときも英語ばっかーだったけん、とこう言っときましたけんね」と。

 絲原さん一流の茶目である。

 それから五か月して、私にとって最初の施政方針演説のときがやってきた。記者とテレビカメラ、傍聴者も多い。英語か、日本語かと緊張している議員もいたかもしれない。

 当然のことだが、全部日本語で話した。日本語にこだわるあまり、英語は総合福祉「カード」と行政「サービス」という言葉のほか二か所しか使わなかったように思う。

 議場の緊張はみるみる解けてゆき、ほっとして居眠り体勢に入る議員もいた。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「小さな市民」                      2008/05/05の紙面より

 

 市長の私の所には、毎日市内外の人からのお便りが届いていた。まだ会っていない学生や生徒からの手紙も来たが、そのうちのいくつかを紹介してみたい。

 出雲市内大津小学校の三年生の手紙の中には、「ひい川の水がひかっていて、のめて、およげる川になってほしい」とか、「世界じゅうのこどもたちとなかよくいっしょにべんきょうしたいです」という願いが書かれていた。

 

小学生がゴミ問題に関心

 

 こうした手紙などを読むと子供たちが私の施策をよく知っていたのに驚かされた。知っているだけではなく、家庭の中で話しているのだ。お母さんたちから、子供たちが晩ごはんの時に、ドーム建設、国道バイパス、女子大建設、木造り校舎、福祉カード、木のお医者さんなど、街づくりに関する話題を子供たちまでが口にするようになったと知ると、手紙を受けとる度に責任の重さを感じさせられていた。

 ゴミの問題もその一つだった。出雲市は平成四年の四月一日からゴミ対策の第三弾として、年間百袋まで無料配布、それ以上は有料、ゴミを少なくして百袋を使い残した場合は年末に一袋四十円の報奨金で市が買い取るという、三段階制を導入することによって資源のリサイクルを進め、ゴミ減量意識を徹底させることになった。そのために全力をあげて、各学校、町内会を通じて、市民全員にゴミ戦争への参加を呼びかけた。

 たとえ先生から注意されたり、教科書にそって教えられたとしても、ゴミ問題について小学生が手紙を書いてくるなどとは夢にも期待していなかった。

 日本の子供は悪くなったとか、公共道徳のレベルが低くて…とよく耳にするが、どうやら日本の子供たちは意外にしっかりしていて頼もしいじゃないかと思うようになったのは、高松小学校五年生の澄田直子ちゃんたち十三人の手紙と作文を読んだ時だった。

 「市長様、とつ然のたよりでおどろかれたと思います。道徳の時間に『ごみの命』という資料をもとに、先生からの出雲市の新しいごみ対策の話を聞き、家に帰って出雲市の週報を見ました。資源を無駄づかいしないで、使えるものは再生するという地球にやさしい心づかいが大切という市長さんのお言葉に感動しました。これまで、ごみはきたないものと一方的に思っていましたが、ごみにも命があり、生かさなければならないことが分かりました。そして市長さんに感謝と協力の気持ちを伝えたくおたよりしました」。

 便箋にぎっしりと四枚、直子ちゃんのゴミに対する意見やゴミ対策課と焼却炉で働いている人への感謝が書かれてあった。

 兵庫県加古川市の綾南中学校では、社会科の時間に私のテレビ番組をビデオに使い、勉強をしていた。平成三年の春、その子供たちに会いに行った。

 

三流の政治を二流にして

 

 校長先生の依頼で講演をし、全校の生徒が、行ったこともない出雲市の街づくりや、世界が日本をどう見ているかなどの話を二時間、最後まで聞いていた。熱心に聞いてくれたことは、一週間後に送られてきた感想文を読んでもよく分かった。

 「国際社会に興味が出てきました」(一年生)、「日本は世界を見捨てることはできないが、世界はいつでも日本を見捨てることができる、という言葉がとても印象的でした」(二年生)「三流の政治をせめて二流まで引き下げてください。私たちの手で二流の政治を一流に引き上げるつもりですから」(三年生)。

 平成三年の暮れに『出雲からの挑戦』という本を上梓した。一般社会人、せいぜい若くて大学生ぐらいを頭において書いた内容であるが、驚いたことに中学生が読んでいた。島根県安来市の中学二年生の中村崇士君は、「これほどにまで期待して、おこづかいを貯めて買った本は初めてでした。僕はゆれ動く自分の考えの変化をひしひしと感じ、そして今、こうしてえんぴつを持っています」という書きだしで四百字詰め原稿用紙十四枚に感想文を書いてくれた。読みながら、この生徒が私と対話しているつもりで書いていることに心を打たれた。

 奈良県の香芝中学二年生の寺村めぐみさんもきれいな字で「父からすすめられて読みました」という書きだしで、日本の現状について、中学生とはとても思えない鋭い指摘が随所にこめられていた。

 

市長へのラブレター

 

 私が小学生から受け取った最初の手紙は平成三年の秋に、高松小学校五年生の今岡文子ちゃんからだった。塗り絵式の「樹木ノート」を小学生に配布してから間もなくのことだ。市長室に届く手紙は白か茶色ときまっているが、その封筒だけは可愛らしいピンク色だった。久しぶりにラブ・レターでもきたのだろうかと胸をときめかせながらあけてみた。

 「市長様、樹木ノートありがとうございました。このノートのおかげで私たちの身のまわりの植物との差がちぢまったようで、大へんうれしくぞんじあげます。・・・(中略)これからもすばらしい出雲市を作るためにガンバッてください。すばらしい出雲市を作ってくださるなら私も出雲市民として手をかします。本当に心の底からありがとうございます」という手紙だった。

 「樹木ノート」という、市内の代表的な五十種類の木を塗り絵ノートにして、配布したのは、その木をどこで、いつ見つけたかも記入し、その五十本の木の名前を覚えてほしい、そして木と友だちになってほしいという思いからだった。文子ちゃんは私の気持ちを分かってくれただけではなく、小さな市民として「手をかします」という意識さえ持ってくれていた。

 私が本当にやりたかった行政はこういうことだった。政治や行政は大人だけのものではなく、自分たちの市をよくするためには小さな自分たちも市民の一人なのだ、子供たちがそう考えて、自分たちの町の将来に夢と希望と誇りを持つ、それが私の一番願っていたことだった。

 手紙を書いてくれた多くの中学生や小学生が社会を見る澄んだ目。遠くの市長にまで手紙を書くひたむきな気持ち。ひとに対する温かい心。この子供たちは今の政治が見失ってしまったものをしっかりと持っている。

 こうした手紙を読みながら、消えようとする私の希望の灯はいつも燃え続けていた。

 今日、子供の日。小さな市民たちはどのような手紙を市長さんたちに書いているだろうか。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「胸が痛む結婚式」                   2008/04/28の紙面より

 

 錦織克徳助役がそれを受けてたった一日で、「市長等が係わる慶弔に関する取り扱いについて」という要綱を作成、実施した。婚礼には出席しない、葬儀への出席は議員、名誉市民、主要機関の長に限定するというのがその骨格である。

 以来六年間、中学校の恩師であった市議会議長が他界された葬儀を除いて、私は一度も市内での結婚式や、市外でも私の選挙区の人の結婚式には、出席したことがない。ご本人と親しくしていたり、その両親が有力者、議員、親友、親類身内であったりすると、つらい思い出の連続だった。早く市長を辞めたいと思ったことさえある。

 

二人の尚子さんの結婚式

 

 尚子ちゃんは私たち夫婦の出雲高校同級生、福間利行君の二女だった。私と福間君は一年六組で机を並べたこともあった。ある時、東京で出雲高校の同窓会が開かれ、そのあとの二次会はそれぞれ卒業年次に分かれていく。私たちの同期は二十人ばかりで行きつけの六本木の「天秤座」に集まった。

市長になる前のことだった。ちょうど、東京に在学中だった尚子ちゃんも、出雲から上京したお父さんに連れられてきていた。興至れば次々と歌が飛び出す。

 ・・・蒼いあなたの 視線がまぶしいわ・・・、「少女A」を歌う尚子ちゃんを利行君がまぶしそうに、しかし、うれしそうに見ている。久しぶりに一緒になった父と娘の幸せな瞬間だったに違いない。

 卒業し、出雲へ帰り、家事手伝いがはじまった。私たちも出雲へ帰ることになった。それからしばらくして、妻が世話役をしているフランス料理の講習会に尚子ちゃんも、松江市の石倉市長夫人とともに参加することになった。そして平成四年の十月一日、松江市の安来弘喜君との結婚式が山陰中央新報又賀社長の媒酌で行われた。

 新郎安来君のお父さんは、松江市の私を囲む会の会員でもあった。尚子ちゃんのお母さん、つまり利行君の奥さん須智子さんは私たちの後輩で、家内の欽子とは同じ町内で幼稚園のときからの仲良し。利行君のお母さん、出雲商工会議所会頭夫人は、私の母に代わって、東大の入学式に同行していただいた方。尚子ちゃんだけでなく、五重、六重に縁が重なる間柄でありながら、結婚式のお祝いに参列できないのは胸が痛み、つらかった。

 もう一人の尚子ちゃんの結婚式にも出席しなかった。茶道細川三斎流は熊本藩主によってはじめられ、その家元は出雲に引き継がれている。出雲には当然のことながらお弟子さんが多い。森山宗瑞氏は高校の私の二年先輩、夫人の育子さんは私たちの四年後輩で、家内とは福間利行夫人同様に同じ町内の四年後輩だ。その家元の長女として、尚子ちゃんが京都に学び、茶道の修行も終え、出雲へ帰ってきたのが平成三年の春のことだった。

 出雲にいても、司葉子さんと私の対談のテレビ番組に主演したり、松竹の永山会長夫妻が出雲阿国歌舞伎で来雲された折におもてなしするなど、三斎流のお手前を披露する機会が多かった。それからまもなく、永山会長を通して縁談がととのい、十月三十日に京都の梅村泰山君と結婚式にぜひ出席をと招かれていたが出席できなかった。

 こちらの尚子ちゃんもお父さんに連れられて「天秤座」にやってきたことがある。それが私とのはじめての出会いだった。京都でも会ったことがある。塚本洋子さんと京都グランドホテルで、ブラジリエ展の打合せのために待ち合わせたとき、その奥のバーのところで尚子ちゃんとばったり出会った。洋子さんのお兄さん塚本能交ワコール社長夫人との待ち合わせのためだったという。

 

市長だからこそ失礼

 

 私たちの年代は、当時は結婚ラッシュだった。もちろん自分たちの結婚ではなく、息子、娘の結婚だから、正確に言えば結婚式ラッシュというべきだろうが、そういう時期に市長をしているために結婚式に出席できないのは本当に胸の痛いことだった。

 三つ目の結婚式は平成四年十一月二十三日に行われた。木村陽良君と二女蔦江ちゃんと加藤龍生君の結婚式である。木村君は高校時代からの親友、奥さんは私たちの後輩で、家内とはこれまた同じ町内で幼稚園仲間。蔦江ちゃんは、出雲高校時代にロータリー・クラブの交換留学生として、アメリカへ留学したときに、同級生の坂根薫ちゃんと二人で私のニューヨークの家に、八十七年の暮れから八十八年の正月まで一週間泊まったことがある。新年の大きな花火がセントラル・パークにあがるのを感激して見つめていたのがつい昨日のことのようにも思える。犬の好きな蔦江ちゃんは、私たちのシェリーをよくかわいがってくれた。

 日本新党細川代表が三斎流との縁で出雲市へ遊説に来られたときに、組織の全くない日本新党の窮状を見かねて、市長の私が手伝うわけにもゆかず、木村君に先導を頼んだ。腰を痛めていたお父さんを助けて、先導の車の運転手を立派にやってくれたのは蔦江ちゃんだった。その蔦江ちゃんの結婚式にも出席しなかった。

市長という公職は、冠婚葬祭の「婚」のお祝いと喜びの席から私を全く遠ざけてしまった。あの婚礼、この葬儀と、自由に飛び回る市長や知事の姿を見ていると、私の頑固なやり方は間違いだったのかなと思ったりすることがあるが、何よりも六年間、私のそういうわがままを許してくれた出雲市の人に対する感謝の気持ちだけは今でも持ち続けている。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「「食料安保」日本基地」                 2008/04/21の紙面より

 

 中国には「五風十雨」という言葉がある。五日に一回風が吹いて、十日に一回雨が降る。これが、中国古来から農村地帯における一つの願いであった。

天地、自然の流れが順調で、今年もまた豊作であってほしい、弱い農家の人たちの天に対する願いの言葉が中国の農村地帯の家の入口に張られている。

私はその言葉が好きで、出雲市長時代には、色紙を頼まれるとその言葉を説明しながらよく書いてきた。

 

農業支える日月火水木金土

 

 近年、農家の人たちの農政に対する不安が大きくなっている。日本の農業は本当に生き残れるのか。息子に農業をさせてもいいのだろうかと。

 江戸時代以来、日本は、農業を中心として文化を支え、地方の村落を支え、そして産業を支え、人口を支えてきた。「農本主義」という言葉と政治思想さえあった。

 日本は、農業に必要な「日月水木土」の五つのすべてに恵まれている。今は大規模農業でエネルギーの「火」と農業器具という「金」が必要となったが、依然として「日」「月」「水」「木(森)」、肥沃な「土」壌に恵まれている。

 これからの農業には、後継者もできて、「安心」して農業に取り組めるような農政に期待したい。「安全」なコメが「安価」で手に入るような、消費者にも配慮した施策と、安全、安価なコメが「安定」して供給されるような、国内自給にこだわらない、「四安」の国際自給体制の確立が、農家、消費者の共通した願いである。

 産業革命の世紀に続く二十世紀は人口の爆発的急増と石油・領土を奪い合う戦争の世紀であった。科学と経済の発展が人類にもたらしたものは豊かな人間性ではなく、それとは全く裏腹の、民族と民族、人と人が、一年後の食糧、五年後の資源、そして十年後の富を確保するための憎悪と殺戮の世紀であった。その代表的な悲劇がアウシュビッツであり、人間が人間を大量破壊したヒロシマ、ナガサキである。

 すべての動物の中で、他の動物を殺すために組織を作り、武器まで作っているのは人間という名の最低の動物だけであることを、私たち自らが大量破壊兵器の被害国となって痛切に知らされた世紀でもあった。

 そして世紀末になってもう一つの悲劇が近づいていることも知らされた。

 気候変化・地球崩壊である。人間という最低ランクの生物の貪欲な行動の積み重ねが、我々人類のためだけでなく、植物を含め、すべての生物のすみかである地球という一つしかない大切な存在を破壊しつつあるという愚かさを思い知らされたのも、わずか十年前の世紀末のことだった。

 貧困と飢餓が生活格差と憎しみを、そして戦争の原因をつくりだしてきたことは、人類の歴史が繰り返し証明している。

 

食糧安保体制を

 

 それは歴史の一部どころか、いまや急速に、地球規模で広がりつつある。食糧価格の急騰は工業化に遅れた貧しい農業国から、農産物貿易自由化の旗印のもとに、食糧を奪い、それを買い戻す力さえなく、飢餓に苦しむ地獄絵が日を追って広がり、サミット会議の最重要課題とさえなっている。

 この苦しみをこそ、経世済民を唱える政治が救わなければならない。

 アジアに必要なのは軍事安保ではなく「食料安全保障」だと私が本欄で提案してから十年、ようやく政府はこの四月に「食料安全保障課」を新設した。

 農産物貿易では規制緩和ではなく再規制が、生産面では規制強化ではなく規制緩和が必要になっている時に日本の農政は遅すぎて二周も遅れている上に、逆方向で走っていたのだ。農業、農村、農民よりも、農協と農地を大切にしてきたと言えるし、国粋性はあっても国際性に欠ける。明日は見えても未来は見えない。

 日本には優良な農地はあっても面積的余裕がないというのであれば、日本の持っている農業技術と資金を提供し、海外の国との農業生産協力を拡大すべきである。

 

日本も「協産」の基地に

 

 まずアジアから、そして広大なアフリカ大陸を視野に入れて、地球的規模の「共産」または「協産」体制に日本が主導力を示せるような、「農と言える日本」の農政を展開すべきではないか。水と森と土にとりわけ恵まれている日本は、食糧安保体制の有力な基地としての役割を果たせるだろう。

  最近、ニュージーランドと岩手県が、南半球と北半球それぞれの時期を変えることによって、一つのブランドを共同で生産している、というちょっといい話をニュージーランドのケネディ大使から聞く機会があった。

 日本の農業青年たちが、東南アジアで、そして中国のどこかの地域と協定して、日本の農業技術で生産管理し、日本人が作っている農産物だから、日本人の作っている食品だから、より安心できるという協産体制も、お互いにメリットのある発想ではないかと思う。

 日本農業の新しい歴史の出発点に立って、「安心」「安全」「安価」「安定」の「四安」を目指した農業再構築を、今こそ「思案」すべき時だろう。

 

   (衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「地球を救う森と水」                    2008/04/07の紙面より

 

 中曽根元首相は「世界と共に歩む日本」を、竹下元首相は「世界に貢献する日本」を、それぞれスローガンにかかげた。ようやく日本が「世界」を視野に入れはじめたことは大変結構なことだが、世界の日本評はいま一つ芳しくない。日本には「大きなサイフ」というイメージだけはあるが、「日本には顔がない」と言われるのはその最たるもので、つまり看板だおれということになる。

 

「環境」と「教育」で貢献を

 

 では日本は世界に対して何が出来るか。私は大きく分けて二つあると思う。

 一つは地球の「環境」に対する貢献であり、もう一つは世界の「教育」に対する貢献である。この二つの貢献に関する限り、世界のどこからも批判の出る心配はない。むしろ、世界中が尊敬の念をもって迎えてくれるだろう。

 日本も経済大国になった以上、世界の防衛にも協力することが必要となる。防衛というのは、戦争や攻撃と違って、国際的な暴力行為について共同で対応すること。

  戦後、日本は警察予備隊と言ったが、もっと国際的な警察予備隊的な組織を、日本も金を出し、人材を出して、現在の自衛隊とはまったく別につくる。国際的な地域紛争が起きたときに、日本は全然知らないという態度では、世界は許さないだろう。

 憲法の枠内で行動する自衛隊とは別に、国連に協力するという、国連の指揮下に置く警察予備軍、国際平和部隊のようなものを組織することが必要だろう。

 私は、それと同時に間髪を入れず「緑と水の平和部隊」を出すことを提案したい。七月に日本で開催されるG8サミット会議の主要テーマとなるように、地球環境問題が切実となり、カラスの鳴かない日はあっても新聞紙上に「温暖化」「酸性雨」「砂漠化」「消えゆく熱帯雨林」など環境キーワードが載らない日はほとんどない。まるで地球の破滅前夜を思わせるムードさえ漂わせている。それほど深刻だという危機意識もあろうが、いまのうちに手を打てというシグナルでもあろう。

 日本が本当に「世界に貢献する」意志があるならば、こうしたシグナルをこそ敏感にキャッチすべきではないか。まして日本は「消えゆく熱帯雨林」の犯人にされかかっているのだからなおさらである。まさか日本人が使う割り箸で熱帯雨林が消えていくとも思えないが、世界がそういう疑惑の目で見ている以上、あえて「瓜田に履(くつ)を納(い)れる」のは愚策。むしろ、それを逆手に取って、世界にさきがけて「森林保護」を声明するのが得策というものである。

 

「緑十字軍」の創設を

 

 出雲市が創設し、それを受けて農水省と林野庁が全国に展開した「樹医」千六百人は、そのまますぐに「緑十字軍」の先兵として活動できる。

 CO2の削減に世界の国々が苦労することも大切だが、CO2を吸収する自然の浄化装置、緑と水面の増成に努める方がもっと夢がある。

 例えば砂漠の緑化。いまの日本の経済力と技術力をもってすれば、決して不可能ではない。砂漠が緑に変わったとき、日本の名は地球益、人類益に最も貢献した国として永遠に残るだろう。それは日本の次世代にとってこのうえない財産となる。

 日本の憲法から平和国家をイメージしてくれというのはどだい無理な話。砂漠の緑化という目に見えるかたちが整ったとき、初めて世界の人々は「平和国家日本」とその理念や哲学をイメージしてくれるだろう。

 もう一つ、いまの世界はポスト冷戦という流れで、たしかに東西問題(イデオロギーの対立)は解消したかに見えるが、南北問題(貧富の対立)は解決していない。むしろ多様化を迎えて、民族問題、宗教問題とも微妙に絡み合うかたちで、一国のなかにさえ南北問題が広がりつつある。これを解決するには、どうしても経済開発に着手せざるを得ない。そのとき問題になるのが自然破壊、環境破壊である。

 経済開発と環境問題は裏表の関係にある。どちらを優先させてもバランスは崩れる。秩序と調和のある経済開発が望まれるゆえんである。ここにも日本の出番がある。なぜなら、日本も発展途上において、そして、いまもなおずいぶん公害問題に苦しんできた。そのお蔭で、いまは世界に冠たる公害防止技術と経験が蓄積されている。それらを無償で世界に提供すべきではないか。

 

「顔づくり」の第一歩

 

 いま「環境」は世界中でキーワードになっている。いわばモテモテの花嫁候補である。日本が本当に「世界に貢献する」意志があるならば、この花嫁をこそ伴侶とすべきだろう。少々披露宴は高くつくとしても、いまの日本の外貨準備をもってすればできないことはない。そして「サイフがアタマを使っているのではない、アタマがサイフを使っているのだ」ということを世界中に示すべきである。それこそ日本の「顔づくり」の第一歩だ。

 人類最古の叙事詩「ギルガメシュ」は、紀元前三千年前のウルク王ギルガメシュが地中海沿岸のレバノン杉の森を手に入れるための戦いを詳しく述べている。それは、人間が森を破壊し、征服した最初の記念すべき出来事であり、森林破壊の文明への道を選択した、人類史における重要な文岐点であったとされている。

 人間に輝かしい発展を約束したはずの都市文明の誕生は、実はそれから五千年にわたる大規模な自然破壊の第一歩であり、現代の地球環境問題の危機が森林破壊から始まっていたことに人類がようやく気づいたのは、たかだか百年前のことである。

 森を破壊して、都市文明を発達させたウルク国王も、そして、メソポタミア文明、エジプト文明、ギリシャ文明も、いずれも森を失ったためにそれぞれの文明の衰退期を迎えた。今ではその栄華のあとが、緑のない広大な砂漠と化していることを見ればそのことがよく分かるだろう。

 森には悪魔が住むと教える西洋のおとぎ話と異なり、日本では森には神が住む、と子供たちに教えてきた。木を見て神様、森を見て神様、山を見て神様…。

 森林破壊を繰り返しながら都市文明を発展させてきた西洋と、日本はその様相をまったく異にしている。

 西洋列強に比べて狭い国土でありながら、その中で都市文明と近代工業をそん色ないまでに進化させて、なお国土の七〇%を森林として保存している日本の森林と人間との共生の歴史は、二十一世紀どころか三十世紀、四十世紀を視野に入れた文明のあり方を考えるとき、人類の貴重な教訓となるに違いない。日本人は森を中心とした地域づくりを確立し、森の生態系を自らの文明系の中に、たくみに取り入れることに成功したといえるだろう。

 宗教的な意味ではなく、日本が「森の神の国」であったことに、今こそ感謝し、その遺産を広く地球上に引き継いで行く責任を、私たちは負うているのではないだろうか。

 

  (衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「消えてゆく農業」                      2008/03/31の紙面より

 

 大阪の曽根崎小学校二年生の時に父が亡くなり、母は、戦火を避けて私と妹のあい子を自分の郷里の島根県西浜村へ帰した。昭和十九年のことだった。

 出雲市の隣村の西浜村の祖父母の所に預けられ、兄妹二人だけの暮らしがそれから続いた。

 西浜小学校二年生の私と一年生の妹は、日本海から吹きつける風の中を、時には雪道を踏んで、手をつないで学校へ通じる坂道を登っていった。

 

小学生も農業を

 

 雨の日は家の中で近所の子供たちと遊ぶ。晴れた日には、祖父について畑へ行った。

 「てつんど、お前もこいや」と言って祖父は私をよく連れだして、手伝わせた。小さい私に出来ることは、掘り出したサツマイモや、刈りとった蔓を一か所に集めたり、ふごの中に積みあげることぐらいだった。

 祖父には大した助けにはならなかったが、それでも一人で畑仕事をするよりは、私がそばで何かしているだけでもうれしかったのだろう。

 畑仕事を終えて家に帰ると祖母が風呂を沸かして待っている。どこの家からも風呂を沸かす煙が立ち昇って、それが毎日の夕方の風景だった。燃料の乏しい戦時中のことだから、どこの家でも枯松葉(こでば)をかき集めて焚いた。

 冬が来て、正月が過ぎた。最近と違って、その頃は毎日のように雪が降った。

 そして三月、噂され、母が予想していた通りに大阪に大空襲があり、家は焼かれ、母は二歳になろうとする弟の穎二と西浜村へ帰ってきた。日本が空襲に遭ったことや、自分たちの家や家具が焼かれてしまったことよりも、再び母や弟と一緒に暮らせることの方がうれしかった。

 小さな家と畑を特って、一家四人の新しい生活がはじまった。小学三年生になった私は、長男だから母の手伝いに毎日畑へ出た。私だけでなくて、戦中戦後の西浜村の子供たちは学校が終わると、まず畑仕事をして、それからが遊び時間だった。ヤスオくんもアキちゃんも、ヒサキくんもカズタも、タケトミも、ユウちゃんも、毎日畑で手伝っていた。

 トマト、キュウリ、カボチャ、ダイコン、ネギ、ナス、ゴボウ、夕マネギ、サツマイモ、ムギなどありとあらゆるものを作っていた。

 コメだけは作ったことがない。コメを作るのがいやだとか苦手だったというわけではない。コメの自由化を見こしていたということでもない。西浜村という所は、コメを作る田んぼのない村だったのである。

 辛かったのは夏の暑い時の水汲みだった。砂地の上地が多かったので、低い所の水場から桶に水を汲んで天秤棒に担いで坂道を登る。その時の、肩に食い込む棒の痛さは、今でも忘れられないほどである。

 

日本海を眺めて麦踏み

 

 三月の寒い時期は麦踏みだ。出てきた四〜五センチの麦の芽を踏んでおくと、しっかりと根を張り、冬を過ごし、五月には立派な穂をつける。手を息で暖めながら、一列一列と踏んでゆく。高校三年の春まで続けていた。

 冬の日本海は荒い。恐ろしい音をあげ、噛むような白波を海岸にたたきつけてくる。麦を踏みながら自分の将来を考える。

 農業を続けようという考えはなかった。昭和二十七年に中学を卒業した百二十七人の西浜村出身者のうち、農業に進んだのは男五人、女五人の計十人にしかすぎない。ほとんどの友だちは大阪へ、福岡へと就職し、十九人が高校へ進学した。私は旧制中学の教師だった父と同じように先生になるか、新聞記者になりたいと思っていた。政治にも興味はあった。

 しかし、私が大学を卒業して選んだ人生はそのどれでもなく、生きた経済の世界を三十年間走り続けた。

 長い外国生活の間も、子供の頃、畑の中で聞いた風の音、水を汲みながら眺めていた青い大きな海、中国山脈の山なみや白い雲を忘れることはなかった。今でも、土の中でものを作る喜びと苦労を体験しておいてよかったと思っている。そして、その体験ゆえに、私は今でも農業に対するこだわりを持ち続けている。

 西浜村は合併して今では出雲市の一部となった。そこを訪れても、畑で子供が働く姿は見られない。子供どころか、若ものの姿もない。畑で私が挨拶を交わせるのは五十歳を過ぎた人ばかりだ。

 

消えた後継者、支える耕齢者

 

 若い後継者の姿が消えたのは西浜村ばかりではない。出雲市内の各地で同じ現象が起きている。

 日下(くさか)町の福代(ふくしろ)晴行さんは当時四十九歳。奥さんの敏子さんと二人で水田五ヘクタール、畑十五アールを耕作、繁殖牛七頭を飼育し、借地田や受託作業で麦と水稲も栽培する複合型専業農家で、平成三年度に全国麦作共励会の表彰を受けた模範農家であり、出雲市の農業人の誇りだった。自分より若い人たちが都会に出たり、市内の工場に勤めてしまい、町内の農業従事者のなかで最年少となったのが三十年前。

 それからまた十六年、六十五歳になるまで未だに最年少のままというのが福代さんのたった一つの悩みだ。あと二十年もしないうちに、日下町だけでなく、出雲市の農業は消えてゆくだろう。

 農業県と言われた島根県で、新規学卒就農者は昭和四十年(一九六五)には四百人、それが平成十九年三月卒業者ではわずかに一人である。

 農水省の全国統計では農業の担い手は五五六万人、その平均年齢は六五才。日本の農業従事者の五七%は六十五才以上の人たち、つまり年金を受取りながら農業というのが、誇り高き日本農業の現状である。

 前期高齢者と後期高齢者が日本の農業を支えており、まさに高齢者こそが「耕齢者」となっている。

 この状況のままで「耕齢者」に早々と、うば捨て山などに行かれては困る。何らかの医療優遇策を実施して「高貴高齢者」と看板も変え、うば捨て山へ行くのをしばらく待って頂く必要がありはしないか。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「新銀行か 損銀行か」                  2008/03/21の紙面より

 

 東京銀行という名前は数ある日本の銀行の中でも光り輝いていた。日本銀行と並んで優秀な人材を集めていたことは言うまでもない。

 その東京銀行が三菱銀行と合併して東京三菱銀行となり、東京銀行の栄光ある名前は消えた。それから九年、二〇〇五年四月に石原都知事の選挙公約の一つとして誕生したのが「新銀行東京」だった。

 

毎日一億円の赤字サービス

 

 しかし、日本一の税収を誇る東京都がうしろに控えていれば失敗するはずがない・・・という選挙目当ての公約が大失敗。営業開始から三年、九百営業日で九百億円の赤字になっているという。なんのことはない。毎日開店するたびに一億円の大赤字。赤字を出すために三年間せっせと開店し続けた銀行は世界にも例がない。

 「銀行は全くデタラメだよ。本当にデタラメなんだ」という五年前の都知事の言。本当にデタラメだったのは誰か。そのまま「慎」銀行東京、いや「損」銀行東京にあてはまるような無防備な貸し出しに励んだ結果が、「全くデタラメ」無責任経営となり税金のムダ使い一千億円。

 バブル崩壊から各銀行が一斉に緊縮経営と、貸し渋りに走ったのが九〇年代後半からだった。景気が回復して不良債権の重責から解放され、貸し渋りが終息の時期に入った頃の二〇〇三年春に、新銀行は選挙公約として打出された。

 各行が貸し出しを積極的にはじめた頃に「慎銀行」東京は開業した。無選別・無担保で、リスクは東京都民にツケ回し…、という営業戦略だから、これが大当り。客は増えるわ、損は増えるわ…。

 しかしそれにしても、都民の中から声もなかったはずの民意を公約として掲げて、その費用一千億円というのは、選挙費用としては少し高くツキ過ぎたのではないか。投票用紙に石原慎太郎と書くたびに一人三万円の連帯保証同意書に署名していたことになっていたとは、今頃気が付いて目がさめた都民が殆んどではないか。

 追加出資に反対する都民の声が七割をこえている。

 大手銀行首脳も金融専門家も「都知事は銀行業を分っているのだろうか、甘く考えすぎている」という意見だし、「支援する銀行も出てこないだろう、どこかが引受けるとすれば、東京都がよほどの持参金でも新銀行に持たせることが必要」と指摘している。

  日本の銀行は世界の中でも最も安全な天国のような存在を与えられていた。世に知られている「ぬるま湯行政」「横並び行政」によってである。

 そういう絵に描いたようなノー・リスクでハイ・リターンの銀行が、十年前からはハイ・リスクでロー・リターンの世界に激変していたことを都知事は知らなかったに違いない。

 すでに出資した一千億円は融資こげ付きの穴埋めに消えている。

 さらに四百億円をつぎ足せば「慎」銀行は再生できるという。五店舗を閉めて一か所だけに。人員も融資も、四分の一に。それで利益を倍にして三年後に黒字にする。これが再生プランだという。

 東京都民を代表する都議会議員はそれを納得し、受入れて、賛同可決する予定のようだ。

 

地方自治体に銀行は不要

 

 いまさら四百億円を追加投入してまで、「慎」銀行を維持していく積極的な意味はあるのか。

 自治体が大半の資本金を出すような金融機関が存在し続ける必要はない。国が官から民へと民営化を進めている時に、東京都はなぜ公営銀行まで持とうとするのか。競争が激しく、高度な専門性も要求される金融業務に自治体が乗り出したこと自体、無理があった。

 全く規模は違うが、出雲市のように、自治体の産業政策に金融を位置付けたいのであれば、民間金融機関を使った債務保証などの手法もある。限られた役所の人的資源と金融資源の使い方としては、遥かにその方が効率的で、リスクも少ないはずだ。

 提案者であり、トップの人選にもかかわった都知事は、八四%の株式を保有する都の代表者でもある。だからこそ、「経営者が悪かった」という発言が、自身の眼力と判断力の無さを率直に示している。

 「負の遺産のない全く新しい銀行をつくります」と発足して満三年、残ったのは「負の遺産だらけ」の新しい銀行である。

 経営破綻を次の知事に先送りすることなく、自分自身と、そして賛同した共同責任のある都議会の現任期中に撤退することが、都民へのツケ回しを少なくし、政治責任をとる第一歩ではないか。

 ずさんな再建策を前提に都議会が追加出資案を通すなら、行政に対するチェック機能を放棄した背任行為と判断されるだろう。

 知事のメンツか、都民の税金か、それを知事に判断させるのは酷だ。都議会の出番ではないか。

 賞味期限の過ぎた公約をもう一度都民に押し付けてはいけない。

 店舗は六分の一に、貸出も、人員も四分の一に減らすなど、リストラ徹底で縮小均衡を目指す、その一方では収益を二倍にするというが、経営規模を縮小してどう収益向上を図るのか、誰も答えようとしない。肝心の営業力や審査機能力をどう高められるのか、絵に書いた空文のような経営プランではないか。

 

将たるものの決断を

 

 すでに一千億円は消えてしまい、新たな四百億円の出資で経営の立て直しが可能だと言う東京都の主張は説得力がない。「損銀行東京」は清算した方が最終的な損失は小さいのではないか。

 新銀行提案者は誰だったか。

 その賛成者は誰だったのか。

 監督責任者は誰だったのか。

 国の監督責任者は誰なのか。

 経営者であれ、為政者であれ、今の日本にとりわけ求められているのは「将たるものの器」である。「進むか、退くか」情勢を見極め、自らの明快な決断に基づいて行動する能力であり、間違っていた時には職を辞するさわやかさである。

 税金というものをヒトのカネぐらいに思っているから、一度ならず二度目の賛成もできる。

 一度目はウッカリの賛成、ビックリの経営、ガッカリの損失。

二度目の賛成となると、ウッカリとは言えない確信犯となる。その判断と行動には知事十億円、都議一人当り一億円ずつの連帯保証をするぐらいの責任を持つべきだろう。

 新銀行東京の惨たる結果と、これからの銀行業界の環境を見ながら、それでも都民の代表として賛成するなら、知事や議員の報酬を担保に差し出すぐらいの決意も必要だろう。

 幸せな人生には弁護士、医者、バンカーの三人のよい友人が必要だと言われる。医者やバンカーがセンセイと言われたりするほどに尊敬されるのは、リスク判断能力に対する信頼が高いからである。

 先週の朝日新聞の職業別信頼調査でも医師に対する信頼は最低ランクの政治家と官僚の一八%の四倍をこえる八三%である。

 日本ではセンセイと呼ばれている政治家が実際には尊敬されていないのは、判断能力の低さのせいではなく、むしろ責任回避能力の高さにある、などと批判されることのないように、都議会も国会も節度ある凛とした対応を期待したい。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「虎の教え」                        2008/03/17の紙面より

 

 二〇世紀末に「動物たちのビジネス・ゼミナール」という本が徳間書店から出版され、私がその翻訳を監修した。原作者のランス・H・K・セクレタンはカナダの経済人。小さい頃は国際的な子役俳優で活躍したという多彩な経歴を持っている。英国、米国でも学び、マンパワー・リミテッド社の再建を引き受けた時には十年間で百倍の大きさにした実績がある。

 四十歳にして経営の第一線を退き、経済学教授、哲学者、作家、そして、経営コンサルタントとしてはベル電話会社、IBM、BP石油、マクドナルド、アメリカン・エキスプレスなど世界の大企業を顧客に持っていた。

 

効率性から人間性へ

 

 「二十世紀が終わろうとしている現在、我々は、生涯最大の価値体系の転換を目のあたりにしているのだ。管理統制の価値観から、人間性を基本にした価値観に変わるところを…。これは現在の自由主義社会全体に共通の、指導力、労働目的、能力開発などの概念を根本的に変える価値体系の転換だ」

 著者セクレタンの言葉である。

 まさに私たちは今、時代の大きな転換期を迎えている。日本、そして世界を見渡してみても、既存のパラダイムを問い直す重大な局面にさしかかっていると言える。

 産業革命の世紀に続く二十世紀は人口の爆発的急増と石油・領土を奪い合う戦争の世紀であった。科学と経済の発展が人類にもたらしたものは豊かな人間性ではなく、それとは全く裏腹の、民族と民族、人と人が、一年後の食糧、五年後の資源、そして十年後の富を確保するための憎悪と殺戮の世紀であった。その代表的な悲劇がアウシュビッツであり、人間が人間を大量破壊したヒロシマ、ナガサキだった。

 すべての動物の中で、他の動物を殺すために武器を作り、組織を作るのは人間という名の最低の動物だけであることを、私たちは自らが被害国となって痛切に知らされた世紀でもあった。

 そして世紀末になってもう一つの悲劇が近づいていることも知らされた。

 気候変化・地球崩壊である。人間という最低ランクの生物の貪欲な行動の積み重ねが、我々人類のためだけでなく、植物を含め、すべての生物のすみかである地球という一つしかない存在を破壊しつつあるという愚かさを知らされたのも、わずか十年前の世紀末のことだった。

 現在の混沌と混乱は、私たちが新しい地球時代を模索しているうえでの、いわば「膿(うみ)出し」の作業と言えるのかもしれない。

 「動物たちのビジネス・ゼミナール」は、こうした時代の大きな転換期に、人がいかに仕事、家庭などにおいて前向きに豊かに生き、人生を実りあるものにできるかを説いている。

 従来あるビジネスマン向けの書と異なり、物語の体裁をとっている点は大変ユニークである。

 しかも舞台は動物園であり、登場人物は動物たちである。伝えたい事柄を分かりやすくイメージしてもらおうという著者の意気込みが、こうした工夫につながったのであろう。

 原題は「The way of the tiger」(虎の教え)だが、虎以外の動物も数多く登場するので、「動物たちのビジネス・ゼミナール」としたものである。

 ノブナガという名のニホンザルも登場してカイゼン(改善)という日本の概念を持ち込んだことで、動物園社会に新しい一つの哲学を加えたと感謝されている。

 物語は「タミアス」という名の一匹のシマリスが、動物園社会に新しく加わるところから始まる。

 社会の一員となるべく、先輩の動物たちから仕事、人生の手ほどき、極意を学んでいくというものだが、言うまでもなくこれは人間の大人社会になぞらえたものである。

 物語の過程で随所に盛り込まれている原理・法則は、私が三十年間国際経済・金融の世界で培ってきた哲学に相通ずるところが多々あって興味深い。

 どの原理・法則も、人間が社会において生きていくうえで、当然望まれる基本原則だが、各自があらためて胸に手を当て考えてみれば、実際にこれらを実践に移していると言い切れる者が、どれほどいるのか、甚だ疑問である。

 

効率第一守旧派ネメシス

 

 物語では、ゴースト・タイガーの「ムース」とインド・コブラの「ネメシス」を登場させ、リーダーシップのあり方について詳しく対比させている。

 ムースは、喜びを共有する状況をつくれば、同じ方向性の哲学を生み、強力なチームワークになると言う。組織はダイナミックに変化させることも時には大いに必要であり、一人一人がリーダーシップを発揮してこそ、優秀な組織であると…。

 彼は動物園社会の最高指導者であり、熟達・融和・奉仕の三つの基本原理の提唱者である。

 一方、コブラのネメシスは、成功を持続させていくために、生産性、形式化、管理統制を重視する。変化による活性化は衰退を招き死を意味すると主張するのだ。

 シマリスのタミアスはクジャクのバーラバーから次のように告げられる。

 「ネメシスはいろいろな顔を持っている。また、我々の暮らしのさまざまな場所に住みついているが、彼が話す言葉はいつも同じだ。それをいろいろな姿でしゃべる」

 ネメシスのような価値観を持った人間は、存外多い。このような主張は、向上し、改善しようと努力している者にとって、脅威となる。ムースの教えを受けながら、三つの基本原理を着実につかんできたタミアスも

 「彼の言葉は一見もっともらしく魅力的ですが、保守的な考え方を煽っています」

 と、相対立するこの主張に疑問を投げかけていく。

 これらの指摘は、現在の日本の政治・経済などの世界にはびこる、いまだ旧態を脱しきれない者たちへ贈る言葉にもなるのではないか。

 

ムースに学ぶタミアスが叫ぶ

 

 ムースは傾聴の法則も説いている。「真摯に傾聴することの大切さは、経歴が長く地位が高まるほど増大する」というものだ。

 ついに、ムースの教えを学んできたタミアスがネメシスと対決する日がやってきた。彼は渾身の力を込めて、こう言い放つ。

 「古びた過去に盲目的に従うより、未来に希望を抱きたい。…能率、生産性、管理統制に躍起になるより、技術やチームワークにもっと目を向け、職場の環境と生活の質を向上させるべきです。これこそが仕事を向上させる最も良い方法です」

 こうした対決の場面は、私の三十年間のビジネス経験においても、ヨーロッパで、アメリカで、アラブで、アジアで、しばしば見られてきたことである。タミアスの言葉の中に普遍的な真実が貫かれていると感ずるのは、私だけではあるまい。

 あらゆる原理・原則を踏まえた上で、ムースはこれからの組織に求められるビジョンについて、髭についた水滴をなめながらこう語っている。

 「ほとんどの組織に美学が欠けている。見た目は立派だが香りのない花のようなものだ。だが、美学こそわしらが直面している最も重要な課題なのだ」

 これこそ、私たちが今直面している「豊かさを求める日本」の大きな課題だろう。二十世紀の経済発展とバブル崩壊の後に創造される新しい価値観に基づいた組織は、まさに美学を追求するものでなければならない。

 

(衆議院議員、元 出雲市長)

 

 

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「ジャペインの痛み」                    2008/03/10の紙面より

 

 今月五日、英「エコノミスト」誌が主催する「日本国政府とのビジネス円卓会議」の昼食会の席上で講演する機会があった。

 約百名近い内外のビジネス関係者を前に、七年間の英国生活や民間金融機関での長い経験を振り返りつつ、いわゆる「ねじれ国会」について、国会のねじれを含め三つの「ねじれ」があると指摘した。

 

三つのねじれ

 

 一つ目は、衆参の「ねじれ」で、衆議院では政府与党が、参議院では野党が多数を占めたことで、自動車に例えるなら、日本はアクセルが二つ、しかしブレーキが無い自動車に長い間乗り続けてきたが、今やっと、アクセルとブレーキを持つようになった。このねじれがあるからこそ、防衛省や道路特定財源などの多くの問題が「発見」されるようにり、「ねじれ」をより肯定的に捉えるべきであると強調した。

 第二の「ねじれ」は、道路特定財源に十年間で五十九兆円投入することについて、世論調査などによると国民の約七割が今でも反対している一方、全国の都道府県知事、そして一八八三名の市町村長のうち六名を除いた全員が道路特定財源に賛成している。九九・七%の日本の首長が「民意」に背を向け、「官意」に顔を向けている、「ねじれ」があると紹介した。

 第三には、同じ自民党の中においても小泉元総理は、道路特定財源に反対し、福田総理は賛意を示すという、与党自民党の中での「ねじれ」があることにも言及した。

 また、この「ねじれ」を「スターティング・ポイント」にして、長年政権の座に居座る自民党に対して、民主党が政権交代に向って努力している時に、英「エコノミスト」誌が極めて否定的な見方を羅列した記事を掲載したことに、過去の同誌の論調と反する「ねじれ」があると指摘しつつ、苦言を呈した。

 さらに、表紙に「Japa”i”n」として日本の国名を「Pain(苦しみ、苦痛)」であると「いたずら」するのは、いたずらの度が過ぎる。いずれの国に対してであれ、国民の敬愛する国名をこのように茶化すのは問題であり、公式な謝罪を要求した。

 

抗議文

 

 講演終了後、同誌東京支局から、ロンドン本社に取り次ぎたいから文書で提出してほしいとの依頼を受け、次のような抗議文を三月七日付で届けた。

 

   (前略)

 

 講演で指摘させていただきましたが、この度の貴誌二月二十九日号の日本特集は極めて残念な点が多く、長年貴誌の愛読者であり、貴誌のご指摘をしばしば国会の論戦や著書の中でも引用してまいりましただけに、大変落胆させられました。

 外国メディアや外資系企業のこれまでのステレオタイプの日本や民主党に対する見方が羅列されているだけでした。

特集記事で、昨年七月の参議院選挙で、野党が過半数を獲得して以来、古い自民党の体質をもつ小沢代表率いる民主党が、日本の経済停滞の原因の一つになっているとしていますが、道路特定財源や防衛省などの問題を国民の前に浮き彫りにして見せたのは、我々民主党です。

 このような点に全く触れないのはジャーナリズムとしての公正・公平さを欠く、恣意的な記事と断ぜざるを得ません。とりわけ問題なのは、貴誌の表紙にある“Japain”という見出しです。

 国際連合をはじめとした国際機関にも正式登録されている我が国の国名を「Pain(苦しみ、苦痛)」と掛け合わせていたずらするとは言語道断です。

 国民のアイデンティティーであり、敬愛の念を向ける国名をもっとも目立つ表紙で茶化し、それを全世界の書店に並べるという行為は、国旗を傷つけたり燃焼したりするのと同様に、卑劣で配慮に欠けたものです。いずれの国の国名に対しても行うべきではありません。

 国民の誇りである国名を傷つける行為に対して、日本国民を代表する国会議員として、また日本の二大政党の一翼を担う民主党の国際局長として、厳重に抗議するとともに貴誌の紙上での公式な謝罪を求めます。

 

三流国家か、最低国家か

 

 このような国号に対する侮辱行為に日本政府がどのような抗議をしたのか、外務省に問い合わせてみたところ、記事の内容についてはいくつかの誤解を国際報道官が指摘したが、表紙を使っての国号への茶化し行為には何も抗議しなかったとのことだった。これが本当に一流国を目指し、安保常任理事国入りを目指す国家の対応と言えるだろうか。

 一九九七年一月の衆議院本会議での所信表明で、橋本龍太郎総理は「六つの改革」を「不退転の決意」で実行すると約束し、景気対策のための減税や国債の発行は「やらない」「やれない」「やるべきでない」と公言した。ところが、その舌の根も乾かないうちに、大型減税の導入、財源は国債発行、さらには三十兆円という巨額の公的資金を銀行救済、預金者保護のために投入すると発表した。

 なぜ橋本総理は一八〇度の方向転換をしたのか。相も変わらず「外圧」に押されたからだった。

 バブル崩壊後の景気回復にようやく光が見えてきた一九九七年の春、日本政府は消費税の引き上げを行ったが、アメリカは日本の景気回復の足を引っ張ると見て、この増税に当初から懸念を示していた。

 日本政府は、「消費税引き上げによる景気の後退は一時的なものである」として、アメリカの言い分を突っぱねた。しかし、消費税の引き上げは景気回復の腰を完全に折り、日本は出口の見えない不況に突入してしまった。

 クリントン大統領やルービン財務長官から、政策転換を促す電話が直接日本政府にかかってくるところまで事態は切迫し、橋本首相の方向転換は、こうした「外圧」の「成果」にほかならなかったのである。 主体的な判断能力を欠く日本という国は、湾岸戦争当時もいまも、決して国際社会から尊敬されることはない。 尊敬されないばかりか、勇気も判断力ももたないリーダーの存在は、この国を滅ぼしてしまう恐れがある。

 近代経済学の祖とも言われ、「君主論」などで知られるイタリアの政治思想家、マキャベリ(一四六九〜一五二七年)に、次のような言葉がある。

 「弱体な国家は常に優柔不断である。決断に手間取ることは有害である。この種の国家の打ち出す政策は、何かの圧力に屈したあげく、やむを得ずなされたものになる」

 この五〇〇年前の言葉はいまの日本のことを予見でもしていたかのように、日本の「三流政治」の本質をものの見事に突いている。

 「国家にとって厳に警戒しなければならぬことは、軽蔑されたり、見くびられたりすることである」 これもマキャベリの言葉である。 国号の誇りを傷つけられても、我関せず。こういう国家や政党、政治家が愛国心教育を口にする資格はない。防衛省の怠慢ぶりを上回る総理や外務省の鈍感力こそ、日本のペインかもしれない。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「赤字の財政、黒字の金融」               2008/03/03の紙面より

 

 民間の銀行を、株主でもない一般国民の税金を使って救済しようと公的資金の投入が実施されたのは、つい十年前のことである。

 銀行業というのはそれほど難しいものではない。預ったお金を、きちんと安全に利子をつけてお返しする。人をだますようなことをしない。たった二つの原点さえ忘れなければ、銀行という仕事は世界中どこでも立派につとまるものだ。

 

資本主義の原点を守れ

 

 その二つが守れなくなったというのだから日本の銀行は、世の中でお役に立つどころか、お荷物になりかかっている。

 まず、預った金にまともな利子を払わない。利子を払えないどころか元金さえも危ない、返せるかどうか自信がない、万一のときは銀行同士の助け合い基金の額だけでは足りないから国民の税金を回してくれという甘え方…。どこの農家が、商店が、家具メーカーが、自動車会社が、倒産したら税金で穴埋めをしてくれなどと泣きついたところがあるか。

 共産党の議員が衆院予算委員会で橋本総理に指摘していたが、自己責任が資本主義の原則、その原則をなぜ守れないのか。資本主義の中心が銀行だと私たちは大学で教えられてきたではないか。自民党総裁が資本主義のいろはのいの字を共産党に教えられるというのも珍しい。

 第一のルール、預った金を安全に、そして利子をつけてお返しする、それを実行しない上に、人をだましてはいけないという第二のルールさえ守らない銀行がいくつか登場してきた。長銀、日債銀、福徳銀行などなど。すべての銀行が何らかの粉飾決算をしていたと言われている。

 世界的規模で詐欺行為を働くためには、大蔵省の検査、日銀の監査を抱きこみ、魚心あれば水心、下心あれば手心あり、粉飾決算で突破するしかない。偽りの報告書で株価を維持し、利益も出ていないのに株主には商法違反の「タコ配当」、政党には多額の真っ黒な「イカ献金」、そして役員には高額の退職金。

 経営者の犯罪とか、経営責任の追究というが、日本の銀行の経営者には自分が経営しているという意識があったかどうかさえも疑わしい。

 すべては護送船団行政という名のもとに大蔵省が銀行を経営し、頭取という美名と高給と執務室と秘書と運転手付きの自動車を与えられていた、単なる特別使用人だったのかも知れない。

 黒澤明監督の「影武者」は、命を赦され、罪を問われることなく追放された。問題銀行の頭取たちも、自分は影武者に過ぎなかったことを証明すべきだ。そのことだけが、真の犯罪者がだれであったかを国民の前に明らかにしてくれるだろう。

 米国、欧州、日本の三大金融・証券市場の現場から三十年間、私は世界各国の金融政策を見て来た。大学を卒業して経済の世界から、地方行政の立場から、そして国会から、五十年間、大蔵省と日銀を見つめてきた。

 日本では、超低金利政策、分かりやすく言えば「ゼロ金利政策」という世界で最も異常な政策を、十年前から銀行救済と大企業救済のために採用し、その結果、銀行と企業の病状回復以上に家計の病状悪化が進行している。

 そのような政策を採用し、今なお継続して金利生活者、特に年金生活者を苦しめている責任者が、自民党総裁と日本銀行総裁の「二人の総裁」である。一人の総裁は「自民党員が選んだ総裁」であり、もう一人の総裁は「自民党総裁が選んだ総裁」である。

 

帰らざる三百兆円

 

 私は衆議院予算委員会で、何度も、強いもの、大きいものを、より強く、より大きくするだけだという分かりやすい例として、「二人の総裁」に対し、この庶民いじめ、年金生活者いじめの政策の非情ぶりを批判した。

 

 ゼロ金利政策がはじまった当時の速水優日銀総裁に次のように質問した。

 

 「あなたはお金の印刷ばかりなさっているが、そのお金に給料を払っていますか」

 「払っておりません」

 「世界のどこの国がこういう政策をとっていますか」

 「どこの国もとっておりません」

 「あなたはどういう心境で仕事をしていますか」

 「たいへん心の痛む思いであります」

 

 ここで、日本のゼロ金利政策が本当に役に立ってきたのかどうか、新しい日銀総裁を選ぶ大事なこの三月によく考えてみるべきではないか。

 預かったお金に利子も払わない銀行が世界のどこにあるのか。たしかに利子を払わないだけ銀行は助かり、その銀行から巨額の借金をしている大企業は「借金棒引き」で救済される。しかし、期待していた利子をもらえない人たちの損害は十年間で三百兆円に達しているのだ。

 その被害はますます拡大するばかり。とりわけハイスピードで高齢化が進む中、ゼロ金利は年金生活者を直撃する。老後のための蓄えが、当てにしていた金利を生まない。得べかりし利子に政府が一〇〇%の税金をかけて、それをそっくり銀行に補助金として渡しているようなものだ。元本はできるだけ崩さずにいたいと思うから、消費を抑えて対応するしかない。貧しい思いで毎日を暮らさなければならない。

 

 社会的正義感が欠如している政策だという批判は当然のことである。

 

武藤氏の説明責任

 

 不安のタネを拡散していることに政府はまだ気がつかないのか。「テロ対策」も大切だが、暮らしの大量破壊兵器から国民を守る「ゼロ対策」も、「テロ対策」同様に必要だ。

 日銀がゼロ金利で市中銀行にジャブジャブに資金を流すというやり方は、世界的に異常な金融政策であり、そう長く続けることは経済を麻薬漬けにするようなもので、副作用も多い。

 加えて、輸出企業支援のための円売り、ドル買いの市場介入で放出した七十兆円。日本の大蔵省と日銀から低利・大量に供給されたカネが原油投機に、土地投機に、サブプライムローンにとつながっている。

 自民党総裁と日銀総裁の二人の総裁は、「低利と放漫」の二つの政策の合わせ技で、日本の経済を偽装建築しているだけではないか。その二人を五年間ずつ、合わせて十年間に亘って支えてきた武藤副総裁は、そのことをはっきりと国民に説明すべきだし、預金者に利子を払わず、国に法人税を納めず、利益は史上最高という銀行の頭取や好況増益企業の社長は、全国の預金者にまず深々と頭を下げてお詫びし、お礼申し上げるべきではないか。

 受取るべき利子を放棄するという、国民の協力負担金は、もはや限度を超えている。大企業と不良債権に苦しむ銀行を助けるために、政府が日銀に強要したゼロ金利政策のお蔭で大企業と銀行の利益は新記録。

 一方、国民の財布に入るはずだった利子三百兆円は、未だに財布に返されていない。

 

 「利権民主主義国家」を「立憲民主主義国家」にと、国のかたちを変える時が来ている。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「防衛省を 防衛し」                     2008/02/25の紙面より

 

 思い出は二十年前にさかのぼる。ニューヨークで毎朝、テレビに映しだされるタンカーやホルムズ海峡の様子と「昨日の死傷者は何人」という新聞記事に接してきた。

 アメリカ人は知っていた。ホルムズ海峡を通る石油の五五%が日本に輸出され、アメリカには七%しか入っていないことを。なぜアメリカの青年の血を流して、半分以上が日本に行くタンカーを守らなければならないのか。アメリカのイラン・イラク戦争「イラ・イラ」の原因はここにもあった。

 

米軍はGULF、日本人はGOLF

 

 湾岸戦争に召集され、アメリカの青年がクウェートを守って猛暑の砂漠で戦っているとき、ときあたかも一月、日本の自衛隊は雪祭りの札幌で雪だるまを作っていた。

 アメリカがアメリカ人の税金を「GULF」に使っているとき、日本の企業がアメリカの有名な「GOLF」コースを買収したことが報道された。二十年前のことである。

 そして次は十年前、北朝鮮のテポドンが日本の空を飛んで大騒ぎしているとき、防衛庁は庁舎の庭で汚職文書の焼却隠滅に忙しかった。横領、収賄が発覚し、こちらは専守防衛、文書殲(せん)滅。日本領海に入ってきた北朝鮮の特殊工作船も取り逃がした。 国を防衛するどころか、

 「防衛庁 防衛庁を 防衛し」 とある新聞の川柳欄でやゆされている始末。「防衛はアメリカ任せ、金もうけは自分任せ」では、この国の未来が危うい。

 防衛庁だけでなく、厚生省、大蔵省(現財務省)、日銀、国土交通省、道路公団、県庁などのお役所に言えることは、大きな組織は大きく腐敗するということ。魚心あれば水心、水心あれば手心あり。金融機関に対して天下りポストを要求しては指導と検査に手心を加え、不良債権を増大させ、その処理に何の罪もない国民の財布を使った大蔵省。裏金づくりの経済産業省。そして極め付きが外務省の長期、組織ぐるみの浪費。その手口は防衛庁汚職も、ムダな農水省の干拓工事も全く同じである。

 

「役人」こそ最高の職業

 

 私の好きな言葉は、『最もよく人を幸せにする人が、最もよく幸せになれる』。色紙にもそれを書くことが多い。自分だけが幸せになりたい、自分の方が先に幸せになりたい、だれもが考えている、だれもがやりたいことだ。しかし、自分が幸せになる前に人を幸せにできる人があるとすれば、その人こそ一番幸せな人ではないか。

 イギリスにはこういうことわざがある。『ミルクを飲む人よりも、ミルクを配達する人の方が健康になる』。待っていてミルクを飲む、健康になる。しかし、その人のためにきょうも明日も、雨の日も風の日も、その人にミルクを運んでいる人、その人の方が健康になっている、というのだ。

 出雲市の職員には、役所は「役」に立つ「所」、役人は「役」に立つ「人」であれ、人を幸せにできる仕事や、ミルクを運びながら自分の方が健康になる、そんな恵まれた職業が日本のどこにあるのか、役人こそ最高の職業だと、私は訓示し、職員はその通り一生懸命に働き、六年間に予算と仕事量が五割も増え、人口も増えたが、職員数は一人も増えなかった。

 同規模の市に比べて七割の人数で十割の仕事をこなし、そのうえ土・日の週末サービス。自分だけが喜びたい、自分の方が先に喜びたい、ではなくて、お客さんに喜ばれる喜びの方がもっとすばらしいということを出雲市の職員は知っている。

 『ミルクを運ぶ喜び』『人を幸せにできる幸せ』。二十一世紀の日本は、自分たちの地域でも、世界の中でも、そういう高い志を持つ国でありたい。

 自衛隊倫理規程は二〇〇〇年四月に定められた。これによって業者とのゴルフは禁じられた。が、そもそも倫理規程ができる前なら問題ないというのはおかしい。

 そのうえ、規程ができた後もやっていたことなど、お粗末の極み。インド洋での日本の給油協力が続くのかどうか、世界中の国が期待と不安で注目している時、当の防衛省の次官が非戦闘地域日本のグリーンの芝生で三百回も給油を受けていたという事実は、命をかけてイラクやイランのテロ行為と戦っている多数の国の将兵たちに、とても説明できないことだ。

 アメリカはGULFに、日本はGOLFに、二十年前と同じことを未だにくり返している。たった一つの日本の進歩といえば、二十年前には日本の民間企業だったが、今は役所や官僚のトップに代ったことだけだ。

 接待づめの防衛省、贈収賄のたねがつきない厚労省その他の役所。戦後の実質的な一党独裁体制のもとに安住し、カネづくり、票づくり、世襲づくり、権力づくり、既得権づくりにせっせと励んできた六十年の結果が「美しい国」どころか腐敗まみれの「恥ずかしい国」を作ってしまったようだ。

 日本の行政システムはサビついてしまった。癒着と接待、天下りと金下りの山だけが残ったことは今や明白。公的権力の責任の担い手としての誇りもけじめもない姿は、官僚制が国益の担い手としての地位を自ら放棄したことを示し、「私を捨て公となす」公僕の言葉が、今や日本では死語となってしまった。

 九五%の役人が「役」に立つ「人」として今日も懸命に仕事に取り組んでいる。なぜ東京に住んで権力を持つと役人が「役」に立たない「人」になるのか、東京の水が悪いのか、権力が公僕の感覚を麻痺させるのか。

 日本古来の文化の特徴であった「佗び」と「寂び」が、二十一世紀の日本では「詑び」と「錆び」に転落して泣いている。

 

救出されない血まみれ母子

 

 三十一年前の九月の真昼に悲劇は起きた。横浜市青葉区に在日米軍厚木航空基地を離陸したジェット偵察機が火を噴きながら墜落し、炎上した。新聞は次のように伝えている。

 「一瞬、火の海」「米軍機、民家に墜落」「住宅襲う牴个世襪淒吠勠瓠廖崕けて! 血まみれ母子」「頭から血を噴き出し、燃え上がる住居からはい出す親子」。

 二人の男の子が血まみれになって泣きわめきながら、東急建設の作業所の車で近くの病院に運ばれ、「パパ、ママ、バイバイ」と小さな声をあげ、そこで息を引きとった。

 ジェット機のパイロット二人は墜落前に脱出。地上の騒ぎとは対照的にパラシュートでゆっくりと空から降りてきた。ほとんどケガらしいケガもなく、到着した海上自衛隊のヘリコプターに収容され、厚木基地に運ばれ、本国へ帰国した。

 自衛隊が活動したのは二人の米軍パイロットの救助だけだった。

 「自」衛隊でありながら、「自」国民の救助に当たらず、「他」国兵の救助を優先したのである。自衛隊にとっての自国とは米国を意味するのか。

 国の防衛とは何か。自衛隊は国民を守るという満身に溢れるような気概を持っているのか。衝突し、破壊した船と二人の父子を救出もできないままに、ヘリコプターで現地を離れた「あさかぜ」の航海長、そしてこの横浜市青葉区で起きた自衛隊による悲劇の幼児置き去りを思い出すとき、防衛省の責任を厳しく問わずにはいられない。

 汗の出し惜しみ、情報の出し惜しみは、だれの指示によるものか。

 

 (衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「地方徳政令を」                      2008/02/18の紙面より

 

 働いても働いてもラクになれない。税金を払っても払っても安心できない。年金を払っても返ってこない。平和国家も福祉国家も文明国家も、遠くへ遠くへと消えてゆくばかりではないか。

 政治の英智と勇断が今こそ必要だ。

 一日も早く明るく元気な日本を取り返す第一歩を踏み出す方法として、五つの提言をしてみたい。

 

日本を元気に五つの提言

 

 第一に、「個老創設」。つまり、二世代同居型個人経営老人ホームの制度を創設する。高齢者一人に年六%のコストのかかる役所の建てる公的老人ホームを一日千秋の思いで順番を待っておられる高齢者は後を絶たず、順番が来るころにはお亡くなりになる。これではらちがあかない。 それに代わって個人が建てる、または購入する老人ホームの所要資金の金利相当三%を毎年国が助成することにより、財政再建・景気対策・福祉対策の一石三鳥の効果が期待できる。

 第二に「中小新税」。中小企業のオーナー経営者については、一切の控除や租税特別措置を廃止し、個人と法人の所得を合算して一律二〇%のフラットタックスとする。世界一単純明快な税制に切り替えて、中小企業改革を断行する。

 第三に「高速無料」。どこからでも高速道路で東京に行けるようにすれば、東京が身近になり、親孝行も仕事もしやすい、いわば「我が家の首都移転」であり、「日本中が首都圏」になる。逆に、地方への企業移転もやりやすくなり、週休二日時代に遠くまで休暇で出かけることによる経済波及効果は相当なものになるだろう。

 第四は、「地方棒引」である。国の片「棒」を担ぎ、公共予算のコストが負債となって身動きできない地方自治体の借金を半額、「棒」引き救済する。都市の銀行やゼネコン向けの公的資金投入や棒引き徳政令よりも、あくまで地方分権推進型の借金棒引を優先することだ。言いかえれば平成の国づくり徳政令。そのための新しい財源として、政府紙幣発行を決断すべきだ。

 最後に、「株式無税」。無税とはあまりに極端との意見もあろうが、ゼロ金利を十年続けて「失われた十年」となってしまった日本には発想の転換が必要。第二次証券民主化運動の特効薬となる。

 以上、二十文字、五つの提言。

 しかし、地方の時代、地方の活力を高め、高齢化時代にのしかかる行政サービス負担を補助するためには新しい財源が必要となる。

 政府が足りない財源を手当てしようとする時には四つの方法がある。

 まず第一に税金を増やす。

 第二に国債を発行する。

 第三に政府通貨を発行する。

 第四の方法としては国有財産の処分である。この第四の方法は、政府の土地、建物、道路とか郵便などの政府所有の事業を民間に売却することだが、金額も限られているし、何度も繰り返すわけにはいかないから、結局方法としては増税、国債、政府通貨の三つしかない。好景気であれば国民に痛みを与えない増税も可能だが、今は、とても増税を許すような環境ではない。

 

国債大量発行で借金地獄

 

 第二の国債発行は国内総生産の規模五百兆円を大きく飛び抜けて、今では八三八兆円。わが国の歴史始まって以来の巨額な借金となり、GDP比率で他の先進国と比較しても堂々たる世界一の借金大国となってしまった。

 昨年の数字で見れば、一年間の税収五十三兆円に対して利払費が十八兆円。政府の将来見通しでも十年後は税収五十兆、利払二十兆と、税収の四割を、借金返済に回すどころか、利払いだけに回さなければならないという自転車操業。福祉の充実など夢のまた夢。

 この恐ろしいシナリオから一日も早く脱出して、明るく元気な日本を取り返す第一歩を踏み出す方法は一つしかない。「政府紙幣」の発行である。

 増税は新たな増税を産み、国債発行は新たな国債発行をもたらす。増税も不要、国債増加も不要の政府紙幣発行こそがデフレ経済のもとでは可能な唯一の方法であり、救国の発想ではないか。

 わが国の通貨の歴史を紐(ひも)といても、むしろ複数の通貨が発行され、流通していた時代がほとんどであった。

 江戸時代、鎖国体制のもとに国内産業の振興と物資の流通が進展した時代に、貨幣の役割も当然のことながら飛躍的に高まり、その中心となったのが「銀貨」と、徳川政権で発行された「金貨」であった。金貨は東日本で、銀貨は西日本で流通し、しかもその交換レートは変動しながらも十分に信用され、日本の通貨としての機能を果たしてきた。

 

政府による通貨発行

 

 政府の立場に戻して考えるなら、国債という「借金」ではなく政府自身の通貨を発行すること。攻める財政をさらに一歩進めるなら、現存する国債を政府紙幣で買入消却して年間二十兆円の利払負担を削減すること。仮に十兆円減らせばその十兆円を年金財源に充当するか、少子化対策に使うか、道路公団の借金を返済して、四十五年後ではなく、四年後に高速道路無料化を実現して経済の活性化と税収増加に結びつけることもできる。このように、政府通貨発行で十分な財源を確保すれば景気の回復は間違いない。

 景気回復が税収増をもたらせば、増税内閣どころか、国民待望の「減税内閣」が実現する。政府だからこそできる、政府だからこそやらねばならないことをやらない、そういう無為無策、無能無気力の政府には三文の価値もない。

 おカネを合法的に印刷できるのは政府と日本銀行である。政府通貨は今でも五百円、百円などの硬貨発行の形で行われている。政府通貨は、見方を変えれば、「無利子の、返済期限のない、買い物にも使える、国債」とも言えるだろう。新しい通貨の発行は景気の過熱やインフレを招くのではないかと懸念する人があるかも知れないが、政府通貨も国債もその発行限度は国会などで厳しく審議されなければならない点で共通しており、国債発行なら安心、政府紙幣発行ならインフレという議論には全く根拠がない。

 日銀が全額買い受けることは禁止されているために、民間の金融機関にゼロ金利政策を何年も続け、コスト・ゼロのカネを提供して国債で収益を挙げさせる…、これは偽装された日銀引き受けであり、日銀財務諸表の粉飾決算であり、カネボウの粉飾問題と何ら異なることがない。国家ぐるみの偽装や粉飾から一日も早く脱却し、誇り高き経済国家への道を進むべきではないか。

 現在のように、政府が国債を発行して、いやがる日銀に押売りする、国債をどんどん、日銀がぱくぱくでは、景気が好転し、金利が上昇した時に国債価格は暴落し、大銀行と日銀は暴落損で大赤字、再び金融危機に見舞われ、せっかくの景気も三日で終わってしまう。財政のメタボリック症状から立ち直ることは永久に不可能だ。

 江戸時代の金貨、銀貨の例にならって、円に加えて政府が「政府紙幣」を発行し、政府紙幣と日銀紙幣の「両建て」とする。これなら金利変動の影響も受けず、日銀の資産の健全性も損なわれることがない。

 異常な事態には異常な発想が必要ではないか。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「領土拉致、北方四島」                  2008/02/11の紙面より

 

 濃い霧の中から突然現れたソ連兵が、北の島「択捉(エトロフ)島」の村人を取り囲みました。日本が終戦を受諾した八月十五日からわずか十三日後の一九四五年八月二十八日朝十時のできごとでした。

 ソ連軍はそこから更に南下し、わずか一週間で国後(クナシリ)、色丹(シコタン)、歯舞(ハボマイ)の四島を占領し、以来今日にるまで六十一年間、不法占拠、いわば「領土拉致」され続けています。

 直ちに行動を起こしたのは根室町長でした。四五年十二月に町の一部が、奪われたことを訴えるために、連合国最高司令官マッカーサー元帥に北方領土問題解決を求める陳情書を提出しました。

 毎年二月七日を「北方領土の日」とすることが閣議了解で定められ、今年はその二八回目の全国大会が千代田区九段会館で開かれ、一五〇〇人の全国各地からの参加者で大変な盛会でした。

 

一括返還、全政党の願い

 

 民主党を代表し、福田総理、高村外務大臣、各政党の代表とともに私は次のようにご挨拶しました。

 「本日は国際局長として民主党を代表してまいりました。

 北方四島一括返還問題は、私たち日本国民すべての強い願いであり、それを実現し、日露間の友好的な関係をしっかりと樹立するためには、ゆるぎない政治的決断が何よりも必要だと思います。

 私たち民主党は、自民党その他の政党と色々な政策において意見を異にすることがあります。しかし、この北方四島一括返還については、全ての政党の共通した願いであるということを、民主党を代表して皆様にもお伝えしたいと思います。

 拉致された国民を救出することと同じように、拉致された日本の領土を救出する為に、この問題は一刻も早く解決しなければなりません。

 世界のどの国で、国民の生命や財産、そして領土を守ることを放棄した国がかつてあったでしょうか。

 私はヨーロッパで十年、アメリカで十年、合わせて二〇年間、外国から日本を眺めてまいりました。日本の歴史、伝統、文化をいつも誇りにしてまいりました。しかし、たった一つ恥ずかしいことは、この拉致された領土を未だに取り返すことができない、復帰させることができないということであります。これは「美しい国」ではなくて「恥ずかしい国」ではないでしょうか。国民の代表たるべき私たち国会議員は、そしてとりわけ国家権力を委任されてきた政府と自民党は、痛烈な反省と謝罪をすべきだと私は思います。

 六三年前の終戦の日、私は小学校三年生でした。父を失い、大阪の生家を焼かれ、私たち家族は疎開先の島根から大阪に帰ることができませんでした。島根で育ち、そして島根で学んだ私は、「島」という文字に特別な愛情を感じております。出雲神話の中の国引き神話に表れているように、そこには島に対する特別な思いがこめられています。

 昨年十月、韓国の大邱市で中国・ロシア・韓国・北朝鮮・モンゴル・日本、六カ国六五都市の自治体連合による「北東アジア国際経済フォーラム」が開催されました。私も出席し、二十一世紀に最も発展が期待される北東アジアの諸問題について意見を交わしました。当然のことながら北方四島もその大切な一角を占めています。その北東アジアが二十一世紀の世界経済の発展の中心であり、原動力となるためにも、この北方四島の返還を一刻も解決しなければならない、そういう思いを一層強くいたしました。

 

三千万人の終戦記憶

 

 終戦の日、七千五百万人の日本人があの悲しい日を迎えました。

 今、終戦の日の悲しくつらい記憶をもっている人の数は三千万人になりました。毎日毎日約二千人ずつがお亡くなりになっています。

 この三千万人と戦後生まれの皆さんとの願いが一緒になり、北方領土返還が一日も早く実現するように努力してまいります。」

 日本には本州、四国、九州、北海道、沖縄の他に大・中・小合わせて七千の島があり、人の住む島の数だけで三百四十島。その島々がいま三つの脅威にさらされています。

 第一に温暖化の危機。地球温暖化による海面上昇で、世界で一番初めに沈むと言われているのが南太平洋の島国ツバルですが、「ツバル現象」はいずれ日本の島を襲ってくるでしょう。それを防ぐには米国、中国、ロシア、その他の経済大国に「温暖化防止多国籍軍」への参加を要請すべきです。

 第二に、他国からの武力による占有。北方諸島や竹島、尖閣諸島の所有権を明確にするか、国連にいったん預託し、共同利用権という構想で早期にそれらの島々が持つ貴重な漁業、鉱物資源、エネルギー資源の共同活用を実現するべきでしょう。

 そして第三に離島現象。市場原理が強調される社会になればなるほど、離島の生活は苦しくなります。島は人が住むからこそ価値があり、日本の経済水域としての所有権主張の国際的裏付けとなります。

 日本の国土面積は三七万平方キロメートルですが、北海道、本州、四国、九州の四島の水域があるために、日本の領海・経済水域はその五倍の約二〇〇万平方キロ。それが沖縄、奄美、小笠原、佐渡島、隠岐島、五島列島などの離島の存在により日本の経済水域はさらに倍増して四四七万平方キロとなり、世界第七位の海域国家となっています。 ひとことで言えば、海が日本を五倍に、島が日本を二・五倍にしているのです。自衛隊や海上保安庁だけでなく、三六五日、二十四時間不眠不休で島々が日本の国境線を守っていることも忘れてはなりません。

 

海を守った山陰の女性

 

 島根、鳥取の両県に抱かれるようにして広がる中海は、宍道湖とともに世界でも珍しい汽水湖として、神話の舞台、「まほろばの海」として日本の財産であり、山陰の観光資源でもあります。その中海を埋めて米作り農地にしようと、工事が部分的に始められたのが一九六三年。その後、さすがに時代の流れが変わったことで八八年に凍結。それを工事が欲しい、土地が欲しいと島根県知事が工事再開を表明したのが九五年。

 当然のことながら再び住民の反対運動が始まりました。その一例をあげれば、県境をはさむ松江市と米子市の女性を中心とする「ゆりかもめの会」。私も島根県出身の一人として協力し、各地の山陰出身者の協力を得て、署名運動が全国に、そして海外にまで広がりました。島根県斐川町の小学生坪田愛華ちゃんは、「地球の秘密」という絵本を書き、「生命は海で生まれた。その海が今、ピンチなんだ」と訴えて、短い生涯を閉じました。

 八年前の七月二十日、ついに工事は中止され、破壊の危機から免れた中海は、神話の時代からのあるがままの姿で残されることになりました。とかく社会的には控え目な山陰の女性が立ち上がった珍しい抵抗運動でした。

 そしてまた同じ七月二十日、南海に浮かぶ沖縄という島が国際政治の中心となりました。二十世紀最後の、言い換えれば二十一世紀の夜明け前のサミットのフィナーレとなった晩餐会の中継放送を見ながら、日本中の人がこの島の歴史をかみしめながら心の中で泣いていたに違いありません。八年前の七月は、日本の海と島の歴史の中の大きな一ページだったと言えるでしょう。

 八年ごとに日本で開催されるサミット会議が、今年は北海道で行われます。その北海道で起きた濃霧の朝の国土の不法占拠について、日本が世界にこの事件を訴える絶好の舞台を与えられているのです。

 六三年間の霧の中に閉じ込められた北方四島の悲劇を、今こそ終わらせたいと願っているのは、決して私だけではないでしょう。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「『鄙の論理』いま一度」                  2008/02/04の紙面より

 

 戦後五十年の中央集権体制のもとで、中央と地方は権限と財源の面でいわば中央が親、地方が子という、親子の関係にありました。十年前に地方分権を政府、自民党は決定し、基本法まで国会で成立させました。

 与野党ともに地方の「自立」を政策として強調しているのは当然のことです。民主国家として、それはあるべき「国のかたち」ですし、できるだけ早く地方が自立してくれなければ、親である中央がもたないからです。

 地方の自立は産業誘致、観光推進、農業支援の三本柱で、そのいずれもが道路を必要としています。

 国家の防衛に、国土の防災に、万一の時の「安心」を保障するのが整備された道路網です。いま、日本の国にとって道とは何か、国も地方も「道の哲学」が問われています。

 

ぶら下がりか 自立か

 

 と同時に、世界で最悪の状態に陥っている日本の財政という大きな枠組みの中でどのようにすれば道路整備を進められるのか、「財政の哲学」も問われています。そしてもう一つ、地方はこの厳しい環境の中で地方の自立を進めるのか、中央へのぶら下がりに返って行くのか、「地方分権の哲学」も問われています。

 こういう日本の中央と地方の財政状況の中で、道路特定財源という特別な「第二の財布」をこれからも十年間、霞ヶ関の官僚に任せ続けていいのか、それが大きな問題です。

 世論調査によれば、特定財源という道路優先席にも、暫定税率というガソリンの「割増金付き価格」にも、反対が圧倒的に多いことはご承知のとおりです。

 政府と自民党は、これからも第二の財布をしっかりと中央官僚に持たせるために、期限切れとなるはずの高税を延長して、これからも十年間、暫定税率を国民に押し付けようと懸命で、こともあろうに地方の知事、市町村長や議員にまで圧力をかけているのです。しかし、勤務時間中に昼間から、全国の県市町村の首長、議員、職員が集団で国会周辺に出かけ、「民意に背を向け、官僚に顔を向け」「やらされ陳情」に懸命に動きまわる姿を見ていますと、日ごろの「分権推進」とか「地方自治」という理念が選挙の時だけのお題目に過ぎなかったのかと、悲しい思いです。

 光文社を介して、細川護熙さんから一緒に対談形式で本を書こうという申し出を受けたのが十八年前の夏、細川さんは熊本県知事、私は出雲市長でした。

 

地方から中央を変える

 

 中央が変わらないなら地方から変える、そういう突き上げるような思いで何回かの対談を重ねて、「鄙の論理」はその翌年一月に出版され、全国各地の議員、首長、識者、若い人たちなど、日本の改革を地方から発信しようという多くの人たちに読まれ、「地方分権」の声は一躍して国民的スローガンとなりました。

 それから十八年、「鄙の志」はどこへ消えたのでしょうか。

 「鄙」の字は、「都」(みやこ)に対するひなびた田舎とか、華やかな公家文化や権力から離れた地方という意味で使われてきていました。

 その「鄙」という日本語が突然のようによみがえってきたばかりではなく、新しい輝きさえも伴って登場してきたのは、中央の地方軽視や蔑視が日本の本当の良さや活力を奪いとり、犠牲にしていることと、それを是正するどころか、放置し、「共生」どころか「寄生」している政治家と官僚に対する怒りが、鄙の自立と誇りを取り返そうとする意味を帯びさせたのです。

 地方分権が果たすもっとも大きな役割は、「霞が関」を救うということです。霞が関は現在、「規制肥満体」とも言える状態に陥っています。これだけ日本中がブーイングを鳴らしているというのに、官僚は持ち切れない程の権限を決して手放そうとはしません。なにかといえば「地方に分権を活用するだけの能力があるのか」と地方を侮(あな)どるのです。その分りやすい一つの例が、道路特定財源という霞が関ご専用の特別な財布です。権限太りのメタボリック、もはや自らの体さえコントロールできなくなっているのは、霞が関のほうです。時代が大きく転換するとき、古い時代をリードしてきた勢力は、退場もしくはそのリーダーとしての役割に終止符を打たざるをえません。それは霞が関も例外ではありません。

 たしかに霞が関は日本のシンクタンクであり、素晴らしい能力を持っていますが、できないことがたった一つあります。「自己改革」です。それは歴史の法則で決まっているからです。

 幕末から明治維新の激動期をとってみても然り。はじめに改革に取り組んだのは、たしかに旧時代のリーダーである幕閣や大名でした。しかし、彼らがしたことは、自社さ連立、自自連立、自公連立にも似た公武合体などという生ぬるい変革だけでした。結局は、当時の身分制度で最下層にあった下級武士の手によって、明治維新という新しいパラダイムが開かれました。つまり、旧勢力や世襲貴族による自己改革はしょせん痛みを伴わない範囲にとどまる、というのが歴史の法則なのです。

 

「偽装分権」に安住するな

 

 腰の重い政治家と、地方不信の官僚が一緒になってさっさと実行したのは、権限・財源・人間の三ゲンセットの移譲ではなく、「借金の地方分散」だけでした。地方自治体が多額の債務をかかえて、最近の一部の銀行や大企業のように経営破綻(たん)の危機にあることを見ればよく分かることです。

 地方自治体に借金という重荷をどっさりと背負わさせれば、いずれ悲鳴をあげて、再び中央の「ぶら下がり健康器」に集まってくるだろうという読みでした。

 地域の負担が少なく、もらい得にみえる現行制度は麻薬のようなもので、自治体の感覚を麻痺させ、錯覚から幻覚症状へと病が嵩じていきます。これまでの地方分権とはなんだったのかが問われています。

 道路「特定」財源(二・八兆円)の「一般」財源化により、道路にしか使えない財源が道路以外にも使えるようになります。

例えば、全国で救急車のたらい回しによる事故が続発していますが、救急病院や医師を増やすことにも使えますし、介護、子育て、教育や、社会保障にも使えます。もちろん道路にも使えます。しかも、それを決めるのは国ではなく、地方です。

 それこそが地方自治、そして地方行政の真骨頂、醍醐味(だいごみ)なのです。

 法律が期限切れになる今こそ、道路特定財源という第二の財布を「一般」財源化して一つの財布にし、その貴重な税源の配分に腕を振るって、中央官僚でなく地方住民の目線で地方を守ってみせる、住民の暮らしを守って見せる、という地方政府の意気込みを天下に示す絶好の機会ではないでしょうか。

 道路特定財源を一般財源化して、教育、介護、福祉も選択出来るようにすべきだと、これは小泉首相が「内閣の骨太の方針」として二年前に国会で明言したものです。福田内閣はその「骨太」に「肉付け」するどころか、「骨太」を「骨抜き」の方針で臨んでいるのです。

 政府に対する、国策に対する、国民の協力負担金はもはや限度を超えています。大企業と不良債権に苦しむ銀行を助けるために、政府が日銀に強要したゼロ金利政策のお蔭で大企業と銀行の利益は新記録。

 一方、国民の財布に入るはずだった利子三百兆円は、未だに財布に返されていないのです。

 「利権民主主義国家」を「立憲民主主義国家」にと、国のかたちを変える時が来ています。

 地方自治は「民主主義の学校」と言われます。その地方政府の長や議会、そして職員が立ち上がり、道路は誰のために、誰がつくり、その財布は誰が責任を持つのか、信念と決意を示すときではありませんか。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「道楽行政の転換を」                   2008/01/28の紙面より

 

 道路特定財源の暫定延長には、家計を圧迫する大きな問題があります。

 公共交通機関が整備されていない地方にとっては、今やガソリンはコメと同じように、農業にも日常生活にも必需品となっています。

 国会が何もしなければ期限切れとなる上乗せ税をたとえ暫定であれ、延長するということは誰が見ても減税ではなく、増税です。

 

増税か減税か、KY政治

 

 低迷している所得を直撃しているガソリンの値上げと、加えて、年初来の株価急落で、その所得低迷が長引くどころか職を失うかもしれないという厳しい不安の中で、「暫定税率」とはいえ、増税をこれから十年間も国民に押し付けていいのかということです。

 アメリカでも新年に入って一ヶ月間に、日本と同様に株価が十%急落しましたが、ブッシュ政権は景気悪化と不安心理を防ぐために、間髪を入れず十六兆円規模の減税を発表し、それを受けて議会は三週間で、超党派で減税案を立法化しました。

 それに比べて同じく十%急落しているわが国ではどうでしょうか。

 これまでのように道路建設専用の第二の財布をしっかりと中央官僚に持たせるために、期限切れとなるはずの高税をこれからも十年間国民に負担させようと懸命で、こともあろうに地方の知事、市町村長や議員にまでも圧力をかけているのです。

 空気の読める、景気も読めるアメリカと、空気の読めない、景気も読めない、いわゆる「KY政治」の日本との違いを、いやという程に思い知らされます。

 暫定税率廃止により、地方の税収は約一兆円減少しますが、その代わりに国の直轄事業の地方負担分(上納金)約一兆円を廃止すれば、地方財政に悪影響はでないのです。

 ガソリン価格引き下げにより、県の税収が減る分、県民の可処分所得が増え、県全体としてはイーブンとなります。所得が県庁から県民の財布へと移動するのです。公共事業よりも減税の方が景気効果が高いので、県民と地方経済にはよりプラスになります。

 原油高、物価高、収入減で国民の財布がいたんでいます。

 高い税金を一時的に払って下さいという暫定税率は、何もしなければ、つまり高い税率を継続するという法律をわざわざ国会が作らない限り、その税率はもとの低い税率に帰って、増税停止。ガソリンを二十五円、軽油を十七円円値下げして国民の生活を守ることは景気対策として必要です。

 このように、目先の国民生活の現状や所得低迷、景気低迷の時に増税を強行することは乱暴運転であり、減税を断行したアメリカとの比較でもお分かりのように、国際常識では運転マナーの違反なのです。

 

道路に楽をさせる行政

 

 「財政の健全化」と「家計の健全化」だけでなく「道路の健全化」、言いかえれば効率的に投下資本が回収できるような使い方に転換することも大切です。

 せっかく建設した高速道路があまり車を運んでいないところもよく見受けられます。不況の中、そしてガソリンのコスト高をお客に転嫁できなくて高速料金を節約せざるを得ないクルマは、無料の一般道を選んで走っています。

道路が楽をし、人間が苦労する、これを「道楽行政」と言います。道を楽しむという意味ではなく、せっかく作った道路に楽をさせているという意味です。

 基幹道路はすべて国が直轄で建設し、無料で開放します。そうすることによってはじめて都市と地方の流通コスト格差がなくなり、地方が活性化します。工場移転を促進し、長期休暇の導入とあわせて個人消費の刺激と観光産業の振興につながります。地方の農産物、畜水産物の消費地へ運ぶ流通コストの負担が減り、農林漁業生産者の所得が増えます。高速料金がなくなることは北海道や九州が東京や大阪の隣に引っ越してくることを意味します。首都を地方に移転するのではなく、地方を首都に「首都移転」させるのです。ガソリンを安くすればそれだけ消費が増えて排気ガスが増えて環境に悪いとおっしゃる大臣が二人います。地方の実情を知らない「あんまり」な言い方に「だんまり」をきめこむわけにはいかず、少しばかり実情をお伝えしましょう。

 小泉・竹中経済政策のお蔭で中央との所得格差は広がり、ガソリンが少し安くなったからといってムダに走り回る余裕などなくなっていますから、排気ガスが増加することはありません。公共交通に恵まれない地方の住民は、収入を守るために通勤するガソリンしか買えないのです。

 そのうえ地方のガソリン価格は東京の百六%で、収入が東京の五十三%の県では収入あたりのガソリン価格は二倍になります。格差を拡大し、地方の所得を下げて温暖化対策に先手を打った、自民党政府の先見の明には頭が下がります。

 

道路も年金も前払い済

 

 高速道路料金を暫定的に支払ってくれれば、三十年後には無料にすると政府が約束したのが三十五年前のことです。無料になるどころか反故(ほご)にした約束を、今度はその約束を聞いた人がこの世にいらっしゃらないであろう四十五年先に合せて、無料化という約束を民営化した道路株式会社に押し付けています。

 政府に対する、国策に対する、国民の協力負担金はもはや限度を超えています。大企業と不良債権に苦しむ銀行を助けるために、政府が日銀に強要したゼロ金利政策のお蔭で大企業と銀行の利益は新記録。

 一方、国民の財布に入るはずだった利子三百兆円は、未だに誰からも財布に返してもらえていないのです。

 この三百兆円を道路に使ったとすれば、政府がまだこれから必要だという五十九兆円分の道路は五回も作ることができた計算になります。もちろん、同じところに道路を五回も作る必要はありませんから、国民の財布から奪われた三百兆のうち、二百四十兆円は手付かずに残ります。

 それを使って、私が六年前から提案している救国の新年金制度、保険料なしで誰にも無料の年金実施の十年分の持参金にそっくり充当できて、今ごろは「消えない年金」が始まっているはずです。

十年分の道路予算の前払いも、十年分の「無料皆年金」の持参金も、国民は既に政府・自民党に支払い済みなのです。

 前鳥取県知事の片山さんも皮肉をまじえながらおっしゃっていることですが、道路特定財源制度を廃止して一般財源にしたら道路はできなくなるなどと、政府が心配することはありません。全国から東京に結集して「道路、道路」と連呼している知事、市長さんが一般財源化された金額を他の予算にまわすはずがないからです。

 地方自治体も心配する必要がありません。予算編成の最高責任者の総理や財務大臣を含む各大臣が、国会で何度も何度も道路の重要性を答弁していますから、国の道路が削られる心配もなくなりました。

 このように考えれば、今こそ特定財源制度を廃止して財政の基本哲学に立ち返る絶好の機会なのです。この機会を逃してはなりません。 全国の自治体に、予算編成をすでに終えた段階での国会の混乱がご迷惑なことは充分に分ります。

 一般財源化を国会で決めても、三年後の次期統一地方選までの三年間を期限にして、暫定税率は三年間に三分一ずつ下げてゆくとか、第一年目の三分の一の減額分は埋蔵金から「迷惑料」として損失補填するとか、与野党で知恵を出し合って、小泉さんの改革の流れを一歩だけでも進めるべきではないでしょうか。

 「骨太の方針」に肉付けをすることです。

 道路の造り方と使い方を転換して、今こそ国のかたちを変えるときです。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「道路か 道理か」                     2008/01/21の紙面より

 

 二月、三月の国会で中心になるのは、日本の道路のつくり方と、そのための税金の配分、そして、厳しい環境の中で増税すべきかどうかという大きな問題です。

 まず、道路はなぜ必要か、財源はどうするのかという問題を考えてみましょう。

 

道路なくして分権なし

 

 地方にだけ道路が必要というわけではありませんが、中央と地方の格差が大きくなりすぎて、一つの日本とは言えなくなってきました。国内の格差をこれ以上広げることは、しなやかで強い日本を失うことを意味します。

 地方の自立は産業誘致、観光推進、農業支援の三本柱で、そのいずれもが道路を必要としています。地方分権のためには権限のみならず財源も与えよというのが常識ですが、権限、財源、道路の三点セットが地方の自立には必要です。国家の防衛に、国土防災に、国民に万一の時の「安心」を保障するのが整備された道路網です。

 日本の農業は、隣りの中国の低いコストとの競争という大きな試練に立たされています。

 わが国の農家の労働コストや生産コストを下げよという議論の前に、農村から東京、大阪などの大消費地へ運んでゆくための流通コストと時間コストの引き下げを実現して、少しでも中国との競争力をつけるためには、アメリカ、ドイツ、イギリスなみに高速料金を無料にすることも当然のことではないでしょうか。

 農業に限らず産業全般について同じことが言えます。アメリカの二十五分の一の国土面積でアメリカの半分のGDP(経済規模)をこれからも維持しようと思うなら、単位面積あたり、アメリカの国土の十二.五倍の生産性を日本の国土が持つような道路網の充実とともに、投下した資本を早く回収できるような効率的な使い方も、とりわけ日本のような地形には必要なのです。

 

「道の哲学」と「財政の哲学」

 

 いま、日本の国にとって道とは何か、国も地方も「道の哲学」が問われています。と同時に、一方では世界で最悪の状態に陥っている日本の財政という大きな枠組みの中で道路整備を進めざるを得なくなっていることも否定できません。

 地方自治体の財政も同じように悪化しています。

 住民に一番近い所で財政資源の配分を考えるなら、道路整備を進めながらも、身近な介護、医療、更には中央と地方との格差で最も被害を受けるであろう教育に、政治や行政の軸足を移さざるを得ないのです。

 このような日本の中央と地方の財政状況の中で、道路特定財源という特別な「第二の財布」をこれからも十年間、霞ヶ関の官僚に任せ続けていいのか、これが問題なのです。

 道路にしか使えないおカネ、いわば税金を「道路商品券」に刷り替え えて地方に渡す。地方にとって本当は有難くない話のはずです。特定財源という仕組みをこれからも続けた方がよいのか、それとも、緊縮財政の中ではこの第二の財布を第一の「親財布」と一緒にして、全体のバランスと効率を考えたほうがいいのではないかというカネの使い方、国の財政のルールの問題です。

 この点でも、政府と自民党の考え方は時代遅れで間違っているとしか言えません。

 道路「特定」財源(二・八兆円)を「一般」財源化すれば、道路にしか使えない財源が道路以外にも使えるようになります。例えば、全国で救急車のたらい回しによる事故が続発していますが、救急病院や医師を増やすことにも使えますし、介護、子育て、教育や、社会保障にも使えます。もちろん道路にも使えます。

 しかも、それを決めるのは国ではなく、地方です。

 

「骨太方針」を骨抜きに

 

 道路特定財源を一般財源化して、教育、介護、福祉も選択出来るようにすべきだと、これは小泉首相が「内閣の骨太の方針」として二年前に国会で明言したものです。福田内閣は「骨太」に「肉付け」するどころか、「骨太」を「骨抜き」の方針で臨んでいるのです。

 「暫定」と呼ぶことで一回限りの、二、三年の我慢と思わせようとしていますが、これにも注意する必要があります。

 まず、「暫らく」と言いながら十年も増税を続けることです。今の時点では残り二年もない任期の衆議院議員が、これから十年も国の収入とその使い道を拘束する権限がどこにあるのでしょうか。まさに越権行為ではありませんか。

 それも一回限りという前例が守られてきているならもかく、この法案は期限切れの度に七回も更新されて、これでは前科七犯の常習犯と非難されてもやむを得ないことです。

  昭和五三年三月 延長

  昭和五八年三月 延長

  昭和六〇年三月 延長

  昭和六三年三月 延長

  平成 五年三月 延長

  平成 十年三月 延長

  平成十五年三月 延長

 田中角栄さんがこの制度を「特定」の人に負担してもらおうと創設した時期は、たしかに道路事情は貧弱で、走っている自動車もわずか六十五万台でした。それが今は八千万台、百二十倍にもなり、自動車の恩恵を受けない人を探す方が難しいくらいで、「特定」少数ではなく、「不特定」多数にと世の中はすっかり変わってしまっているのです。

 窓の外の景色がすっかり夏景色に変わっているのに火鉢を抱えているような漫画です。

 このような税負担の続け方と、介護、福祉、保育、立ち入るべからずと標札を立てて、おんな、お年寄り、子どもを寄せつけない離れ座敷でのカネの使い方や、予算のあり方には、さすがに世論調査でも六割、七割の人が「ノー」と答え、非難が高まっていることを、中央も地方も少しは考えるべきだと思います。

 「暫定」なのに三十四年間も続いた制度。自民党議員が役人を使って道路を地元に引き、業者を潤わせ、選挙で票を得る政官業の癒着。公金選挙の構造をここで一度破壊してはどうでしょうか。自民党の道路族議員がほしいのは「道路」ではなく、「道路工事」、道路の「効率」ではなく「得票率」なのです。

 暫定税率をなくしても従来の二・八兆円の財源は残ります。皆さんに必要な道路はつくれるのです。

 特別会計という離れ座敷には不透明な四十兆円といわれるへそ繰り (=埋蔵金)があります。暫定税率を延長しなくてもこのような財源はあるのです。

 自民党の伊吹幹事長は「ガソリンを二十五円下げる、一般財源化する、地方に迷惑をかけない、必要な道路はつくる、この四元連立方程式は解けるはずがない」と民主党の方針を批判しています。しかし、「増税はしない、国民に迷惑をかけない」という二元連立方程式さえも解けない能力と意欲では、それでは政治はいったい何をしようとしているのかと、あきれるばかりです。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「ロスト・ダウン」                     2008/01/14の紙面より

 

 日本では、中央政府も地方自治体も各地で敵の大軍にとり囲まれている。「財政難」「過疎・高齢化」の大軍にである。そして、中央政府も地方自治体も、「どこへ行くか」を問われている。

 財政危機には民間企業の経営危機と同じように、役所が自らチエをしぼってコスト削減につとめ、職員、サービス、予算の軽量化で「小さな役所、大きなサービス」を実現するしか、抜け出る道はない。

 私たちの日常生活の中にもコスト高の点検と併行して、コストの高いモノやサービスを効率悪く使用していないかの点検が必要になってきた。そういう効率の悪い使い方が、結局は廻りまわってコスト高の原因にもなっているからだ。

 例えば給食。

 出雲市で中学二年生を対象にして「環境探偵団」を結成し、市内の各所で環境が悪くなった所、なりそうな所、とてもいいと思う所、それぞれに大人ではなく子供の目線で発見してもらおうという試みだった。

 子供たちのいろんな報告には次のような感想もあった。

 「私たちは毎日食べ切れないほどに給食をいただいています。毎日たくさん残っています。それがみんなゴミとして運ばれます。テレビで、食べるものがなくてすごくやせている外国の子供たちを見ると、残さないようにもっと食べないといけないのかと思ったり、どうしたらいいのかと考えます」。

 大人の目線で考えると、子供たちの数だけ、そして基準量をきちんと満たして用意さえすれば、残っても残らなくても給食事業を立派にこなしていることになり、予算は付くし、給料ももらえる・・・。しかし、大人が見逃していた何かを子供の目はしっかりと見ているのだ。

 

鳥取県十年分の食糧のロスト

 

 食料と農業に関するレポートが、この食料ロスの問題をとりあげた。日本の家庭から出る食べ残しは年間三百四十万トンで、これだけで鳥取県人口の十年分の食料に相当する。学校、外食産業や食品製造業の廃棄物を含めればもっと大きい。

 アメリカの捨てられたロストは小売り、外食、家庭を含めて四千三百六十万トン。そのわずか五%を注意か工夫で活用するだけで四百万人分の一年分の食料と、五千万ドルのゴミ処理費用が節約されるというので、コスト・ダウンのための「ロスト・ダウン」運動が始まっているという。

 エネルギーコストの高い日本では、氾濫(はんらん)する自販機のロスト・エネルギーもばかにならない。

 「作ればいい、便利ならいい、缶は年寄りに拾わせればいい…」という、国民性まで堕落させるポイ捨て文明が日本で誕生し、週末になると老人クラブの人たちが出動する「缶取りぃー・ロード」が日本の各地に広がってゆく。

 これが本当に年長者を敬う東洋の君子の国だろうか。

 

原発二基分のロスト

 

 害はそれだけではない。自販機一台のエネルギーの年間消費量はある教授の研究によれば、一人か二人世帯で消費する電気量と同じだと言う。熱いものは一年中熱く、冷たいものも一年中冷たくしておくために、そのうえ照明もつけて消費する電気のために、気の遠くなるような無駄遣いが行われている。日本中の五百五十万台の全自販機が消費する電力は、百万キロワット級の原発二基分にもなる。

 エネルギーを他国に依存するわが国が、ちょっとした便利さのために浪費してしまうエネルギー、その象徴が自販機であり、まさに「エネルギー小国の自販機大国」となってしまった。

 エネルギー不足、原油高、そして温暖化による異常気象の脅威を前にして、先進国の人間が少しだけ不便を我慢すれば、そのスピードを遅らせることができるはずだ。

 朝日新聞の一月七日の環境世論調査でも、八四%の人が「自販機がなくてもがまんできる」と答えている。政府と企業は自動販売機の規制と撤去に直ちに取り組むべきではないか。

 自販機の代表的三悪は、「景観阻害」「ポイ捨て」「エネルギー消費」であるが、この三悪に加えて、酒の自販機にはさらに第四悪、第五悪がある。

 

酒自販機の健康ロスト

 

 第四悪は、国民の健康、青少年の非行問題である。酒自販機は、アルコール依存症患者の「隠れのみ」や「早朝飲酒」に頻繁に利用され、病状を進行させ、回復に悪影響を与えているという調査結果を専門医たちが発表している。それら患者の家族の九割が「酒の自販機は撤去すべきだ」と答えている。

 アルコール問題は個人の健康問題にとどまらない。欠勤、生産性の低下、事故、犯罪による社会的被害額は年間六兆六千億円といわれ、酒税の四倍にあたる。何のことはない、国は酒税でもうけるどころか、逆に三倍もの大赤字、持ち出しということだ。酒の飲み方、売り方がおかしいから、消費税三%に相当する六兆六千億円が毎年消えていく。

 第五悪は、酒自販機は法律に違反しているということだ。酒は薬であることはまちがいないが、毒にもなるからこそ、免許を受けた人だけが対面販売することになっている。酒を機械で売っているのは日本だけだ。

 世界保健機構(WHO)は、一九九一年、日本に対して酒自販機撤廃を勧告したが、日本は誠意ある回答をするどころか、カードなどを使ってさらに存続させようという、まさに「美しい国」どころか「恥ずかしい国」にとどまっている。

 他の先進国では、未成年者の飲酒の抑止力になるなら、面倒でも我慢して店の中で酒を買う社会的認識ができている。日本の酒屋さんの中にも、自販機を廃止し、売り上げを伸ばしている店も少なくない。自販機の缶ビール二つで店先からせっかくの福の神をUターンさせるのではもったいない。

 店の中へ入ってもらうからこそ、おかみさんのひと声、ふた声で、ビールだけのお客さんがおつまみに、子供のジュースにと手が伸びるし、手が伸びれば売り上げも伸びる。

 お酒の販売は免許制を復活し、屋外自販機を日本中から撤去して、酒害をなくし、景観とポイ捨て公害からまちと農地を守るべきだと思う。

 島根県出雲市は、九四年の十二月議会で、全議員が起立して自販機撤去条例を制定した。今でも忘れられない感動の一瞬だった。

 それから五年の実施準備期間の最後の日、九九年の十二月二十二日に、最後の一台が店先から消えて、クリーンな市として二一世紀の夜明けを迎えることができた。

 全国七百の市の先頭を切って立ち上がり、酒の文化と、青少年の健康と、そして何よりも酒の免許制を守ろうとした、出雲市の酒販組合の皆さんに、遥か東京の国会の空から、感謝と敬意を今でも捧げている。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

 

 

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「新年に希望を」                      2008/01/07の紙面より

 

 バブル景気を超える史上最長の好景気が続いているという政府の説明を聞かされても、新年がいい年になりそうだと期待した人はほとんどいません。

 実態との差があまりにも大きすぎるのです。

 内閣の閣僚の言動からさえも、元気の出る新年ではありませんでした。

 

日本の防衛、資産の防衛が心配

 

 例えば国の防衛を担当する防衛大臣が防衛省幹部や自衛隊の幹部を集めての新年の言葉。

 お詫びや反省、その上、目をずっと伏せ続けたままで一度も顔を上げることなく、幹部の目を見ようともせず、原稿の棒読み。これでどうやって一朝事ある場合にき然とした対応をする迫力が生まれてくるのでしょうか。

 こういう大臣の様子を見ているだけで日本の国の安全が心配になってきます。

 渡辺金融・行政改革担当大臣についても然り。国会では大きな身振り手振りで中味のない発言や傲慢な姿勢。そこからは何も着実にことを進めようという雰囲気のかけらもなく、国民の不信と反撥は高まるばかりです。

 一月四日の東京証券取引所の大発会で鐘を鳴らす役が回ってきましたが、少々の景気見通しの悪い時でも例年なら御祝儀相場といってダウが上がるものです。それが大発会としては史上空前の六七六円安。こうなれば、大臣の傲慢さへの反撥だけでは済まず、景気の悪さと政権への不信をお正月から裏付けたようなものです。

 口先だけで裏付けのない、「やります」「やります」のます添厚生労働大臣の言動にも不信感が広がり、年金支払率に加えて「年金支持率」も更に低下しました。

 政治の役割で一番大切なことは、「希望の持てる国を次の時代に残すこと」でしょう。それなのに、今の政治は明るい未来への希望を示すこともできず、強きを助け、弱きをくじき、「痛み」を強いるばかりではありませんか。

 税金は増える、貯金は減る

 医療負担は増える、年金は減る

 倒産は増える、売り上げは減る

 自殺は増える、職場は減る

 皆さんの「心配」が増えて、「安心」が減っているのです。

 「所得倍増」を掲げたのは池田内閣でした。「安」心を「倍」にするという「安倍」(あんばい)内閣が一昨年生まれましたが、看板とはまるで逆に、言うことやることがアベコベで「アベ」内閣と呼ばれていました。安心が減って、「心」配が「増」えているから「心増」(しんぞう)内閣とも呼ばれていました。

 そしてついに、政治とカネをめぐる疑惑で去った五人の大臣の後を追って総理大臣までが九月十一日に後追い辞職を決断。野党の本会議質問を翌日に控え、九・一一の「辞爆テロ」。

 アメリカやイギリスでは十年に一度の大掃除。「お掃除」は好きでも日本の国の「大掃除」をしない日本。六十年間大掃除を忘れてきた 日本は埃が積もりに積もって、腐りに腐って、腐臭が立ち込めています。

 

不思議の国、日本

 

 まず税金の私物化。

   官僚同士が税金をまるでわがもののようにやりとりする天下りによる談合と、その一部を政治家にもおすそ分けする、バラマキをハラマキをした人たちだけで山分けする「ハラマキ政治」。

 ハラマキのない人はハチマキをして働かなければなりません。

 ハチマキをして働く人たちの汗とお金をもっと大切にする政治に変えること、言いかえれば、「ハラマキ」対「ハチマキ」が今の政治の対決軸です。

 その上に増税。

 大企業に減税。国民に増税。最高利益を挙げている銀行には5年間の税金免除というおまけ付き。アベコベではありませんか。

 次に年金。

 銀行へ預ければ返ってくるおカネが、政府に預けると返ってこなくなる「不思議の国」。国に預けた年金のおカネが、どこへ行ったのか、誰のものなのか、分からないという恐ろしい話。

 これも「美しい国」どころか「恥ずかしい国」としか言えません。

 実質六十年にも亘る自民党の「政権多選」を、私たちはいつまで守り続けるのでしょうか。

 今私たちにできることは、このような日本の「三流政治」をせめて「二流の政治」に引き上げて次の時代に引き継ぐことなのです。

 六十年に一度の政治の大掃除をする勇気が日本人にはあるのか。そろそろ日本にも新しい風が吹くのか。久しぶりの政治決戦の幕が開かれます。

 政治を変えるためには分りやすい、例えば次のような政策が、政権党には必要でしょう。

 

 ●拉致問題解決

 全力を挙げて拉致問題に取り組み、国民の生命と国の誇りを守ります。

 

 ●定数格差廃止

 世界最大の人権差別は日本。衆院二倍、参院五倍にまで広がった格差を解消し、政治的人権の平等を実現します。すべての政治改革の本丸です。

 

 ●議員献金番号制を導入

 アメリカ、イギリスのように、献金の受け取りは献金番号のある口座をすべて経由し、インターネットで公開します。袖の下や「背広の内ポケット」経由は認めません。

 

 ●議員定数削減

 

 ●天下り禁止

 

 ●財政改革

 国民の税金の半分近くを、七百兆円に積もった国債の利払いに先取りされて自分の首を絞めているのが現状。国債に代わり、金利のつかない政府紙幣を発行し、年間二十兆円の利払費を削減して社会保障の財源とします。

 

 ●年金改革

 保険料廃止という減税付きで消費税は段階的に一〇%に増税、基礎年金七万円に充当。未納者ゼロの「皆年金」、そして「消えない年金」「盗まれない年金」を実現します。保険料を支払ってきた人にはその金額に応じて加算します。

  男性より七年長生き、世界一長寿の日本の女性には世界で最も有利な年金です。

 

教育こそ日本の最良の投資

 

 ●子育て・教育

 日本の教育予算は先進国の半分。残り半分は家族の負担です。予算を倍増し、家族負担を半減します。資源のない日本には人間という資源への投資こそ、最良の投資です。

 教育格差、所得格差、地域格差の解消を目ざします。

 

 ●農業政策

 『農業』には新しい夢。自分で定年を選べる職業は農業しかありません。「痛勤時間」ゼロ。自分の体力に合わせた作業が許される。自然食、健康食、長寿とグルメ時代にもっともぜい沢なのは、いつでも身近に畑という名の天然の冷蔵庫を持つことです。

 農業に従事することは、ひいては自分の健康ばかりか国の財政にも貢献することになります。

 自然に触れ、自家製の農作物を食することが、身土不二、長寿社会を益々豊かなものにし、その結果、老人保健収支を改善し、厚生労働省予算を削減することができます。「健康食」に加えて「健康職」、この二つをともに提供できるのは農業しかありません。

 第二次農業革命を断行して農地を公有化し、「生産農家」の生産コストを下げる一方、中山間地農家は「環境農家」として、地域の環境維持労務に対し、所得補償を行います。

 

 ●道路政策

 長野県で残り少ない人生を過ごしている老母を横浜市の娘や孫が毎週末にでも訪ねられるように、仙台市に住む母の介護に東京の息子が高速を使って帰れるように、全国の高速道路を無料にします。

 クルマとヒトとモノが動いて不景気になった国はなく、増税なしに税収を増やします。最もおいしい国土の背骨に相当する高速道路が開放されれば、若い人の起業の場、雇用の場が増えます。

 子供や孫の就職に悩んでいる祖父母や両親の心配を減らすことこそ、見方を変えれば、国が高齢世代にたいして実行できる最大の「親孝行」ではないでしょうか。

 親孝行のための介護の道として、若い世代の職と幸福を守る道として、高速道路を「孝速道路」と「幸速道路」に転換する、それが日本の「親孝行の道」です。

 

(衆議院議員、元出雲市長)

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